日本の台湾旅行記 10



「……ここは菊さんとこでいうストリート系ファッションが多いビルです。地階の豆花が美味しいんですよ」
 靴を買いたいという台湾の希望で、MRTの駅を背にして向かっているのだが、途中で雑居ビルに入っているオタクショップに寄ってみたり、Tシャツショップで不思議な品を発見してみたり、スポーツシューズ専門店で三人お揃いのシューズをイギリスに買わせたりで、なかなか目的の店まで辿り着けずにいた。
 建物一軒ずつ、台湾が説明して冷やかしていくのもその一因だろう。
「ここはドーナツが美味しいですよ」
「ここの火鍋は安くて食べ放題です。昼は行列ができます」
「ここはメンズものの服が多いですよ。外来食品の店もあります。あと上の階には本屋があります。菊さんとこの漫画ももちろん置いてますよ」
「あ、本屋があるなら寄ってみてもいいですか?」
 交差点の角にあるビルの説明をした台湾に、日本は声を上げた。
「はい、行きましょう本屋! 何が見たいですか?」
「そうですね。雑誌とか小物とか見てみたいです」
 一昨日見た布袋戯という番組のトランプが置いていないだろうかと思ったのだが、イギリスの前でそれを直裁に口にするのは憚られる。オタクなのは彼も承知の事実ではあるが、声高に趣味を主張しないのが日本のオタクとしての嗜みだ。
 いいですか、とイギリスに眼差しで問えば、両手に下げた買い物袋をものとせず、彼は入り口のドアを開けて促した。
 最上階の本屋は日本の漫画や書籍のみならず、英語やスペイン語まで揃うなかなか大きな規模の店だった。さりげなく二人から離れて店をまわるが、目的の品は見つからない。

(むしろこちらの若い人向けの本屋の方が、まだ置いている可能性があるのかも知れませんね)

 どちらかといえば外書が多いこの店では望めないだろう。そう諦めながらも、ふらふらと雑誌のコーナーまで迷い込む。
 こちらも書籍と変わらない言語層だが、自国のコーナーで日本の目を留まったのは、とある専門雑誌だった。

(うわー……Vocaloid専門誌なんて、うちでもディープな本屋でないとありませんよ!)

 思わず手に取りってしげしげと見つめる。表紙に描かれているイラスト画のキャラクターは勿論日本に馴染みのあるものだが、さすがに日本をしてもこの雑誌は実際に眼にしたことはないかなりコアな雑誌だ。
「こちらの方にボーカロイド萌なんてわかるんでしょうかねぇ……」
 思わず一人ごちた日本は、不意に「日本人ですか?」と英語で話しかけられて眼を瞬かせた。
 横を見ると店員らしき男女が並んでいた。整本の邪魔にでもなったかと、動こうとするが、彼らの眼に浮かぶ興味津々な様相に、遅ればせながら話しかけられた言葉の意味を理解して「はい」と英語で返す。
「日本の雑誌だったら、明日また入りますよ。欲しい本や雑誌があったら言ってください」
「日本の雑誌、面白いです。私も好きです」
 あまり流暢ではない英語と日本語で話す二人は、日本人とみて声を掛けてくれたのだろう。控えめな笑顔が押し付けがましくない親切を実感させ、日本は嬉しくなった。
「謝謝、ありがとうございます」
 五本の指で足りるくらいしか覚えていない中国語と、日本語も添えて礼を言うと、嬉しそうに店員たちは去っていく。
 接客をしたというよりも、むしろ外国人と話したという興奮が垣間見える楽しげな彼らを見送っていると、台湾が近づいてきた。
「菊さん! ここにいたんですか! 急にいなくなっちゃうから心配しましたよー!」
「ああ、すみません。行きましょうか」
「もういいんですか?」
「ええ」
 そういえば台湾の買い物で入った店の店員たちの中にも、日本に向かって「日本人ですか?」と訊ね、笑顔を向けてくれた人たちもいたが、「日本人=上客」という接客意識だけからではなく、純粋に会話を楽しもうとしてくれていた人たちもいたのかもしれない。
 もしくは台湾やイギリスとの取り合わせが珍しく、三人の中では一番声が掛けやすい日本を選んだだけという可能性もあるが。
 ほぼ黄色人種が占める街の中、イギリスの姿は一際人目を惹くようで、物珍しげな視線を多く感じた。
 ビルを出て、こうしてそれなりに賑わっている繁華街を見渡しても、白色系人種は眼につかない。いくらアジア圏とはいえ首都ともなれば、もう少し欧米層を目にするものではないかと思うが、他国との正式な国交が少ない台湾では事情が違うのかも知れなかった。
 殊にイギリスは、恋人の欲目を抜きにして見惚れる秀麗な容貌である。イギリスの本国でも視線を集める彼が、このアジアの地で注目されないわけがない。
 国という存在は、と日本はぼんやり考える。
 それぞれの国民の特徴を標準化した容貌をしているのではないか。そう以前フランスと話をしたことがある。
 標準値、つまりそれは平均値的な顔ともいえるが、人間は生活上最もよく見る平均値的な顔を美しいと感じる、という学説があるそうだ。
 その観点からすれば、周囲の国々が審美眼に煩いと自認する日本から見ても、文句の付けようがない容貌の持ち主達である説明がつく。(己に関しては評価が異なるが、概して日本人の嗜好は白人系欧米人の顔立ちを好むものであるという説明を読んで、なるほどと納得したものだ)
 そしてその別名をフォルモサ、美しい島と称される台湾の美しさは際立って見えるように感じた。
 バランスの良い肢体に、小さく整った顔。少し幼げな甘い声に、無邪気にも大人びても見える愛らしい笑顔。何よりも全身から溢れ出す、明るく瑞々しい雰囲気。
 
(――ああ、そうか)
 
「どうした、菊?」
「ああ、いえ……」
 振り返ったイギリスに首を振る。
「……先ほどの店で、店員の方に日本語で話しかけられたので少々驚いてしまいまして」
 イギリスと台湾。
 あの二人の姿に先ほど覚えた既視感は、過去に何度も見てきた光景だった。
 煌びやかな社交界のパーティ。
 光溢れる午後の園遊会。
 紳士淑女の集うロイヤル・アスコット。
「日本語を勉強している若い子は多いですよ。日本人観光客多いですし、日本のアニメも漫画もみんな大好きです!」
 鮮やかな羽を持つ蝶のように優雅にイギリスと寄り添う女性の色はその時々で代わったけれど、彼らの姿は日本の視線を惹きつけて離さないものだった。
「そうなのですか。それは嬉しいですね」
 それはただただ美しく、眺めるだけで満ち足りた心地のする綺麗な色彩で描かれた印象画にも似ていて――

「ところでどこかで休めないか? こう暑いと水分補給しないと体調を崩しそうだ」
 イギリスの言葉に物思いから覚めれば、彼は燦々と照りつける陽射しにうんざりとした顔を見せていた。
「だったら雪花冰食べませんか? 菊さん、食べたいっていってましたよねー? マンゴー雪花冰!」
「ええ、ぜひ食べてみたかったのですが、アーサーさんはよろしいのでしょうか」
「涼しくなるならなんでも良い」
 首筋に汗を浮かべた彼は、即答する。
 確かにそろそろ休憩をとっても良い頃だった。



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