日本の台湾旅行記 14



 総統府を出た日本は、「よう」と掛けられた声に、驚き振り返った。
「どうしてあなたがここにいるんですか?」
「昨日、ここを見学するって言ってただろう」
 台湾の薦めに頷いたので、ここで待っていた、と事も無げに言うイギリスに唖然とする。
「それは……暑かったでしょう。わざわざこんな所でお待ちいただくと、また体調を崩されるかもしれませんでしたのに」
「お前なぁ……。俺だってこんなクソ暑いとこで待ちたくなかったんだぞ。でもホテルに電話を入れれば繋がらないし、お前は携帯持ってないし、連絡つけようがないからわざわざこんなとこで待っててやったんだろう」
「はぁ……」
 日本としてはちょっと見学してすぐにホテルに戻り、イギリスに連絡を取るつもりだったのだ。そこまでして待っていただかなくても、という内心が透けて見えたのだろう。
「だって、お前金持ってないだろうが! ここまではどうやって来たんだよ?」
「あー……ホテルのフロントで両替してもらいました」
 そう言い募るイギリスに、申し訳なく思いつつもおずおずと告げれば、彼はがっくりと肩を落とした。
「あの、誠に申し訳ありません。ご心配おかけしてすみませんでしたっ!」
「いや、まあそうだよな」
 深く溜息を吐いたイギリスは、気を取り直したように「行くか」と歩き出した。
 それにしても見学者の入口と出口は違う場所なのに、よく分かったものだと訊ねれば、立哨の兵士に聞いたのだという。
 恐らく入口で待っているところを不審者扱いされ、尋問でもされたのではないだろうか。機関銃を構えて入口を見張り、入場時にはパスポート提示の上、セキュリティチェックも行われるほど、不審者には厳しい場所だ。
 さぞ居心地が悪かっただろうと思い、日本は申し訳ない気分になった。
「お前のフライトの時間はいつだ?」
「ええと、確か十七時前後だったと思います。アーサーさんは?」
「俺も似たようなもんだ。――これからどうする?」
「そうですね、特に予定はないのですが」
「じゃあ、少し歩くか」
 促されるままに、のんびりと街を歩く。まだ十時半を幾らか過ぎたくらいなのに、既に陽は高く気温が上がっている。
 早々にオープンテラスの喫茶店を見つけ、一休みをすることになった。
「結局、両替した金、ちょっとしか使わなかったな」
「そうですね。なんだかんだでお金を使う機会ありませんでしたしねぇ。ああ、でもまだ時間がありますし、その辺りでお土産を買いたいです」
 イタリアやドイツは勿論、来月にはフランスの家にも行くことになっているし、今年はトルコも頻繁に遊びに来てくれることになっている。G8に、W杯に、各国と顔を合わせる機会はたくさんある。親しくさせてもらっている国にはやはり何かしら買っていきたい。
 
(何を買いましょうかねぇ……)

 ぼんやり算段をしていると、不意に電子音が鳴り響いた。イギリスの携帯だった。
「ゲッ……」
 表示を確認し、実に嫌そうな顔をしたイギリスは、「上司だ」と呟き「すまない」と断ると電話に出た。
 中座するのも感じが悪いが、さりとて会話を聞いていていいものとも思えない。どうしたものか……と視線を明後日の方向へやった日本は、少し離れた所に見慣れたコーヒーショップの看板を見つけた。
 自国資本のその店のご当地タンブラーを、アメリカが好んで集めているのを思い出し、お土産にちょうど良いのではないかと思い至る。
『お土産を買ってきます』
 簡単な英語をメモ書きして差し出し、コーヒーショップを指さす。
 了解したというように頷いた彼に、にっこり笑って手を差し出すと、意を解したのだろう。苦笑したイギリスは会話を続けながら、財布から金を出してくれた。

(むむむ……ちょっとやりすぎましたかね)

 にっこり笑って手を差し出し強請るような真似は、台湾のような可愛い女の子がやればほほえましいが、こんな爺が同じことをしてもほほえましくもなんともない。イギリスだって苦笑するしかないだろう。
 反省をしながら店に入りタンブラーを探せば、幾つか限定品と思しき物が並んでいる。どれが良いだろうと品定めしているうちに、ふと近くに並んでいるマグカップが目についた。
 派手な色彩で、いかにもアメリカが好みそうな品である。
 このマグカップと同じシリーズのタンブラーはないものか。
「あの、これのタンブラーはないですか?」
 己でも下手だと感じる英語で話しかけるが、対応した若い店員は分からなかったのだろう。困ったように笑うと近くの店員を呼び寄せる。
「どうなさいましたか?」
 問われた英語に、質問を繰り返せば、
「これは限定品で、この店では売り切れました」
 と返り、がっかりする。仕方があるまいと礼を言おうとすると、
「でも、違う店ではまだあるかもしれません。時間が大丈夫なら、問い合わせてみますよ」
 そう店員は言い添えた。確かにこのチェーン店は比較的あちらこちらで眼に入るので、近くならば場所さえ教えてもらえれば買いに行けるだろう。
「ありがとうございます。お願いします」
「あちらでお待ちください」と座席を薦められ、待っていると、リストのような物を手に、彼女は電話をかけ始めた。
 何軒かかけてくれたのだろうか。やがて、笑顔で近づいてきた店員は、
「近くの店にあったそうです。一つでいいですか?」
 と訊ねた。勿論と答えると、「もう少々お待ちください」と店員は戻っていこうとする。
「あ、あの、お店はどこにありますか? 地図か住所を頂ければとても助かるのですが……」
「今から彼が取りに行きます。バイクだから五分くらいで戻るはずです。時間、大丈夫ですか?」
 思いがけないことを言い出す彼女の横で、同じ制服姿の青年が、バイクのヘルメットを用意していた。
「大丈夫ですが……」
 それはあまりにも申し訳ない、と言おうにも、とっさに英語が出てこない。

(ああああ……英語の勉強をもう少しちゃんとしておくべきでした……! ちょ、誰か、助けてください……!)

 あわあわと動揺する日本に、店員は笑顔で「あちらでお待ちください。時間がかかってごめんなさい」と席をすすめてくれる。
「あ、あの、注文していいですか?!」
 さすがに何も買わず好意に甘えてばかりでは、居たたまれないというものだ。
 メニューを見て選んでいる所に、イギリスが店に入ってくるのを見つけた日本は、「アーサーさん!」と彼を呼び寄せた。
「何か注文してください!」
「……注文? 俺今紅茶飲んだばっかりだぞ。それにここ、あの馬鹿んとこのコーヒー屋だろうが」
「緊急事態なんです! 金は私が出しますし、コーヒー以外のものもありますから! ああ、じゃあアーサーさんはこのマンゴージュースにしてください。私が飲みます!」
 うむを言わさず注文をすると、ペットボトルをイギリスに押しつける。一体何事だ? と驚いた顔をする彼に、席で経緯を説明すると、イギリスは溜息を吐いた。
「それは……なんというか……お前んち並のサービスだな」
「うちだってここまでやりませんよ!」
 こっそりうちのサービスは、世界一だと自負していた日本にはある意味衝撃だ。
「……まぁ飲み物買ったからといって、恩に報いたわけにはならないのですが、買わないよりは売り上げ貢献にはなりますし……、そんなわけでマンゴージュースは頂きます」
「まて、折角だから一口ぐらい味見させろ」
 伸ばした手をかいくぐるようにして、一口飲んだイギリスは「美味いけど甘すぎるな」と呟きながら手渡す。
 いや、このまま飲めば間接なんとやらだ。
「あー飲まれるのでしたらどうぞそのままお飲み下さい」
「もう結構だ。ここまで甘いのは好みじゃない。それにお前が飲むって言って買ったんだろう」
 しれっとそんなことを言う口は、機嫌良さそうに口角が上がっている。
「ちょっとアーサーさん! 昨日から思ってたんですが、あなたもしかしてわざとやってません?!」
「やるって何をだ?」
「なにって、わざわざかき氷を半分ことか……」
 言いかけた日本は、近づいてきた店員の姿に口を噤んだ。
「すみません、お客さま、確認していただけますか?」
 先ほどの女性店員が差し出したのは、まさしく求めていた柄だった。礼を言い、会計をする段になって、「もう古いシリーズになりますから」と割引までしてもらい、重ねて何度も礼を言って店を出ると、思わずイギリスと顔を見合わせた。
「なんか台湾さんとこってサービスすごいですね……」
「ああ。特にサービスが良いと聞いた覚えはないんだがな」
「なんだかうちも負けてはいられない気がしてきました」
 まだまだおもてなし世界一の座は譲れません!
 そう決意を込めて拳を握れば、
「お前……これ以上なんてあり得ないから、無茶な真似はよせ……」
 引き攣った顔で、イギリスは呟いた。



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