日本の米国旅行記


  15

 
 
 
 
「さて、乾杯をしようか日本」
「――え?」
 食前の乾杯は済み、既にメインも運ばれてきている。
 このタイミングで、と首を傾げる日本に、
「今日はおれたちの同盟がまた新たなページを開いた記念すべき日だよ」
 忘れちゃったのかい、とアメリカが笑う。
 今日の日付を思い出した日本はさっと青くなった。
 十年前にアメリカと結んだ『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』は固定の満期を迎え、今日から単年度の更新になっている。
 今日のこのディナーはそれを祝ってのことだとアメリカは告げていた。
「申し訳ありません!」
「普段は几帳面な日本が日付を忘れるくらいバケーションを楽しんでくれているなら、良しとするよ。この十年間、いや、その前の条約もいれると十九年になるのか――色んなことがあったけど、おれと君とはずっと変わらない友達だよね」
 にっこりと笑う彼の言うところの『色んなこと』は、アジアで頻発し今も続いている戦争や動乱のみならず、日本国内の事情も暗に示唆しているのだろう。
 十年前に条約締結時に起きた安保闘争では、世論は反米に傾き、十数万とも何十万とも数えられたデモ隊が国会を取り囲み、混乱状態に陥った。
 『新聞が死んだ日』とも評されるメディアのコントロールで事態は収束して条約は成立したものの、アメリカの上司の訪日は中止、日本の上司も退陣する騒ぎとなった。その後もベトナム反戦運動や米軍への反対運動など学生運動の形をとっての反米の波は今も続いている。
 日本の訪米数日前にも条約更新への反対デモが起き、混乱を避けるためにこの訪米自体が国民には伏せられている。
 実際のところ、この同盟がどこまで実質のあるものか日本自身、疑問だ。
 アメリカは、この明るく快活に振る舞う青年は、必要とあらばどこまでも冷徹になれることを日本はこの身を以て知っていた。
 世論をコントロールし、正論をねじ曲げ、自分を正当化してそれを信じさせるのが、彼の常套手段だ。
 だが、日本はあくまでも日本国の化身。国としての方針が親米路線をとるのであれば、それに反することなど許されない。
 また国際情勢を鑑みればアメリカの手を拒絶することなどできないのも事実なのだ。
 
 ――敗戦から二十五年。
 
 国民の努力はもちろんだが、戦争特需という形でアメリカから得た経済的恩恵は大きい。そのお陰で経済復興が劇的に進み、また、皮肉にも軍事力保有制限による米軍駐留は一国を維持するために必要となる軍事費を押さえる効果ももたらした。
 けれどもまだ、力が足りない。
 この国の内部を実際にこの眼で見て、その圧倒的な国力を思い知らされるほどに、そう強く思う。
 あるいはこれこそが、今回の日本を強引に招いた旅の目的なのか――とすら思う。
 だが今はソ連と呼ばれているロシアの勢力から身を守り、戦争自体への忌避感が強い己の国民を守るためには、今はこの超大国の手をとるしかない。
 美しい空色の瞳を煌めかせ、自信に満ちた笑みを浮かべているアメリカ。
 日本の懊悩など全てを見透かした上で、彼はこの手を取るように強いているのだろう。
 
 ――イギリスの眼の前で。
 
 
 差し出された手をしっかりと握る。
「ええ、アメリカさんに友人と言って頂けて光栄です。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
「もちろんさ!」
 真っ直ぐに見るのはアメリカの青い瞳だけ。
 それ以外のものは――見ることが出来なかった。
 
 
 
 



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