日本のスペイン旅行記


  16

 
 
 
「次はロヴィーノの番やけど、どないする?」
 三軒目の店を出ると、さすがに辺りが真っ暗だ。
 会計は一つの店を一人がまとめて持つということで、次はロマーノの番。ちなみに日本の払うべき店は、スペインが出してくれて、ますます頭が上がらない気分になってしまった。
「少し考えさせろー」
「やったらマヨール広場抜けて、のんびりパエリャの店方面に歩いて行こか」
「賛成〜。あ、菊ちゃん俺んとこおいで、抱っこしてあげるからさ!」
「ええと、遠慮致します。フランシスさん酒臭いです」
 手をさしのべるフランスに、スペインの服をつかんで全身で拒絶する。酒臭さは口実で、気を抜くとくらう「すべすべの頬っぺた気持ちいい〜」頬擦り攻撃が嫌で避けているだけだった。
 露商や、明るい店を覗きながら、緩い坂を下る。どこもかしこも観光客で溢れているのはさすがスペインの中心地だけある。
「おい、アントーニョ、前食べたブルスケッタの店に連れていけよ」
 ロマーノはようやく行きたい店が思いついたのだろう。その言葉に、スペインは首を傾げる。
「ロマーノと行ったピンチョスの店ゆうたら、夫婦でカウンターに立っとるあの店のことやろか?」
「ああ、あそこなら俺がおごってやるよ」
 とロマーノは偉そうに鼻を鳴らした。
 坂を下ったり上がったり、ちょっと行っては角を曲がるのを繰り返してさっぱり方向感覚が分からなくなった頃に、小さな広場に辿り着く。
 広場の中まで侵食する勢いでテラス席が並んでおり、客も多い。この辺りの店はとても繁盛しているようだ。
 目的の店にスペインに抱かれながら入るが、日本の視線は広場に作られている遊具施設に釘付けとなった。こんな真っ暗な夜に子供達が元気に遊んでいる姿は、日本では考えられない光景だ。
「あの、こちらでは小さい子供がこんな時間に外で遊ぶものなんですか?」
 注文が終わったスペインに思わず訊ねると、
「ああ、あれは親がバルで楽しんどる間に、子供が遊んどるんや。こっちでは親子一緒にバルに行くけど、子供は飽きてまうからなぁ。ここみたいに遊び場あると、親子ともども楽しめるからええよね。菊ちゃんも行ってみたい?」
「いえ、私はここで充分満足です」
 言葉が通じず意思の疎通のできない子供の中に放り込まれても困る。しかし親子でバルに行くお国柄なら、こうして自分が三人に混じってバルに来ていても誰もおかしく思わないのだろう、と日本はほっとした。
「ああ、そういえばロヴィーノ、お前暫くこっちいてくれるんやろ?」
「すぐ帰る予定はないけどな」
 お通しで出てきたオリーブを摘みながら、それがどうしたと眉を上げたロマーノに、
「そんなら、明日と明後日、菊ちゃんと一緒に居ってくれへんかなぁ。水曜の準備で、エルパルドに顔出さなあかんのよ」
 とスペインは言い出す。エルパルドといえば、スペインの上司一家が住んでいる少し離れた王宮だ。
「水曜日に何かあるんですか?」
「ああ、言うてなかったっけ? その日はイスパニア・デーいうて、うちの全国的な祝日なんよ」
「あーそういえばそんな時期だっけ」
 ワインを飲むのを止めて首を傾げるフランスに、日本もすっかり失念していたことに気付いた。
 スペインの日という名の休日は、日本も勿論スペイン関係のデータで眼にしていたものだし、把握していた筈だが、すっかり頭から抜け落ちていた。確かコロンブスの新大陸発見の日を祝う、建国記念日に位置づけられているものだったように記憶している。首都であるこのマドリードでは、王家や軍のパレードも行われるので、きっとスペインも参加するのだろう。
「すみません、そんなお忙しい時期に!」
「いやいや、俺はええんやけど、そんなわけで一緒におってあげられへんのよ。もちろん菊ちゃんが来てくれたら上司からは喜ばれるとは思うけど……」
「それは…すみませんが、遠慮させていただきます」
 スペインの上司とは勿論面識があるし、行ったら下にも置かぬ歓待をしてくれるだろうことは推察できる。しかし普段の姿ならともかく、今のこの姿を晒した挙句、万が一本国まで伝わってしまったら、ややこしいことになるのは目に見えている。
「そやろなぁと思ってな」
「別に俺は子守くらいかまわねぇぞ」
 そう肩を竦めたロマーノに、「それならめっちゃ助かるわ〜」とスペインは声を上げた。
「いえ、あの、私は放置していてくださったら、適当にしますし、あ、それにフランシスさんと一緒に行ってアーサーさんに戻してもらっても……」
 その言葉に渋い顔をしたのは、フランシスだった。
「来るのはあんまりお薦めしないかな。万が一アーサーが元に戻せない時のことを考えるとねぇ。それに菊ちゃん的に、あんまりばらしたくないんじゃなかったっけ? 一緒に来たらルートとカルプシにばれると思うよ」
 そこをなんとか、人目に付かないように空港で戻してもらうとか、パスポートも外交官特権的なアレで誤魔化して……、などとぐるぐる考える日本ははっと我に返り、何を考えてる自分、と己を諫めた。
 遊びに行くならともかく、フランスは自国で押し迫った世界会議の準備という忙しい合間をぬっての仕事で行くのだ。余計な負担をかけるべきではない。
 それに、万が一イギリスの魔法が不発となれば、向こうで騒動になることは眼に見えている。
 そう、不発となれば大変なことに……
「……戻せない可能性はあるでしょうか」
「うーん、あのアーサーだからね。ヤツの魔法はかける時は腹が立つくらい命中率良いくせに、解除となると上手くいった試しないもんなぁ。あ、でも、大丈夫だよ、うん! そんな心配しなくても平気平気」
 どよんと表情を暗くした日本に、フランスは慌ててフォローをする。
「ええやん、菊ちゃんはうちでのんびりしとき。ロヴィーノ居ててくれるし、なんかあったら親分飛んで帰ったるさかい、安心してな。それにまだ全然うちで遊んどらんやん。マドリー以外にも面白いとこたくさんあるんやで。ロヴィーノ案内できるやろ?」
「どこ行けばいいんだよ?」
「見せたいとこ、たくさんあるんやけどどこがええやろかなぁ。日帰りできる範囲やとセゴビアか、アビラか、ちょっと足伸ばしてサラマンカ辺りでどうやろ?」
「エル・エスコリアルとトレドが有名だろう?」
「あそこは公式訪問でだいたい観光案内されるよね」
 フランスの言葉に頷く。世界遺産で有名なその二カ所は行ったことがある。
「アランフェスも行きました」
「じゃあクエンカは? コンスエグラも行ったことねぇだろ?」
「いやいや、行ったことない場所を当てるんじゃないのよ、ロヴィー」
 フランスが苦笑する横から、隣で飲んでいる男性が何か話しかけてきた。
 
   

 
 



back + Home + next