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【変態リスナーの呟き @】

オーディオは
SPに限る





石ノ渡 潤平




 エジソンの円筒式チコンキ(蓄音機)から125年。CDは登場から20年になる。
 我が家では、50年前のLPはもちろんのこと、100年前のSPでさえ、再生することができる。
 何も骨董趣味で50年も100年も前のものを集めているわけじゃない。音も素晴らしいのだ。特にSPは圧倒的。音色、スピード感、重量感など生以上に生々しく、実在感は最高だ。CDをはじめとするデジタル・メディアなど足元にも及ばない。

 SPは究極のダイレクト・カッティング方式、商業録音史上最高仕様のフォーマットである。テープを介して作られるLPやCDに負けるはずなどないのである。
 もちろん、SPには短い収録時間(片面最長5分:CD1枚に納まるワルターの
「マーラーの交響曲第9番」1020面を要している)、雑音(針音)から逃れられないといった致命的な欠点がある。

 ところが、技術の進歩は音を良くしなかった。技術者たちは、音よりも物理特性を選択した。破綻のない録音を目指したのである。エコー・マシン、イコライザー回路、ミキシング回路、ノイズ・リダクション・システムなど次々と登場する電子回路を駆使してマスタリングという技法が確立した。新鮮な素材を調理し、飾り立てて全く別物に仕立て上げるのだ。
 商品として販売するにはそれは必要なことだったが、原音をありのままに収録するためという当初の目的はどこかに置き忘れられてしまった。(収録された生の素材は、演奏の質は別にして、いつの時代も素晴らしいものであることは、誤解のないように書き添えておかねばならない。)

 オーディオ・マニアという人種は、この料理された音を再生するために血道をあげる。「これぞ○○ホールの響きだ」、「ストラディヴァリやベーゼンドルファーはこの音がしなければいけない」 といった具合である。巧妙に仕掛けられたマスタリングのワナに嵌ることが幸せなのである。

 だが、たった2枚のSPでオーディオ・ライフが180
度かわってしまった。
 ある時、ロゼーカルテット のハイドンの セレナーデ を聴かされた。ウィーン・フィルのコンサート・マスターを50年にわたって勤めた伝説のヴァイオリニスト、あの ロゼー の主宰した弦楽四重奏団のSPである。もう1枚は、シューベルトのアヴェ・マリア(これはロゼー ではない)。

 ともあれ、そのときの 「何なんだ、これは?」 という驚きは、とても言葉にならない。その演奏、音色の見事さにシビレた。それまで聴いていたものとは、まるで次元の違う音と演奏の衝撃は凄まじいもので、「雷に打たれた」 などというものではなかったのだ。
 矢も盾もたまらず、専用のフォノ・イコライザーとカートリッジを即刻導入。SPセール情報を聞きつけ、仕事もそこそこに突撃。さらに土曜、日曜と計3日通い相当数を買い込んだ。

 しかし、国内でのSPの価格はあまりに高すぎる!!時間あたりCDの30倍にもなる。そこで、とうとう現地買出しツアーを企画。憧れのウィーン、ベルリン、ドレスデン で毎晩、演奏会のオマケつき。ウィーンでは特別な計らいによって休業日にも店を開けてもらうことができた。ベルリンでは倉庫にまで潜入して何千枚!も平積になった山脈で宝探し。

 80Kgの大収穫も空港ではSPはX線を通さないため荷物検査で引っかかった。何人も寄ってきて、遠巻きに「全部あけて見せろ」 とのお達し(爆弾じゃないぞ!)。あげくに 「同じ便で持ち出すことはできない」 し 「追加料金も必要」 だって。
 こうなれば意地である。粘りに粘って、同じ便に乗せて料金1/4で決着。

 2度目は梱包材をたっぷりトランクに詰め、荷物は別送扱いにするテクニックのおかげで100Kgのレコードも問題なく我が家に収まった。その中には以来、一度も市場でお目にかからない大切な宝物が何枚もある。
 かくして、SPが中心となったオーディオ・ライフ。知られざる名演奏家、未知の録音が次から次へとあらわれる。マスタリングのワナを逃れても、この珠玉の音楽を追いかけて奮闘は続く。

 生を聴くことのできる人は、できる限り演奏会に出かければいい。そう、オーディオはSPに限るのだ。



2002.4.18



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