人混みを掻き分け、何とか座る場所を確保してマリアが持ってきたシートを広げた。
「えーっと、んじゃ、この桜と、花と一緒に転校してきた緋勇に」
京一が配られた紙コップを目の高さまで掲げると、それぞれも紙コップを掲げる。
紙コップを向けられて、緋勇が照れたように笑う。
「…ありがとう。これから、よろしくな」
それぞれが持ち寄った食べ物を差し出す中、京一は背中に隠したバッグにそっと手を回した。そこを、小蒔がひょいと覗き込む。
「緋勇クンは主賓だからともかく、ちょっと京一、アンタ手ぶらで来たの?」
「だーーっ、気にすんなって!」
「あっきれた…」
冷ややかな眼差しを向ける小蒔とアン子を笑って誤魔化しながら、京一は内心溜息を吐いた。
(バレてねェ、よな?)
実は、手土産はちゃんと持参している。
しかし、見つかれば醍醐やマリアに大目玉を食らうことは確実な代物だけに、扱いには気を使う。宴がたけなわになってきた頃にこっそり出すつもりだった。
皆が花見よりも主に団子に走り始めた中、マリアがふと気づいたように緋勇に声を掛けた。
「―――そうだわ、緋勇クン。犬神センセイがいっていたのだけど、あなた、なにか武道をやっていたの?とても―――強いって話を聞いたのだけど」
マリアの問いに、緋勇は困惑したように首を振った。
「そんなこと―――ないです。強いなんて」
否定する緋勇に、醍醐が大真面目に割って入る。
「緋勇、謙遜するな。お前の強さは十分人に自慢できるものだぞ」
「フフフッ、ごめんなさい、変なこと聞いて」
マリアの艶やかな笑顔に見惚れつつ、京一は内心密かに首を捻った。
(なんで―――犬神のヤローが緋勇のコト、知ってんだ?)
少なくとも、見た目から緋勇の強さを推し量れる人間は居ないだろう。醍醐を吹っ飛ばすほどの実力の持ち主だなどとは、見た目からでは絶対にわからない。
(どっかで見てやがったのか?)
佐久間との一戦か、醍醐との勝負か。
何を見られたにせよ、どちらの場合もその場にいた京一としては面白くない。反りの合わない教師に監視めいた扱いを受けていたとすれば、気持ち悪いことこの上ない。
「―――そういえば」
考え込む京一を余所に、醍醐が空を見上げてしみじみと呟いた。
「今年の桜は、去年よりまた一段と見事だな」
その言葉に釣られるかのように、花を見上げた葵が小さく声を上げる。
「あ、花びらが、コップに―――」
満開を過ぎ、散り始めた花びらが雪のように舞い降りてくる様を皆声もなく見つめる。
「花の降る夜、かぁ。風流だねぇ」
「季節外れの雪みたいだよね。けど、ゆくより綺麗だと思うな」
「ええ。綺麗すぎて―――なんだか、吸い込まれそう」
美里の言葉に、ふと京一は隣に目をやる。
皆と同じように、黙って花を見上げている緋勇の横顔に、先程の少女の声がふと蘇る。
『さくらの花、真っ白くて、お兄ちゃんのが一番綺麗なのに!』
(確かに、桜みてーかも)
緋勇の転校初日、共に佐久間と闘った時も桜の花びらが舞っていた。その所為か、緋勇と桜のイメージは、京一の中でもすんなりと重なる。
(なんか、目の離せないとことか、似てるかもしんねーよな…)
そんなことを考えながらぼんやりと緋勇の白い横顔を眺めていると。
不意に、眺めていたその顔が緊張に強張った。
「………っっ!?」
「な…どーし…ッッ!?」
ばっと振り返った緋勇に驚いた、その瞬間。
京一もそれに気が付いた。
肌がざわりと泡立ち、ちりちりとした不快な感覚が背中を走る。
「きゃあああああっっっっ!」
追い打ちをかけるかのように、甲高い悲鳴が花見の雑踏を切り裂くように響いた。
「な、なに?」
「見て、向こうの方から人が逃げてくる!」
アン子が指し示した先には、何かから逃れようとするかのように、数人の花見客がこちらへと走ってくる。
同時に、新たな悲鳴が上がり、座って酒宴を楽しんでいた周囲の花見客も何事かと腰を浮かせ始めた。
「……妖気、か」
「え…?」
低い呟きに、何と言ったのかと問い返す間もなく。
「ここに居ろ」
「…って、おい!」
「緋勇クン!?」
一言言い残すと、緋勇は人波に逆らって公園の奥へと駆けだした。
「ちょ…こら緋勇っっ!…っっってっ!」
慌てて脱いでいた靴を引っかけ、後を追いかけようとした京一だったが、その足を思いっきり掴まれて前のめりに転びかけた。
「何しやがる、アン子!離せ!」
「離せじゃないわよ!何がどうなってんの!?もしかして事件?なら私も行くわよっ!スクープのチャンスじゃない!!」
「離せって!どーっせ酔っぱらいの喧嘩だろ?お前がカメラ振り回すようなモンじゃねーよ。大人しくここで待ってろ!」
そう言いながらも、京一自身、本気で喧嘩の類だと思っている訳ではなかった。
嫌な感覚は、どんどん大きくなってくる。
間違いなく、酔っぱらいの喧嘩などではない、何かが起こっている。
「そうだな、俺達が見てくるから、先生と桜井達はここで待っていてくれ」
何気ない風に言う醍醐も、実はかなり緊張しているのが、握られた拳から見て取れた。
「ちょっと待って。ボクたちも一緒に行くよっ。だって、もしかしたら…」
小蒔は最後まで言わなかったが、同じように何かを感じているらしい。
「喧嘩だったら、俺達だけの方がいいだろう。様子を見るだけだから…」
「早く行こうよ。緋勇クン追いかけないと」
この様子では意地でも着いてくるだろう。更にその隣の美里が、同じように引かない決意の色を瞳に浮かべているのを見て、京一は早々に説得を諦めた。
「しゃーねェ。行くか?」
「京一…」
「何言っても聞かねェだろ。先に行った緋勇も気になるしな」
京一の言葉に、醍醐も諦めたように息を吐いた。
「しかたないな」
「私も行くわよっ!大スクープの匂いがするわっ」
アン子がいそいそとカメラを用意したのは予想の範囲だったが、マリアが硬い表情で一緒に行くと言いだしたのは、京一や、醍醐にとっても予想外だった。
「みんなが行くのなら、私も行きます」
「そんな、先生…危険です」
不安げな美里に、マリアはきっぱりと言い切った。
「私はあなたたちの保護者です。危険に近づける訳にはいきません」
「…わかりました。行きましょう」
こちらも説得は無理と悟ったのか、醍醐が頷く。
「行こう。緋勇が心配だ」
公園の奥に進むにつれ、人影がまばらになり、代わりにむっとした鉄臭い匂いが鼻につく。
「…っ、この匂いは…」
喧嘩やらなんやらで馴染んだ、良い思い出とは無縁の匂い。
「間違いないな。…血の匂いだ」
何かが―――それも、危険を伴うものがこの場所で起こっているのはどうやら確からしい。
その時、小蒔が小さく声を上げた。
「見て、あそこ―――」
示す先には、さっき人波の中に消えた背中があった。
「緋勇っっ!」
「来るなっ!」
「何寝惚けたこと言ってんだ!何が…」
その言葉を無視して近づいた京一は、緋勇の前に立つサラリーマン風の男に気が付いた。
後ろからついてきた美里が、その男の持つものに気づいて悲鳴を上げる。
「あれ…もしかして…」
「うっっ…」
男の手には一振りの日本刀があった。
そして、明らかに正気を失っている、男の目。
「お前たち、退がってろっ」
「う、うん―――」
厳しい表情の醍醐に、今度は小蒔も大人しく従う。
その間に、京一は虚ろな目つきで刀を構える男と対峙する緋勇の傍らに追いついた。
「緋勇っ!何がどうなってんだ!?」
しかし、その問いに返ってきたのは叱責めいた言葉だった。
「馬鹿、なんで来た!」
男から視線を外さない緋勇の横顔は、明らかな怒りに彩られている。それにむっときて、京一も声を荒げた。
「なんでもかんでもあるかっ!お前こそ何一人で突っ走ってんだよっ!」
そう言えば、緋勇の表情が微妙に歪む。
「…別に、突っ走ってるつもりはないけど」
「十分突っ走ってるじゃねーか…っ」
「それはこっちの台詞だ。来るなって言っただろ?人が多ければ危険も増す。どうして…」
「んじゃ、お前はどうなんだよ?一人だけ他人事みたいに言うんじゃねェっての!!」
「…だから、俺はいいんだ」
「どういう理屈だ、そりゃ?」
不毛に走りそうになった言い争いに割って入ったのは、刀を下げた男の、狂気じみた笑い声だった・
「ひゃーーーーーはっはっはっはっっ」
「………っっ」
「どうやら、その辺の話は後回しだな…っ」
男が振りかざしたその刀身に、禍々しい色を見つけて、京一は低く呟く。
「てめェ…その刀で人を斬りやがったな…」
もう、躊躇っている場合ではなさそうだった。このままでは、確実にやられてしまう。
身構えた京一の横で、緋勇がすっと一歩、前に出た。
「退がってろ」
頑なな物言いに、京一がかっとなる。
「お前、まだンなこと…」
京一が露わにした怒りに対する答えは、気を抜いたら聞き逃してしまいそうな、独り言のように小さな呟きだった。
「…いいから。多分、今なら、戻れる」
そう、言って。
緋勇は深く息を吐いて構えを取った。
その身体が、ふわりと青い光に包まれる。
「………!!」
背後で、美里らが息を呑んだ気配が伝わってきた。
間違えようのない、あの時と同じもの。光と共に緋勇の身体に力が満ちる気配は、傍らにいても感じ取れる。
そして緋勇は、それを明らかに自分の意志で制御していた。
「退がっててくれ。頼む」
再びそう言われて。
「……冗談っっ!」
驚きも逡巡も一瞬。
京一は、腹に力を籠めて緋勇の言葉を否定した。
木刀を握り直して、自分の中にもあるはずのそれを呼び起こす。
(ここで、退けるか…っっ!)
予想していたよりもずっと容易く、それはふわりと身体を包んだ。
「…っっっ!」
暴れ出しそうな衝動を、握りしめた木刀に籠める。
ふと、大昔に、懐かしいと言うにはあまりにもヘビーな修行に明け暮れていた頃のことが頭を過ぎった。
『てめェを信じられねェんなら、どんなに剣を振ったところで、なんも変わりゃしねェさ』
あの時は反発しか覚えなかった相手の言葉が、今は何故か酷く素直に受け入れられる。
(扱えて、当たり前だろ?俺の中から出てきたモンなんだからよ…っっ!)
溢れる力を振り払うかのように、京一は木刀を軽く一閃させた。
「へへへっ、これで文句ねェだろ?」
緋勇は、何とも言えない表情で京一を一瞥すると、短く言い捨てた。
「…勝手にしろ」
そう言って、男に向き直ろうとする緋勇の背後から声が飛んだ。
「待って!」
「美里さん…」
駆け寄った美里は、息を深く吐いて胸の前で手を翳した。
生まれた淡い光が、京一と緋勇の身体を包む。
「…わからないけど、多分、これで…」
今度は、緋勇も勝手にしろとは言わなかった。
「…ありがとう」
複雑そうに、けれど小さく笑まれての礼に、美里の頬に朱が上る。
「…気をつけて」
その、照れたような美里に茶々を入れたのは彼女の親友だった。
「葵〜?こっちにも、頼んでイイかなぁ?」
「出来ればそうして貰えると助かる」
「…っ、小蒔っ!待って、今…」
にやにやと意味ありげに笑う小蒔と、あくまで生真面目に言う醍醐に、美里が慌てて再び手を翳す。
「行こう。あれをなんとかしないとな」
醍醐の促す言葉に、緋勇は今度は何も言わずにひとつだけ頷いた。
血の匂いと妖気に誘われたのか、いつの間にか周囲には野犬が集まってきている。
「ちっ、犬か…面倒だな」
牙とそれなりの身体を持つ犬は、先日のコウモリと比べれば危険度が格段に違う。アン子やマリアも居る以上、放っておく訳にもいかない。
「犬の方は、頼んでいいか?」
緋勇にそう言われて、醍醐は頷きつつも眉を寄せた。
「それはかまわんが…お前はどうする気だ?」
「あの男には、普通の技じゃ通じないんだ。何か考えないと…」
「通じないって、どういう事だよ?」
「腹と背に2・3発入れたんだけど、効かないんだ」
その言葉に、京一は目を剥き、醍醐がぎょっと身を引いた。
「入れたって、お前…あれと素手でやり合ったのかよ!?」
抜き身の日本刀相手に、徒手空拳で挑むなどと正気の沙汰ではない。しかし緋勇はこともなげに言った。
「そんなに、刀を扱い慣れてるって動きじゃないと思う。けど、なんて言うか…急に動きが良くなったりして、掴み所がなくてさ」
「……醍醐、小蒔と犬の方頼むわ。俺はコイツとあの男を何とかすっから」
「蓬莱寺…」
京一は、何か言おうと口を開きかけた緋勇の目の前に指を突きだした。
「一人でなんともなんないんだったら、二人でやるしかねェだろーが。それに、俺はお前よりは刀の扱いにゃ慣れてっからな」
言い切る京一に、醍醐が苦笑して口を挟んだ。
「犬を片づけたら、俺も行く。あまり無理はするなよ」
緋勇は、幾度か瞬きをして、それからふっと笑った。
「それしか、ないか」
その、仕方ないかというような、けれど妙に印象に残る笑顔に、京一もにやりと笑い返す。やけに高揚する気分もそのままに、京一は叫んだ。
「行くぜッッッ!」
最初に仕掛けたのは緋勇だった。刃先を誘うように身を晒すと、振り下ろされるそれが届く前に素早く横へ飛ぶ。それを追った刀が振り上げられた所へ、京一が腹へ一撃、叩き込んだ。
「が………っっ」
男が叫びを上げて下がる。
「……?」
確実に入った筈が、その妙な手応えのなさに京一は眉を寄せた。『力』を籠めた一撃は確実に急所を捕らえた筈だ。しかし男にはまるで効いていないように見える。それを裏付けるかのように、男は不気味な唸り声を上げて刀を振り回した。
「うぁぁぁぁーーーーーっっ!」
「ちっ…」
がっと打ち合った刀がぎりりと鳴る。
「はぁっっっ!」
まるで無防備なその背中を回り込んだ緋勇が打ったが、男はびくりと背を震わせただけだった。
反応のない男に焦れて、京一は刀を突き放すように弾いて間合いを取る。
「…って、コイツ、効いてねェのかよっ!」
苛立つ京一に、緋勇が冷静に答えた。
「さっきよりは効いてる。さっきは、何度打ち込んでもまるで砂に向かって打ってるみたいに手応えも反応もなかったから」
緋勇の言葉に、京一はぎりりと唇を噛んで目の前の男を見つめた。大口を叩いた以上、何か糸口を見つけないと立場がない。
「確かに、妙だよな…」
少なくとも、男の太刀筋は慣れた者のそれではない。どちらかと言えば、刀に振り回されているかのように見えるのに、打ち合った感触は妙に重く、おまけにダメージを与えてもまるで効いていない。まるで、痛みを感じていないかのような…
「…っ、もしかして…」
「蓬莱寺?」
「緋勇、少しだけ、アイツの刃先を逸らしてくれ」
「…わかった」
頷いて、緋勇はふらりと男の前に立った。
「がぁぁぁーーーーーっっ!」
振り下ろされる刀を、紙一重の間合いで避ける緋勇に肝を冷やしつつ、京一は今度は男の腕を狙って木刀を振り下ろした。
「ぎゃあーーーっ」
刀を取り落としかけた男が、はじめて苦痛の叫びを上げる。
「やっぱり、か」
京一の意図は、緋勇にも伝わったらしい。
「もしかして…あの、刀が?」
「みてーだな」
男をいくら狙っても反応がないはずである。男を操っているのはあの刀で、あれを叩かなければ意味がないのだ。
「…さすが、慣れてるな」
素直な賞賛の言葉に、京一も破顔する。
「おうよ、任せろっての」
「じゃあ、とっとと片づけようか?」
「そーだな、花見の続き、しねーとな」
一瞬視線を合わせて頷き合うと、刀を握り直して奇声を上げる男に向き直る。
「おっさん、安心しろよ?今寝かせてやっからなっっ!」
その言葉と共に、京一が打ち込んだ木刀を、男が刀で受け止める。そこを狙って緋勇が吹き飛ばす勢いで足払いをかけた。もろに蹴りを受け、ぐらりと揺れた刀を京一が受け流して腕を打つ。
「ぎゃあっっっ!」
緩んだその手に、すかさず緋勇が拳を叩き込む。
そこへ、犬を始末した醍醐が追いついて来た。
「京一、緋勇!」
「醍醐!刀だっっ!」
「おうっっ!」
揺れた男の上腕部に、醍醐が止めの蹴りを叩き込めば、やっとその手から刀が離れた。
「う…うううう……」
目を回して倒れ込んだ男の手元から、取りあえず刀を蹴り飛ばす。
「これで、取りあえず当分は動けないだろ」
「ああ」
「終わった…の?」
恐る恐るといった風に覗き込んでくる小蒔と美里に、醍醐が息を吐いて答える。
「ああ、どうやらなんとかな」
「あの人は?」
「気を失ってるだけだ。どうも原因はあの刀らしいな」
その言葉に、美里が安堵の息を吐く。
「良かった…」
美里の表情とは対照的に、醍醐の眉間には深い皺があった。
「それにしても…俺達のこの『力』は一体…」
その呟きに、美里も小蒔もはっとする。
京一は、そっと傍らの緋勇の表情を窺った。
『今なら、戻れる』
あの時の緋勇の言葉の意味は明確だ。
恐らく、緋勇はこの『力』について、なにがしかの事情を知っているのだ。
しかし、緋勇の表情は穏やかさを伴った読みにくいものだった。
聞くべきか、否か。
しかしそれを悩む間もなく、
「あんたたち…」
アン子とマリアが、驚きを隠さない表情でこちらを見ている。
「アン子…」
アン子が何か言う前に、醍醐が厳しい表情でそれを遮った。
「遠野、このことは誰にも言うな」
「アン子ちゃん、お願い…」
複雑な表情のアン子に、京一も思わず口を挟む。
「てめェ、まさか友達を売るようなマネすんじゃねェだろうなッ」
京一の勢いに我に返ったかのように、何度か瞬きをするとアン子は胸を張った。
「フンッ、馬鹿にしないでくれるッ。あたしがそんなことするとおもう?」
「アン子…」
「遠野…すまん」
「どうりで、この間の旧校舎の一件からおかしいと思ってたのよ。いいわ、これは貸しにしておくから」
いつもの調子に戻ったアン子に、京一も正直安堵を感じた。しかし、それを言うわけにもいかず、
「ちっ、しっかりしてやがる…」
そう言えば、アン子がにやりと笑った。
「つけとくからね」
笑みの戻ったアン子に苦笑しつつも、醍醐はマリアにも視線を向けた。
「先生―――先生も、お願いします。この事は―――」
「アナタたちは一体―――」
「俺達にもわからないんです。何故、こんな『力』が使えるのか。俺達は―――」
何を言うべきか。
言いあぐねたように黙ってしまった醍醐に、束の間、その場に沈黙が落ちる。それを破ったのは、それまで沈黙を守っていた緋勇だった。
「この『力』で何が出来るかはわかりません。けど、何もせずに後悔するようなことは―――したく、ないんです」
淡々とした、けれど妙に実感のこもった言葉に、マリアは頷いた。
「―――わかりました。今日のコトは、ここだけの秘密にしましょう。いずれ―――何かわかるかもしれない。それまで、今日のコトは誰にも言わないでおきます」
「先生―――すいません」
硬い表情の醍醐に、マリアはくすりと笑う。
「フフフッ、アナタがそんな顔をしてどうするの?もっと胸を張りなさい」
「先生…」
「力というものはね、それを使う者がいるから存在するの。気をしっかり持って自分を失わなければきっと道は開けるはず。私は、真神の生徒であるアナタ達を信じています」
「センセー…」
硬い表情だった小蒔が、ふっと力を抜く。
「小蒔、お前に落ち込んだ姿は似合わねェぞ」
追い打ちをかけるようにそう言えば、やっと小蒔の表情にいつもの明るさが戻ってきた。
「なんだとォ」
それに釣られるように、美里や醍醐も笑顔になる。
「うふふっ」
「はははっ」
そこへ、狙い澄ましたかのようにパトカーのサイレンが響いた。
「ちょっと、パトカーよっ!」
「やっと来たか…」
「ちっ、色々聞かれると面倒だぜ。早いとこずらかろうぜ」
「この状況じゃ言い訳出来ないもんね、行こッ、葵!」
「ええ、でもこの人…」
「ほっとけほっとけ。あとはけーさつがやってくれるって」
「こうしちゃいられないわッ!写真写真…」
のびている男に向け、喜々としてカメラを構えるアン子に、醍醐が呆れて尋ねる。
「遠野―――まさかお前、それを真神新聞に載せるんじゃないだろうな?」
「あったりまえじゃない!こんなスクープ、逃すわけないでしょッ!あ、安心して。みんなのことは書かないから」
「でッ、でも、遠野サン。少し校内新聞としては内容が―――」
「先生ッッ!」
「ハ、ハイ…」
「読者は常に刺激を求めてるんですッ!記者はペン一本でそれに応えなければならないんですッッ!」
応える方向が違う、と思うのはこの場の全員の一致した感想だろう。とても付き合ってはいられない。
「とっととずらかろうぜ…って、緋勇?」
隣に居るものとばかり思っていた緋勇は、少し離れた地面に膝をついていた。
「何やってんだ?ぐずぐずしてたら…」
「これ…このままにしとく訳にもいかないだろ?」
緋勇が指し示した先には、血糊の付いた刀が転がっている。
確かに、そのままにはしておけないものだった。
「触って…平気なのか?」
あの男のように、手にした途端刀に操られては洒落にならない。
「緋勇クン、これ!」
小蒔が、離れた地面から鞘を拾い上げて持ってきた。
「ありがとう」
刀を地面に這わせたまま手で触れることなく、緋勇は器用にそれを鞘へと収めた。
「これで、多分…」
鞘の部分に絡まった紐を持ち上げて、緋勇はそれを抱えた。
「行こう」
「大丈夫なのかよ?」
「うん…多分ね」
「頼むから、おかしくなって振り回したりすんなよ?さっきの男と違って、洒落になんねー気がすっから」
体術の心得などまるでなさそうな男か取り憑かれて刀を振り回すのと、醍醐を吹き飛ばす実力の持ち主である緋勇が振り回すのでは、その危険度の違いは明らかだ。
京一の危惧に、緋勇は肩を竦めた。
「そうなったら、なんとかしてくれるんだろう?専門家?」
その、悪戯めいた表情に、京一は息を吐いて答えた。
「馬鹿言ってんじゃねーっての!真剣相手の打ち合いなんて、そうそうやってられっかよ」
「確かに、ね」
くすりと笑うその様子に、京一は胸中で息を吐いた。
(聞く、べきだよなァ…)
先日の旧校舎、そして今日の一件。
しかし、近づくパトカーのサイレンがその時間を与えてくれそうにない。
「まぁ、取りあえずここから離れるのが先、か」
「京一、緋勇クン、早く行くよッ」
「へいへい…っ、行こうぜ、緋勇」
「ああ、行こう」
その、穏やかな顔をちらりと眺めてから、京一は走り出した。
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