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それまでにLondonが首都であった時代も確かにありました。
デンマーク王・ノルウェー王であったKing Canute【カヌート王(クヌートとも)】はイングランドを征服し、北海帝国を現出させました。彼はキリスト教を信仰していました。国王の時代には旧市街地(City)からみてThamesテムズ川上流に当たる場所に宮殿を構えていたことも確認されています。現在詳細な場所は不明ですがIsle of Thorney(ソーニー島)付近だったらしいです。
そしてCity内にKing and St. Edward the Confessorが宮殿を構えていたことも確認されています。これも詳細な場所は不明ですが、おそらくSt. Paul(セント・ポール大聖堂)の北側、現在のロンドン中央郵便局周辺であっただろうと推定されています。
しかし長くWessex(ウェセックス王国)の首都として、そして後のEnglandの首都としてはWinchester(ウィンチェスター)が政治文化の中心でした。 Wessex(ウェセックス王国)のAlfred the Great(アルフレッド大王)はLondonという都市の重要性を十分認識していましたが首都としてはいませんでした。
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WinchesterにあるAlfred the Great アルフレッド大王像 |
Edward the Confessorは1042年4月にWinchesterウィンチェスター大聖堂にて戴冠しました。
King and St. Edward the ConfessorがWestminster Abbeyウェストミンスター・アビー(寺院)1050年再建開始とThe
Palace of Westminsterウェストミンスター宮殿をWestminsterの地に建設したことにより名実ともに恒久の王国の首都となりました。
この時をもってLondonが名実ともに王国の首都となったとするのは国王戴冠式をよほどのことがない限り、この地Westminster
(Abbey)で行われている事(例外はGloucesterグロースター大聖堂におけるHenry
IIIヘンリー3世とパリにおけるHenry VIヘンリー6世があります)。そして(かなり後の話になりますが)
Londonで議会が開かれたことによります。
935年間以上継続的に首都機能を果たしていて、かつ、現在も首都であるという都市は他にはそう例がありません…