英国旅行記


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 駅に着くと向かったのは、レンタカー店だった。
 てっきり電車とバスの移動だと思っていて驚く菊に、
「バスが一日何本かしかない田舎に行くのに、レンタカーは必須だろう」
 とアーサーは当然のような顔をする。
「菊のことだから、国際免許証も取ってきてるだろう」
「一応何かのために取ってはいますが、普段は使いませんからペーパードライバーみたいなものですよ」
「俺も似たようなもんだ」
「じゃあ誰が運転するんですか」
「俺だ」
 自信満々に言い切るアーサーに些かの不安を覚える。
 オンラインで手続きまで済ませたということもあり、カウンターでは免許証を提示するだけで書類がでてきて、サインと支払いのカード処理が済めば、カーナビと鍵を渡され、あっけないほどの早さで車が借りられた。駐車場所の番号を教えられ、帰りも鍵とカーナビを返すだけでいいという簡単さに、それでいいのだろうかと首を傾げる。
「ところでアーサーさん、私達どこへ行くんですか?」
「ああ、言ってなかったか? リームワースというところだ。ここからほぼ真東だな」
 カーナビに郵便番号を入力して設定を終えたアーサーは、荷物から取り出した地図を広げ、目的地を示した。
「この辺り全体がピークディストリクトという国立の自然公園に指定されている。ピークというのは峰という意味で、山岳地帯になってるんだ。ここからだと、そうだな、一時間半あれば着く予定だ」
「イギリスにも山があるんですね」
 来る間の風景はなだらかな丘ばかりで、山など見なかった気がする。
「日本みたいな山じゃなくて、もっと低いけどな」
 地図を渡され、カーナビと突き合わせて正しい道か確認をする。
 近代的な都会のビルと古い建築物が混じる街の風景や路面電車に眼を奪われ、慌ててナビの画面と地図を確認しているうちに、いつの間にか車はM67という高速道路に入っていた。さほど経たないうちにM67を出て、一般道に戻り、小さな町を過ぎる頃、前方に山々が見えてくる。
「本当に山ですね」
「こんな山はこっちでは珍しいから、国立公園の認定の第一号となったし、毎年観光に訪れる人数も一番多いぞ。ちなみにこの道をまっすぐ行くと、シェフィールドという街だ」
 運転をしながら説明するアーサーは、平日の昼間とあってか車の少ない山道を快調に飛ばす。朝のロンドンは曇りだったが、列車に乗る頃には晴れ、今は青空にまばらに白い雲が広がる快晴だ。
 緑の草で蔽われた丘陵に羊や牛が見える。のどかなイメージはまるでスイスのアルプスだ。
「うわー! 羊です! こんな近くに!」
 不意に道路の横に羊が現われ、菊は歓声を上げた。
 羊観察をしているうちに、やがて車は頂上にさしかかり、柔らかい緑の丘はいつの間にか幾分荒涼としたヒースや岩が目立つ荒野(ムーア)へと変わっている。九十九折りで山を下りていくうちに周囲は木立へと変わり、車はサイクリング車や歩行者を追い抜いていく。眩しいほどの陽気のせいか、皆軽装だ。
 貯水湖だという池にかかる橋を渡って暫くすると、今度は丘陵地帯になった。道も次第に狭くなり、両側に腰辺りほどの高さに石を積んでできた石垣(ウォール)が続く。
 アーサーは、田舎道でも結構なスピードを出している。
「あの、アーサーさん、速度大丈夫なんですか?」
「ここはまだ60マイル(90キロ)制限だから、余裕だぞ」
 恐る恐る訊ねると、ちなみに60出すとこれくらいだ、といきなり加速され、ヒッと悲鳴を呑む。
「ちょ、勘弁して下さい! 寿命を縮める気ですか!」
「なんだよ、これくらいで怖がるなよ」
「これくらいって、こんな道で90キロなんて信じられませんよ!」
 羊注意の看板も出てるのに、と騒いでいるうちに細い道に入り、ほどなくして小川にかかる狭い石橋を渡ると集落にさしかかる。
「ここがリームワースだ」
「村ですか?」
「一応教会があるから村ということになるが、規模は集落だな。教会の他はパブがある程度だ」
 ぽつりぽつりと建っている岩造りの家を通り過ぎ、両側が木立になっている細い道を少し上がると立派な門が現れた。背丈より高い鉄の門扉は固く閉ざされているが、携帯電話を取り出したアーサーが名前を告げただけで自動的に門が開く。それだけでも嫌な予感がしたのだが、門から続く木立の先に建つ屋敷を見て、菊は顔を引き攣らせた。
「あの……私、質素にって言いましたよね」
「だからそのつもりだったが、な、なんだよ、気にいらねぇのかよ!」
 菊の些か白い眼に気づいたのか、アーサーは焦った顔をするが、何が悪いのかまでは分らないようだ。





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