Westminster Abbey

【ウェストミンスター・アビー(寺院)】

概略

 Westminster Abbey【ウェストミンスター・アビー】はKing and St. Edward the Confessor 【聖エドワード証聖王】によって再建されたアビー(寺院)である。
 のちにこの建物をHenry III【ヘンリー3世】が再び改築し、ゴシック建築の最高傑作のひとつに数えられるに至った

King and St. Edward the Confessorによる再建

 7世紀(600年頃)Sebert王が最初にこの地に教会を創建したとされている。 しかし11世紀再建当時には往時の面影はすでになかったらしい。

King and St. Edward the Confessor【聖エドワード証聖王(エドワード懺悔王とも)】は1045年、当時 Isle of Thorney【ソーニー島】と 呼ばれていたRiver Thames【テムズ川】の中洲 (現在のThe City of Westminsterの一部) にあった教会の再建を開始した。
 ノルマン(ロマネスク)様式の建物で、屋根は銅で覆われていた。

 聖エドワード証聖王はDane 【デーン人(バイキング)】のイングランド侵攻に際し、 母の里であるNormandy【ノルマンディー】に亡命し少年時代を過ごした。 彼はこの時、無事にイングランドに戻ることが出来たらRome【ローマ】の St.Peter’s in Vatican【サン・ピエトロ大聖堂】に巡礼の旅に出ることを誓う1042年亡命先のノルマンディーから無事帰国し、Winchesterにて戴冠するが、 ひとたび王位につくと多忙により国を留守にすることは困難になってしまう。 そこで彼はローマ教皇レオ9世に赦しを願い、 ローマ教皇はイングランドの地にペテロに捧げる教会を献堂することで誓約を守ったことにするとした。

 聖エドワード証聖王のWestminster Abbeyはフランス ノルマンディー地方のジュミエージュ教会群に倣って建てられ、それはイングランドにおけるノルマン様式建築のさきがけとなった。教会は1065年12月28日完成献堂される。その数日後の1066年1月5日に聖エドワード証聖王が亡くなりこのWestminster Abbeyに埋葬された

戴冠式 ノルマン・コンクエスト

 その直後にHarold II【ハロルド2世】がWestminster Abbeyで戴冠したといわれている。

 William I The Conqueror【ウィリアム1世征服王】はHarold IIを破りイングランドを征服1066年12月25日Christmas Dayに、聖エドワード証聖王の正統な後継者であることをしめすためWestminster Abbey【ウェストミンスター・アビー】にて戴冠式を行なった
その後この場所においてエドワード5世とエドワード8世を除く全ての君主が戴冠することになる。

Henry III ゴシック様式

 Henry III【ヘンリー3世】がゴシック様式で再々建した際の石工は
〜1253年ヘンリー・ドゥ・レインズ
〜1260年ジョン・オブ・グロースター子爵
〜1284年ロバート・オブ・ビヴァリー子爵である。
 The Shrine of King and St. Edward the Confessor【聖エドワード証聖王廟】はWestminster Abbeyの中で最も神聖な場所でHenry III【ヘンリー3世】によって作られた。その場所にある素晴らしい大理石の台座に載っている聖エドワード証聖王の金色の聖骨箱は国教分離の際に破壊され1557年に作り直されたもの。
 
聖エドワード証聖王の墓の周囲を囲むように王族が永眠している。

The Lady Chapel(Henry VII's Chapel)【ヘンリー7世礼拝堂】


The Lady Chapel(Henry VII's Chapel)【ヘンリー7世礼拝堂外観】

 Henry VII【ヘンリー7世】は先代のヘンリー6世が埋葬されたウィンザー城の墓で奇跡が起きたということが告げられると、ヘンリー6世の遺体を埋葬する新しいチャペルの建設の検討を開始した。ヘンリー7世はヘンリー6世が聖者の列に加えられることを望み、ローマ教皇もこれに同意したが手続きに多額の献金を要求したため、ヘンリー7世は当初の計画案を変更し聖母マリアに捧げる礼拝堂を建設することにした。これがThe Lady Chapel(Henry VII's Chapel)【ヘンリー7世礼拝堂】である。




















Data

 現在の正式名称はElizabeth I The Virgin Queenが定めたCollegiate Church of St. Peter, Westminsterである。

 聖エドワード証聖王をはじめ歴代の国王王妃の埋葬場所としてもこの場所が選ばれてきた(ノルマン・コンクエスト以降ではHenry III 【ヘンリー3世】〜George II【ジョージ2世】まで)。


北側外観

THE BEATLES

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