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 音楽評論家川村輝夫さんから著書「ちこんきディレクターの音楽(みち)をいただいた。川村さんは、元・KBS京都のディレクター、テレビ制作局長、ラジオ制作局長を歴任。関西フォーク黎明期の、1960年代から1970年代、音楽番組を担当し、高石ともや、ザ・フォーク・クルセイダーズらをバックアップしたことから、映画『パッチギ!』で大友康平演じる京都の放送局のディレクター役のモデルとされている。フォークソング、カントリー・ミュージック、ブルーグラス、ジャズ、クラシック、映画音楽、とジャンルをいとわない。さらに手回しの蓄音機についても造詣が深い。

大阪府池田市生まれ、関西学院大学在学中にグリークラブの学生指揮者を勤め、全日本合唱コンクールで日本一の座獲得も果たしている。現在も、関学グリーOB合唱団新月会でも歌っておられるし、数々の楽器もこなしながら指揮活動もやっている。

◇自分に正直に生きる
 私のようにただ音楽が好きだというだけの人間からすると、音楽評論家といわれる人には近づきがたい気がする。ところが、川村さんいわく「私は、いわゆる多分皆さんのイメージとは、まるで違う音楽評論家だと思います。どちらかと言うと、ジャズやポピュラー音楽が好きで、喋ったり、演奏したりしているのは、カントリーやシャンソン、ジャズなどで、今はまっている楽器は、コントラバス、アコーディオンです(ヴァイオリンやピアノも弾きますが)。2007年、NHK-FMのサンデー・クラシック・ワイドに出演した時は、得意の毒舌を禁じられてしまい、それでは私が出ている意味がない…とディレクターに言ったら、一年でクビになりましたから。」だった。川村さんの評論は、もともと放送局のディレクターだった経験をベースに、ご自身楽器を演奏したり司会をやったりというプレーヤー目線も備えた、ちょっと変わったものといえよう。

◇蔵の中で蓄音機の針音を愛し続ける
 「ちこんきディレクターの音楽(みち)はいわばエッセイ集のような形をとっているが、とにかく音楽現場の情報に溢れている。職業柄ではあろうが、大変な人脈である。「ちこんき」とは手回しの蓄音機のことだが、今の若い人は知らないだろう。筆者もよく知らない。もっとも、「電蓄」と呼ばれた電気で回すほうの蓄音機は聴いたことがある。それは、この道にはまり込んだ友人宅で聴いたものだが、なんとそのシステムをあの指揮者ギュンター・ヴァントさんがわざわざ聴きに訪れたことがあるそうだ。彼の入れ込みようは、音楽/合唱コーナー(M-8変態リスナーの呟きオーディオはSPに限る」で披露しているので、ちょっと覗いてみて欲しい。

◇評論のスタンス
 川村さんの音楽評論家としてのスタンスはどんなものだろうか。「ちこんきディレクターの音楽(みち)からいくつか紹介しよう。

「青山音楽賞」の選考委員を引き受けていることについて、「私は自分の音楽的感性を信じている。誰でもそうなのだろうが、自分の五感で感じた音楽を、自分自身で判断して優劣を決めている、たとえ大評論家がどう言おうと、それに左右されないで私自身の評価をしている。」と言い切っている。これはなかなか言えることじゃない。

また、「自分で唄い弾く難しさと楽しさを経験すると、プロの音楽家に対する尊敬というか、憧憬が自然に湧いてくる。またその反面、プロだったらもっとうまく演奏できるはずだろ? という気持ちも湧いてくる。」と厳しい面も見せる。けれども「プロの技術を身につけた人が音楽大学を卒業していく。でも、その人たちがすべてプロとして、音楽家としてメシが喰えるわけではない。これが私には悲しい。せっかくの音楽家としての腕が、役に立たずに埋もれてしまうのが残念だ。」と、音楽をそして音楽家を大切にしたという思いが溢れている。このあたりの話は音楽を愛するものとしてまったく同感である。

 音楽評論について興味ある記事が〈音楽の友〉に掲載されていたのを思い出し、引っ張りだしてみた。200912月号の【オントモ評議会】『評論とは何か』である。音楽評論家三氏による座談会で、「評論におけるスタンス」についての意見が交わされていた。

音楽評論は単に曲を解説することとはちがい、あくまで再現された音楽の批評をするわけだから、褒めることもあれば結果的にけなすこともあろうが、川村輝夫さんにもっとも近いのではないかと思ったのは、東条碩夫(ひろお)さんの次のような発言だろうか。

 どちらかというとエッセイ的な、自分が音楽が好きだから、音楽について感じたことを、ただ書いたりしゃべったりしているに過ぎないそれが結果として批評になることもあるかもしれない。… 演奏家に向かって、あなたのやっていることは素晴らしいと感激を表現したいということもあるし、いっぽうで、こんな演奏をやっていたらあなたがた自身のためにも、われわれ自身のためにもならないじゃないかということ、そして聴衆同士として皆さんにもなにかを呼びかけたいというようなこと、それらが全部含まれてしまうが、良いことも悪いことも逃げずにすべて自分の言葉で率直に書こうと思っている。
 演奏家の演奏と並んで、文章で作品を考えるのが「批評」ということになるかもしれない。でもそこには、音楽に対する愛情がにじみ出ていなければならないと思う。… 同業者の悪口をいうわけじゃないが、やたら斜めに構えて皮肉っぽく書いたり、演奏家の立場や作品を考えずに自分の好みだけを優先している批評を見るといかがなものかと思う

◇音楽(みち)
 永六輔さんがこの本の出版を祝って贈った言葉が帯封に書かれている。それは「すべての音楽を愛せる男はすべての音楽家に愛される。この本がそれを証明する。」というもの。川村さんにとってこれほど嬉しいエールはないだろう。
 放送局の実際のところはよくわからないが、ときによっては鉄火場の様相を呈したりもするだろう。海千山千のさまざまな人々が持てる才能、キャラクターをぶつけ合いながら、玉石混交の番組が作られているにちがいない。世の中には無駄な電波の垂れ流しと思うものも少なからず目にする。そんな中で必死に仕事をしてきた──闘ってきた男、そんなことを感じさせるのが川村輝夫さんだ。1994109日付朝日新聞の記事『会社に背き自分に戻れた─KBS更生法申請側の管理職・川村輝夫さん』がそれを物語っている。
 「近畿放送の労働組合員らによる会社更生法の申請後の記者会見で、52歳の川村は報道制作局付局長という管理職でありながら、組合側につき、会社に背いた。」
 根っから現場が好きな川村さんは、管理職ではなくディレクターとして番組作りにこだわった。サラリーマンにとって背水の陣ともいえる会社への造反だ。本人も必至だろうが、家庭を守る奥様の胸中はいかばかりだったろうか。しかし、今では選んだ道にまちがいはなかったと思い返しているにちがいない。

 本のタイトル「ちこんきディレクターの音楽(みち)は、「どう」ではなく「みち」と読ませたいと川村さんは仰る。音楽をいろいろ聴く、歌いまた声を合わせて(重唱、合唱)、 楽器を演奏し、音を合わせ重ね(重奏、合奏)、また、音楽についてあれこれ感想を述べ、時には人と論争もし、音楽を楽しむ為に、旅もし、苦労し、喜び、悲しみ、あらゆる場面で音楽と出会う。これを、「道(どう)」というには、おこがましいと思うから、勝手に作った言葉だが音楽(みち)と名付けた。

◇ディレクター12箇条
 川村さんは、ラジオ・テレビのディレクターが身につけて欲しいと願うことを12箇条にまとめている。細かいことは割愛するが、タイトルを見ればおおよそ見当がつくだろう。

 一   「これならだれにも負けない」ものを身に付ける
 二   好奇心をなくさない
 三   音楽に精通する──ライブやコンサートは月二回以上
 四   映画は年間百本以上
 五   本は一週間に三冊以上
 六   芝居・演劇は月一回以上
 七   あらゆる人脈を増やせ
 八   機会を逃さず、旅行せよ
 九   書くことを苦にしない
 十   常に自分を客観的に見よ
 十一 自分自身の意見をはっきり言え
 十二 自分で決断する

 古い言葉に「夫唱婦随」というのがあるが、その意味は、「夫が言い出し、妻が従う」こと。しかし、川村家はどうやら「
」のようだ。それが家庭内円満の秘訣でもあろう。
 ついこの間の3月上旬、関西学院グリークラブOB合唱団 369会はマレイシアへ演奏旅行を行った。川村さんは、「Old Kwansei」から、「野ばらの花」「赤とんぼ」「遥かな友に」「閨窓夜曲」「故郷」などを指揮したが、司会は、なんと和服姿の奥様の川村昌子さんだったという。昌子さんは元JALのスチュワーデスだったそうで、合唱もやられているから意外と怖い存在かもしれない。
 ジョイント・コンサートのアンコールでは、歴史を誇る関学グリー秘蔵の「U Boj !」を演奏。締め括りは定番「遥かな友に」を聴衆と一緒に歌って幕を下ろした。何ともうらやましいご夫婦である。これからも「好きなことだけやる」生活を
」で楽しまれることだろう。





加 藤 良 一   2010年3月6日