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 『歌は女の唄うものだ。そんな時代の中で「昴」の歌詞ではないが、青白き頬の青年たちが四〜五十人も寄り集まって、男声合唱に熱を入れていた。軟弱なやつらだと謗りも受けた。しかし、その後のフォークソングブームにより素人の男が唄うことへの抵抗感が一掃され、世はカラオケ全盛の時代へと移り変わって行く。男たちがわれ先にとマイクを奪い合う光景が出現し、日本の男も本当はこんなに唄いたかったのかと、びっくりしたものだった
 しかし相変わらず、男たちは集って唄うことが苦手のようだ。全盛時は大ホールの舞台を埋め尽くすほどだった母校の男声合唱部も年々細り、ついに廃部の危機に瀕している
 そんな体たらくに業を煮やしたというわけではないが、あれから数十年、頬のこけた青年たちは、たいがいが恰幅のいい親父や白髪の爺に変貌したものの、その容姿の衰えを、それぞれが身につけた自信で補い、再び故郷の舞台に上がろうとしている
 企業戦士と呼ばれた時代を仕事一筋に生き抜き、やっと解放された途端、やることがなくなっている、世の中にはそんな男も多いが、幸い私たちには歌があった
 多少声に衰えがでるのはいたしかたないが、数十人の男たちから、みかけでは想像もつかないような、美しい歌声が奏でられる。互いの声を聞き合うことから調和が生まれ、本当に唄うことの楽しさを表現できるようになったようだ。これも年輪を重ねた結果なのだろうか。学生時代とは、ひとあじ違う演奏を作り上げ、かつての乙女たちを魅了しようと、この暑いさなか練習にはげんでいる』


 朝日新聞に毎月一回「天声語」という欄が掲載される。もちろん天声語ではない。その月の題を決め、一般から天声人語風にまとめたエッセーを募集する。8月の題は「歌」だった。冒頭に掲げたものは、今回の私達、小樽商科大学グリークラブOBによる演奏会に向けた練習の情景を綴って応募してみたものだ。結果は掲載とはならなかったが、一部を演奏会のプログラムに引用していただいた。

 この中にも書いたが、近年の男声合唱の低迷には目をおおいたくなる。
 私達の大学の場合は女子学生比率が急増しているという特殊要因もあるが、それにしてもである。原因をいろいろ考えてみたが、決して、歌を歌うことを男達が敬遠しているわけではないし、ハーモニーの心地よさを理解しなくなっているわけでもない。現にアカペラによる男声ハーモニーは若者にも人気がある。そう考えると原因のひとつとして、若者の音楽の世界の中に大きな位置を占めるリズムの問題にいきあたる。いつの時代にも若者は激しいリズムを求めてきた。それが年輩者からみると苦言の種になり、「うるさい」の一言に要約されてしまう。


 私達の取り組む合唱は、愛唱歌から始まり、そのひとつ上を目指す段階では、殆どの曲がリズムの変調を伴う。曲想の変化を表そうとすると、どうしても一定のリズムでは単調になってしまうためだ。その曲を聞き込み、歌い込むことによって、このリズムの変調の必然性を理解し、理解することによって、さらに作曲者の意図する世界に近づけることになるわけだが、このまどろっこしさが若者に受けない。常に流れる一定のリズムを身体の中のベースとして取り込み、その上に詩とメロディによる感情表現を構築する音楽手法が全盛の現代にあっては、合唱曲は受け容れるのに骨がおれるようだ。

 先日、毎年恒例のNHK学校音楽コンクールが放送されていた。今年の中学生の部の課題曲はアンジェラ・アキが作詞、作曲した「手紙」だった。「拝啓、この手紙読んでるあなたは、どこでなにをしているのだろう・・」と始まる歌いだしと、ユニゾンから奏でられる耳に優しいメロディは新鮮な驚きだった。

 このところ合唱テクニックを競い合うことに偏り勝ちだった昨今の風潮に一石を投じたのではないだろうか。予選を含め、この歌を歌った全ての中学生が、アンジェラの詩の世界を自身の中に投影し、その感情を自分の声にのせて表現していたことだろう。それが、聴く側にも伝わっていたはずだ。歌っている彼、彼女たちは、合唱の素晴らしさを体感し、これからの人生の中で常に合唱と触れ合っていこうと考え、合唱経験のない若者(若者に限ることはないが)は、この演奏を聴いて、私も一度やってみよう、ということになれば、今年のコンクールの果たした役割は大きい。間違いなく、例年よりもこの効果は大きかったのではないかと確信する。男声合唱の世界においても、重く受け止めるべき問題だろうと思う

 前置きが長くなってしまったが、さて、私達のOB演奏会のことである。
 小樽商科大学グリークラブOBは札幌と東京でそれぞれ定期的にOB懇親会の集まりを行ってきた。昭和年代卒業というご長老達を筆頭に、口も身体も達者な面々が集い、ひとしきり、近況報告、昔話に花が咲いた後、きまって、最近のクラブの不甲斐なさに話が及ぶ。最後は愛唱歌の数曲をビール片手に唄ってお開きになるのだが、やはり何か物足りない思いを感じていた。

 そんなおり、札幌OB会の中でOB演奏会の話が持ち上がり、大方の賛同を得て、具体化して行った。演奏会として舞台をつくる以上、メインには組曲を据えて取り組みたい。そのためには、相当の力を入れた練習も必要になる。メインの組曲に、多田武彦作曲の「吹雪の街を」を選び、練習を開始したのは今からちょうど1年前だった。

 この「吹雪の街を」は小樽高商(小樽商大の前身)卒業の二大文士のひとり、伊藤整の詩集「雪明りの路」から6篇の詩を選び、多田武彦が組曲としたものである。(ちなみに、もう一人の文士は最近、突然のごとくブームになっている「蟹工船」の作者、小林多喜二である)

 多田武彦はすでに「雪明りの路」から同名の組曲を関西学院大グリークラブに提供していたが、昭和54年、小樽商大グリーの依頼を受け、新たに、「吹雪の街を」を書き下ろした。残念なことに私をはじめ多くのOBはこの曲を現役のときに演奏する機会はなかったが、後輩の演奏するテープを初めて聴いたときは、小樽の地への郷愁と、自らの青春時代への懐古もあいまって、整の書き上げた情景がまさに眼前にせまるようであった。

 第1曲「忍路(おしょろ)」の冒頭からいきなり、枯れた林を抜けて山道を直滑降で滑り降り、雪をけたててjumping stopした整達の眼下に吹雪の忍路の村が展開するという様子が一挙に語られる。そしてこの曲の終盤になって、そこに整のあこがれている女性が住んでいることが明かされる。

 この女性を整は「頬のあわい まなざしの()い人」と表現した。世の多くの男達が青春時代に心をときめかす女性のタイプではないだろうか。ここで、歌っている我々の感情もぐっと盛り上がる。

 第2曲「また月夜」、第3曲「夏になれば」とこの女性を慕う整の心情が綴られてゆくが、第4曲「秋の恋人」では「木の葉はおしなべて散ってしまった」と始まるとおり、別れの予感をほのめかし、第5曲「夜の霰(あられ)」を経て、終曲「吹雪の街を」では別れた恋人を忘れがたく吹雪の中をさ迷い歩くさまが綴られている。特にこの曲でテノールがせつせつと「女心のあやしさ いつかは妻となり母となるべき身だのに・・」と歌う場面では、演奏している我々の多くが自らの体験を思い返し、吹雪の中をさ迷い歩く自分をイメージさせている。そして「十九の年に見た乙女のまなざしを 私はこうしていつまでも忘れずにいるのに」と、青春の哀感を残しながら、小止みになってきた吹雪の中で曲は静かに終わる。

 このようにざっと理解してしまえば、そう問題はないのだが、なんと、この6曲の中には2人(3人という説もあるが)の女性が登場しているのだという。
 そういわれれば、たしかに「秋の恋人」に歌われる女性は「瓜ざね顔の まつげの黒い・・」と表現されていて、冒頭で我々が抱いた女性のイメージとは少し違ってくる。何とも整も罪作りなひとだ。もちろん、後年、この6曲がひとつの組曲になるなどとは知るはずもなかったのだろうが、整の発展家のせいで歌いにくいことこのうえない。
 この曲は
A子で、この曲はB子か、いやもしかしてC子か、などと考えていたら収拾がつかなくなる。やはりここは、ひとりの女性との出会いから別れまでの一年を、小樽の自然の中で歌ったものと理解して感情移入を行おう。指揮者には申し訳ないが、私は勝手にこのように考え、この曲に取り組んだ。

 数多くの大学合唱団がこの曲を歌い継いで来た。しかし私達ほど、雪を踏みしめ、吹雪の中を前屈みになって歩いている、この状況を身をもって体験している合唱団はないはずだ。このアドバンテージを是非、曲の中に生かそう。総合練習の中で指揮者は熱っぽく語り、私達、札幌組50名、東京組30名全員はそれを熱く受け止めた。

 当日のステージ構成は、第1ステージに愛唱歌集として、我々の日頃歌い慣れた曲を配し、第2ステージは、堀口大学の訳詩集を組曲にした「月下の一群」、(これは、東京組は練習時間がとれず、参加をあきらめた)、第3ステージは「北海道讃歌」として、北海道にちなんだ誰もが知っている曲を集めた。そして、最後の第4ステージに「吹雪の街を」を据えた。
 会場となる札幌共済ホールは席数650だが、およそ1000枚のチケットを完売し、当日券もなくなるほどの反響だった。開場時間には長蛇の列ができ、事務局をあわてさせたが、何とか席数ぎりぎりの観客でおさまり、まずは一安心、後は心置きなく演奏するだけとなった。

 小樽商大逍遥歌で幕を開けたが、早くも感極まって声を詰まらせる者もいる。しかし、1曲目のFreie Kunstで威勢の良い大合唱の魅力を存分に発揮でき、観客から大きな拍手をもらったことで、一挙に固さもとれ、第1ステージ最後の男声合唱の定番「秋のピエロ」まで気持ちよく歌うことができた。
 このピエロ、何度歌っても、「身すぎ世すぎのぜひもなく」とユニゾンでせり上げ、バリトンの「オー」の先導から「おどけたれども・・」でDマイナーのいっぱいに広がる音のシャワーの中にわが身を置くときのゾクゾク感はこたえられない。まさに男声合唱の醍醐味だろう。

 第2ステージも札幌組の練習量に裏打ちされた確かな出来で、曲を納めたあとに「ブラボー」の声も飛んだ。第3ステージは一転して、ピアノ、フルートを交え、軽い曲調で進む。
 特に「知床旅情」、「虹と雪のバラード」では、指揮者は会場に向かいタクトを振り、会場からも涼やかな女声が広がり、混声の大合唱となった。現役のときも、会場との合唱は何度も経験しているが、今日ほど会場の歌声がうれしかったことはない。年とともに涙腺がゆるくなっている面々、頬を濡らしているのは私ばかりではないようだ。指揮者も指揮冥利につきたのか、最後のフェルマータを振るのを忘れ、我々のほうが、主導権をとるハプニングもあった。

 そしていよいよ第4ステージ、壇上に立つ我々には自ずと今までの苦労がよみがえってくる。1曲目の出だしから、「jumping stopした」まで、一挙にたたみかける。皆の思い入れが強すぎたのか、練習ほど、ぴたりとはいかなかったが、1曲目の後半から、第2曲、第3曲と進んでいく中で力みもとれ、お互いのパートを聞き合う余裕も生まれてくる。終曲では、「歩いてきたよ吹雪の中を」を繰り返すたび、残り少なくなっていく演奏時間に寂しささえ覚えていた。

 ピアニシモの中で歌声が消え入るように終わった後、私達は万雷の拍手を受けながら、大きな達成感を胸に立ち尽くしていた。平均年齢57歳の合唱団。失礼ながらこれほど本格的な合唱に取り組んでいたとは思わなかった、という声も多かった。また過去の商大グリーを知っている人たち、何人もから、涙がとまらなかったという賞賛の言葉もいただいた。わずか2名の現役グリーメンも、この合唱団に参加して、あらためて男声合唱の魅力を享受できたことだろう。これが少しでも故郷の男声合唱の復興につながれば、私達の果たした役割も少なくないはずだ。
                                      

20081031日)




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「吹雪の街を」を歌い終えて
長 屋 競 一