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魚 水 ゆ り  ヴァイオリン・リサイタル





加 藤 良 一

2004年6月23日


 


 ゆりちゃんが「バンヨリンをならいたい」 と母愛子さんにせがんだのは、3歳のころでした。知人に相談したところ、ヴァイオリンを始めるにはすこし早すぎるといわれたため、4歳になるのを待って始めさせたと、ピアニストである愛子さんは語っていました。

 子どもは何にでも興味を示すものです。おもしろ半分、遊び感覚でやりはじめたことでしょう。興味がわきさえすれば、なんどでも繰り返すのが子どものつねです。 子どもにとって、生活はすべてが遊びなのです。
 しかしいっぽうで、子どもはまた飽きっぽいものでもあります。それに反してヴァイオリンは日々の基礎練習が欠かせません。せっかくはじめたものですから、無駄にさせたくないのが親心です。私は返ってくる答をあるていど予期しながら 「ゆりちゃんは練習を嫌がったりすることはありませんでしたか」 と、母愛子さんに聞いてみたところ、
 「そりゃあ、ありますよ」
 やはりそうだったのです。
 おだてたりすかしたり、たまに休ませたりしながら根気よく続けていましたが、むずかしいのは小学校高学年を迎えた頃でした。どうしてヴァイオリンなどというむずかしい楽器をやることにしてしまったのか、いちばん悩んだのはほかならぬ本人でしたが、そんな試練の時期を親子で乗り越え、いまではその道へ進む覚悟を決め 本腰を入れて取り組んでいます。

 2004年6月、さいたま市のバッハアカデミーザールという個人が運営している小さなサロンでコンサートがありました。
 演奏者は、東京藝術大学でヴァイオリンを勉強している
魚水ゆりさんです。
 プログラムは、ヴァイオリン・ソナタ3曲をメインに構成されていました。前半は、魚谷絵奈さんのピアノ伴奏によるドビュッシーの『ソナタ・ト短調』、ブラームスの『ソナタ第2番』、休憩のあと、イザーイの『無伴奏ソナタ第3番』をソロで演奏、続いてピアノ伴奏でマスネの『タイスの瞑想曲』、最後にサラ・サーテ の『カルメン幻想曲』というプログラムでした。

 ダヴィッド・オイストラフヘンリーク・シェリングが目標というだけあって、
魚水ゆりさんの演奏は狙いが定まっているといっていいでしょう。
 オイストラフは、豊かな音色と安定した技巧をもち、派手さはないが堅実で格調高い(柴辻純子氏)、かたやシェリングは、泉のように溢れたり情熱の赴くままに演奏するタイプではなく、音楽への深い愛情を感じさせながらも、佇まいはあくまで高潔である(加藤浩子氏)と評されています。
 このような
魚水ゆりさんの目指す方向性にたがわず、ドビュッシー、ブラームス、イザーイでは、かっちりしたどちらかというと端正な音楽を聴かせてくれました。いっぽうで、カルメン幻想曲はあらゆるテクニックを駆使した超絶技巧が要求されるアクロバティックで華やかな曲ですが、それをみごとに弾きこなしました。

 コケティッシュな表情があるかと思えば、あたかも男を惑わすかのような妖艶な面をものぞかせました。ただ、私としては、カルメンの激しい熱情がもうすこし伝わってくると申し分なかったと感じました。でも、そう感じたのは私だけではなかったように思いますが、それはいったいどうしてだったのでしょうか。

 そんな観点から思い起こせば、
魚水ゆりさんは外見的にはそうは見えないものの、うちに秘めたパッションはそれ相当のものがあったといえるのでしょうか。たぶん、母愛子さんがいう、「慎重で根がまじめ」 な分だけ 「遊び」 がすくないというあたりが、やや不満を抱かせた原因かもしれません。奇をてらう必要もないし、ましてや聴衆に(おもね)ることもありません。「遊び」 は、いずれ人生経験を積むことでおのずとそなわってくるのではないでしょうか。そのときの楽しみとしてとっておきましょう。

 魚水ゆりさんは、いまこのうえなく濃密なときを過ごしていると思います。まだこれといった形も見えませんが、宇宙がビッグバンによってスタートしたように、まさに大爆発直後の強烈に膨張し続ける世界のなかに浮遊しています。混沌としてはいますが、確実に外へ向って拡がり続ける世界のはじまりなのです。

 


ホールのこと:
 バッハアカデミーザールは、もともと音楽ホールとして作られたものではないようで、内装には木が用いられていました。おそらくそのままではあまり響かないデッドな空間にちがいありません。そこで、残響を最大3倍程度まで引き延ばす、最新の装置が設置されていました。この技術はヤマハが開発した 「音場支援システム」 で、最近あちこちのホールの改造などに採用されているものです。
 おおざっぱにいえば、マイクで拾った音を再生し、その音をまた拾ってフィードバックすることで、残響を人工的に形成させる装置なのです。ここだけみれば電気的に作っている音ですが、実際のホールではまったく違和感を感ぜず、自然で豊かな響きとして受けとることができました。合唱のコンサートにおいても採用すると面白いのではないかと思います。

 

 

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