日本のスペイン旅行記


  6

 
 
 
「ええと……女の子の服に見えるんですけど」
 スペインが持ってきた服の上から下まで何度か視線を往復させ、恐る恐る呟く。
「んー? ちゃんと下はズボンやで?」
 確かにちょうちんブルマーみたいな白いズボンもどきの下履きがあるが、上はまるきりワンピースだ。
「あの……、これ、本当にロマーノ君が着ておられたのですか?」
「そや。あの頃のロマーノ、めっちゃ可愛かったんやで! 突くとトマトみたいに赤こうなってな、ちょこまかちょこまか歩いて、わがままで、泣き虫で、ちっこいくせに偉そうにしてて、ああ懐かしいわ〜」
「はぁ……」
 うっとりと追想にひたるスペインに気のない相槌を返した日本は、ロマーノ君は今流行の男の娘でしたか、と遠い目をした。
 確かにあのロマーノの幼い時なら、この格好も似合っただろうが、己が着るとなるとぞっとしない。できればご免被りたい。
 どう断る? と固まった日本の姿に、
「あ、もしかして古い服やから、気に入らんかった?」
 と顔色を読んだのかスペインが訊ねた。
「あ、いえ、その、よく保存しておいでだとびっくりはしましたが、だから嫌というわけではなくてですね…その…なんというか……」
「ロマーノからも古いからさっさと捨てろて言われてんねんけど、思い出のつまった服でなかなかね。でも他に服がないんよ。親分の服は大きすぎるしなぁ……」
 本気で困った顔をするスペインには全くもって他意はなさそうだ。特段これが女児向けの服装という意識もないらしい。
 ロマーノが小さい頃といったら何世紀だったか。あの頃には子供服の性差などなかったのかもしれない。だからスカートだからどうとかいう頭はなく、子供服という括りで貸してくれようとしているのだろう。
 まぁ、そのあたりの真偽は分からないのだが……。
 相手に悪意があれば突っぱねることもできるが、純粋に好意だけの相手にはもの申すことができず、日本は嫌が言えぬまま、結局服を借りることになった。
 これで大きさが合わないといいのだが、と内心願っている時の常で、ぴったり身体になじんでしまう。
「うん、よう似合うとるわ」
「あー……ありがとうございます」
 嬉しくない。が、褒め言葉には礼を返すのが礼儀というものだろう。ああ、早く脱ぎたい。
「あ、あの、大事なお洋服を汚してはいけないので、できれば早くお洋服を買いたいです」
「買い物かぁ、やったらとりあえずサラマンカやろな」
 ひょいと片手で抱え上げられ、視線が高くなる。
「ここから近いのですか?」
「車やったらすぐやし、歩いてもそないかからんよ。今日は天気もええし、散歩がてら歩いていこうな」
 散歩というなら降りて歩いた方が良いのではないかと思うが、鼻唄を歌いながら歩くスペインは降ろしてくれる様子はない。筋肉質な腕はがっちりとして揺れも少なく、恐らく抱き方も上手なのだろう。しかし誰かに身体ごと委ねるのは心許なく些か恐ろしい感覚だ。
 とはいえ小さくなってしまった自分の足では、きっと降りても文字通り足手纏いになるのだろう。降ろしてくれるように頼むことを日本は諦めた。
 そしてそんな考えは、街中の景色を眺めるうちにいつの間にか消え去った。
 白っぽい大きな石の重厚感ある建物に、解放感のある道路。どこまでも続く立派な街路樹。
 秋の青い空に少しひんやりとした空気。ヨーロッパの都会はどこも似通ったイメージだが、南欧の開放的なイメージと太陽の国というこの国のキャッチフレーズのせいか、どこか他国より明るく感じる。
 
――あ、キャッシュディスペンサー
 
 海外ではたまに使っている見慣れた形の機械が目の端に留まる。その視線に気付いたのか、「あかんよ」とスペインが笑った。
「子供が大金持って歩いたら危険過ぎや」
「でも子供が持ってるとは普通思わないので、気づかれないのではないでしょうか」
「そら掏摸っちゅうもんを舐めすぎや。あいつら金の匂いにめっちゃ鼻利きよんで! 去年のうちの掏摸やら強盗やらの件数知っとる? 百二十万件近いんよ」
「でもうちも窃盗なら同じくらいの件数ですよ」
「そうは言っても人口が違うやん。うち半分以下やで」
 犯罪の比率が違うのだ、と言われれば確かにその通りである。納得しかけた日本は、ふと仕事で目を通した資料を思い出した。
「あ、でも前に目にしたデータでは、犯罪被害者数の対人口比がうちより少なくて、先進国最低でしたよ。スペインさんの所はもしかして安全なのか? と思ったのですが」
「あーそいや、そんなデータもあったな。まぁ基本的に他の国に比べるとうちは平和やね。勿論テロは何回もあったし、独立だのなんだの内でごたごたしとるけど、犯罪件数自体は他と比べるとまだましや。それにあれは世帯毎の個別調査やったやろ? うちの犯罪は国民相手やのうて、観光客相手が多いんよ。特に危険なのは日本人や。お金持っとって、おっとりしとる人多いさかい、日本人狙いの窃盗団とか出てきてしもてな。数年前から日本人が集まりそうなとことか、警察が重点的に警備するキャンペーン始めたんもあって、被害は一頃に比べたらだいぶ減ったんやけど、マドリーだけでもやっぱ月に何件も被害あるし、首絞めて金品奪うっちゅう酷いんもまだおるしな」
 そういえばそういうのもありましたねぇ、と今更ながらに思い出した日本に、「というわけで」とスペインは続けた。
「菊ちゃんはお金なんか持ったらあかん。大体どこに持つのん?」
「ポケット……はないようですから、どこかで斜め掛けバッグを買って肩からかけるとか?」
「あかん〜! 一番危険や。ちなみに菊ちゃんが大人でこんな風に買い物行く場合、どんな格好するつもりやったか言うてみ?」
 引ったくりに遭いにくい斜めがけ鞄が駄目ということは、定番の腹巻きポシェットか。いやしかしあれは逆に貴重品が入っていますと宣伝しているようで危ないとも聞く。薄い斜め掛けの上に上着を着るというのも手だが、警戒しまくってる観光客ですというオーラを漂わせる格好なのではないだろうか。
 悩んだ末、日本は正直に最近の己の定番の旅格好を告げた。
「身体にフィットする感じのリュックを斜めがけして、その中に財布とかパスポートを入れるつもりでした」
「あー最近流行なんかな。よう日本人の男がしとる格好やね。あれ見ると、日本人やってすぐ分かるわ」
 スペインはくすりと笑った。
 
 
 



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