K-9

方 言 潮 流


加藤良一




 お国訛り

 石川啄木の歌に「ふるさとの訛り懐かし停車場の人込みの中にそを聞きにゆく」というのがある。また、寺山修司は「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲のかくまで苦し」と嘆いている。

 方言とはいったい何であろうか。われわれの身の回りにいくらでもありながら、いまひとつよくわからない。
 大分県豊後高田市の「方言弁論大会」あるいは、山形県三川町の「全国方言大会」の存在をご存知の方も多かろう。なぜこのような催しが開かれるのか、それは、消えゆく方言をなんとか守りたいという願いが込められているからにちがいないが、ひと昔まえであれば方言は、笑いやいじめの対象にさえなったはずである。しかし、時代とともにことばは変る。ことばは生きているから、成長し進化し変遷し、しまいには土地土地の情緒もアイデンティティも消えて、まったく新しいことばに変ってゆくのであろうか。
 ただ、方言がまったく消え去ってしまうかといえば、けしてそんなことにはならないだろう。帰郷した人たちは、たちまちにして生まれ育った土地のことばに戻ることができる。一朝一夕にできたものではないだけに、方言はそうやすやすと消えはしない。

 男声合唱の定番に「最上川舟歌」という曲がある。この曲は、もとは生粋の山形県民謡でそれを清水脩氏が男声四部合唱としてアレンジしたもの。民謡の歌詞はつぎのように歌っていて、合唱曲のそれとはちがっている。発音をなるべく近いことばにするために、実際に聞いた音で書き表してみた(山形県戸沢村観光協会のホームページで聴くことができる)。
 
ヨ〜イサノマカショ エ〜ンヤコラマ〜カセ〜
エ〜エンヤ エ〜エンヤ エ〜エ エ〜エンヤエ〜ト
ヨ〜イサノマカショ エ〜ンヤコラマ〜カセ〜

酒田さ(いぇ)ぐさげ 達者(まめ)でろちゃ

ヨイト コラサノセ〜

流行(はやり)風邪など引がねよに

エ〜エンヤ エ〜エンヤ
エ〜エ エ〜エンヤエ〜ト ヨ〜イサノマカショ
エ〜ンヤコラマ〜カセ〜

(まっか)大根(だいぐぉ)塩汁煮(しょっつるに)
(しょお)がしょぱくて くらわんねっちゃ

エ〜エンヤ エ〜エ エ〜エンヤエ〜ト
ヨ〜イサノマカショ エ〜ンヤコラマ〜カセ〜
 

「酒田さ行ぐさげ」は、男声合唱曲では「酒田サえぐはげ」となっている。歌詞の意味は、「酒田へ行くから 元気でいてくれ はやり風邪など ひかないように」ということであることは、おおかた察しがつくであろう。
 「さげ」と「はげ」はいずれも接続助詞で、文献によれば前者はやや庄内地方に多く、後者は内陸地方で多く使われているように見受けられるものの、かならずしもくっきりと区分けできるものではない。いずれも「〜だから」という既定の状況を表している。また「酒田さ」の「さ」は、方向を表す格助詞で東日本全般で使われていることばではないか。「どこさ?」、「湯さ」などは会話の一例としてよく引き合いに出される。
 ことばのちがいには、方言とは別に、社会階層、職業、男女、年齢の差などいろいろな状況に応じたちがいがあるが、方言の差によってみられる意思疎通のむづかしさにくらべれば、さほど大きいものではない。職業がちがえば専門用語が通じないのはとうぜんだし、若者ことばが年寄りに通じないこともある。

 しかし、これらの差は、方言のように、音・文法・語彙・意味など言語全般にわたるものではない。つまりここでいうことばが「通じない」という意味合いは、方言のそれとは異なっていることに注意したい。
 方言は学問的には、その地方で使われている「ことばのすべて」となるらしい。言い換えれば、方言とは「地域の言語の総体(体系)」である。
 どの地方でも、その土地特有のことばとともに全国共通のことばも同時に使われている。それにもかかわらず、その地方で話されている全国共通のことばも、言語学ではあくまで方言として扱う。いささか奇妙な感じがしないでもないが、方言は言語の総体ということであればとうぜんのことかもしれない。

 さて、男声合唱曲「最上川舟歌」もできれば山形弁そのままに忠実に歌ったほうが効果的であろうが、山形弁が他の東北弁とどうちがうかよくわからないし、わかったところでうまく発音できないにちがいない。外国語の発音と同じで、微妙なニュアンスまで真似できるかどうか自信はない。


 

 方言の分類と地図

 方言の分類は、諸説あっていまだに定まっていないと聞く。
 日本を大きく沖縄と本土とに二分し、本土をさらに東部・西部に二分する区画法があるが、本土を九州・東部・西部に三分する内地三分法もある。ある区画案によれば、つぎにあげる四つの方言区画に分けている。

T 東部方言
      北海道、東北(新潟県北部を含む)、関東
      東海東山(新潟県・長野・岐阜・山梨・静岡・愛知)、八丈島

U 西部方言
      北陸(富山・石川・福井県北部)、近畿(福井県南部を含む)
      中国(出雲・伯耆以外の中国5県および、兵庫・京都の日本海沿岸)、雲伯、四国

V 九州方言
      肥筑(長崎・佐賀・福岡・熊本)、豊日(大分、宮崎、福岡県行橋以南)
      薩隅(鹿児島および宮崎県都城周辺)

W 琉球方言
      奄美、沖縄、先島

東北弁は、ご覧のように言語学的には東部方言に分類されているが、一口に東北地方といっても青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島とかなりの広さがあり一様ではない。
 阿部八郎氏(山形大学人文学部)によれば、山形弁は、母音のイとウが曖昧で、たとえばサ行の子音で構成される「寿司」はシシとなりやすい。また、語中語尾が濁音化(鼻濁音)される結果、いわゆるズーズー弁といわれる独特のことばとなっている。乳=チジ、土=ツズ、駅=イギ、息=イギ、柿=カギ、垢=アガとなる。そのほかに、無い=ネなどの連母音の融合もある。実際に聞いた感じとしては、ネの前に小さいンが付いているように聞こえる。

 方言にはさらに「方言潮流」といわれる大きな流れがあり、これは西高東低の気圧配置のようになっていて、同一の区画内では、西からは方言を積極的に採り入れるが、東からはほとんど採り入れない傾向があるという。「方言潮流」の典型は、糸魚川地方で確かめられており、そこでは古くは南の信州方面からの潮流があった。また、関東地方では南から北へ向かう潮流があり、埼玉の特殊なアクセントはこの潮流を無視しては説明できないらしい。
 地図のうえに、同じようなことばを使う地方を線で結んで「等語線」を引き、そこに潮流を矢印で書き込めば、ほとんど天気図と同じような感覚で、方言の流れや分布を視覚的に理解することができる。

 本土方言についていえば、文法的特徴が、親不知と浜名湖を結ぶ線で分かれ、日本海側では新潟県最北の山形県境と南の富山県の県境までひろがり、太平洋側は静岡県の東西を分けた真ん中から三重県境まで展開している。意外なのは、北海道方言が新潟県にもっとも近い方言だということで、新潟方言は東北方言と関西方言との双方の特徴を備えているそうである。

 明らかに異なる二つの方言があったとき、その境界線のあたりはそれぞれが合わさったような形になっていたり、また人によって差があったりと、境界をくっきりと区別できるものではない。同じ区画にあるからといって、その地域がすべて同じというわけでもない。
 「人がいる」というときに使われる「いる」は、中部地方を境に東日本がイルに対して西日本ではオルときれいに分かれるし、「明後日の翌日(つまり3日後)」は、東がヤノアサッテで西がシアサッテと明確な対立模様を示している。これを東西分布という。人と会う約束をするときなど、このことはよく頭に入れておいたほうがよさそうだ。さもないとせっかくのデートが台無しになってしまう。

 いっぽう、その昔、文化の中心地であった地域から同一語形が同心円状に広がっている分布のことを周圏分布といい、国語学者の柳田国男が、「カタツムリ(蝸牛)」の方言分布の聞き取り(郵送による?)にもとづいて調査した結果から導いた考え方である。同じことばが飛び離れた地域に分布していることはよくみられる現象だという。

 東西分布がA:Bだとすれば、周圏分布はA:B:Aだが、A:B:A:Bのように交互に現れる分布もある。さらに全国共通の分布もあるわけで、「雨」は、沖縄で「アミ」という以外、ほとんど全国どこへ行っても「アメ」だという。

 ひと昔まえなら、方言は東京のことばにくらべると劣るかのように見られたものだが、いまではそんな風潮もずいぶん影を潜めてきた。ここで「東京のことば」といったが、それは日本の中心のというほどの意味合いであって、むしろ標準語と方言という対比のし方のほうが適切であろう。いうまでもなく「東京弁」はひとつの方言であって、標準語とは基本的にちがうものであるから。

(2003年3月1日)


   
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