日本の台湾旅行記 16



「ヘロー、アメリカだぞ」
 いつものように数コールで応答する声に、台湾は悲鳴のような大声をあげた。
「美国先生(アメリカさん)酷いです! 折角日本さんが遊びに来てくれたのに、美国先生が仕事押しつけるから、全然遊べなかったじゃないですか!」
「Hey、なんだい、台湾。開口一番から文句かい? いいじゃないか、君の希望通り四日も日本を遊びに行かせてやっただろう。俺も行きたかったのに我慢してやったんだからな。文句言われる筋合いはないと思うよ」
「だって中国老師が来るって言ったら行かないって言い出したの、美国先生じゃないですか。それなのに意地悪するなんて酷いですよー!」
「Oh……ごめんよ。でも意地悪したつもりはないんだよ。急ぎの仕事をやってもらわないといけなかったのは本当さ。うちの上司が煩くてさ。いやーお陰で助かったよ。それよりどうだったんだい?」
 申し訳ないなどとは微塵も思っていないのが分かる声は、予想通りだ。
 だから台湾は、膨れ面をつくり、恨みがましい声で繰り言を述べる。
「最初の日は中国老師が邪魔して、次の日からは英国先生が邪魔して、二人で遊べたのはちょっとしかありませんでした。ゲームとアニメ見ただけで終わって、日本さんでファッションショーしたかったのに時間足りなかったんですよ!」
「ああ、イギリスも行ったんだってね。酷いよな、俺は遠慮してやったのにさ。大体今、イギリスんちの会社のせいでうちは酷いことになってるっていうのに……」
 その言葉に機嫌が良さそうになった彼が、一頻りイギリスの愚痴を零すのに付き合った後、
「でも英国先生には靴を買ってもらいましたし、たくさんお買い物に付き合ってもらって、荷物も全部持ってもらったんですよー。美国先生も今度また、一緒にお買い物行きましょうね!」
「ああ、うん。……それはそうと送ってもらったデータだけどさ、シートDの……」
 さりげなく誘いにかかると、露骨に話題を逸らす。アメリカが彼女との買い物に辟易としているのは承知の上で、むしろ苦手になるように仕向けたのは台湾だった。
 内心含み笑いながら仕事の会話を続け、適当なところで電話を切る。
 ぽふんとソファーに倒れ込み、クッションを抱えた台湾は笑みを消し、宙を睨んだ。
 台湾にも予想外のイギリスの訪問を承知だったアメリカは、恐らくこの地での日本の動向を見守っていたに違いない。

『日本は君に会いたくないんだってさ』

『勝手に話しかけて、困らせるようなことを聞いちゃダメだぞ。ようやく傷が塞がったんだから、また具合悪くなったら困るだろう』

『日本のうちに遊びに行きたい? 連れて行ってやってもいいけど、行く時は絶対にオレと一緒じゃないとダメなんだぞ。――約束を破ったらもう会わせるわけに行かないからね』

『遊びに来て欲しい? わざわざ中国を刺激するような真似してどうするんだい?』

 日本は全く気がついていなかったようだが、アメリカは今まで様々な横槍を入れ、台湾が日本に近づきすぎるのを阻止してきた。
 そして台湾は、日本と同じようにアメリカの力なくしては、中国に対抗する力も、今の「奇跡」とも呼ばれる経済的繁栄も有り得ず、彼の意向に逆らうことなどできないのが実情だ。
 そのアメリカが、今この時期になって許可を出したのは、急速に緊密化した中国と台湾との距離を認識させ、かつてないほどの距離が開いたとマスコミが騒ぎ立てる己との関係の重要性を意識させるためか。
 あるいは久しぶりに台湾の上司が国民党に変わり、日本嫌いで親中国と評されるトップのせいで、台湾と日本との関係が離れすぎるのを危惧してからなのか。あの上司の下でなら、日本と台湾の距離は縮まりすぎることはないと践んでのことかもしれない。

『中国が良いって言えば、オレは別に構わないよ』

 何度も繰り返していた願いに、初めて返ってきた条件付きの言葉を聞いた時は耳を疑ったが、いずれにせよ今までは一笑に付され、否しか返さなかったアメリカの譲歩には、今回の日本の訪問で彼が得る益はあったということなのだろう。
 それはあの中国もしかり。
 それでも、と台湾は嘆息をする。
 例え誰のどんな思惑があったとしても、日本がこの地に足を運んでくれたことは嬉しかった。

「恨んでなどいませんよ、お兄(あに)いさま」

 ひっそり呟く言葉は彼が教えてくれた日本語だ。
 台湾という国として歩き出した身なれば、公に口にすることはできない懐かしい響き。

――お兄いさま

 二人だけの時は「兄上」と呼ぶように、と日本が言った言葉を改めさせられ、内でも外でも「お兄いさま」という言葉を使うよう彼女に教え込んだのは、日本が寄越した教育係だった。
『御國様の御妹君であらせられるならば、御言葉遣い一つにも御気配りくださりませ』
 それは今として思えば、当時の皇民化教育の流れを受けてのものであったのだろうが、あの時はただただ兄妹として認められたようで、嬉しかったのを覚えている。
 そして初めてそう呼んだ時、驚いたように瞠目した日本は、なんともいえない優しげな笑みを浮かべ、何も言わず頭を撫でてくれたのだった。
 もちろん台湾という国として、幼心にも植民地として受けた差別、二等国と貶まれた屈辱は忘れられない。
 今でも日本語を使い、親日派とされる国民の中にも、日本から受けた植民地支配自体を是とする者などいないだろう。
 実際彼らは日本の支配下では、差別に晒されていたのだ。
 能力が優れていても、成績が良くても、台湾人というだけで差別された時代に戻りたい者などいない筈だ。
 それでも彼らがことさらに日本を優れている、日本は素晴らしかったと口にするのは、確かに日本の規律正しさや、与えてくれた知識や清廉な精神に敬意を表する意味もあるが、彼が去った後にやってきた、国民党に対する当てつけという意味あいが大きい。
 彼らは日本を悪だと断じ、都合の悪いことは日本のせいだと人々に吹き込んだ。
 だが、実際には彼らの方が、悪そのものだった。
 国民党政権が敷いた、白色テロと呼ばれる恐怖政治。
 彼らの腐敗や横暴に抗議した結果、何万人もの台湾の知識層、有力者達が殺され、理由なく投獄され、自由に話す言葉すら封じられた暗黒の時代。
 息を詰めて次に流される血に怯える日々は、台湾にとってあの戦争の時よりも恐ろしかった。
 戦は非日常、いつか終わりがやってくる。
 けれどもこの身の中で起きている自国の民同士の内紛は、いつ終わるとも知れぬ絶望で、恐ろしくて、怖くて、けれども彼の名すら口にすることも許されず、身を縮こまらせて、心の中で何度も彼に救いを呼び求めた。
 彼自身、あの戦で深手を負い、自分を助けることなどできなくなったのだと分かっていたけれど。
 それでも『見捨てられたのだ』という気持ちを拭い去ることができず、それが何よりも辛かった。
 それから暫くして、台湾の後見人になってくれるというアメリカの立会いの下でようやく日本に会うことができたが、その時にはもう日本は自分の知る日本でなくなっていた。

『台湾さんですか。……随分とご立派に美しくなられて』

 よその子でも見るような、どこか遠い微笑み。
 全てに厳しく言葉は少なくとも、己を守り育んでくれたあの兄はもういないのだ。
 そう突きつけた彼を、本当は大声で泣いて詰りたかった。だが、それをしなかったのは、兄が教えてくれた誇りゆえだ。

『国たるもの、公の場で涙をみせてはなりません』
『感情のままに動くのではなく、常に相手を思いやりなさい。それが上に立つ者の務めです』


――日本を恨んでなどいない。

 日本の植民地にならなくとも、恐らくどこかに支配されるのが、きっとあの時代に避けて通れない道だっただろう。
 悲しいのは一方的に繋いだ手を離されたことで、それもあの時はどうしようもなかったのだと分かっている。
 そして一度離れた手はもう元のように繋ぐことはできないということも。


 悔しい気持ちも、悲しい気持ちも、喜びも楽しみも、全てを教えてくれた彼は、今でも自分の大切な兄だ。
 けれども、実際どんなに慕わしくとも、もう自分は彼の妹として共にあることはできないし、ありたいとも思わない。
 それでも。
 願うのは、忘れないで欲しいということだけだ。
 この地に来て、ともに過ごした日々を思い出せば、優しい彼が、心乱れ、惑い、悩むのは分かっていた。
 それを承知の上で誘ったのは、彼に思い出して、そして知って欲しかったからだ。

 自分は誰よりも近くにいるのだと。
 共に過ごした時代もあるのだと。
 そしてこんなにもまだ彼のことを大好きだと。

 彼はきっと台湾が無言で何かを伝えようとしていたことに気づいていたに違いない。
 傷ついたような、愛しむような複雑な眼差しは、言葉にできなかったのであろう問いを湛えていた。

――私を恨んでいますか

 その答えを言葉にして伝えなかったのは、少しは悩んで欲しいという意趣返しと、なによりも互いの保身のためだった。
 中国も、アメリカも、かつては日本と台湾が一つの国であったことを苦々しく思い、過去の絆などなかったものとしたいという意向がその言動から透けてみえる。
 そして大国の理論と意向に翻弄される島国の身では、蛇のような用心深さが必要で、ただ心のままに全てを曝け出すことなど許されない。

(私を忘れないでくださいね、お兄いさま)

 心の中で呟く。
 もしかすると必要以上に考え込んで自分を責める癖のある彼には、それが一番難しい事なのかもしれないけれど。



 近くて、遠くて、優しくて、冷たい国。
 いつか日本の統治を知り失われた母国とも慕う老年世代がいなくなれば、この郷愁のような慕わしい気持ちは消えてなくなるのだろうか。
 だが、近い将来そんな日が訪れても、若い世代にも彼を、そして彼の文化を愛する若者がたくさんいる。
 長い、長い、片思い。
 それにいつか彼が振り向いてくれる日が来ることを願い、そっと彼女は眼を閉じた。



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