日本の米国旅行記


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 シカゴというと、ニューヨークに次ぐ全米二位の経済、金融都市というイメージだ。
 しかし今まで行ったことがない。
 そう言うと、「だろうね」とアメリカは頷いた。
「ニューヨークやサンフランシスコなんかの沿岸都市がうちの対外拠点だからあまり有名じゃないのかもしれないね。それにシカゴは世界会議が開かれるニューヨークやワシントンDCからも離れてる。でもここはこの周辺に広がる工業地帯の中心地で、各種交通機関や国内流通の拠点なんだよ」
 高速道路を降り、市街地へと向かうと空を衝くような摩天楼が目に飛び込む。
 国内の拠点、という言葉に相応しいビル群だ。
 その中でも一際高く目立っているビルの駐車場に、アメリカは車を入れた。
「着いたよ。おれの別荘さ」
「別荘って……ここオフィスビルだろうが」
「オフィスも入ってるけど、コンドミニアムもあるんだ。もちろん店もレストランも入ってるよ。……ああ、荷物を頼むよ」
 ホテルのポーターのような制服を着た男に、車の鍵を渡したアメリカは、「行くよ」と日本の肩を抱き、エレベーターに乗ると、慣れた様子でずらりと並ぶボタンの一つを押した。
 あまりの数の多さに、日本は恐る恐る訊ねた。
「あの……このビルは何階建てなんですか?」
「百階建てだよ」
「「百階?!」」
 声を揃えて大声を上げる二人に、アメリカは悪戯が成功したような子供のような笑みを浮かべる。
「なんてったってここはエンパイア・ステート・ビルに次ぐ世界で二番目に高いビルだからね。しかも去年できたばかりのぴかぴかさ!」
 かなりのスピードで上がっているのだろう。途中でエレベーターを乗り換えて上がっていくうちに、鼓膜がおかしくなる。
 アメリカの別荘という家は上層階にあった。管理人でもいるのか、それとも部下が面倒を見ているのか、部屋の中はよく整えられていてテーブルの上にはワインやフルーツの準備まである。
 大きな窓の外に見えるのは空だ。近づくと下に建物や道路が見える。ペンで書いたような細い道路でも六車線あるのだと思えば、この部屋の高さが分かる。
 恐ろしくて窓が開けられないが、室内は空調がよく効いているのかホテルのように涼しい。
「イギリスは奥のゲストルームを使うといいよ。日本はおれと一緒でいいよね」
「もちろんです」
 本音を言えばそこらのソファーで充分だが、それを言うとイギリスも部屋を使い辛くなるだろう。紳士的な申し出でうっかり同じ部屋にされたらかなわない。それにアメリカのベッドはキングサイズのはずだから、布団を二枚敷いたよりも広いのだ。
 案内されたアメリカの部屋は予想通りのキングベッドで、そのベッドも小さく感じるほど部屋が広い。付属の浴室にもこの国にしては珍しいゆったりと大きな湯船があって、日本はぱっと笑顔になった。
 それを見たアメリカは「のんびりお風呂に浸かっていればいいよ」と言ってくれた。
「いいんですか?」
「お風呂に入ったら疲れがとれるんだろ? 夜は上のレストランに予約入れてるから、その時間まで好きにしてたらいい」
 この更に上にレストランがあるという言葉に驚きながら、早速その言葉に甘えた。折角のシカゴという大都会に来ながら観光もせずに風呂とはもったいない気もするが、移動に次ぐ移動の上、ここ二日はシャワーしかなかったので久しぶりの風呂はありがたい。
 長風呂から上がるとアメリカは寝室の大きなソファーにだらりと横になって本を読んでいる。イギリスも部屋で休んでいるらしい。ならば自分も大人しく本でも読んでいようと持参した文庫本を広げる。
 窓下にビル群を見下ろしながらの読書は贅沢な時間だった。
 
 
 
 立地からして当然のことながら、アメリカが予約したレストランにはドレスコードがあるという。
 どうせフォーマルを持ってきてないだろうからと渡された箱に躊躇するが、イギリスが「お前んちの縫製は荒い」だの「フィット感が」などと文句をつけつつ大人しく受け取っていたので、日本も断れなかった。
 しかし居間で顔を合わせれば、直線的で肩幅を強調した二人のデザインに対して、日本のものは色も装飾もフェミニン。都会的な摩天楼とアールデコ邸宅ほどの違いがあり、三人ともタキシードなだけに、その差異が際立っていた。
 自分が二人の引き立て役なのは承知しているものの、これはやり過ぎではなかろうかと控えめに苦情を申し立てるが、「君の映像を見せて、似合うものをって頼んだんだよ」とアメリカは首を傾げる。
 イギリスからも「こいつんちの仕立てにしては悪くない」と言われ、日本は諦めた。
 スーツ発祥国として誇りを持つイギリスはスーツやフォーマルに一家言あり、彼のお眼鏡に適わぬ相手は容赦なく扱き下ろし、適った場合でも沈黙で応じる。
 日本は同盟相手ということで手加減をしてもらっていたようだが、それでもたまに助言めいたダメ出しをされたものだった。それを考えれば破格の賛辞だろう。
「日本が似合ってるのはいいとして、なんでおれまでファンシータキシードなんだ」
「だって君はRed coat だろ?」
「厭みかそれは……。だいたい孔雀なんて流行遅れ、おれに押しつけるな!」
 キイイッと文句をつけるイギリスの上着は黒とまごうほど深みのある濃紅で、対するアメリカは濃紺。日本は落ち着いた金の光沢があるクリーム色なので、三人並んで星条旗色を気取ったつもりなのだろうか。
 色目としてはユニオンジャックも同じなのだが、と日本は内心溜め息を吐いた。
 日没に合わせてレストランへ行くと、週半ばというのに、正装をした客がそれなりに入っていた。
 上流階級の中にはアメリカの顔を知っているものもいるようだ。それでなくとも衆目を惹く二人にざわめきが起こり、「Mr.America」という囁きも聞こえる。
 当然店側もアメリカの立場を知っているようで、愛想良くも恭しく、仕切られた区画へと案内される。
 先頭を歩かされた日本は、さりげなく、しかし痛いほどの視線が集中するのを感じた。耳目を集めるアメリカといる時にはいつものことだが、まるで針のむしろにいるようだ。
 国外で劣等感を抱くのは最早刷り込みのようなもの。それに飲み込まれぬよう、顔を真っ直ぐに上げた。
 とはいえ、乾杯で傾けたシャンパンや極々上品な料理は公式晩餐会もかくやな質で、そんな憂鬱はすぐに吹き飛んだ。眼下に広がる広大な街を残照が染めていく様も素晴らしく、まさに絶景だ。
 感嘆の溜め息を吐く日本に、アメリカは得意げな笑みを浮かべる。
「この街にはまだまだ超高層ビルが増えるよ。今年シアーズが建て始めたビルは地上百十階地下三階で、完成したらエンパイアも抜いて世界一になる予定だ。スタンダード・オイルも百階近いビルを建てているし、今度来る時にはまた景色が変わってるはずだよ」
「すごい……ですね」
 現在日本で一番高いビルは、今年三月に浜松町にできた世界貿易センタービルだ。しかしそれでも四〇階建て、おそらくこのビルの三分の一しかない。
 それまで唯一の高層ビルであった霞が関ビルも三十六階。百階建てのビルが当たり前のように建てられているアメリカとは雲泥の違いだ。
 これが彼我の国力の違いというものなのだろうか。
 
 
 
 



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