日本の台湾旅行記 11



 台湾の教えてくれた店は地元民しか足を踏み入れないのではと思えるほどの奥地にあり、日本はともかく、やはりイギリスの容貌は目立っていた。
 しかし他者の視線など気にかける風でもない彼は、マンゴーカキ氷を一口食べると、眉を寄せる。
「アイスというよりも、フローズンか?」
 台湾の言う雪花冰がなんなのか、彼は理解していなかったようだ。
「かき氷ですよ。……以前、うちで召し上がったのを覚えておられませんか」
 まだ同盟を組んでいた時分、縁側に並んでカキ氷を食べたことがあった。覚えているだろうか、と口にすれば、懐かしそうな眼差しで「ああ、覚えてる」と彼は頷く。
 青い空に白い入道雲が浮かび、チリンチリンと青銅の風鈴が鳴る、のどかな昼下がり。彼が初めて浴衣を着て照れくさそうにしていた季節。
 懐かしい追想に笑みを浮かべていると、
「お前も食えよ」
 とイギリスは皿を押しやった。
 日本の希望通りのとろりと熟したカットマンゴーが山盛りになった雪花冰だったのだが、難点が一つ。日本の縁日で売っているカキ氷の三倍くらいはあるのではなかろうかという巨大サイズしかなかったのだ。
 さすがに甘いものが好きな日本も躊躇し、そこまで甘味を好まないイギリスは完食するのは到底無理だということで、二人で一つ食べようということになったのだが。
 やはり一つの皿から一緒に食べるという行為はなんとなく抵抗があり、日本は食べあぐねていたのだった。
 しかしこっそり周りを見ても、皆気にする様子もなく、カキ氷を分け合っている。意識しすぎ、自意識過剰にもほどがありますよ、と己を奮い立たせた日本は、「それでは遠慮なく」と一口口に含んだ。
「〜〜〜! 美味しいです、ふわふわです。マンゴーもとっても甘いです〜!」
 冷たくて、甘くて、なんとも舌触りの良い滑らかな氷に、日本は思わず匙を握り締め感動する。
「わーい、菊さんに気に入ってもらえて嬉しいですよ!」
「お前んとこで食べたのもこんな綿のような感触だった気がするが、違ったか?」
「昔ながらの機械を使えばふわふわなカキ氷も可能なのですが、最近はダメですねぇ。目の粗い氷が主流です。それはそれで美味しくはあるのですが、やはり昔ながらの柔らかい氷は違いますね」
 たっぷりと載っているマンゴーが雪崩れ落ちないように、将棋崩しの慎重さで真剣に攻略にかかっていると、いつの間にか同じ皿に手が伸びていた。
 ちらと視線を上げると、長い睫が視界に飛び込み慌てて身体を引く。

(……――!! 顔近いです! 顔近いです! 顔近いですよ、イギリスさん!!)

 並んでDVDを見ながら同じポテトチップスの袋に手を入れるのは平気なのだから、ここで意識する方がおかしいんですってば! と己にツッコミを入れるものの、やはりこのシュチエーションは心臓に悪い。
「菊さん、これも食べてみませんか?」
 間髪入れぬ台湾の誘いにほっとして、日本は薦められるままにそちらに避難する。甘く煮た色んな豆や団子のようなものに蜜がかかった味も素朴な味わいで美味しい。
 しかしマンゴーが食べたいのである。

(意識する方がおかしいんですよ! 普通のことです!)

 大丈夫、ポーカーフェイスは得意なのだ。自然にしていればおかしくない。
 そう自分に言い聞かせる。
 平然を装いマンゴーの皿に手を延ばすと、ニヨとイギリスは口許を緩ませた気がした。
 よもや日本の反応を楽しんでいるのだろうか。
「ところでこの後どうしますか?」
 むっとイギリスを睨む日本は、台湾の言葉に慌てて態度を取り繕った。
「ええと、湾さんの靴を買いに行くんですよね?」
「んーもうアーサーさんに一足買ってもらいましたし、菊さん達が行きたいとこないですか?」
「なんか列車に乗りたいと言っていなかったか?」
 イギリスの言葉に頷く。
「ええ、うちの新幹線が……」
「HRSですか?! あれ、菊さんとこの新幹線ですよ! 見たいですか? 見たいですか?」
 ぱっと顔を輝かせた台湾は、
「もしかして菊さん、電車好きですか?」
 と訊ねた。
「こいつは電車に限らず、乗り物一般が好きだぞ。バスとMRTには乗ったな」
「なんだぁ〜、早く言ってくれればいいのに! だったらとっておきの電車、見せてあげます」
 いや、同じオタクでも、鉄の属性はない。参加しない間に進んでいく話に思うところはあれど、乗り物好きと言われれば否定するほどの根拠はないし、台湾の言う、とっておきの電車というものも気になる。
「とっておきの電車、ですか?」
「はい、私の宝物です」
 首を傾げ訊ねれば、台湾はにっこり笑った。



 台湾の手配した車に乗り込み、市外とだけ告げられた目的地へ向かう。車内の会話は台湾の好きなファッションの話だったが、幸いイギリスも要所要所で口を挟み、会話に参加をしてくれる。彼にはさっぱり興味のない話題だっただろうが、女性に対する礼儀正しさは、さすがイギリスであった。
「着きました! ここですよ〜」
 降り立ったのは何本も線路が並ぶ操車場だった。既に連絡が行っていたのか、待ちかまえていた係員と思しき男性が、台湾に話しかける。幾らか会話を交わし、鍵束を受け取った台湾は、「こちらです」と導いた。
 線路に疎らに置かれた車両を通り過ぎ、着いたのは車両用の保管倉庫だった。複数の鍵で守られていた重い扉が開かれると、彼女は中へ進んだ。
 堂々としたその態度に迷いながら恐る恐る後に続けば、暗い車庫の内部には車両が置かれているようだった。ふいに点けられた照明にその姿が明らかになる。
 青地に一本白線が入った車体。型からして、現行使われているものではなさそうだ。
「日本さんと一緒に作ったコトク一号とホトク一号です」
 一緒に作った、と言われても、その車体に見覚えがなく、日本は眉を寄せる。
「こっちはホトク一号です。昔は紫で、金色の紋章が付けられていましたよね」
 その言葉に、ずっと底に押し込めていた記憶が甦る。
 そうだった。この列車を自分は知っている。
 皇族の行啓に備え製造された特別車第二客車、ホトク1型、通称トク1。隣に駐まっているのは、台湾総督用のコトク1型に違いない。
「外見は変えられてしまいましたけど、中は変わってないんですよ。乗ってみますか?」
 ぼんやりと頷くと、台湾は扉を開ける。
 足を踏み入れると古い木の香りがした。
 阿里山の最高級檜。
 当代随一の芸術家の蒔絵。
 意匠が凝らされた青を基調としたステンドグラスにシャンデリア。
 当時この車中を初めて見た時の高揚を思い出す。
 皇族を迎えるこの車両の設計に、誇りと威信をかけて携わった責任者の意気込みを日本は知っていた。
 そうだ、ゆったり向かい合わせに配置された長椅子に張られた布は、何百ものサンプルから選ばれた絹地だった。
 台湾を走るに相応しくあるべしと、異国情緒が感じられる蝶と蘭を彫刻し、さりげなく丸窓に台という字を配した。
 暑さを凌ぐための扇風機に、電灯、発電装置。
 当時、持ちうる限りの技術と芸術の粋を凝らした、まさに宝石のような車両。
「本当によく保管してあるな」
 しみじみと見回すイギリスも、この列車に乗ったことがあるのだった。
 この車両を製造した時は、ちょうどイギリスと同盟を結んでいた時代で、彼を意識して作ったのを覚えている。彼にこれを見せた時、どんなに自分は誇らしく思ったか。
「当然です! これは私の宝物なんですよ! 普段は絶対に見せないで、大事にしまってるんです。今日は特別ですよぉ。日本さんのところから何度も譲って欲しいと頼まれたんですけど、これは絶対譲れません」
閉めきられていた空間特有の黴臭さは感じず、よく手入れがされているのが分かった。
 ふと手に掛けたドアの取っ手の彫りに気づき、手を退ける。菊の形をしたそれに、瞠目する。
「本当に……よく残しておられたんですね」
 ひっそり呟いた言葉は、二人の耳には届かなかった。



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