よく歌われる男声合唱曲に 「婆やのお家」 というしっとりした曲がある。これは、林 柳波の詩に本居長世が作曲した男声四部合唱である。3巻からなるグリークラブ アルバムの第1集に収載されているから、おのずと日本中の男声合唱愛好家に歌われている。
「婆やのお家」 を作曲した本居長世は、明治18年(1885)4月4日生まれ、終戦直後の昭和20年(1945)10月14日に肺炎で没している。本居長世
は、野口雨情、西條八十、北原白秋などとコンビを組んで「十五夜お月さん」、「赤い靴」、「七つの子」、「青い眼の人形」など多くの童謡作品を残している。日本に童謡というジャンルを初めて創り出したといわれる人でもある。とくに野口雨情の詩を手が けさせたら右に出るものはないとまでいわれた。「婆やのお家」と「十五夜お月さん」が同じ作曲家の手になるものとは、寡聞にして知らなかった。
その本居長世と今年5月に亡くなられた国語学者の金田一春彦 (※“ことば”欄、2004年5月19日付
「日本語の大家逝く」 参照) とが、意外なところでつながっていた。金田一春彦は、大正2(1913)年、東京都文京区に生まれ、昭和12年(1937)東京帝国大国文学科を卒業、国語学者として国語辞典の編纂を中心に、唱歌や童謡の世界にも深くかかわり、野口雨情や本居長世の研究など多くの業績を残したという。さらに、平家琵琶を自ら奏することでも名高い。
金田一春彦著作集の第十巻は、童謡・唱歌編である。ご自身の音楽とのかかわりについてくわしく触れ、また、音楽の師でもあった本居長世の紹介に紙数の大半を費やしている。金田一春彦は、合唱をはじめ音楽のいろはを学ぶために、足
しげく本居長世の自宅を訪問していた。その家は、東京の目黒不動尊の西隣りにあった。鰻の寝床と揶揄されるような奥に向って部屋が連なってゆく、かなり凝った造りだったそうである。長世は、その住まいをたいへん気に入っていたという。住所は目黒区下目黒四丁目というから、私が生まれ育った二丁目とは目と鼻の先である。目黒不動尊は、そのあいだの三丁目にある。「十五夜お月さん」
はこの家で作曲された。
金田一春彦著作集第十巻に本居長世の生い立ちが次のように紹介されている。
長世は、本居宣長の六代目の孫にあたる。宣長といえば、明治時代以前の国文学、国語学、国史学の分野における大学者である。本居家は代々この分野を受け継いでおり、長世の祖父豊穎も著名な国学者であった。
長世は、東京下谷区御徒町、いまの台東区御徒町に生まれた。父は、旧姓雨宮干信といい、国文学、国史学の学者で、豊穎の一人娘並子と結婚、本居家に入り五代目を継いだ。干信はたいへん優秀な人物で、十二か十三のときに小学校の先生に赴任したという、と
てつもない経歴の持ち主である。しかし、結婚間もなく、のちの長世の人生に大きな影響を与える出来事がおきてしまった。並子は長世が満一歳のときに死んでしまったのである。チフスではないかと言われているそうだ。
豊穎は亡き娘を思ってかどうか、干信に後妻を娶ることもさせず、ひたすら愛娘の形見として長世を可愛がった。干信のことにはほとんど意を用いなかった。やはり、大学者といえどもひとりの人間なのである。けっきょく、そんな
居場所のない状態にいたたまれず、干信は幼少の長世を置いて本居家を出ざるをえなかった。そして、幼い長世と祖父豊穎との二人きりの寂しい生活がはじまった。
このような家系であるから、当然のごとく豊穎は長世が自分と同じ学問の跡を継ぐことを強く望んだが、長世はこれを断り、音楽の道へ進むことを決心した。明治41年(1908)、東京音楽学校(現東京藝術大学)を全学部筆頭の成績で卒業した。同期生には山田耕筰がいた。その後、 大正9年(1920)に新日本音楽大演奏会で発表した「十五夜お月さん」が大きな反響を呼び、人気童謡作家として知られるようになった。さらに長世は、二人の娘を歌手として育てあげ、積極的に全国を巡演し、童謡を広めたことでも知られており、オペラ、合唱曲をふくめ約
780 曲の作品を残した。
長世の作品の特色は、洋楽なら短音階、邦楽なら陰旋音階の曲が多いといわれている。そうではあるが、注意すべきは、中山晋平などがよく用いた、<ラシドミファラ>や<ミファラシドミ>という、いわゆるヨナ抜き音階ではないということである。
ヨナ抜き音階とは、西洋音階の<ドレミファソラシド>のうち、四番目の音ファと七番目の音シを抜いた音階のこと。明治初期は音階を番号で<ヒフミヨ…>と呼んでいたところから、四(ヨ)七(ナ)を抜くとなった。ピアノの鍵盤の黒鍵だけを順に弾いていくとヨナ抜き音階になる。日本の民謡にかぎらず、スコットランドやアメリカ民謡など、世界中でこの音階が使われている。
長世の音階には、<ラシドレミファラ>や<ミファラシドレミ>といったようにレが含まれている。<ラシドレミファラ>は本居式音階と呼ばれることもあったそうだ。
「十五夜お月さん」 も 「婆やのお家」 も、どこかもの悲しさ、寂しさを感じさせる曲である。幼いころから父母の愛情を知らずに
、厳格な祖父の手だけで育てられた、いわば愛情に飢えた原体験のようなものが消えずに、そこここに顔を出している。そんなつらい体験を糧にして音楽の道にいそしんだからこそ、長世は深い愛情に満ちた作品をつぎつぎと生み出したにちがいない。
長世には可愛そうだが、音楽を聴くひとの心に迫るには、やはりそれ相当のものがなければならないというよい見本であろうか。