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   冬日


   1 (地球温暖化)
    
      私は寒さ、冷たさにとても弱い体質で、それはやせ型のわが身の、皮膚の薄さ、過敏な神経、血の巡りの悪さなどのためだろうかと思う。そのため冬
  
   は特に苦手な季節で嫌なのですが、どうしても年一回冬は巡ってくる。



     それが、近年というか、ここ何十年かの間は平均気温が高めに推移する冬が多くなっている。平年並みのこともあるが平年よりは幾分またはかなり温

   度が高い冬が多い。以前なら、それはそれで暮しやすいこと、わが身にとって幸いと思ってきた。ところが、この日本の暖冬化傾向というのは、いわゆる

   地球温暖化の現れの一環というかそれそのものだとある時から、伝えられ分かってきたのでした。そう承知したら後はもう何も喜べない。冬だけでなく四

   季を通し年中、それも地球全部で平均気温が上昇しているというのはそれはもう異変としか感じられない。



     思うに、自然というものは全ての構成部分が手を取り合い緊密につながり合いながら状態の平衡を保ちつつ、在るのではないか。その基幹の要素の一

   つにある変化が起こると、隣へ隣へと変化は波及しそれぞれの自然は受けた影響へ応じるように様態を変え始めるだろう。そのような自然変動の伝わりへ

   の見方を地球温暖化の変化にあてはめてみると、最初の基幹の変化は平均気温の上昇で、続いて気候変化が起こり、合わせ気流、海、大地、植物・・と次

   々と自然の要素が変わっていく、そうしてそう遅くないうちにひととおり自然全体が温暖化による変化の影響を受け個々の自然自身も変容しているという

   過程になるのであろう。現実を見ると、そのような気温上昇の自然のシステム全体への変化の影響、浸透は過去に実際に始まり現在もうすでに相当程度、

   進行していると思われるのであった。そう思わせる事実は沢山ありたやすく指摘できている。近年、異常気象と自然変調、自然災害のニュースが世界各地

   から多く伝えられてくるのもそれらの事実の一つではないか。



     温暖化の変化を受け入れることは、非生物の自然そのものからすると正も負もないものかも知れない。だが、自然と共に暮らす生き物たちにとっては

   厄介なものになるであろう。また、自然と人類などの生物が接する場所である「環境」や「生態系」、さらには人間の人工物、農林漁業、社会環境なども

   温暖化による変化の影響にさらされるに決まっている。これらの変化に対応し生きていかなければならぬことが生物たちにとっては重い負担となり、多く

   の生き物たちにとっては経験したこともない試練になるのだろう。生物種の中には絶滅するかしないかの崖っぷちに立たされてこの試練と戦わねばならな

   くなるものも出てくる。ここで、元を辿って、そもそも地表の平均気温の上昇を促した最初の犯人、原因はというと、それは産業革命以来人類が排出して

   きた温室効果ガスだとするのが現在世界の常識になっている。地球温暖化もまた、結果として人間の科学技術から生まれ出たものかと嘆息するしかない。

   はたしてこれから、大きな自然を前にし相手にして人間はこの気温の上昇を喰い止めることができるのであろうか。それに失敗すれば、生き残りをかけて

   抗っていく他の多くの生物種と同じ立場に人類自身も立たされることになろう。現在、専門の研究機関や国際的団体、科学者たちの多くが、気温上昇は全

   く止まっていなくて現今の対策は不十分、さらに強化された対応策をとらねばならないと言明、警告しているようだが。(現在―2018年現在)

                                                                                

                
                  2 寒い冬

                    しかし、だいぶん以前には寒い冬もあったのに。子供の頃を除いてこれまで記憶しているうち一番寒かった冬があった。それは確か1983年暮れか

                  ら84年にかけての冬だったろう。その冬というのは、一、二月の間、いや十二月から三月までもだったかシベリア方面からの強力な寒気団が絶えず列島

                  上空に流れ込み部厚い大きな層の輪を作ってかぶさり、西日本さえも氷点下の冷気の下に毎日包み覆う、そういう寒波の流入が冬晩くになってもなかなか

                  弱まらずという冬だった。低気温の日は連日続いたが、特に二月前半、寒さもいよいよ極まりもう底をついたのでは、これが底と思わないではもうやって

                  いられないというような凍える二週間があったことを思い出す。夕刊紙面で和歌山県の那智の滝が全部凍りついたと報じられていた。市の広報車が夜は凍

                  りつくので水道の蛇口から水を少し出しっ放しにしておくのがよいと告げ走り回っている。その頃私は、午後2時頃に始まり午後9時半頃に終わる仕事を

                  していた。同じ職場に滋賀県や京都市方面から通ってくる人たちもいて、彼等は出勤するやの挨拶で「京都は今日も雪で吹雪いてました」など言うのだっ

                  た。それはつい直前に通勤の車窓から見た光景であったのだろう。この勤務先の建物の階段の、踊り場に貯まったさえざえとした夜間の空気に触れ感じ入

                  ったこととか、夜の帰宅の際、私鉄の駅の吹きさらしの二階ホームで寒風をこらえながら身を縮めて電車を待ったこととか、あの冬の寒さを伝える事実や

                  印象の幾つかが、小さなことも含めて今もなお思い出として心の中にとどまってある。 



                    真底寒い冬で、さらにその中でも第一等級の寒波が到来しているような日々、北西の山なみの縁りから寒気の雲が帯状になって続々と移動してくるの

                  が見られる。それらの雲は氷点下の氷や雪の粒を一杯に含んでいるからだろう、濃い灰色をしている。季節風に乗り上空を千切れながら勢いよく南下して

                  来るが、それらが平野部に入った時、平地の地上から上空までの空気全体を同時にかき回し、ざわつかせ、風を立たせていくようだ。平野部の野や町では、

                  風が思い思いに吹き荒れ、くぐもった音を響かせ、草木や物を煽っていく。灰色一色の寒空の下、寒風にさらされた町中も含め一帯はやや荒涼とした様相

                  を帯びてくる。このような光景はめったに見られるものではない、このような時こそ誰しもが寒さにおののいているだろうと、私は窓越しに震えながら戸

                  外を望むのだった。気温は上がらず、昼間なのに1度とか2度とか言っている。時に0度以下という日もあった。やがて、中空が陰り、ひときわ靄が降り

                  たようで雲の水蒸気がたちこめたかのような気配を感じると、風の中に雪、あられなど白い固体がぽつぽつとさらに後には群舞して浮き出るように現れ始

                  める日もある。


                   北山の空に怖じけて冬野視る
  
  

    3 西高東低

      西高東低の天気について書きたいと思い、『日本のお天気12か月』(児童書、アリス館)という本など参照した。それらの文献上の記述や自分の知

    識を合わせて、それがどのような天候なのか、以下描いてみたい――寒波がシベリア方面から下りて来て、冷たい高気圧となって大陸から張り出す。その

    時日本の東側に低気圧があると等圧線は西北から東へ高から低へ縦縞模様を描くような形となり、
この天気図下で進行していく天候パターンを西高東低

    (の天候型)と言う。その初期には北西の季節風が強く吹き込み寒気も流れ込んでくるが、
その後は3~6日間の特徴的なお天気のつらなりが日本列島を

    支配する。すなわち、日本海側では曇天の下、小雨や雪が降り山地の降雪量は多く、反対に太平洋側では空気が乾燥する中、好天に恵まれるという。太平

    洋側では、当初風が強く朝晩は寒くきりっとはしていても、やがて晴天続きの下、寒さは緩み日中など明るく穏やかな日々へと変わっていく。このような

    型の西高東低のお天気は、寒気が入って来る前後に一冬に何回となく形成され、冬を冬らしくするお天気であり、それゆえ冬型とも呼ばれている。



      西高東低型の天候では、本州の背骨に当たる山地を境に西北側と南東側(昔風に言えば裏日本と表日本)とで自然が配分するもの、賦与する天候が余

    りにも大きく異なっている。そのことは小中学生の頃学び少々驚いたのだった。私自身は西日本の瀬戸内海に近い地域で長年暮らしてきたので、日本海側

    の自然と暮らしは伝聞でしか知らない。子供の頃、私達にとって西高東低型天候はそれと意識するより以前にすでに身近にあったものだ。冬とは順繰りに

    寒さがやって来てその後は安定した晴れの日が続くものと頭から思い込んでいた。
湿度は低い季節で突然の雨など心配無用なものという感覚もあった。そ

    してその天候のもたらす太陽と自然の恵みをいっぱいに受けて育ってきた。



      この天候がうち続く時は特にその後半が素晴らしい。寒気は緩み、風も止まり、晴天はなおも続いていく。冬至が過ぎていれば太陽光の量も徐々に増

    え、二月になれば早春を思わせる日射しが届いてくる。しかし、屋外で活動するにはまだ寒い。「冬籠もり」という印象的な言葉がある。日本は地域によ

    って地形、気象の違いがあるので、冬への籠もり方も地方によってさまざまに違うだろう、とか考えてすぐ、そうではない、この言葉は実際的な避寒の生

    活を言うの
ではなく、俳諧の季語的な言葉なんだと思い直した。冬をささやかに楽しもうという気概が少し入っている諧謔と美意識上の言葉だ。厳しい冬

    に家屋の暗い奥で避寒の暮しをしんしんと営んでいる。そのような農家或いは町屋の人達は室内での十分にある時間を仕事のほか趣味にも打ち込んで過ご

    すのだろう。
その時、しばし訪れる西高東低の天気とその下での光を彼等はどのように見ていただろうか。慈しむべきものと感じていたに違いない。かつ

    て私も、“半日だけの”疑似的冬籠もり生活をしたことがあった。十年近くの間、午前中は在宅で出勤は昼過ぎからという仕事に従事していたのでした。そ

    の午前中、食材の買い出しに出かける以外ほとんど外出することもなく、午後への下準備、家事などをして過ごした。趣味に費やせる時間も同時に多く持

    つことができた。
冬の昼日中は他の季節と比べとても静謐だ。静かでなかったものと言えば登校時の小学生のにぎやかな話し声だけ。「西高東低」や「冬

    籠もり」という言葉への私の関心はあの当時の籠もり生活の体験から兆していったもののようだ。


     厨にはがざみが動く冬日午後



                  4 冬の雨

                    年齢二十歳代と三十歳代の頃には、その日その日の天候に合わせ自分の気分が変わり、心と気分が天候に影響されることが多かった。気分が天気の影

                  響を受けることは誰しもあることで当たり前だと思われる。例えば「すっきりしない天気」のような言い回しが使われる。だが、自分が天気から作用され

                  た気分とは、他に良い言葉が見つからないので使ってみたが、普通の人が言う気分というものとは違っていた。自分が天候から影響を受けた「気分」とは、

                  気持ち、機嫌という意味ではなく、心のもっと下方にある精神の安定性と自立性、ひいては実存性の正否とその不安とでも言うべきものであった。精神的

                  立ち位置とも言えるものだが、それが無意識上から浮かび上がり意識されそうになる時、もやっとした「気分」となって現れ出るようだった。そういう深

                  淵的心理をその場の天候に関連づけて感じ考えている自分というものが当時いた。そして、気分となって不安を与えるものの正体が精神的なものか生理的

                  なものかもつかみかねていた。その頃の心理状況を改めて振り返ってみると、一種の弱い精神的病に私はその頃罹患しかけていたのかも知れないとも思う。



                    心に作用を及ぼす天候の要素の中では太陽光の有無が何といっても決定的な力を持っていた。日が照っている、いないかで、さらにその陽光の量にも

                  よって私の心は翳へ日なたへと微妙に推移した。陽光が多いほど気分は明るく勇気づけられ、日が無く暗く翳るほどに気分はくじけ沈着していく。雨が降

                  り続くような一日は夕方が近づくにつれその暗さのために気は滅入ってしまう。私には天候を分析したりする気持ちはなかったが、太陽光の次には温度が

                  重要で、気温の低さ、寒さが心をか弱くさせる要因だと経験から分かっていた。冬が辛いのはそのためだった。一方、湿度はそれほど気にならなかった。

                  蒸し暑い梅雨の時季でも気分は悪くならない、それは日が高く明るい時期で暖かいから。そしてその逆の季節、一年のうち晩秋から初冬にかけての時節に

                  自分の気分が最も重く険しくなることを自覚した。初秋までは気持ちよく過ごせたものが、秋も半ばを超え「釣瓶落とし」の日暮れで、闇が急速に迫る候

                  に
なると逼迫感と寂寥感が入り混じったどうしようもない思いが心にもたげて来て、冬になるまでだんだん膨らんでいくのでした。



                    そして、冬の日の雨。冬の雨、これもまた私の意気を阻喪させる憂鬱でかなわないものの一つになっていた。冬にも冷たい雨が朝から一日中降り続く

                  ことがある。そうなれば外に雨滴や雨霧が満ちてくるのと同じように心の内部にもまた陰鬱の靄が拡がり貯まりゆく。冷え冷えとした降雨の日が日曜日な

                  ど休日に当たることもある。冬の時期のせっかくの休み、朝から雨音を聞けばその日は何もできそうになく、午前中は何とか体を動かせても午後になると

                  投げ出すように身を横たえるのが精一杯。私は三つの友に手をさし伸べ救いを求める。こたつ、書物、それに鳥たちの啼き声。仄暗い部屋でただこたつへ

                  入り込
み寒さをしのぎ書物を手にしている。こたつの温かさは懐かしいもので、優しい。しかし、読書そのものは長続きしなかった。その頃の体調のせい

                  かたいがい数十分でまどろんでしまい、後は浅い
眠りに落ちていくことがたびたびとなっていました。


                   暗き窓眠りに伝はる鳥のこゑ雨小止むなり冬日夕近く



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