英国旅行記


 13
 
 
 
 
 ウィンダミアに近づくにつれ、緑が濃くなってきた。木立を縫うように通る道で、フランシスは快調に車を飛ばす。
 ウィンダミアの町には入らず、北へ向かうと左手に湖が見え隠れしはじめる。
 眩しい湖面のきらめきと青い水に、菊は思わず歓声を上げた。
 アンブルサイドの町中に入る手前の枝道を突き当たった所が宿だった。
 白壁の綺麗な一軒家をコテッジと言って良いのか、菊が首を傾げているうちに、同じ敷地の管理人棟から管理人が鍵を持ってやってきた。同じ敷地と言ってもここからは見えない距離で、その広大な敷地の中に、コテッジやアパートタイプのコンドミニアムが他にも二つあるという。鍵だけ渡すとアーサーの知り合いという管理人はあっさり帰っていく。
 風を通しておいてくれたという室内は、白壁に所々石壁が混じるモダンなデザインだった。
 天窓がふんだんに設けられ、どの部屋の窓も大きい。
 広いリビングに続くテラスからは少し小高い立地のおかげで、湖も見える。桟橋近くに係留してあるヨットや船がいかにも避暑地らしい風情だ。
 広く明るいキッチンも最新のシステム式で、ヴィンテージと思われる飴色のダイニングのテーブルには、グラスや皿が綺麗にテーブルセッティングしてあった。
 半螺旋の大きな階段を上がった二階にはそれぞれに浴室がついているベッドルームが二つ。更にその上にはパーティー用にか、バーカウンターまである部屋とテラスがあった。地下にはカードやビリヤードのプレイルームとシアタールームもあるのだという。
 質素な旅を、という当初の希望からはどうにも逸脱している感が否めないが、頼んだ相手が悪かったのだと菊は諦めの境地に至った。アーサーとフランシスが一緒で、菊基準の質素になるはずがないのだった。
「で、ベッドルームは二部屋なんだ?」
 一通り屋敷(コテッジというよりやはり屋敷だと菊は断定した)内を見てまわり、さて荷物を運び込もうという段になって、フランシスが確認する。
「しょうがないだろう、予約入れた段階ではお前が来るなんて話なかったんだからな」
 部屋は二つだが、両方ともセミダブルのベッド二台を繋げダブルベッドにしてあるので人数の問題はない。問題があるのは部屋分けだけだ。
「じゃあ、菊ちゃんと俺が同室ってことで」
 さっくり決めたフランシスに、当然のことながらアーサーが噛みついた。
「ふざけんな、お前と菊を同室になんてどんなジョークだ、ゴルァ!冗談はヒゲだけにしねぇと引っこ抜いて顎ガタガタ言わせんぞ」
「でもやっぱここは家主に一人部屋を譲らないと悪いでしょう」
「一人部屋は、菊が使うに決まってんだろ。菊は客なんだから」
 いきなり話を振られ、あわあわと手を振る。
「え?いえいえ、私は一人部屋じゃなくていいです。部屋が足りないなら居間のソファーでもいいですよ」
「心配するな、ソファーで寝るのはヒゲだ」
「いや、だから俺も、客だよね」と、呆れたように呟いたフランシスは、うーんと唸った。
「菊ちゃんが一人部屋を辞退するなら、俺かアーサーと一緒にってことになるよね。んで、俺と菊ちゃんは同室でも良いけど、それはアーサーが反対。ってなると菊ちゃんとアーサーが一緒の組み合わせしか残ってないんだけど」
「あの……」と言いかけて、菊は言葉を止めた。
 どうすればいいのだろう。普段なら迷いなく「アーサーさんと同室で」、と言えるのに、それよりも先にアーサーの方が同室にと言い出す筈なのに、何も言わずに黙り込む姿に、自分から言い出すことができなくなる。
 アーサーは自分と一緒の部屋に泊まるのが嫌なのかもしれない。理由は分からないけれど、態度は嫌だと示している。そう思い至った時、言葉が零れ出ていた。
「私はフランシスさんと一緒の部屋に泊まります」
 だが、それを聞いたアーサーは、不機嫌そうに宣言する。
「菊と俺は一緒の部屋だ」
 相反する言葉にどうすればいいのか分からない。本当にそれでいいのだろうか。
 救いを求めてフランシスを見れば、場の雰囲気など知らぬ顔で、
「じゃあ、お兄さん一人部屋でいいのかな?右の部屋、使うよ」
 にっこり笑ってさっさと部屋に入っていった。
 
 
「衣装箪笥は、どっちがいい?」
「あ、ええと、どちらでも……」
 部屋に入るとアーサーは普通に話しかけてきて、なんとなく気まずい空気と感じたのは、自分だけなのだろうか、と菊は拍子抜けした。
「じゃあ、俺はこっちを使うぞ」
「どうぞ。では私はこちらを使いますね」
 けれども荷ほどきをしながら、頭を過ぎるのは、やはり先ほどのアーサーの沈黙だ。やはり彼は自分と一緒の部屋に泊まりたくなかったのではないか。
「あ、あの……」
 言いかけた言葉を菊は止めた。馬鹿正直に聞いたところで、アーサーは否定するに決まっている。そして疑念を払拭すべく、気を回すに違いない。
「どうした?」
 首を傾げるアーサーはいつもの彼だ。
 気のせいだったのだ、と菊は自分に言い聞かせることにした。もし仮に一緒の部屋に泊まりたくなかったのだとしても、いつもと変わらない態度が、なかったことにしたいという彼の意向を顕わしているのだろう。
「いえ、あの、今からどうするかなぁと思いまして」
 タイミング良く、菊の言葉の直後にノックが響く。
「二人ともそろそろ片付いた?とりあえずお茶飲みたいんだけど、アーサー淹れてよ」
「ちょっと待て、すぐ行く」
 部屋から出ながら、フランシスの声に救われたような気がした。
 




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