英国旅行記


12
 
 
 
「ええと、まだ決めてないんですが、週末辺りには帰らないといけないと思っています」
「だってバカンスで来たんだよね?普通、こっちは一ヶ月くらい休みをとるもんだよ。もうちょっと休みなよ。仕事が心配なら、それは大丈夫。菊ちゃんとこには貸しがあるから、うちのボスから連絡入れれば何の問題もないよ」
 こちらもフランス人らしく、菊の休みの短さに意見する彼との会話はいつでも防戦一方だ。研究室同士の交流もあり、最近ではお世話になっているというフランシスの教授(ボス)から菊の教授(ボス)に話がいけば、それはもちろん二つ返事で了解は出るだろうが、のちのち困るのは菊なのである。
「ははは、そういう訳には……」
「気になるなら、うちの研究室に来て、情報交換とか意見収集とかしていけばいんだよ。招聘状くらいさくっと出せるし、通訳ならお兄さんができるからね。うん、そうしよう!」
「……黙れヒゲ」
 どうやって断ったものか、と困った菊に助け船を出したのはアーサーだった。
「菊はここでホリデーを過ごすために来たんだ、邪魔するなら帰れ」
「でもさ、夏なのに温かくないし、雨のち曇りのち晴れのち嵐のち霰みたいなとんでもない天気な上に、食事まで不味い国でバカンスだなんて、罰ゲームみたいなことしなくていいとお兄さんは思うの。やっぱりバカンスは食事も美味しい南でしょう!ま、今日は珍しく晴れてるけどさ」
「雨予報で心配してたんですけど、こっちに来たらずっと晴れ続きで杞憂でしたよ。寒いかなと思ったんですが、むしろ暑いくらいでした。それに食事も……まぁ、美味しいですよ」
 その言葉に、「え」とフランシスは絶句する。
 そして恐る恐る訊ねた。
「食事が美味しいって、もしかして風邪でもひいた?」
「ええと、体調はいたって普通です。でも、そんなに恐れ戦かれているほど酷くは……ないかと思います。ものさえ選べば、普通に食べられますよ。それにアーサーさんのおうちで出てきたご飯はちゃんとどれも美味しかったです」
「それってシェフが作ったの?」
「ええと、管理人の奥さまが。カレーとかラザニアとかポークチョップとかローストビーフとか。あとアフタヌーンティがすごく美味しかったです」
「だよね、アーサーが作ったんならそんな評価にはならないもんな」
「俺の横でそんな会話するとは良い根性だな……」
 急加速して前の車を追い抜く運転に、あわわと眼を丸くする。
「ちょっと、図星さされたからって切れるのやめて!
 てか、お前の運転怖い!お兄さん乗りたくないから代わってー」
「菊乗っけてんのに事故るかよ」
 そう言いながらもアーサーは、喧々と囀るフランシスに根負けしてか、次のパーキングで運転を代わった。
「ところで泊まる場所ってウィンダミア?」
「そういえばどこに泊まるか聞いてませんでしたね」
「ウィンダミアの隣のアンブルサイドだ。少し町の中心から離れたコテッジの予約がとれてる」
「コテッジってことはキッチンがあるんだよな。料理ができるってことか」
「したけりゃな。面倒なら管理人にも頼めるし、近くのホテルからシェフも呼び寄せても良い。勿論レストランのケータリングも可能だ」
「はぁ……」
 わざわざシェフを呼ぶくらいならレストランへ食べに行けばいいし、そんな面倒をしなくても最初からホテルに泊まればいいのでは、と思うのは庶民だからなのだろうか。
「えーわざわざ呼び寄せてシェフの不味い料理食べさせられるわけ?それくらいなら俺が作るよ」
 フランシスも異議を唱えるが、こちらはつっこみ所が違う。そういえばこの人もアーサーさんと同じくらいお坊ちゃまなのだった、と思い出す。
「あの、でしたら私が作りますよ」
 口には出さないが、わざわざ呼び出して美味しくない料理をというフランシスの言葉には同意である。もちろん美味しいかもしれないが、食事にギャンブル性は求めていない。
「菊は客なんだから作る必要なんかないぞ」
「いえ、でもそれを言うならフランシスさんだってお客さまです」
「だから料理は頼めばいいだろう。それに、まぁ、どうでも頼むのが嫌なら俺が作って――」
「それは却下」
「お気遣い無用です」
 間髪入れず重なった返答に、アーサーは「うっ」と言葉に詰まりどよんと落ち込むが、譲れない一線はあるのだった。
 結局話し合いの結果、今夜はレストランに行き、明日の朝食はアーサーが、そして夜はフランシスと菊が作ることに決まった。




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