日本の米国旅行記


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「にほーん! そろそろ起きなよ! 朝ご飯だよ」
 元気なアメリカの声に、はっと眼が覚めたらテントの中は既に明るかった。慌てて時計を見て、血の気が引く。大寝坊だ。
「す、すみません! あの、おはようございます」
 慌てて身支度を整えて出ると、既にテーブル代わりのバーベキューセットの上にはシリアルが山盛りの皿と、巨大な容器に入った牛乳が準備されていた。日本を待ってくれていたのだろう。
 朝から上機嫌なアメリカと、不機嫌とまではいかないものの笑顔を見せないイギリスが朝の挨拶を寄こす。
「朝ご飯のシリアル、ストロベリーとチョコどっちがいいかい?」
「ええと……では、チョコレート味でお願いします」
 朝から甘いものというのは健康に悪そうだとこっそり思うが、チョコレートは大好きなので文句はない。
 朝食の後はテントを畳み荷物を車に積んで、ナイアガラの滝へ向かった。滝までは二時間とかからず、昼前には到着する。滝の乙女号という遊覧船に乗って滝の近くまでいくのだが、水飛沫がすごいので皆てるてる坊主のような合羽を着用だ。
「向こうがカナダだよ」
 指さす対岸からも同じ形の船が近づいてくる。
「あちらからも同じ遊覧船が出るのですね」
「そうだよ。でも客はカナダからの方が多いんだよな。おれんちにも来てくれるといいのにさ!」
 頬を膨らませるアメリカには悪いが、実は日本も以前カナダでの会議の際にカナダ側から船に乗ったことがあった。あの時は勿論アメリカも一緒だった。
 それなのに今回この滝もルートに入れたのは、カナダに張り合ってのことかもしれない。もっとも興味がないことはあっさりと忘れてしまうのがアメリカだ。一緒に行ったこと自体、忘れている可能性もある。
 苦笑いを浮かべているとイギリスと視線が合った。同じことを思っているようで、醒めた顔で肩を竦める。それに曖昧な笑みで返し、内心で溜め息を吐いた。
 今朝顔を合わせた時から心なしかイギリスの態度がそっけないように感じる。
 無視をされるわけではなく、むしろちらちらとこちらの様子を窺っているようだし、その視線に険はない。自分が何かして不興を買ったわけではないのだろう。
 けれども日本がイギリスに視線を向けると、よそよそしくも不機嫌にも見えるような表情を浮かべるのだ。
 まさか、と思い浮かんだのは真夜中の異常接近だが、日本が動けないように抱き込んだのはイギリスの方で、しかも熟睡中だった彼はそのことには気づいていないはずだ。
 むしろこれは寝る前に彼が発した優しい言葉への照れ隠しなのかもしれない。
 いい夢を――詠うように滑らかなイギリスの言葉を思い出し、かっと体温が上昇する。顔を擦る振りをして、日本は赤面した頬を隠した。
 夜の闇の中で心地よく反芻した声は、こんなに明るい光の元で思い出すと気恥ずかしい。
 その気恥ずかしさとともに、真夜中に感じた居心地の悪さや訳を追求したくない後ろめたさも思い出し、イギリスから置かれている距離は、むしろ自分には都合がいい、と思うことにした。微かな落胆はきっと気のせいだ。
 そんなことを考えていると船は滝に近づき、激流となって落ちる水の轟音と飛沫が襲いきた。
 滝は何度見ても迫力がすごく、アメリカも日本も、イギリスまでもが興奮冷めやらぬまま昼ご飯を終えると、次は近くの島に渡り、洞窟の中からブライダルヴェール滝を裏側から見る。
 最後にアイスクリームを食べてから、次の目的地であるシカゴへと向かうことになった。
「シカゴへ行く途中で泊まるけどいいよね?」
「泊まるってどこにだ?」
「適当にその辺のモーテルかな。今からだとクリーブランドを過ぎて、トレドまでは行けると思うけど、サウスベンドまでは遠すぎる気がするなぁ」
 知らない地名を羅列されてもぴんとこない。
「シカゴまではどれくらいかかるんですか?」
「うーん、Interstate(州間高速道)はだいたい制限速度が七五〜八〇マイル(一二〇〜一三〇キロ)だから、制限速度通りに行けば……今からだと着くのは夜中を過ぎるだろうね。もちろん君たちが望むなら、直接シカゴを目指しても良いけど?」
「真夜中って……待て、距離はいくらだ?」
「ここからだとだいたい五六〇マイル(九〇〇キロ)ってとこかな」
「ロンドンからインヴァネスかよ……」
 自国では使わないマイルで距離を言われても咄嗟に計算できないが、イギリスの言葉に、おおよその自国での距離が思い浮かぶ。ロンドンからエディンバラで東京から大阪辺り。となるとその先の広島辺りまで行くことになろうか。そう考えれば相当長い距離だ。
「むしろ途中で泊まれ。急ぐ旅じゃないんだろ?」
「まぁね。明日の夜までにはシカゴに着きたいけど。でも今夜泊まっても、昼くらいには着くと思うよ」
「あの、そんなに長距離の運転をお願いして、アメリカさん大丈夫ですか?」
「もちろんさ! それに君たち運転なんかできないだろう。左側ハンドルだもんね」
 その言葉にイギリスと揃って返す言葉もなく黙り込む。二人ともアメリカとは車のハンドルも道の向きも反対なのであった。
「まぁ運転できたところで代わるつもりはないよ。なんてったって自慢の新車さ。ぶつけられたらかなわないからね!」
「はぁ……」
 確かにこんな高そうな車、ぶつけた時の弁償に困る。
 途中、トイレ休憩やガソリン補給をしながらアメリカがトレドという街外れのモーテルに車を止めたのは、それでもまだようやく陽が沈もうかという頃だった。
 そこそこ新しく見えるモーテルでは三人とも別々の部屋だったので、二人の寝相に悩まされることがないのは幸いだった。だが時差ボケは相変わらずで、明け方前になってようやく失神するようにして眠りに落ち、用意していた目覚ましでどうにか起きる。
 連日の睡眠不足で顔色が悪かったのだろう。
 顔を合わせるなり、イギリスに心配をされた。
「日本、大丈夫か?」 
「あーすみません……どうも時差ボケのようでして」
「Oh……そういえば君、昨日も起きるの遅かったよね。もしかして夜眠れないのかい? だったら運転中寝とけばいいよ」
「いえ、さすがに助手席で寝るのは申し訳ありませんので……」
「ならイギリスが前に来て、君は後ろで寝とけばいいよ。君、小さいから横になれるだろう?」
「はぁ……ありがとうございます」
 いくら小さく見えてもイギリスと一〇センチ程度しか身長は変わらないのだが……と思えど、その提案はありがたかった。
 寝袋を枕にして、もう一つの寝袋を広げて毛布代わりにする。座席の凹凸がいささか寝にくかったが、そこは我慢する。
 眼を閉じて規則正しいエンジン音を聞いているといつの間にかうとうとして眠りこんでいたようだ。
 目を覚まして外を見ると、高速道路の星条旗の色をした案内標識には、出発した時のオハイオ州に変わってイリノイ州の名前が入っていた。
 
 
 
 
 



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