詩を耳で読む

加 藤 良 一  2010年9月8日

 <歴程>という詩の本がある。しかし、本というにはいささかページ数が少ないし、何かのパンフレットと間違いかねない。この詩誌については以前、ことば欄の「歴程K-22に紹介したことがある。詳しくはそちらを参照願いたい。

 詩人の朝倉 勇さんがちょっと前の<歴程>に「詩を耳で読む」というエッセーを寄せていた。そこには詩人・草野心平の詩の朗読のことが書かれていた。

 それは、昭和26年ごろのこと。朝倉勇さんは、草野心平が中原中也の詩「サーカス」を朗読するのをNHKのラジオ放送で聞いた。結核療養所でのことだというから、結核を患って闘病生活を送っておられたときの経験なのだろう。

 朝倉さんは、草野心平の朗読を聞いて、「発熱を伴うほどの驚きを感じた」そうだ。「いまも目を閉じると、その時の草野心平の声と調子が聞こえてくる」ともいう。「草野心平の独特の人間感が圧倒的なメッセージで全身を包み」、その日、朝倉さんは初めて本物の「詩」を「浴びた」。「以来、詩は耳できくものという感想はいまも続いている。」

 私も草野心平の録音された声をきいたことがある。それは、福島県いわき市にある<草野心平記念文学館>の常設展示ブースに(しつら)えられていた。スピーカーから聞こえてくる草野心平の声は、低く、しゃがれて──あるいはやや擦れてというか、酒で焼けた喉とでもいえばよいのか、すくなくも声としては悪い部類に入る独特のものだった。自作の詩を朗読していたと記憶している。

 それまで、詩は上手な朗読者が読むほうがよいに決まっていると思い込んでいたが、詩人自らが読むのも面白いものだと、そのとき気が付いた。「詩のボクシング」とはまた意味合いが違うが、詩はただ単にきれいに読めばよいというものではないようだ。

 「詩を耳で読む」こととは直接関係ないが、朝倉勇さんは、ご自身のブログにつぎのような自己紹介文を書かれている。


朝倉 勇の独りごと−120061117日)

 これから「独りごと」の手紙を書こうと思います。つぶやきかもしれません。きょうは最初なので自己紹介を。ちょっと長くなりそうですが、お許しください。

 ぼくはコピーライターです。企業からの依頼で広告表現を考え、その文案を書く。それがコピーライター。注文に応じて書く仕事です。職業として成り立ちます。広告の賞もいろいろいただきました。

 詩も書いてきました。これは自発的な仕事。何冊か、詩集もつくりました。こっちは、お金になりません。職業ではないのです。

 ぼくは近ごろ「ともいき」という言葉を気に入っているのです。「共生」ではなく「ともいき」。「ともいき」ってなんだと思いますか。

 「ともいき」というのは、うちの理事長・勝田祥三(NPO法人 PLANT A TREE PLANT LOVE)が言いだした言葉です。世の中ではだれもが「共生」と口にする言葉。なんだか最近手アカにまみれ、本来の価値観を示せなくなってしまった、とぼくも感じていました。

 そんな時、彼は「ともいき」といい直し、新しい意味を託しました。もう、3年になるでしょうか。

 「ともいき」と聞いたとき、はっとしました。新鮮でした。まったく新しい言葉(価値観)に思えたのです。人が生きていく上で、とくに幸せを考える上でいちばん基本になる価値観・思想に思えたからです。そして、ことばとしても美しい。やわらかく豊かで、なにか胸にしみてくるような日本語。懐かしい感じがしませんか。これは、日本がいちばん自慢できる、ヒューマニティの生き方の指針と言える。と感じ、気に入っているのです。

 理事長の考えでは「ともいき」とは、「人と共に生き、自然と共に生き、地域とともに生きる」ということです。正式には、冒頭に「先祖と共に生き、」がくるのですが。さらにぼくは欲張って、最後に「地球と共に生きる」を付け加えたいな、などと思っています。