真夏のニューオーリンズはとにかく蒸し暑かった。
気候は亜熱帯に近いが、メキシコ湾から吹き込む風のために、そのわりには過ごしやすいほうだという。そういわれてみると、たしかに陽が落ちはじめた夕方からは、外を歩いていてもけっこうしのげるくらい涼しくなった。
ぼくが泊まったホテルは、ミシシッピ川までのんびり歩いても数分でたどり着いてしまうほどの至近距離にあった。ニューオーリンズの代名詞ともなっているバーボン・ストリートは、そのホテルから一本北側の道路だ。ワンブロック、せいぜい十数メートルしか離れていない。
アメリカは、料理については不毛の国だといわれている。でもニューオーリンズだけは例外らしい。だからといってけして高級料理があるわけでもない。さっそく、名物のケイジャン料理を検証してみた。ここではミシシッピ川で捕れる豊富な魚介類を使って、あんがい素朴な料理を作っている。味ツケは、基本的に日本人の味覚に合っているように感じた。
たとえばザリガニは、クローフィッシュと呼ばれてポピュラーで、なまずはキャットフィッシュと呼ばれていてなるほどとうなづいてしまう。これはまさか魚介類じゃなかろうと思うのがワニであった。ワニは言わずと知れた爬虫類だが、日本でもその昔、サメのことをワニと呼んでいたこともあるくらいだから、まあ食い物として魚介類の仲間でもいいとしよう。もっとも現地ではべつにワニを魚介類といっているわけじゃないことは、当たり前であるが。
バーボン・ストリートにある「マイクの店」という人気のレストランで食べた海老料理――これはザリガニじゃなくて正真正銘大きな海老だったが、見た目ほど油っこくなく適度にスパイスが利いて、きりっと冷やしたこの地方のビールにぴったり合っていた。
ニューオーリンズとくれば、カーペンターズのヒット曲「ジャンバラヤ」をぼくは思いださずにはおれない。この歌に出てくるジャンバラヤもガンボもここ南部の料理の名前である。
バーボン・ストリートには、夕方になるといろいろなストリート・パフォーマーが出てきて飽きることがない。子供から大人まで、腕やのどに自信がある奴らがみんな小遣いかせぎをしている。タップダンスを披露する子供、楽器の演奏、歌、その他なんでもありなのだ。
マイクの店で食事をすませて出ようとしていたところへ、外の道路からよく響く男性の歌声が聞こえてきた。迫力のある艶やかな伸びのあるバスだ。ぼくの耳と足は思わずそちらに引きつけられてしまった。背の高い黒人が、仕事帰りなのだろうか、薄汚れた服のまま路上に立ち、ちょうど一人でリサイタルをはじめたところだった。あとから思い出すとあの薄汚れた服はひょっとすると衣装だったのかなと思ったりするが、そのときはそんなことは考えつきもしなかった。
黒人のバス歌手がオープニングに歌いだしたのは「アメイジング・グレイス」だった。マイクの店で支払いをしているときに響いてきたのが、この曲の出だし“Amazing grace …”だったのだ。張りのある黒人独特の魅力的な声。通りがかりの人がしだいに集まってきた。聞きほれたのはぼくらだけじゃなかった。
遠巻きにする聴衆のなかに白人の家族連れがいた。じっとしていられないといった様子で若いお母さんがバス歌手に近づいてゆき、アンコールされた「アメイジング・グレイス」を一緒になって歌いだした。黒人の深いたっぷりしたバスと、白人女性の透きとおるようなソプラノがみごとなハーモニーを紡ぎだした。
すごいことだ。こんなことが街なかのそれもふつうの路上で何気なく実現してしまう。
黒人と白人のデュエットは、気取りも飾りもせず、ゆったり流れるミシシッピの流れのごとく夕暮れどきのバーボン・ストリートの景色に自然に溶け込んでいた。ぼくは、しばしわれを忘れて、夕暮れのひとときに浸っていた。
音楽が街のなか隅々まで流れていた。それこそ、そのへんのドブにだって流れている。こんなことを感じたのははじめてある。日本の町で音楽をここまで身近に感じたことはない。月並みな表現になってしまうが、まるで映画の一シーンを観ているようで、思わずいっしょになって口ずさんでしまった。
何かリクエストはあるか、とそのバス歌手が聞いてきた。ぼくはすかさず「ディープ・リヴァー Deep river」(深い河)をリクエストした。ところが、あろうことかバス歌手はその曲を知らないというではないか。ぼくとしては、この曲はニグロ・スピリチュアルの定番だと心得ていたのに、本場アメリカではすでに忘れ去られてしまったとでもいうのだろうか。そんなはずはなかろう。それともぼくの発音が悪くて通じなかったのだろうか。
River が Liver
(肝臓のこと、日本語ではレバーというが)のように聞こえたのか。それにしたって、たかが R と L
のちがいじゃないか。百歩ゆずって「Deep
liver」と聞えたところで、そのくらい東洋人相手なんだから察してくれたってよさそうなものだ。彼はきっとこの曲を知らない。ぼくにはそうとしか思えなかった。
時代はどんどん流れている。
ぼくのような日本人が勝手に定番だと思い込んでいたって、その国ではもう通用しないことなどあんがいあることかもしれない。数年前にローマのあるレストランで、流しの歌手にカンツォーネをリクエストしたときにも、似たような経験をしたのを思いだした。