日本のスペイン旅行記


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「あんな、日本人客で一番狙われるのはパスポートと現金、あとカードや。パスポートは本物やなくてコピーでええことにしとるさかい、ホテルの金庫にしまって、カードは上着の内ポケットに、チップ程度の少額の現金はズボンのポケットに入れとく。大金使うようなとこはカードで払い。その方がレートもええしな。んで、基本は鞄も何も持たんで手ぶらや」
「手ぶら……ですか?」
 いやいや、手ぶらだと地図にガイドブック、カメラなんかはどうするのだ?
 そんな疑問が顔に浮かんでいたのだろう。
「貴重品以外やったら、取られても諦めつくやろ? そんなもんだけ無くなっても惜しくない袋に入れて、提げるとええんよ。カメラはむしろ手で持っとったほうがええかな。カメラを盗るプロの泥棒はおらへん」
「ええと、鞄は盗られるの前提なんですか?」
「まぁ三、四人くらいの団体で、旅慣れてる雰囲気やったら狙わんかもしれへんけど、少人数で日本人観光客て空気出しとったら危険やね。大体皆、鞄の中に財布もパスポートも入れとるやろ。泥棒から見たら宝下げて歩いとるようなもんや」
 思いっきり宝を下げて歩くつもりでしたよ、と日本は遠い目になる。いやしかし、今まで行った国でこんな注意をされたことはない。どれだけ危険なんだ? 
 戸惑う日本に、スペインは追い打ちをかけた。
「あとな、何が怖いって、金目なもの目当てで人刺したり、首絞めたりする見境ないのがおるってことや。あいつら鞄をナイフで切ったりバイクで引ったくって転倒させたりするんよ。金を出せ言うてナイフ突きつけるのは可愛い方で、何も言わんと刺して奪うヤツもおるからね。怪我の元んなる斜め掛けはやめとき」
「……斜め掛けは使いません」
 少なくともこの国では使わない方が良いのだろう。
 
――ここに観光に来てるうちの国民の皆さん、大丈夫でしょうかねぇ……
 
 いや、大丈夫ではないからスペインさんちの警察にご迷惑をかけているわけですが。
 と日本は遠い目になった。
 スペインは長らく日本の友好国で、互いの王室同士の行き来もある。上司と共にスペインへ訪れたことも何度かあるが、そういえばいずれの場合も街歩きは警備上の理由でと許してもらえず、いつもドアツードアのお仕着せの接待だった。ホテルの周りを歩こうとしてもSPが付いたのは物々しいことを好む上司の意向かと思っていたが、本当に治安の問題だったのかもしれない。黙り込んだ日本に、
「そんな心配せんでも大丈夫やで」
 とスペインは頭を撫でる。
「最近はほんま日本人の犯罪被害減っとるし、菊ちゃんのことは親分が絶対守ったるさかいな。その代わり、一人でどっか行ったら絶対アカン! 誘拐されたら親分めっちゃ困るわ」
「一人でなんて無理です。私言葉分かりませんし」
 スペインの言葉は国同士、互いの言葉が意思レベルで理解できる特性ゆえに言わんとしていることが伝わる。しかし、他のスペインのみならず日本語以外の言葉はさっぱり分からない。辛うじて英語でならたどたどしい意思疎通はできる、かもしれないが、スペイン(ここ)で通じるか分からない英語を試すくらいなら、スペインにへばりつく方が楽だ。
「ほんま頼むわ〜。美味しいものあげるって誘われても付いてったらあかんよ」
「そんなことで付いていったりしません」
 話をしているうちに人も少し増えてくる。大きなショーウィンドウを構える店が点在し、その中にはよく見知った名前の高級ブランドもある。
 どうやらサラマンカというのは一流店が集まるショッピングエリアのようだ。
「あの、あまり高い店は服を汚さないか怖くなるのでできれば気兼ねしないで済む店にしていただきたいのですが……」
「まかしとき。とりあえず、うちで今人気なんは、CUSTOちゅうブランドやな。最近子供服も始めたさかい、まずはそこに行ってみようかと思うとるんよ。あと、日本でも有名なのはZARAやろ? 確かそっちでは子供服は出してなかったはずやけど、うちでは食器やらリネンやら家用品と一緒に子供服も作っとるからそっちも覗いてみよか。どっちもお手頃値段やさかい心配せんでええよ」
 VALENRIもええし、Agatha Ruiz de laもカラフルで可愛いし、ANCARはどないやろ、と知らない名前を挙げていくスペインは、
「でも折角やったらうちの誇るBOBOLIを着て欲しいわ」
 と満面の笑みで締めくくった。
 なんだか良く分らないが、スペインが楽しそうなのは良いことだ。日本としてはとにかくこのスカートもどきを脱げれば言うことはない。些かどころかかなり時代錯誤なこの服は人目を引くのか、すれ違う人にじろじろ見られるのが苦痛となっていた。
 店に入ってもはぐれたらいけないから、と日本を腕から降ろさぬまま、スペインは器用に服を選んでいく。子供服ならではのカラフルな色彩は、地味な顔の自分には似合うとは思えないが、財布の主の意向が第一。買ってもらうのにケチはつけられない。
 サイズを探していると、店員と思しき女性が笑顔で話しかけてきた。
 さっぱり何を言っているのか分からないが、
「うん、うちの娘の服探しとるんよ」
 というスペインの言葉からすると、定番の「何かお探しですか?」かそれに類する質問だったのだろう。
 娘と言われるのは奇妙な感覚だが、今の自分の姿ではスペインとは親子を装った方が自然だろう。でもせめて息子にしてくれないかなぁ、とぼんやり考える日本の横で、店員の女性は満面の笑みで次々と服を選び始める。
 しかし彼女の視線が服ではなくスペインに固定され、その眼が些かハンターじみているように感じるのは、多分気のせいではない。
 
――あースペインさん格好良いですもんねぇ
 
 国の化身はその国民の特徴を写し取り更にその美しさを特化させたのだ、と言われれば素直に信じてしまうくらい皆美貌を誇っている。
 動物も人間も無力な幼子のうちは、その愛らしさを武器にして愛情を勝ち得るという話を聞いた時、国もまた同じなのだろうか、と日本は考えたことがあった。
 より国民から愛されるように、誇らしく思ってもらえるように、とその国民の特徴を理想化した方向へ伸長させ国民からの愛を勝ち取る。
 中庸を善しとする国民性の己はともかく、他国は皆その容姿も存在感も場を圧倒する華やかさで、充分に身の守りとなり、武器にもなりうるものだ。
 スペインもその例に漏れず。
 明るく人懐っこい笑顔に男らしい体躯。甘い声と翠の瞳、銀幕で主役を張れるのではないかと思わせる精悍な顔立ち、そして色事に強いというスペイン男のイメージそのままに見え隠れする色気には、男性は羨望の、女性は秋波の眼差しをおくるに違いない。まさしく目の前の店員のように。
 
――もしかしてさっきの視線はスペインさんへのものでしたかね
 
 うっかり失念していたが、そういえばイギリスやアメリカなどと一緒に街を歩くと、ものすごい勢いで視線を向けられるのだった。
 スペインも同じなのだろう。
 まぁ確かに、普段街に出ても人混みに埋没し、視線など向けられない存在が、たかだか服装ごときで視線を集めるだなんてあり得ませんから、と日本は自意識過剰を自嘲した。
 

 
 



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