日本の台湾旅行記 9
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ひらひらと艶やかなサンドレスが、舗道に濃い影を落としている。
長い髪に桃の花を飾り、レースの日傘を手にした少女は、隣の長身の青年に顔を寄せるようにして何事か話しかけた。
黒と金の美しいコントラスト。
商品を指さし、駆け寄ろうとした少女の手から、すっと青年が日傘を取り、それに驚いた顔はぱっと笑顔に変わる。
こんな光景はどこかで見たことがあった。
「菊さん、このワンピ、この色とこっちの色、どっちが似合うと思いますか?」
ぼんやりと映画のような美しい絵を眺める日本は、自分にかけられた声に我に返った。
少し離れたショップの中から、台湾が両手に持った洋服を掲げ訊ねている。早足で近寄った日本は、困惑に首を傾げた。
正直女物の服のことを聞かれても分からない。
「どちらも可愛いですから湾さんによく似合うと思いますが……ええと、アーサーさんはどう思われますか?」
「赤の方がいいんじゃないのか。そっちのが顔映りが良い」
「そう言われてみればそうですね。折角ですし、試着されてみてはいかがですか?」
「いいですか?」
その薦めに笑顔になった台湾は、店員に話しかけ試着室に消える。
何度入っても、女性向けファッションの店内はお世辞にも居心地が良いといえるものではない。日本は入り口の隅に邪魔にならないように陣取ると、視線を外へと向けた。
台北駅の南に位置する西門という街は、若者向けのファッションや飲食店などのショップが多い。
自分のところでいう原宿に感覚が近いだろうか。観光客らしき姿はもちろん、大学生と思しき地元の若者達が楽しげに喋りながら歩いている。サンドイッチマンやプラカードを掲げた客引きの姿も見られ、活気のある街だった。
「おい、大丈夫か?」
いつの間に傍にいたのか、イギリスの声に目を瞬かせる。それが自分の体調を気に掛けての言葉と気づくのに数拍かかった。
「あ、はい。アーサーさんこそ、あまり長時間歩かれると辛いのでは?」
「俺は昨日さっさと寝たから平気だ。それよりも顔色が良くないぞ」
眉を顰めるイギリスの指摘に、日本は曖昧な笑みを浮かべた。
確かに不調の自覚はある。
だが、その理由は端的に言えばただの寝不足だった。
昨夜遅くまで台湾を相手にゲームとアニメで盛り上がり、少女漫画が原作のアニメを一緒に見ているうちに、いつの間にか意識を失うようにして眠り込んでいたのだった。はっと目覚めた時には、とっくの昔に最後まで行っていたDVDはインデックス画面に戻っており、食べ散らかしたジャンクスナックの残骸が散らばる部屋に、すっかり耳に馴染んだ主題歌を響かせていた。
台湾には泊まりませんなどと説教混じりで宣言していたというのに、遊び疲れて撃沈してしまうとは。
(やってしまいました……。百年前の私でしたら腹を切って死ぬとでも言っていたでしょうね……)
切腹も武士の誇りも遠いものとなった今ではさすがにそんなことはしないが、穴でも掘って入りたい気分だ。すぴすぴと眠る台湾の隣で、日本は頭を抱えた。
それでも八時には目が覚めたことに我ながら感心したのだが、よく考えてみればなんのことはない。時差を失念していただけで、日本時間では九時を過ぎていて、普段が六時頃には起きる日本からすれば、寝坊もいいところだった。
当然、朝の目覚めは最悪。
日本の華麗な計画では、朝は早くからイギリスのホテルへ行く予定だったのに、結局彼と連絡をとって合流できたのは十時過ぎで、時差のある日本時間では十一時を過ぎているから、旅先にはあるまじきスロースタートだ。
待ち合わせのホテルに一人で現れたイギリスから、香港はもう帰ったと聞かされ、(あああ……お見送りできませんでしたよ)とそれもまた日本の自己嫌悪に拍車をかけた。
とはいえそんな日本の事情を説明するわけにもいかず、当たり障りのない答えを返す。
「ははは……普段出歩くことが少ないものですから。こう賑やかな所も年寄りにはいささか気後れがしまして」
「なに言ってんだ。お前がよく行くアキハバラとかシンジュクの方が、よほど人が多いだろう」
「うちと外とではやはり感覚が違いますよ」
「あー……まぁな」
苦笑するイギリスの顔色はいつものものだ。
日本は精神的にも体調的にも絶不調なのに引き替え、台湾はこの上なく上機嫌で、イギリスの体調もすっかりよくなっているようだ。
「それよりすみません、アーサーさんまで買い物に付き合わせてしまいまして」
「別にお前が謝ることじゃないだろう」
「まぁそうですが、しかし安請け合いしてしまったのは私ですし、そろそろ飽きられたのではないでしょうか」
昼ご飯を挟んで台湾の買い物はまだ続き、そろそろ二時間近くこの界隈の店を廻っている。台湾の買い物好きには免疫のある日本はともかく、イギリスには辛いのではないだろうか。そう危惧しての言葉に、彼は首を振った。
「別に平気だ。女の買い物ってのは時間がかかると相場が決まってるからな、それくらい承知の上だ」
その言葉に被るようにして、試着室から声がする。
「菊さんー、アーサーさん、どうですか?」
個室から出てくるりと回ってみせる台湾に、日本とイギリスは口々に賛辞を述べれば「本当ですか?」と裾の丈を気にして、鏡をのぞき込む。
「ええ、よく似合っておられますよ」
その言葉に嬉しそうな顔をして、台湾は店員に購入の意を告げた。
可愛いらしくスタイルの良い台湾は、お世辞抜きでどんな服もよく似合う。
そしてそれは街で目にする女性達とも相関関係にあるように思える。
どこを見ているのだと呆れられそうだから口に出さずにいる日本だが、道を歩く女性達はすらりとしたスタイルは勿論、皆細く形の良い足をしていることに驚いていたのだった。
自国の少女達も一昔前に比べれば飛躍的にスタイルがよくなっているが、ここまで足の細さは目に付かない。
また服装も自分の国民と比べても遜色ないほどお洒落だ。日本の少女達の一種独特なファッションにかける意気込みは、世界的にも類を見ないものだそうだから、台湾の少女達のレベルもかなりのものということだろう。
この店に並ぶ服の流行も、どこか日本のものと似ていて、そっと触ってみた布の質も大差を感じさせないものだった。
勿論どこか自分のところのものとは違う。
とはいえそう感じるのは、この地が自分に属するものではないと肌で感じる違和感からかもしれない。
そんなことをぼんやり考えた日本は、ふと隣で同じように手持ち無沙汰な顔で外を眺めるイギリスに気づき、途切れた話を続けた。
「あの……もう随分とあちらこちらお付き合いいただいておりますし、無理されず途中で抜けてくださっても……」
「だから別に無理なんかしてねぇよ! 俺が付き合うって言ってるんだから別に良いだろ!」
むっとした顔の彼が、のけ者にされることを畏れる子供のようで、日本はくすりと笑った。
「恐れ入ります。あーでも……多分まだまだこれからでしょうから、覚悟されておいた方が良いかと。前に日本に来られた時は、三日間買い物ツアーで、さすがに三日目は途中で勘弁して貰ったのですよね」
キャッシャーで精算をしている台湾に聞こえないよう小声で告げると、イギリスはさすがにぎょっとした顔になった。
「……本当かよ。それは…あー…悪いがさすがに……」
「ええ、私もこの暑さでそれは死にます。むしろ死ねます。まぁ、そこら辺のことは湾さんも承知で、配慮してくださると思いますよ」
「本当にか」と疑わしげな視線を向けるイギリスに、「恐らくは」と付け加えた日本は、先の自国での買い物の時にはあのアメリカを引きずり回し、最後には『本っ当にもう勘弁してよ、頼むからさ!』と頭を下げさせた武勇伝は黙っておこうと決める。
「お待たせ、菊さん! あれ、アーサーさんどうしたんですかー?」
きょとんとした顔で首を傾げる台湾を前に、「いや、なんでもない」とイギリスは視線を逸らす。
「よい買い物ができましたか?」
「はい! あ、菊さん、この先の店に。可愛い靴もあるんですよ〜。行ってみてもいいですか?」
可愛らしい笑顔は、否の返答など想定していないかの無邪気なものだ。
控えめに袖を引っ張る台湾に、「はいはい」と返しながら、日本は形容しがたい顔をしているイギリスに眼差しで謝意を伝える。
仕方がないと視線で返すイギリスは、いつものようにすっと紙袋を取ると台湾に日傘を差し掛け、二人の後ろに従った。
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