日本のスペイン旅行記


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 カウンターの中の親爺に二人で手を振って店を出ると、晴天の日差しは眩しいほどだった。
 暑すぎず少し涼しい空気の中、美術館へ向かう。
 靴を履き替えてとことこ歩く日本の歩調に合わせて、のんびり歩くスペインは、陽気に近況を喋りながら、要所で「あれがコロンブス像」「あっちはろう人形館で、その裏に裁判所があるんよ」「あれはヘミングウェイも通ったカフェやね」と名所や近くの建物、通りの名前などを教えてくれる。
 交差点になっている円形広場の中心に噴水があり、それを四方から取り囲んでいる壮麗な宮殿。
 あちらこちらに配置されている巨大な彫像の美しさ。
 目移りするような豪華な建物や名所に、あのイギリスすらをも新興国と呼んだ、世界の覇者であったこの国の往時の権勢が忍ばれる。
 途中で抱っこされたりまた歩いたりで二十分も歩けば木立の間に露商のテントが見え、歩いている人も増えてくる。
 見慣れたプラド美術館の敷地だが、今まで公式訪問でしか訪れていない。入り口がどうなっているのか興味深く、外のチケット販売機を眺めるが、スペインはそこを素通りすると関係者入り口から入っていく。
 中にいた警備員は顔見知りなのか親しげにスペインと言葉を交わし、下げてきた荷物も笑って預かってくれた。その気安さに驚く日本に、
「だってここは俺のもんやからね。フェリシアーノや、フランシスが来た時、たまに見たい言うて一緒に来るし、一人でもたまに遊び来るんよ」
 とスペインは当然の顔で、すたすたと美術館へ入る。
「さてと、何が見たい? 有名なんはゴヤにベラスケス。エル・グレコやボッシュも人気あるし、リベーラ、ムリーリョ、ルーベンスも結構あるで、ってもう何回も見とるんやったな」
 人の多さに気圧された日本は、それに答えることも忘れ、
「……なんかすごい人出ですね」
 と呟いた。一番最初にこの美術館に来たのはもう何十年前だったか。あの時は一般公開時間だった筈だが、人は疎らで閑散としていた。それからは貸し切りで案内されることばかりで、この美術館がこんなに人で溢れているのは初めて見る。
「そうか? 夕方の無料開放ん時はもっと人多いで」
「無料の時間があるんですか?」
「そや。夕方の六時以降無料やね。八時まで開けとるさかい、見よ思うたら大概のもん見れるなぁ。そんかわり、六時に入ろ思うたらえらい並ぶけどな」
 立ち止まっていても仕方がないとふんだのか、話しながらスペインは日本を抱き上げ歩き出す。
 小さなミュージアムショップを通りながら日本語版のガイドブックもある、と勧められるが、辞書の厚さに気が引けて、首を振り、その代わり近くのコイン式機械で、日本語で書かれた画家別の小さなガイドを買ってもらった。
 著名な作品がある二階もかなりの人混みだ。
 この美術館の珠玉の一つである「着衣のマハ」、「裸のマハ」、そして「カルロス四世家族」という大画が架かる小部屋へ行く。
 誘うようにも悪戯っぽく揶揄するようにも見える表情を浮かべた美女が、同じポーズをとり、裸体と薄衣を纏った姿で描かれている。初めて見たときはその艶めかしさに居心地が悪い気がしたのを覚えている。
 並べて掛けられた二つの絵の前に人が多いのは、それらの絵が美術館を代表するものだからだろう。 
「そろそろ『着衣のマハ』が菊ちゃんちに行くさかい、並べて見るのは暫くお休みやね」
「ああ、そういえばその折りはアントーニョさんにもご尽力いただき、ありがとうございました」
 近く自国で開催されるゴヤ展には、このプラド美術館から多くの収蔵品を借り受けることになっている。
「喜んでくれたら嬉しいわ〜。『裸のマハ』までは貸せへんから、並べて見せてあげたかったんよ」
「並べてみたら興味深いですものね。絵のタッチは『裸の』方が丁寧で気合い入ってますよね、絶対」
「そらクライアントもゴヤも男やさかいな」
 くすくす笑うスペインにつられ、くすりと笑う。
「あとはやっぱ、ゴヤゆうたらこれやな」
 少し離れた部屋でスペインが前に立ったのは「一八〇八年五月二日マムルークの突撃」、「一八〇八年五月三日マドリード市民の銃殺」という二枚の絵だった。
 フランスはナポレオン時代のフランス軍に対するマドリード市民の暴動を描いた二枚の絵は、後者の絵があまりにも有名だ。
 この時代の日本は、まだ太平の眠りを微睡み、外つ国の騒乱はたまにふらりと立ち寄るオランダ伝手に聞くだけだった。
 開国した後も、離れた極東にいる地理的な要因もあり、欧州各国の個人的な交友関係は実感しておらず、その距離が縮まったのはほんのここ数十年。フランスとスペイン、そしてプロイセンの三人が国という枠を超え、個として親しいのを知ったのは、それこそプロイセンがドイツと再び同居するようになってからのことだ。
 それを踏まえて改めて見れば、友人であるフランスからの自国民の虐殺が描かれたこの絵をスペインはどう受け止めているのかを、日本は知りたくなった。抱き上げてくれているスペインの表情を、そっと窺う。
「どないしたん?」
 視線に気付いたのか、にっこり笑う顔は先程と変わらぬものだ。
「いえ、……アントーニョさんとフランシスさんは仲が良いのに、喧嘩した時の絵は嫌じゃないのかな、と思いまして」
「そやなぁ。フランシスとも一緒に見たことあるけど、こんなこともあったなぁって話したくらいやね。別にこの絵見て嫌や思ったこともないなぁ」
「そんな…ものですか?」
「だってなぁ、こっちはどついたり、どつきかえしたりが普通やさかい、いちいち目くじら立てられへんわ。人がおったら諍いが起きる、それが当たり前や思っとったからな」
 そう言われてみればヨーロッパ内部では、戦ごとに敵味方が入れ替わり、酷い時は途中で寝返ることもあったという。
「今も血ぃは流れへんけど、経済面では戦争みたいなもんや。まぁ、どっかが勝ち過ぎんように、あっちが倒れたらこっちも損するように上手いこと絡み合った体制つくっとるけどな。EU作ったんもあれ、結局フランスとドイツが対立せんためのストッパーみたいなもんや言われとるしね」
 今現在EUを牽引している隣り合った二大国は、確かにEUという一つの枠組みがなければ、対立が激しかった可能性が高い。
「それにな、こん時の上司はフランスについとったからね。そういう意味ではフランスにとやかく言われへんのよ」
 些か苦い口調になったスペインに、かける言葉が思い浮かばなかった。
 日本は国として長い生を受けている身なれど、上司と国民の間にそこまでの溝ができたことはない。
 国というものは、領土、領水、領空と人民そして主権によって成り立っている。人民なくては国というものは存在しないが、民だけでは国の態はなさず、そこには国を国たらしめる意思を持つ強い主権が存在しなくてはならない。その国を体現である国の化身は、その全ての要素に掛かる影響を直に身に受ける。
 難しいのは上司である政治中枢の方針が必ずしも国の化身の意思と一致するわけではなく、だからといって民の大多数の意向を示す世論もまた、そのまま化身に反映されるわけではないということだ。
 一番望ましいのは民意と政治方針が一致することだが、それが乖離すれば乖離するほど、国の化身は、頭痛や気鬱などの諸症状に襲われることとなる。以前世界会議の雑談で話に出ていたので、それはどの国も同じなのだろう。
 乖離すればするほど病むのであれば、果たして国としての二つの要素が真逆の立場を取った時ともなれば、それはどれほどの苦しみだったのか。想像するのも、問うのも恐ろしい心持ちで、日本は言葉が見つからなかった。
 
   

 
 



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