日本のスペイン旅行記


  23

 
 
 
「えー……まだ元に戻せないの?」
 控え室に顔を出した議長国フランスが顔を顰めるのに、日本は思わず「すみません」と頭を下げた。
「いやいや、日本が悪いんじゃないから、悪いのはみーんなこのアホ役立たずの馬鹿眉毛だから」
「せや、さっさと元に戻さんかい、こんド阿呆」
 すかさずフォローとイギリスへの罵倒が入り、スペインがそれに追い打ちをかける。ぐったり机にうつぶせるイギリスの横で、スペインの腕に抱かれる日本はいまだ幼い姿のままだ。
 あの日、やっと元に戻れる、と日本が安堵したものの、魔法は不発。それから二晩寝て、会議当日となった今に至るまでイギリスの解除魔法は成功していない。
 仕方がないので極秘裏にフランスに移動し、他国とは連絡を絶って、ひたすら元に戻るのを待ち続けているのだが、あと三十分を切っているのに一向に戻る気配はない。ちなみにイギリスは、この二日間、三十分に一度は魔法を使っているのでへろへろだ。
「おい、弟と芋野郎が来る! そいつ探してるけど、なんて言えばいいんだ?!」
 ぬっと焦った顔を出したロマーノに、日本を抱いたままスペインが立ち上がる。
「馬鹿、そいつは置いていけよ!」
「せやけど、親分抜きで眉毛と一緒にするんはなぁ」
 と難色を示す彼は、これ幸いとばかり、あの後ずっと日本を娘扱いして、イギリスと二人きりにしてくれなかった。
「俺がいるから行ってきてよ」
 というフランスの言葉に、「用心しいや」と頭を撫で、出て行くが、だがそのフランスも、「日本、どこだい!」と廊下で叫ぶアメリカの声にやれやれと席を立つ。
「とにかくさっさと戻せよ、イギリス」
 いつになくぐったりとしたイギリスは、その言葉に小さく唸る。彼とて戻したい気持ちは同じなのだろう。
 会議を失敗させるわけにはいかないフランスも、ばれればバッシングを一身に浴びるであろうイギリスも、そして勿論おもちゃにされるだけならともかく、これが国際問題になり政争の道具にされたくない日本にしても、誰もが元に戻ってもらわないと困るのだった。
 会議を欠席するのは避けたい。
 元凶のイギリスや事情を知る他国がフォローしてくれるとしても、国益に関することでは、たとえ恋人、友人であっても互いに信頼できないし、するべきではない。それが国というものだ。
 しかしこの姿のままでは出席は望めないだろう。
 机に力なく身を伏せているイギリスを眺める。
 疲労の色が濃い彼は、この所ずっと四面楚歌で嫌みを言われ続け、すっかり消沈している。このままではかかる魔法も失敗するだろう、とふんだ日本は、優しい声で囁きかけた。
「イギリスさん、トレドの休日、楽しかったですね」
 その言葉にイギリスは顔を上げる。
「途中で中断されてしまいましたが、映画のあの後の筋、覚えておられますか?」
「……ああ」
 雨に打たれて部屋に戻った二人の後で、部屋の遠景だけが数秒続く。その後の王女は男の服を借りている。
「映画でははっきりと描かれていませんが、夜の部屋での会話は事後の二人を暗示しているという解釈もあるそうです」
 椅子から滑り降りた日本は、イギリスの傍に寄り、抱き上げるようにせがむ。躊躇するように抱き上げたイギリスは、まるで割れ物を扱うような怖々とした手つきだ。そんな彼の首を抱きしめて、
「いつか、また二人でトレドに行って、こっそり休日を楽しめたらいいですね……今度は大人の姿で」
 そう告げた日本は、イギリスの滑らかな両頬と、そして薄い唇にも、触れるだけのキスを落とす。
 眼を丸く見開いたイギリスは何が起きたのか分からない顔だったが、やがてじわじわと頬を染めた。
「もう一回やってみる」
 先程までとは違い力強い声に、これはいけるかもしれない、と日本は期待に胸を膨らませた。
 ステッキを取り出して、彼が「ほあた!」と叫んだ時だった。
 がちゃりとドアが開いて、「誰かいるあるか〜」と言いながら入ってきた中国と目が合う。
 やばい、と思った瞬間、もくもくと煙が立ちこめ、星が舞う。ぐにゃりと世界が歪んで、独特の浮遊感と目眩に襲われながら、日本は自分が元の身体に戻ったことを確信していた。定まらない視野に眼を凝らして己の手を見れば、元のサイズだ。
 
――間一髪、セーフ! ですよね? ナイスです、イギリスさん!!
 
 部屋に立ち込めた煙にゴホゴホと咳き込みながら、中国が叫ぶ。
「うわ、何あるね! てか、今小さな日本居たあるよ! どこ隠したあるか! ……もしかしてアヘンの魔法で小さくなってた…アイヤーー! そいえば変な声も聞こえた気がしたある、いや、聞こえたある!」
 鬼のような形相で迫られ、ネクタイの雁首をぎりぎりと引き寄せられ、今出せ、すぐ出せ、と迫る中国から顔を背け、必死に日本は言い訳を絞り出した。
「いえ、あの、こ、これは……イギリスさんが爆発しただけです! 日本には『リア充爆発しろ!』という呪いがありまして、その呪いを身に被ったイギリスさんが爆発してしまった、これはその煙です、はい!」
「嘘つくでねぇある! 返すよろし、我に可愛い小日本を返すよろし――!」
「返すもなにもあなたのものだった過去はございません! 中国さんはまさか起源捏造なんて恥ずかしい真似はしないと信じてましたが?」
「なに? なんの話?」
 けたたましい騒ぎにやってきたフランスとアメリカは、中国の主張を聞くと、
「ええー小さい日本だなんて、お兄さんも見たいな!」
 と大嘘つきの笑顔をフランスは浮かべ、アメリカは、
「まぁイギリスは変態だからね。やりかねないよな!」
 そう鼻に皺を寄せた。
 ナイスフォローです、フランスさん!
 そして図らずもナイスツッコミ、アメリカさん!
「いえいえ、私を小さくするなら先にアメリカさんでしょう。小さいアメリカさんは可愛かった、とつい先日も聞かされたばかりですよ」
「No Way――――!!」
 ものすごく嫌そうな表情を浮かべるアメリカに、
「そうだぞ、俺がこいつを小さくするわけないだろ。小さくしたら、セックスできなくなるだろうが!」
 と、元気を取り戻したイギリスが良い笑顔でエロ大使っぷりをアピールする。
「死ぬよろしアヘン! むしろ殺すあるアヘン!」
「なにそれ…お兄さん、どん引き……」
「イギリスと付き合うなんて、君はどうかしてるよ!」
 一斉に大ブーイングが沸き起こった部屋に、
「貴様ら、会議前に何を騒いでる! さっさと議場へ行け――――!」
 騒ぎを聞きつけてやってきたドイツが雷を落とす。
「日本、お前がついていながらどういうことだ!」
「すみません、ドイツさん!」
 あたふたと頭を下げ皆に続いて会議室へ向かいながら、ようやくいつもの身体、代わり映えのしない日常に戻れたことに日本は心の底から安堵し、笑みを浮かべたのだった。
   

 
 



back + Home + next