「ったく…ますます卑屈になってんな、あのヤロー。緋勇も醍醐も気にすんなって。どーせ一人じゃなんにもできゃしねーよ」
「あ、あァ…」
京一の言葉に頷いたものの、醍醐の表情は冴えなかった。やはり、佐久間が向けた憎悪に満ちた言葉の与えた衝撃は大きかったらしい。
京一も、佐久間が何かと世話を焼こうとする醍醐を逆に敬遠しているのは知っていたが、あそこまであからさまな憎悪を晒した所は初めて見た。
緋勇はと見れば、佐久間の去った扉をじっと見ている。
醍醐のように、佐久間の言葉に衝撃を受けている訳ではなさそうだったが、やはり何かを抱えているように見える。
転校早々因縁を付けられた相手では、それも仕方ないことかも知れなかったが、その固い雰囲気は京一の好むものではない。
「さぁて、んじゃ、さっさと行ってどんちゃん騒ぎしよーぜっ!」
京一の声に、その場の空気がふっと和む。
「そーだね、行こうよ」
「遅くなっちゃったら、いい場所も無くなるしね」
小蒔やアン子もほっとしたように同意する。
和んだところでと廊下に出たところで、今度は小蒔が声を上げた。
「そうだ、ミサちゃんも誘おうよ」
「あら、いいわね。今ならきっと霊研にいると思うわ」
名案と笑う女性陣に対して、京一と醍醐の顔は瞬時に強張った。
「ばっ、お前ら、余計なこと言うなっっ!なっ、醍醐」
あの裏密が参加して、花見でとんちゃん騒ぎが出来るとは到底思えない。
京一だけではなく、青白い顔をした醍醐もこくこくと頷く。しかしそれを鼻で笑ったのがアン子だった。
「あら、緋勇くんの歓迎会なのよ?アンタ達の好き嫌いで人選するのは止めてもらいたいわね。いいでしょ?緋勇くん?」
ちょっと待てと止める間もなく緋勇はあっさりと頷いた。
「大勢の方が、楽しいだろうし」
「緋勇、お前は知らないかもしんねーが、アイツが来ると妙な寒気がするんだよ。花見向きの人材じゃねェって」
「う、うむ…」
はっきりと嫌そうな京一と、脂汗まで流して表情を固めている醍醐を眺めて、アン子は呆れたように首を振った。
「まったく、男の癖に意気地がないわねっ!」
「もう、いいよ。京一と醍醐君が臆病だってことはよ〜くわかったからさっ」
小蒔の冷たい一瞥に、醍醐が別の意味で汗を流した。
「い、いや、俺は別に、そういうわけでは…」
その言葉に、小蒔はにこりと微笑んだ。
「じゃあ、みんなでミサちゃんを呼びにいこ?」
(小蒔…無意識にしちゃ、タチが悪ィぜ…)
その、小首を傾げる仕草に、京一の背を一筋の汗が流れた。
何も考えていない風な小蒔の笑顔は、しかし醍醐にとっては何よりも効くものだ。引きつった顔のまま、醍醐は頷く。
「う、うむ…」
こうなってしまっては、もうどうにもしようがない。
結局、裏密の居る霊研まで足を伸ばすことになってしまったのだった。
霊研の部室には、相変わらず独特の空気が漂っている。人気のない部室に、京一と醍醐は共に胸を撫で下ろした。
「ラッキー。留守かよ」
「う…それなら…」
しかし、その判断はまだ早かった。
「ミサちゃん?いるんでしょー?」
アン子が声を掛ければ、声は意外な場所から返ってきた。
「…我らが根付くこの地こそ、セフィロトの下層、物理界なり…」
「ぶっっ、ど、どこから…」
いきなり背後からぶつぶつと流れてきた呟きに、京一が文字通り飛び上がる。
「この地こそ、要素の視覚的な相互作用の生じるところ、精神的な領域が特性記号を通してのみ認知されるところの…」
裏密の呪文のような言葉は、京一にとっては理解不能な代物だ。
「やめろーーっ!それは悪魔の呪文かッ!?」
「うふふふふ〜やだな〜京一く〜ん、ただのカバラによる宇宙観念だってば〜」
説明を聞いたところで、その説明自体が京一には理解できない。
「さっぱりわからん。やっぱ来るんじゃなかったぜ…」
「うふふふ〜ところでみんな〜お揃いで何処へ行くの〜?」
「みんなで、緋勇くんの歓迎会を兼ねてお花見に行くんだよ。ミサちゃんも、一緒に行かない?」
「お花見〜桜〜紅き王冠〜場所はどこ〜?」
「え?中央公園だけど…」
何やらぶつぶつと呟いて、裏密は机上の水晶球を覗き込んだ。
「西の方角ね〜セブンに剣の象徴あり〜。う〜ん、止めた方がいいかもね〜」
否定的な言葉に、美里が眉を寄せる。
「どういう意味なの?ミサちゃん」
「紅き王冠に、対なす剣〜鮮血を求める兇剣の暗示〜。あっちは方角が悪いね〜」
「そんなぁ…折角のお花見なのに」
肩を落とす小蒔に対して、裏密は飄々としたものだった。
「まあ、信じる信じないはみんなの勝手だけどね〜」
そこで言葉を切って、裏密は意味ありげに緋勇へと視線を投げた。
「緋勇く〜んは、ど〜お?」
その、意味ありげな視線は、醍醐辺りなら飛び上がって逃げそうなほど、妖しい。慣れているアン子や小蒔ですら顔が引きつっている。値踏みされているかのような視線に晒されるのは、京一も遠慮したかった。平然としているのは、真神の聖女と、わかっているのか度胸満点なのかその辺が謎な転校生だけである。
「裏密さんの占いは、当たるって聞いたけど?」
そう言われて、裏密がうふふふと嬉しそうに笑う。
「緋勇く〜んは、たぶん星の加護がある〜。だから〜これをあげる〜」
そう言って裏密が取りだしたのは、一見すると数珠のようなものだった。それをありがとうと言いながら受け取っている緋勇を、醍醐が奇異の目で見ている。
「…裏密のくれた物を受け取ったら、何か恐ろしいことが起こるような気がしないか?」
「なんでェ、タイショー、なんか貰ったことでもあンのかよ?」
途端にぴたりと口を噤んでしまった醍醐には、どうやら身に覚えがあるらしい。
「…お前も、迂闊には受け取らない方がいい」
「それ、緋勇のヤツに言ってやれよ」
「もう、遅いだろう。アレがもしそうなら…」
どこか遠い目の醍醐は過去に貰った物とやらを思いだしているのかも知れない。付き合える範囲ではない部分に飛び立っていってしまった親友を見捨てて、京一は緋勇に向き直った。
「まッ、この時期中央公園にいるのなんて酔っぱらいくらいだろ?裏密の占いをいちいち信じてたんじゃ、キリがねェ。それに王冠だの剣だのって、俺にはさっぱりだしな」
「うふふふふふふ〜」
京一の否定的な言葉にも、裏密は何とも言えない声で笑うばかりで何も言わない。
逆に声を上げたのはアン子だった。
「ちょっと、待って…。剣って、もしかしてこのあいだ国立博物館でやっていた日本刀剣展から盗まれた刀と関係あるの?」
アン子の言葉にも、裏密は笑ってはっきりとは答えない。
しかし、アン子に何か心当たりがある、そのこと自体が嫌な予感の根拠と言っても言い過ぎではないだろう。
裏密の占いだけなら、聞き流しもする。しかし、そこにアン子が絡んでくるとなれば、何か厄介事を背負い込む確率は桁違いに跳ね上がる気がするのだ。
同じ事を感じたのか、小蒔も不安そうな声を上げる。
「アン子、盗まれた刀がどうしたの?」
「…ちょっとね、心当たりがあるっていうか…」
何故かそこで、アン子は問うてきた小蒔の方ではなく緋勇の顔に視線を向けた。
「聞きたい?」
どこか楽しげなアン子の視線に、緋勇は小さく肩を竦めた。
「言いたいって顔、してるよ」
「ふふふふふっ、そう、聞きたいのね!やっぱリクエストにはお応えしないとね!」
「ちょっと待て緋勇、そいつの戯言聞くとロクな事になんねーぞっっ!」
「アホは黙ってなさいよっ!」
アン子が語った内容は、国立博物館から消えた日本刀に関する因縁話だった。
徳川の家に祟ると伝えられる、呪われた刀。
アン子の話では、日光の華厳の瀧から発見され、博物館から消えたその刀こそが伝承にある妖刀ではないかと言うのだ。
「妖刀、ねェ」
剣の道を歩む者として、刀に興味が無いわけではない。しかし、それが妖刀などというなんとも正体を掴みかねるものでは、正直何と言って良いのかわからない。
首を捻る京一に、アン子は意味ありげに笑って見せた。
「ふふっ、その妖刀、何て呼ばれてたか知ってる?」
「まさか、お前―――」
「そう、その刀はこう呼ばれていたわ。―――村正、とね」
村正といえば、そっち方面には門外漢である京一でも知っている妖刀の代名詞である。芝居っ気たっぷりに腕を広げるアン子に、美里が不安げに眉を寄せた。
「その刀―――村正が中央公園に?」
「―――かどうかは、わからないわ」
それまでの雰囲気を滲ませた語りっぷりとは一転、あっさりと否定したアン子に、小蒔がかくりと肩を落とす。
「だったら面白いなぁって思っただけ。へへへっ」
取りなすように笑ったアン子に、しかし美里は表情を曇らせたままだった。
「けれど…ミサちゃんの話も気になるわ。緋勇くん…緋勇くんは気にならない?」
不安げな美里に、緋勇は穏やかに笑んで見せた。
「大丈夫だよ、美里さん。中央公園って、刀泥棒が出没するような物騒なとこじゃないだろ?…っても、俺は行ったことがないんだけどね」
肩を竦める仕草に、美里の表情が緩む。
「そうよね、きっと、大丈夫よね」
不安を訴える美里を安堵させた、穏やかな、安堵を与えるかのような表情。しかし京一にはやはり、その表情に違和感があった。
「そうそう、どう考えたって中央公園にゃ結びつかねえよ。あんまし気にしないこった」
その思いを振り切るかのように声を上げれば、それまで黙っていた裏密がなんとも言えない笑い声を上げた。
「うふふふふ〜信じる信じないもみんなの勝手〜気をつけてね〜」
職員室に寄って声を掛ければ、マリアも参加を快諾したため、結局花見のメンバーは7人になり、現地集合するのがいいだろうという事で校門前で一旦別れることにする。
「それじゃあ、6時に中央公園で」
「ま、そんなもんか」
「で、遅れてきた人には罰ゲーム」
小蒔の言葉に、アン子が内容とは裏腹の嬉しそうな悲鳴を上げる。
「えーっ、踊るの?歌うの?」
「もちろん、両方っ!」
「マジかよ、小蒔…」
遅刻の自信がしっかりある京一は苦い顔を隠さない。その理由を全員に把握されているあたりが、京一の日頃の行いを良く表していた。
「人混みで可愛い女の子に目移りしてないで早く来いってことよ」
代表してアン子に釘を刺され、更に京一の顔が歪められる。
「へいへい、わーってるっての!」
「そう言えば緋勇くん、行ったこと無いって言ってたわよね、中央公園に。道…わかる?」
美里が思いついたように声を上げる。疑問の形は取ってはいるものの、その意図は明白だ。
いつもは見られない積極的な様子に、アン子がにやにやと含みのある笑みを浮かべて小蒔と小声で言葉を交わし始めた。
「あれはやっぱり、待ち合わせしようっていう誘いよね?」
「そうに決まってるよ」
「美里ちゃん、積極的ねぇ」
「でしょ?あの葵が、ここまで積極的ってことは、やっぱり…」
「うんうん、いい傾向よね。スクープの予感っっ!」
「ちょっと、駄目だよアン子。葵の事だから、そんなことしたら纏まるものも纏まらなくなっちゃうよ」
「大丈夫だって。ちゃんと引っ付くまでは自主規制するからさ」
「なーに馬鹿なこと言ってんだ、お前ら…」
かなり暴走気味のアン子と小蒔の会話内容に、京一が呆れて声を上げる。
「何言ってんの、あの美里ちゃんが男の子に積極的なのよ?これはもう事件よっっ!」
「緋勇くんは優しいし、イイ感じだもん。葵に誘われて断るなんて、考えられないしね」
しかし、小蒔やアン子の思惑と緋勇の答えは一致することは無かった。
「うん、多分わかると思うよ。大丈夫」
あっさりと言い切った緋勇に、美里が心なしか残念そうな表情を浮かべる。
「そう…じゃあ、後で」
「うん、後でね」
にこりと笑って背を向けた緋勇に、密かに様子を窺っていた一同は詰めていた息を吐いた。
「緋勇くん…もしかして鈍い?」
「気づいてたら、葵の誘いは断らないよねぇ?」
「わかってやんわり断ったンなら、アイツもかなりの遣り手だけどな」
「ま、まあ、どっちにしてもそういう事にはあまり口を出さない方がいいだろう。俺達ももう行かないか?」
醍醐の言葉に、残された一行も解散することになったのだった。
中央公園には、全員少し早いぐらいの時間に集まってきた。
「マリアセンセー、こっちこっち!」
大きく手を振る小蒔に、マリアが笑って応える。
「ミンナ、早いのね。遅れてしまったかしら?」
「そんなことないですよ、マリアセンセー」
ちゃっかりとそう言う小蒔の脳裏からは、もう罰ゲーム云々は消え失せているらしい。
「はははっ、桜井はお前の罰ゲームを見たかったらしいな」
「ちっ、現金なヤツ…」
京一達より遅く着いた小蒔の頭からは、自分が言い出した罰ゲームのことは都合良く消去されているらしい。
「みんな、集まったんなら…って、あれ?緋勇くんは?」
確かに、肝心の主役である緋勇の姿だけがまだ無かった。
「どうしたのかしら…」
「道に迷ってたりしてな」
「アンタじゃあるまいし」
「なんでそこで俺が出てくんだよっっ!」
「京一(アホ)じゃないんだから、可愛い女の子のお尻を追っかけて、迷子になったりはしないって言ってんのよ」
「アン子、お前とは一度話つけなきゃならねェと思ってたけどな…」
「ふふん、いいわよ、今、この場で決着つけても」
睨み合うアン子と京一を宥めるかのように、マリアが声を上げた。
「あら、遠野サン、そうでもないみたいよ?」
「へ?」
くすくすと笑うマリアの指差す先には、緋勇の姿がある。
但し、腰の辺りにまとわりついた子供に気を取られて、こちらには気づいていないようだったが。
「確かに、可愛い女の子だね」
「迷子かしら?」
心配そうだった美里の表情がぱっと明るくなり、小蒔も笑顔になって声を上げた。
「緋勇クン!こっちだよ!」
小蒔の声に気づいて緋勇が片手を上げる。
そこへ、子供の母親らしき女性が駆け寄って、子供を抱き上げた。
「ゆーちゃんっっ!」
辺りに響き渡るような声に、通行人がちらちらと視線を送る。
「ちょっと…」
「行った方がよさそうかしら?」
若い男が、自分の子供を連れ回していたとなれば母親ならば嫌な想像をしてしまうご時世である。妙な誤解を受けてもと一同は揃ってそちらに歩き出したのだが、幸いにしてその心配は無かったようだった。
「迷子になってたみたいなので、お母さんを捜してたんです。見つかって良かった」
会釈した緋勇の顔を見て、母親らしき女性はあっさりと自分の誤解を解いたらしい。
「本当に、お世話になりました。この子ったら、急に走り出して見えなくなったものだから…」
「いいえ、別に。大した事はしてないですから」
確かに、そう言ってにこりと微笑む緋勇を包む空気からは邪心を思い起こすのは難しい。
「ゆーちゃんも、駄目じゃない、走ったら」
怒られたことが、小さな少女は不満だったらしい。
「だって、お花見に来たんでしょ?ごはん食べる前にお花を見なきゃって言ったの、ママだよ」
「お花は走らなくても見えるじゃない」
「だって、きれいなお花は歩いてたんだもん!ね!」
威勢よく同意を求められて、緋勇は苦笑めいた笑みを浮かべた。
「そうかな?自分ではわからないけど」
「絶対そうなの!わかんないなんて、おかしいんだから」
「ゆうかちゃんがそう言うのなら、そうかもね」
苦笑めいた笑みを浮かべて少女の頭を撫でる緋勇に、少女は声を上げて笑う。
「ゆーちゃん、何の話?」
不思議そうに首を傾げる母親に、少女が目を見張った。
「ママにも見えないの?おにいちゃんのお花が、一番綺麗でしょ?」
花扱いされた緋勇は笑っていたが、母親は慌てて少女を咎めた。
「ゆーちゃん、お兄ちゃんはお花じゃないでしょう?ごめんなさいね、変なことを言って」
緋勇に頭を下げる母親が気に入らなかったらしい。少女は不満そうに頬を膨らませた。
「変なことじゃないもん!さくらの花、真っ白くて、お兄ちゃんのが一番綺麗なのに!」
唇を噛み、泣きそうな表情になる少女の前に膝をついて、緋勇がふわりと微笑んだ。
「ありがと、ゆうかちゃん」
笑顔を向けられて、少女の顔が少し緩む。
「ゆうかちゃんと会えて、俺も楽しかった。けど、もうお母さんの手は離しちゃ駄目だよ。心配するから」
「うん…」
少女が、何かを思い切ったように顔を上げた。
「……ねぇ、また、会えるかな?」
「…そうだね、また、会えたらいいね」
その言葉に、やっと少女の顔に笑顔が戻る。
「またね、おにいちゃん!」
頭を下げる母親と手を振る少女を見送る緋勇の背中を、小蒔が面白そうにつついた。
「緋勇クン、女の子にモテモテだね。ナンパしたの?」
悪戯っぽく笑う小蒔に、緋勇も笑って返す。
「実はされたんだ」
聞けば、公園の手前で件の少女にいきなり手を引かれたのだと言う。
「なんか、目に付いたみていでさ」
「そう言えば、花見の花扱いされていたな」
「あの子には、そう見えたらしいね。花扱いされたのははじめてだけど」
苦笑してそう言う緋勇に、アン子が腕を組んで首を傾げた。
「う〜ん、なんだかそれはわかる気がするかも」
「そうかな?」
首を傾げる緋勇に、美里も微笑んで頷いた。
「そうね、季節もあるかもしれないけど、その気持ちはわかる気がするわ。―――緋勇くんは、とても印象的だから」
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