日本のスペイン旅行記


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――あああ、怒ってますよ、スペインさん!
 
 そりゃ怒っている可能性は高いだろうなと思っていたが、顔にでかでかと激怒と書いてあるスペインの姿に、一体イギリスはなんと伝えたのだ、と日本は遠い目になる。そんなスペインに臆した様子もなく、むしろ楽しげにワインを一口飲んでみせたイギリスは、
「やっとお出ましかよ、もうちょっと早く気づくかと思ってたぜ」
 と火に油を注ぐような発言をした。
「なに勝手に人の娘攫っとんや、この腐れ犯罪者が!」
「あ、あの……」
 とにかくどうにかこの場を収められないものか、と口を開き掛けた日本に、ぴしりとスペインが命令する。
「菊ちゃん、こっち来ぃ!」
「おい、聞く必要ないんだぞ!」
 すかさずイギリスが制止の言葉を発するが、だからと言って留まるわけにもいかないだろう、と日本は立ち上がりスペインの元へ向かった。
「勝手におらんようなったらあかんやろ。ロマーノが心配してむっちゃ泣いてたんやで」
「……ごめんなさい」
 言い訳は山ほどあるが、心配させた事実には変わりない。しかもやはりロマーノを泣かしてしまっていたとは。内心がっくりしながら、深々と頭を下げると、ひょいと抱き上げられ、少し表情を緩めたスペインに頭を撫でられた。
「まぁしゃあないな。寝とる間に攫われたんやったらどないしようもないもんなぁ」
「あの、ロマーノ君は……」
「下で待たせとるさかい、安心させてやり」
 そう言いながら、スペインは悔しそうな表情のイギリスにじろりと視線を戻した。
「さてと、うちの娘によう手ぇ出してくれよったな」
「誰がお前の娘だ! 菊は俺の娘だぜ!」
  その言葉にスペインはくいと顎をしゃくり、すかさず左右から飛びかかった軍人にイギリスは取り押さえられた。その一人が内ポケットを探り、スペインにパスポートを差し出す。
「ジョージ・アルバート、国籍アメリカ。ふーん、新聞社の記者さんなぁ……」
 片眉を上げて、読み上げたスペインは嫌みったらしい口調でにやりと笑みを浮かべた。
「そないな記者さんがなぁんでうちの娘、誘拐するんやろな。折角の大層な経歴に傷ついてまうんやないか? しかもうちの子の偽造パスポートなんぞ作ってからに。お前、ロリコンなんか?」
「ふざけんな、スペイン!」
「ほーう、俺がスペイン様と知っての犯行いうわけか。ますます物騒な話やなぁ。つまりは俺がスペインやと承知の上で、俺の娘攫うて、しかも自分の娘やと言い張りよる、と。妄言癖で情状酌量されると思うたら大間違いやで」
 歌うようにそう告げると、怒りの表情を浮かべているイギリスをギロリと睨み付ける。
「ただのロリコン変態か、それともテロリズムの一環か、取り調べできりきり吐いてもらおか!」
 あくまでもイギリスを国として扱わず、連れて行けと顎で指図するスペインに、兵士達は両腕を掴み引きずっていこうとする。それにもがき抵抗しながら、
「おい、お前からも何とか言ってくれよ、菊!」
 とイギリスは叫び声を上げた。
 確かにここで国だと主張することは、イギリスにはできないだろう。何しろ普段の姿ならともかく、変装をしている上に犯罪行為で告発されているのだ。
 かといってしごく正当な怒りに燃えるスペインが、自分の方から情状酌量や譲歩などするわけもなく、となれば仲介する第三者が必要だ。
 ロマーノを安心させてやれと言いながら、スペインが自分をここに引き留めていたのは、手打ちの役を担わせるためということは薄々感じ取っていたし、自分しかできない役というのは承知だけれど、しかし全く乗り気がしない日本である。
 とはいえ、やるしかないのだろう。
 内心溜息を吐きながら、日本は口を開いた。
「スペインさん、犯罪者はそれ相応の刑罰を受けるべきなのは承知しておりますが、この人は私に必要な人なので連れて行くのは勘弁していただけませんか?」
「……『娘はもらった』っちゅうメモ書きを、署名もなしで分からんように置いてって、ロマーノを眼ぇ溶けるんやないか思うくらい泣かせて心配させた悪党を、取り調べもせんで引き渡せいう意味なん?」
 
――うわー……どこが大丈夫なんですか、オランダさんに、イギリスさんの馬鹿!
 
 そりゃ怒るに決まっている。ロマーノを泣かせ、自分の一番大事な祝日にこんな騒動を起こし面子を潰され、犯人は自分に魔法をかけようとした不仲のイギリス、とくれば、怒らないはずはないのだ。
 だが、あえて日本は頷く。そんな日本に、スペインは面白そうな表情を浮かべた。
「聞けへんなぁ、て言いたいとこやけど……でもそやな。父親は娘のおねだりには甘いて相場が決まっとるもんな。やったら、心配かけてごめんなさいパパって、ベシートしてくれるんで許したるわ」
 
――あああやっぱり、やっぱりそうきますよね……
 
 ロマーノを泣かせた時点で、それ相応の処分を受けるのは必至、そしてイギリスに効果的にダメージを与えるために自分も何かしら巻き込まれるのは目に見えていた。だから関わるのが嫌だったのだ。
 ついでにこれにはイギリスの味方をする自分への意趣返しも含まれているよな、絶対。そう思いつつも、迷う余地はなかった。
「Muchas gracias por preocupado (心配してくれてありがとう)por nosotros, Papa(パパ)', y(そして) ?Feliz aniversario(記念日おめでとう) !」
 首に抱きつき、そう囁いて両頬に軽く唇で触れる。
 スペイン語を使ったのには深い意味はない。単に日本語よりも羞恥が紛れるかと思ったからだ。チュッと舌で作ったキスの音はいまいち上手じゃないし、文法はあやふやだが、意味は伝わっていると信じたい。
 これで満足してくれませんかね、と期待をこめて顔を覗き込めば、なぜか驚いたような痛いような表情で、瞳を揺らすスペインがいた。
「……おおきになぁ」
 日本だけに聞こえる囁きと共に、一瞬、ぎゅっと強く抱きしめられる。
 え? と顔を見ると、不敵な笑みを取り戻した彼は
「しゃあないわ、ほら行ってき」
 と日本を床に降ろした。
 そのまま踵を返したスペインに従い、兵も退出する。
 その後ろ姿を見守った日本は、イギリスに近づいた。
 スペインにキスをしたのが気に入らなかったのだろう。ものすごく拗ねた顔だ。しかしそれは日本にとっても不本意なことで、しかもその原因は己にあるとなれば、誰に当たることもできないのはさすがに分かっているのか。
「……すまない、悪かった」
 と素直に頭を下げた。
「イギリスさん、今度こそ元に戻してくださいね」
 そう告げると、懲りたのか、イギリスは神妙な顔で肯き、ステッキを取り出す。とんでもない厄災を引き起こすそれが、今は救世主のようにも見え、日本はほっとした。
 珍しいスペインでの旅は、それなりに楽しい時間ではあったが、やはり元の姿が一番だ。
 少し緊張した面持ちで、イギリスがステッキを振り魔法を使う。
 それに合わせ、きらきらと星が舞い、煙に包まれた日本は元の姿に戻る。
 
 
――はずだったのだが。
     

 
 



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