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著作権と現実

 
 

加 藤 良 一

2005年3月23






基本的財産権としての著作権

 分の財産を他人に勝手に使われて黙っている人はいない。自分の財産を守る権利は、憲法第29条で保障されている基本的人権のひとつである。われわれ音楽に携わる者にとって何かにつけ話題になる「著作権」は、「著作者」の基本的財産権であり、何人たりとも犯してはならないことは誰もがじゅうぶん承知している。承知してはいるが、いざ現実の場面でどこまで徹底できるかとなるといささか心もとない気がする。今回は、忌憚のない意見を述べて、ともにこの問題を考えてみたい。

 「著作権」のうちとくに音楽に関連したものを「音楽著作権」と呼び、一般の人がいろいろな場面で遭遇する機会が多いものである。ところが、この「音楽著作権」、じつはたいへん根の深い問題を抱えている。「著作権」は、124条からなる「著作権法」という法律で規定されている。まずは、何が対象となるのか、定義から範囲を確認する必要がある。定義はつぎのようである。

 (定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。

一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

二 著作者 著作物を創作する者をいう。


三 実演 著作物を、演劇的に演じ、舞い、演奏し、歌い、口演し、朗詠し、又はその他の方法により演ずること(これらに類する行為で、著作物を演じないが芸能的な性質を有するものを含む。)をいう。


四 実演家 俳優、舞踊家、演奏家、歌手その他実演を行なう者及び実演を指揮し、又は演出する者をいう。

(以下省略)
 
 「著作物」として、小説、脚本、論文、講演その他、音楽、絵画、版画その他の美術、建築、地図または学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形、映画、写真、プログラムが具体例として示されている。


 それはそうと、いきなりここに「著作権法」の条文そのものを引用してしまったが、これは「著作権」に触れないのかとご心配になる向きもあるかもしれない。ところが、それについては、第
13条(権利の目的とならない著作物)で、憲法その他の法令、各種の公共機関や独立行政法人などの告示、訓令、通達、裁判所の判決などは「著作権」の対象としないとされている。だから安心して使い放題なのである。

 知的財産は、その国の文化レベルの高さを計る指標ともなりうるもので、知的財産が正しく評価され、適切に保護されないとしたら果たしてどうなるか。仮にそうなったとしたら、知的財産の新たなる創造が阻まれ、豊かな文化を謳歌できない社会になるであろうことは、いまさらいうまでもない。


 「著作権」が他の権利と比較して際立って異なる点は、その権利を得るために何ら特別な登録手続きを必要としないということである。つまり、「著作物」はそれが創作された時点で「自動的」に権利が付与されるからだ。音楽でも絵画や彫刻でも作ったとたん、その作者に「著作権」が備わる。この点が、特許や登録商標のように、出願して認められないと権利が獲得できないものと決定的にちがうところである。
 さらに「著作権」の保護期間は、「著作者」の存命中および死後
50年間となっており、特許権などとは比較にならないほど長い。ただし、会社名義で公表された「著作物」については、公表から50年間である。


本人だけがもつ著作者人格権

 「著作物」を作った本人には、「著作権」のほかに「著作者人格権」というものがある。「著作者人格権」とは、自分の「著作物」を他人が無断で公表したり、内容を変えて使ったりするのを防ぐための著作者固有の権利で、他人に譲ることのできない権利である。著作権法では、公表する時期や方法を決定する権利(公表権)、氏名表示の可否と、表示する名義などの決定権(氏名表示権)、著作者の意に反して改変されない権利(同一性保持権)という形で保護をしている。
 「著作権」には、つぎに示すような多くの権利(支分権という)がある。


     《 著 利 》
 著作者人格権
複製権:印刷、写真、複写、録音、録画などの方法で複製物を作る権利
       
CDの制作、楽譜の出版など
上演権・演奏権:コンサート・飲食店等での演奏、カラオケなど
上映権:映画・ビデオ上映など
公衆送信権等:放送権、有線送信権、放送やインターネットなど
口述権:朗読など(?)
展示権:展覧会、展示会など
頒布権:ビデオレンタルなど
譲渡権:著作物の譲渡
貸与権:映画以外の著作物を公衆へ貸与する権利。CDレンタルなど
翻訳権、翻案権等:翻訳、編曲、変形、脚色、映画化など

二次的著作物の利用に関する権利

 公表権

 氏名表示権

 同一性保持権

 「著作権」と「著作者人格権」は、いわば基本的人権のようなもので、権利の享有(生まれながらもっていること)にはいかなる方式の履行をも必要とせず、「著作物」を創作したこと自体で自然に発生する。ただし、いくら自然に発生するといっても、その「著作物」を誰にも教えず、見せもしないで押入れの奥に仕舞いこんでしまったとしたら、その「著作物」は他人が知ることができず、かつ使うこともできないから、この世に存在しないのと同じことである。したがって、「著作権」の対象となるのは、あくまで公表されたものである。

 「著作者人格権」が問題になるケースとしては「替え歌」がその典型例だが、「著作者」に無断で替え歌にすることは、「同一性保持権」を侵害することになる。先ほど述べたように「著作者人格権」は、著作者だけが持っている特有の権利なので、社団法人日本音楽著作権協会JASRAC(ジャスラック)といえどもこの問題には関与できない。JASRACは、「著作者」から委託を受けて「著作権」を管理する団体である。

 ちょっと前のことになるが、佐藤眞先生が作曲した合唱曲『
大地讃頌』をジャズバンドが勝手に編曲してCDを売り出したことがあった。最後は、佐藤眞先生の猛抗議にあってレコード会社はCDの出荷を停止するという結末となったが、専門家であるべきレコード会社にしてからがこんな調子である。

(翻訳権、翻案権等)
27条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。


 訳詞や編曲の権利(翻訳権、翻案権等)は、第27条の規定からもわかるように「著作者」に属するから、「著作者」の同意を得なければ利用できない。ついでに言えば、JASRACは訳詞や編曲の許諾をできるわけではなく、あくまで「著作者」がOKしたものの利用手続きを受けつけ、著作権料の徴収を代行するだけである。
 


私的使用なら許されるコピーの問題

小説などの本ではあまりお目にかからないが、楽譜にはよく「複写・複製・転載等厳禁」などと書かれている。これはいったい何を意味するのか。「複写厳禁」などといわれると、コピー行為そのものが禁止されているように読めるが、「私的使用」の場合はOKなのだからそうでもない。ではどこまでが「私的使用」範囲なのか、素人には即座には判断できない点も多い。そこで、善良なるふつうの人は、たった12曲のために楽譜1冊まるまる買うのも何だし、大体どこで買ったらいいかわからないし、今すぐにないと困るし、ちょっとだけならコピーしてもいいじゃないかと思うのが、これまたよく見られる常識!である。

楽譜やCDのコピーにかぎらず、インターネット上での楽曲や絵画、写真の違法使用など、どうも怪しいと感じる事例は枚挙に暇がない。仮に「私的使用」の範囲を超したとしても、交通違反と同じで見つからなければ咎められることもない。

(私的使用のための複製)
第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

一 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合

二 技術的保護手段の回避(技術的保護手段に用いられている信号の除去又は改変(記録又は送信の方式の変換に伴う技術的な制約による除去又は改変を除く。)を行うことにより、当該技術的保護手段によつて防止される行為を可能とし、又は当該技術的保護手段によつて抑止される行為の結果に障害を生じないようにすることをいう。第百二十条の二第一号及び第二号において同じ。)により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製をその事実を知りながら行う場合
(以下省略)

ここで、もっとも重要でありながらよくわからない「私的使用」について、JASRACのホームページのFAQ(よくある質問)欄に書かれたもので公式見解を確認してみよう。

 「
合唱団の練習用に楽譜をコピーして使いたいのですが?」という質問に対する答えは、

 「無断でコピーすることはできません。必ず購入するようにしてください。ただし、絶版などで手に入らないときには、楽譜の出版元の了承があればコピーが可能な場合もあります。その曲がJASRACの管理作品であれば、あわせてJASRACへの出版の手続きが必要です。」である。

 JASRACは、合唱団の規模などには何も触れず単に「私的使用」には当たらないからダメだとしている。また、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」を明確にできないとみえて、巧妙にも何が「私的使用」範囲かという設問は用意していない。さらに、首を傾げたくなるのが、最後の文句「出版の手続きが必要」とは何なのかである。合唱団の内輪で使おうとしているのに、誰が好んで出版などするだろうか。
 この回答は、どう見てもまともに論理が通っていないが、とりあえずほっておくとして、ようは利用者の人数が多くなるとそれだけ「著作者」の経済的利益を圧迫するから、どうやって守ろうかというのが、法の基本理念であると受け止めよう。

 そもそも「家庭」とは何か。そこは夫婦や親子だけがいるところとは限らない。他人であっても長年一緒に暮らしていれば、家族同然というくらいだから、ここは他人も含まれてしかるべきであろう。
 そこで焦点は、合唱団が「家庭内その他これに準ずる限られた範囲」に入るかどうかである。埼玉第九合唱団のように180人も擁するような規模を家庭に準ずるとは誰も思いはしないが、大きな家族に匹敵するくらいの人数の小さな合唱団をどう見るか。ジャクソン・ファイブのように家族でやっている合唱団はどうなるのか。実際には多くのケースが「私的使用」の範囲と思っているのではないだろうか。

 法の精神はわかるが、不備が多いこともまた否めない。そのよい例が、現実とのギャップがありすぎるために規制を緩和せざるをえなかったのではないかと思われるコピー機の問題である。
 第三十条で規定している「自動複製機器」とは、ふつうの人にとっては、いわゆるコンビニなどのコピー機のことであるが、同じコピーという行為であっても、自宅のコピー機ならよいが他のコピー機では違法行為だとは、これまた不思議な論理である。そんなわけのわからんことが通るか、と言われたかどうか、著作権の「附則」では、つぎのように暫定的に制限を緩めている。


 (自動複製機器についての経過措置)
第五条の二 新法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二号の規定の適用については、当分の間、これらの規定に規定する自動複製機器には、専ら文書又は図画の複製に供するものを含まないものとする。


 ここでは、文書と図画だけのコピーを認めているのであって、たとえば楽曲をコピーできる機器が登場しても、それは許可しないといっているのである。

 つぎの例は、定年退職記念で出すCDの質問である。
 「定年退職の記念に趣味の歌を吹き込んだCDを製作し、お世話になった方々に差し上げたいと考えています。JASRACへの手続きが必要ですか?」という問いに対して、
 「音楽などの著作物は、個人や家庭内など、ごく限られた範囲での使用を目的とする場合以外は、JASRACなど権利者の許諾がなければ複製(録音やコピー)することはできません。従ってこの場合はJASRACへの手続きが必要です。」と答えている。
 ここでの前提は、おそらく「お世話になった方々」が数十人に達するとみているのであろう。このようなCDは商売じゃないから、とうぜん無料で配るだろうし、それが出回ることで果たして「著作権」をどのていど侵害すると考えているのだろうか。JASRACは、蟻の一穴とばかり、なんでもかんでも規制してかかるつもりのようだ。



ホームページにおける楽曲の利用

 近ごろは、複数の支分権に絡むケースが多くなっている。たとえば、インターネットで音楽を配信しようとすると、サーバーへのアップロードについて「複製権」が発生し、さらにユーザーからのリクエストに応じて送信するとき、アップロードと送信行為について「公衆送信権」が生じるというわけである。

 音楽は、作曲家が作った楽曲を演奏家が演奏し、それをCD制作会社が録音してCD化し、そのCDを再利用して放送するなど「著作物」を取り巻くいろいろな場面があり、当然のこととして、それぞれに応じて権利が発生してくる。

 われわれのようなアマチュアの合唱人を法律では「実演家」という。「実演家」が、コンサートを開こうとすれば、自分で作曲した曲の演奏でないかぎり、誰かの「著作権」に抵触する。実演家が開いたコンサート自体には、「録音権及び録画権」、「放送権及び有線放送権」、「送信可能化権」、さらには放送のための諸権利、録音/録画物の「譲渡権」、「貸与権等」があることは当然のことである。したがって、著作権使用料を
JASRACに支払って適法に実施したコンサートのCDは、大手を振って販売することができることになる。

 問題は、市販のCDなどの楽曲をコピーしたり、ホームページなどにアップッロードすることである。通常CDの制作には、作詞家・作曲家の権利(著作権)以外にも、レコード会社や実演家の権利(著作隣接権)も含まれているので、その使用にあたっては、「著作権者」──その楽曲がJASRAC管理作品であればJASRACの許諾とともに、レコード会社や実演家などの「著作隣接権者」の許諾も得なければならない。

 市販のCDを勝手に使うのは違法であることくらいは容易に想像がつくと思うが、すこしわかりにくいケースとして、音楽用コンピュータソフトを使い、他人の曲を自ら入力して曲を作った場合どうなるかということだろうか。この場合、いくら自分で入力したとはいっても、もとを質せば他人の作品である。

 たとえば、MIDI “Musical Instruments Digital Interface”で作った音楽ファイルは、実際に鳴っている音を録音して作るMP3などとは原理的に異なっている。MIDIファイルは、シンセサイザーとパソコンを連結して指示を出したり、電子音源を制御したりするような規格のことで、音楽ファイルとはいいながら、実際にはデジタルデータであり音楽の演奏というよりはむしろ楽譜のイメージに近いのではないか。容量の大きなデータをダウンロードせずに容易に転送できるので、ホームページなどで利用するのに適している。こうしてみると、「著作権」のある楽曲のMIDIファイルを作って公開するには、著作権使用料を払う必要があるということになるのだろうか。

 JASRACは、JASRACの管理下にない曲ならば、ホームページからユーザーにダウンロードさせても、ストリーム形式と呼ばれるダウンロードできない方式で流してもよいと言っている。ホームページでJASRAC管理作品を使用するには、閲覧者(聴く人)がダウンロードできる方式なら10曲当たり年間1万円、ストリーム形式では曲数に関係なく年間1万円である。

 JASRACは、200171日から、個人のホームページなどでの非商用利用の申し込みを受け付け始めた。このシステムでは、個々のURLごとに専用のキーナンバーを割り当て、そのナンバーを配信するホームページに掲載し、適法な音楽配信サイトであることを明示しなければならないとされている。

 公衆送信は、一般ユーザーに向けて一斉に送信する場合と、リクエストを受けて自動的に送信する場合に分けられる。一斉送信のうち、無線によるものを放送、有線によるものを有線放送と呼び、自動送信を自動公衆送信(有線・無線に拘わらず)と呼んでいる。インターネットでホームページを閲覧させる行為は、自動公衆送信に当たり、他人の「著作物」をアップロードして公衆に閲覧可能とする行為も、「著作者」の「公衆送信権」を侵害することとなる。

 なお、実演家・レコード製作者には、自動公衆送信に関して「公衆送信権」は認められていないが、「送信可能化権」が認められている(著作権法第92条の2)。
 「送信可能化権」とは、「著作物」を自動公衆送信可能な状態にできる権利である。「公衆送信権」と「送信可能化権」とは、つぎの点で異なっている。「公衆送信権」は、実際の自動公衆送信行為自体をコントロールできるとともに、自動公衆送信可能な状態とすることもコントロールできる。

 いっぽう「送信可能化権」は、自動公衆送信行為自体はコントロールできず、一度送信可能化することを許諾すると、その後の送信行為については口出しできない。したがって、送信の頻度に応じて使用料を要求するのであれば、送信可能化を許諾する段階でこの点を明確にしておく必要があるらしい。



 悪法も法とは思いたくない。実際の運用がうまくゆかず、世の中に受入れられないとしたら、どこかに不備や無理があるはずだ。法がありながら無視されることが、もっともモラルに影響するのではないだろうか。このような状況は、国民の精神衛生上たいへんよろしくない。


 「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」などと漠然とした表現でなく、いっそのこと「家庭内」とか「合唱団内」とかにかかわらず「人まで」と決めてくれたほうが、よほどすっきりする。法律の起草段階では、〇人くらいと規模を予定していたにちがいないから、狙いから大きく外れることもないと思う。




 


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