日本のスペイン旅行記


  13

 
 
 
 手を繋いで歩いていたスペインが、「どないしたん?」と発した声に被さるように、
「やっぱここに来やがったな」
「おはよう、菊ちゃん」
 と口々に声がかかる。カフェのテラス席に座っているのは、フランスとロマーノという謎の取り合わせだった。
「ロヴィーノやん! なんや、親分に会いに来てくれたん? あれ、フランシスは仕事やなかったんか?」
「別にお前に会いに来たわけじゃねえよ、いい気になるなよコンチクショー!」
「フェリシアーノんとこの仕事が終わって、今日は休みなの。いくらなんでも日曜まで仕事はありえないでしょ」
「そらまぁそうやな」
 三人がにこやかに話している間に、自分だけ帰れないものかと無理だと分かっていても逃げ道を探してしまう日本だったが、
「ところで菊ちゃんの格好、すっごく可愛いね!」
 と触れてもらいたくない所をフランスに直截に切り込まれ、腹をくくった。
「……これには少々事情がありまして」
「知ってるよ。昨夜アントーニョから電話もらったからね。『ミサ行くのに置いてかれへんねん、着せる服どないしよう〜』って。よく似合ってるね、そのドレス」
「ドレスじゃないです、上着です! 下にはちゃんとハーフパンツも履いています!」
 トレビアーンだの、モンプティトシャットだの、ニヨニヨと大仰に褒めるフランスにそう主張するが、うんうんと笑み崩れながら頷くだけで、全く聞いている様子はない。
 これどんな羞恥プレイ!
 ワンピースなんて着るのが嫌だったのに、『教会へはちゃんと正装でいかなあかんのよ。堪忍なぁ』と実に申し訳なさそうにスペインが言うから、下にズボン(と自分に言い聞かせる膝丈のスパッツ状のもの)を履いて、己を誤魔化し、不本意な服装などできるだけ意識の外に追い出していたというのに。
 ああ、なんだってこんな間の悪い時に会ってしまったのだろう。ていうか、どうしてこんな所にいる?!
 疑問をぶつけようとした日本の先手を打つように、
「お兄さんが折角菊ちゃんの服持ってきてあげたのに、先にミサ行っちゃうんだもん。がっかりだよ〜」
「せやかて、早うミサ行かなお腹空くやん。いつ来るか分からんのに待ちきれへんわ」
「そう言われたらそうだけどさ。でもどれが似合うかなって考えて、こんなに持ってきてあげたんだよ」
 と指さす彼の隣の椅子には、紙袋が大量にある。
「まぁミサはともかくとして、とりあえず着てみてくれたら嬉しいな」
「え、嫌です嫌です、御免被ります」
 嫌が言えない日本人なんて返上してくれるわ! な勢いでぶんぶん首を振るが、ひょいと日本を抱き上げ、自分の膝に座らせたフランスは、とんでもないことをのたまう。
「えええー菊ちゃんのためだからって、部下が残業してブティックにかけあって、あっちこっち奔走して集めてくれた服なんだよ」
「ちょ、まさか私のこと、言ってないでしょうね!」
 フランスの部下にまで知られたら、次から顔を合わせられない。というか合わせたくない。
「そんなことするわけないでしょ、お兄さんが」
「……ですよね」
 なんやかんやと親身になってくれるフランスは、相手の気持ちに敏い。
 しかしならばどうしてスカートを……
「……ズボンにしてくれたら喜んで履いたのですが」
 男物を選んで欲しかった、と恨めしい目を向けると、
「そりゃ駄目だよ」
「ズボンはあかん」
 と口を揃えて却下される。
「『女は男の衣服を纏(まと)ふ(う)べからず男は女の衣裳を著(き)るべからず』ってやつだ。教会へ行く時は正装に決まってんだよ」
「さすがロヴィーノやな」
「バチカンの門前小僧は伊達じゃないねぇ」
 さらさらと暗唱した言葉は聖書のもののようで、教義として禁止されていたのだと知りがっかりする。
「てか、お前本当にチビになったんだな」
「フランスさんがばらしたんですか?! まさかフェリシアーノ君や、ルートヴィッヒさんにも?!」
「ばらしてませんよ。ロヴィーノはこっち来るって話聞いてたから、空港で待ち合わせたの。で、一緒にアントーニョの家に行ったらいなくて、そしたら、ロヴィーノがいつもの教会で、帰りはここに寄るだろうって言うから、お外で出会い頭に騒ぎ起こされるよりはと思って説明しただけだよ。それにあの二人に言ってたら、今頃押しかけてきてるでしょ」
 キッと背後に視線を向ける日本に、フランスはとんでもないと両手を挙げてみせる。
 確かにドイツはともかく、イタリアは仕事を放り出してやってきそうなのは確かである。
「黙っていて下さって、ありがとうございました」
 日本はほっと胸を撫で下ろし、スペインが頼んでくれた牛乳を飲んだ。
「でもよー、なんで弟とジャガ芋野郎に秘密なんだ?」
「あの二人だけに秘密なのではありません。ここにいる人以外の全員にです」
「だからなんでだよ?」
「そんなの恥ずかしいからに決まってるじゃありませんか! いい歳を通り越した爺がこんなひらひらな服を着て、自分より遙かに若いもんに抱き上げられるなんて、恥ずかしいを通り越して心臓発作、発作……起こしそうです、持病の癪がでます……」
 沸騰した感情が急減に低下し、どんよりと落ち込む。
「いやいや、どんなに歳をとっていようが、こんな服とか言って自分の幅を狭めたらダメだよ」
「せや、人間好きなもん着ればええねん。他人と一緒なんてつまらんやん」
 ずれた助言をしてくれるフランスとスペインの横で、呆れ顔のロマーノは、
「そんなこと言ったって、今は爺じゃなくてチビガキじゃねえか。しかも女だからそんな格好が当たり前に決まってんだろうが」
 と言ってはならぬことを言い放った。
 
 

 
 



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