「京一、今、かまわないか?」
 旧校舎での騒動から3日目。妙に真面目な表情で話があると切り出した醍醐に、京一は肩を竦めて笑って見せた。
「いいぜ。まぁ、お前の言いたいことは想像つくけどな」
「ああ…一応、な」
 昼休みなので、多くの時間は割けない。手っ取り早く人目を避けようと、二人は屋上へ足を向けた。
「お前、あれからなんともないか?」
 屋上の手すりに寄りかかって、醍醐が切り出したのは案の定、京一の予想通りのものだった。
「まーな。別に、これといっておかしな事はねェよ。そっちはどうなんだ?」
 京一の答えに、醍醐は頷いた。
「ああ、俺も特には、な」
「なあ、醍醐。あの感覚…覚えてるか?」
 旧校舎で、頭の中に響いてきた得体の知れない声。直後に襲ってきた、全身から何かがあふれ出すような得体の知れない感覚。
「忘れようがないだろう。幸い、あれ以来何も感じないが…」
 手すりを背に、空を見上げて黙り込んだ京一を、醍醐は不思議そうに見た。
「お前は、何かあったのか?」
「そうじゃねぇ。俺もなんも感じねェよ。けど…」
「うん?」
「最初は、消えたんだと思った。けど、そうじゃねェのかもって気がすんだよ」
「どういう意味だ?」
「消えたんじゃなくて…馴染んじまったんじゃねェかと思うのさ」
 虚を突かれたように、醍醐は京一を見つめた。しかし、その眼差しには、納得の色も浮かんでいる。
「あの瞬間に受けた、暴れ出すような感じはもうねェ。体調もいいし、おかしなこたねーよ。けど、確実に何かが変わった気がすんだ」
「…………」
 返ってきた沈黙は、何よりも雄弁な肯定だった。醍醐もまた、京一が感じたものと同種の物を感じていたのだろう。
 あの時、全身に溢れた『力』は、今、その気になればあっさりとこの身から溢れ出るのではないか、と。
「…試したのか?」
「いんや。さすがに、な…」
 あの異質な感覚が再び蘇るのではないか、と考えると流石に冷静では居られなかったのだ。
 それほどまでに、あの感覚は圧倒的だった。あれを、自分の意志で制御できるのかという不安。それ故に、京一はその先に踏み出せないで居た。おそらく、醍醐もそうだろう。
「桜井や美里も、普段と変わらない様子だった。それに…緋勇も」
 その名前に、京一の眉が複雑に歪められた。
「緋勇、か…」
 あんな事があっても、確かに緋勇は落ち着いていた。変わらず穏やかに笑み、次の日、何があったのかと真相究明を迫るアン子も見事に躱していた。あんな非日常に直面して、しかしそれでも浮かべる笑顔は人を安堵させる穏やかなもので。
 そのことに、美里や小蒔だけではなく隣に居る醍醐も少なからず安堵していたことを知っている。
 しかし、京一はその穏やかさにある種の違和感のようなものを抱いていた。
 
 緋勇は、明らかに最初から旧校舎を警戒していた。
 その事実も不審を誘うものだが、京一が気になるのは寧ろそこではなくて。
 あの日、旧校舎で、薄れる意識の中で見た、緋勇の顔。
 いつも穏やかで、柔らかい表情の緋勇と、あの一瞬、見えた稚い子供のような表情の緋勇。その差が、京一の中でどうしても埋まらないのだ。

 しかし、それを見ていない醍醐に説明したところではじまらない。結局、京一が口にしたのは別のことだった。
「アイツも災難だよなぁ…転校早々。佐久間みてーなのに絡まれるわ、化け蝙蝠に襲われるわ、真神の番格に勝負は挑まれるわ…」
 最後の部分でちらりと視線を投げると、醍醐は苦笑して肩を竦めた。
「まあ、そう言うな。あれは俺の性のようなもんだ」
「へいへい。ったく、お前も本当に好きだよな」
「まあ、負けた事自体は俺の力不足で口惜しいが…あの勝負は楽しかった。不思議なヤツだよ、緋勇は」
 負けた事に、悔しさより強く爽快感を覚えたらしい醍醐は、その後の旧校舎の件もあって、完全に緋勇を友として迎えている。
 まだ、出会って一週間も経っていないのに。
「まあ、確かに、な」
強く惹かれる感情は、京一の中にもある。しかし、素直に頷けないのは、逆にその気持ちが強すぎるからかも知れなかった。
 同意しつつも、どこかすっきりしない表情の京一に、醍醐は笑って言った。
「お前が、そんな風に『男』を気にしている事自体が、不思議さの証明だと思うがな」



 放課後の喧噪の中で、醍醐が緋勇に声を掛けている。
 穏やかな表情で応じている緋勇だが、やっぱり京一にはその穏やかさが気になった。
 結局、京一は緋勇に学校周辺を案内してやるという約束を果たしていなかった。京一が気づいた時には、既に居なかったり、捕まえても用があるといった風になかなか都合が合わないのだ。都合が合わないと言えば聞こえが良いが、要は避けられているのではないかと思ったりもしたが、そんな時の緋勇は本当にすまなそうで、そんな風には見えなかった。
 けれど、何か違和感がある。
 それは、緋勇の穏やかな表情を見る度に感じるのと同種のもの。
「よっ、ご両人。ちょいと相談があるんだけどよ」
 声を掛けると、醍醐が面白そうに片眉を跳ね上げた。
「噂をすれば…だ」
「確かに」
 醍醐だけではなく、緋勇も何故か笑っている。いかにも意味ありげなそれに、京一は膨れた。
「なんだよッ。男同士で気持ち悪ィなッ」
 意味ありげに顔を見られてくすくすと笑われるのは気分が悪い。膨れた京一を取りなすように、緋勇が笑いかけた。
「蓬莱寺はいつも元気が良いって話してたんだよ」
「あん?元気?」
「脳天気とも言うがな」
「…醍醐、喧嘩売ってんなら買うぞ?」  
「はははっ、相談ってなんだ?京一」
「へへへッ、イイ話だぜ?」
 にやりと笑んだ京一に、醍醐がちょっと眉間に皺を寄せた。
「…今度は何を思いついたんだ?」
「なんだよ、その疑わしげな顔は」
「お前がそういう顔をしている時は、大抵ろくでもないことを言い出すと相場が決まってる」
「へっ、言ってくれるぜ。俺はただ、そろそろ花見の季節だなァ、っと」
 醍醐の胡散臭げな眼差しが強くなる。
「…だから、なんだ?」
「舞い散る花びらを見上げながら、緋勇と友情について熱い語り合いをだな―――」
「で?本音はなんなんだ?」
「さぞかし酒がうまいだろうなァ」
「………京一、お前な」
 醍醐が溜息と共に説教を吐き出す前に、京一はにっと緋勇に笑いかけた。
「やっぱ日本人なら、花見酒はお約束じゃねェ?ビールで乾杯ってヤツ」
 怒られるかとも思ったのだが、緋勇はくすりと笑って切り返してきた。
「俺は、日本酒の方がいいな」
「おッ、通じゃねーか。結構飲むクチか?」
「嫌いじゃないな」
 さらりと言い切るのが、実はかなりの酒豪であることを予想させて、京一の顔も緩んだ。酒は好きだが、酒宴の場では呑むだけではつまらない。一緒に騒げる相手があってこその花見だ。
 しかし醍醐は、乗せるのが上手い京一をもってしても乗せられない、筋金入りの堅物である。酒宴の相手にはとことん、向いていない。
 厳密に言えば、今回の目的は酒宴ではないのだが、酒が飲める機会は何時だって大歓迎である。
「俺はやっぱビールだなッ。まあ、コップ酒も嫌いじゃねェけどよ」
「夏ならともかく、この時期はまだ日本酒がいいな。出来れば辛口」
「余裕だな。いっちょ呑み比べといくか?」
「蓬莱寺こそ、随分自信ありそうじゃないか」
 そういって僅かに唇の端を上げた緋勇こそが自信ありげに見える。
「よーっし、やってやろうじゃねェか。で、何賭ける?」
「賭けるのか?」
 ちょっと目を見張る緋勇に、京一は指をちっちっちっと振った。
「たりめーだろ?勝負事は賭けてナンボだぜ?」
「そういうもんかな?」
完全に会話から置いて行かれた形だった醍醐が、低い唸り声を上げた。どうやら、『賭け』の単語に反応したらしい。
「お前たち…高校生の分際で、飲酒の上賭けだと?何を考えているッ」
 眉を吊り上げた醍醐は、かなり真剣に怒っている。良い奴なのだが、こういう部分はもうちょっと柔らかくてもいいと、京一は自分勝手な感想を抱いた。
「まァまァ、んな顔すんなよ。相変わらずおカタイなあ、真神の総番殿はよ」
「お前がやわらかすぎるんだッ!酒は、健全な肉体だけではなく、精神まで鈍らせる。京一、お前も武闘家の端くれならわかるはずだ」
「ふふん、あいにくと、酒で鈍るほど俺の腕は悪くないんでね」
「そういうのを屁理屈と言うんだぞ、京一。大体、俺達は高校生だ。社会的、道徳的にだな―――」
「社会や道徳で宴会ができりゃ苦労はしねェよ」
「それが屁理屈だと言ってるんだッ!緋勇、お前も転校早々謹慎を食らいたくはないだろう?」
 口の減らない京一から、緋勇へと矛先を変えた醍醐だったが、視線を移した途端に、緋勇の何とも悲しげな眼差しに曝されてうっと詰まった。
「そ、そんな顔をしても、俺は許さんからな!」
 眼差しを意識して居心地悪げに怒鳴る醍醐に、緋勇は、悲しげな表情を瞬時に消して、悪戯っぽく笑った。
「冗談だよ。やっぱりお酒はまずいよな」
「その通りだ。なんだ、わかっているじゃないか」
 安堵したように笑い声を上げる醍醐とは対照的に、発言を否定された形の京一は当然面白くない。
「んだよ緋勇。やっぱ自信がねーのかぁ?」
「京一、いい加減にお前も諦めろ」
「たーーっ、どいつもこいつも…どうしてそうカテェんだよッ!」
「だから、お前が柔らかすぎるんだ。もう少し…」
 ふてくされる京一の目に、説教を始めた醍醐の後ろに居る緋勇の姿が映った。京一の視線を受け止めて、緋勇は悪戯っぽい笑みはそのままで、ゆっくりと人差し指を口元に当てる。現金なもので、その仕草に、京一の機嫌はあっさりと浮上した。
「何も、一生禁酒しろと言ってる訳じゃない…」
「はいはい、わかったよ、タイショー。酒はやめとくって」
 あっさりと引き下がった京一に、醍醐が疑いの眼差しを向ける。
「本当か?」
「やっぱ高校生の身で飲酒はマズイよなっ」
 醍醐の視線が更に疑わしげなものになる。
「…どうも嘘臭く聞こえるんだがな」
「醍醐、人間信じ合えなくなったらしまいだろ?」
「お前の口にはあんまりにも不似合いな台詞だからな」
「ちぇっ、ったく…ちっとは信用しろっての」
「そりゃ、京一の日頃の行いが悪いからだろ?」
 呆れたような声で割り込んできたのは小蒔だった。横にはにこにこと笑う葵が居る。
「なんだよ、ふたりとも、いたのか?」
「さっきからいたよ。ボクと葵と―――美女が二人も。ねっ、緋勇クン?」
 小蒔に覗き込まれて、
「目の保養が出来て嬉しいよ」
 かなり気障な台詞だが、緋勇がにこりと笑って言えば、嫌みには聞こえなかった。
 小蒔が嬉しそうにえへへと笑う。
「緋勇クンって優しいよね〜」
 そうやって照れたように笑う小蒔は、普段の言動がボーイッシュなだけにかなり新鮮である。同性や下級生受けが良いために、京一に美少年等とからかわれてはいるものの、小蒔は男連中にも人気が高いのだ。
 その様子を、醍醐が少しばかり複雑そうな表情で見ている。醍醐には間違っても言えない台詞をあっさりと告げる緋勇が羨ましいのかもしれない。
 そう思うと、京一は少々醍醐が気の毒になった。
「緋勇…俺には女は美里しか見えねェぞ…」
 その一言で、小蒔のほわっとした笑みが消え、たちまちいつもの調子が戻ってくる。
「きょ〜いちぃ〜あんたねェ、どこに目ェつけてんのさ!」
 怒り出した小蒔を、醍醐が心なしかほっとした様子で宥める。
「まあ、おちつけ桜井。そうだ―――どうせならみんなで花見に行かないか?中央公園ももう満開だろう?」
 途端に、小蒔の顔がぱっと明るくなる。
「えっ、花見に行くの?いいね、それ」
 その表情は何よりも雄弁で、宙を彷徨う視線が思い描くものも実にわかりやすい。果たして、小蒔はうっとりと呟きだした。
「中央公園には屋台が出るんだよね…やきとり、焼きそば、お好み焼き、おでんにたこ焼き…」
 呟きながら、片手で指折り数えている小蒔の考えている事など明白だ。
「うんうん、花より団子って単語はお前のためにあるようなモンだ」
「花を見ながらの屋台の食べ歩き。これが花見の醍醐味ってものだろ?綺麗な桜に食欲も増すってものさ。ねっ、葵」
 しかし、美里は答えない。何かを考え込むように遠い目をしている美里を、小蒔が不思議そうに覗き込んだ。
「葵?どしたの?ぼーっとして」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと考え事してたの」
 すぐに笑顔になった美里は、
「中央公園は夜桜も綺麗でしょうね。みんな、どうかしら?緋勇くんの歓迎会も兼ねて」
 その提案に、否やがあろうはずもない。
「そうそう、そういややってなかったよな、歓迎会。丁度いいじゃねェか。今日、空いてるだろ?来るよな?緋勇」
 さらりと、けれど期待も込めて緋勇を見ると、緋勇はちょっと目を伏せた。
 一瞬の沈黙。
 さっきまでは感じなかった、あの、『違和感』が蘇る。
 しかし、顔を上げた緋勇は穏やかに笑んでいた。
「ありがとう。嬉しいよ」
「それじゃ決まりね。今日はみんなで花見よッ!」
 『違和感』の正体を捕まえるより早く、響いたその声に、京一は恐ろしく不吉なものを感じて振り返った。
「げっっっ、アン子!どうしてお前、ここに…」
 そこにいたのは、案の定、嬉しそうに目を輝かせたアン子だった。
「あーら、そんなコト、どうでもいいじゃない。緋勇君の歓迎会なら、私にも参加する権利はあるわよね?」
 笑顔で窺ってはいるが、その目には紛れもない好奇心が見える。アン子は先日からの一件で緋勇に興味を持っている。この機会に取材を敢行しようという狙いが見え見えだった。
(断れ。断るんだ!)
 京一の心の叫びも知らず、緋勇はにっこりと笑った。
「ありがと、遠野さん」
「そうこなくちゃ!」
「緋勇…イヤならイヤって言っていいんだぞ?」
 あっさり頷いた緋勇に京一は思わず疲れ切った声を出した。
「ちょっと京一、どういう意味よそれっ!」
「お前が居ると、ろくでもないコトが起こりそうな気がすんだよっ」
 何せアン子は真神一のトラブルメーカーである。騒動に嘴を挟んだり、取材と称して騒ぎを大きくした件を上げればきりがないくらいなのだ。勿論、迷惑を掛ける相手を選んではいるらしいのだが、その『迷惑を掛けても良い相手』に、自分が確実にリストアップされている確信があれば、距離を取るのは当然だ。
「失礼ね、有能なジャーナリストに理屈は必要ないの。事件の方が、私を求めてやってくるのよッ!」
「ちっ、ったく…しょーがねーなぁ…」
「人数多い方が絶対盛り上がるよ、きっと」
 ぼやく京一を咎める事無く小蒔がフォローを入れるのは、アン子のトラブルメーカーぶりをそれなりに認めているからだ。何せ、前科がありすぎる。その辺の経緯を知らない緋勇だけは、京一の渋面を不思議そうに見ている。それに気づいた美里が、取りなすように笑んだ。
「中央公園の桜は綺麗だから、きっと緋勇くんも気に入ると思うわ」
「そうそう、綺麗な花に綺麗なネェちゃん」
「結局、それか…」
 小蒔は呆れたように肩を竦めたが、いつものことである。
「んじゃ、ここにいる全員が参加決定だね!」
「アルコールは抜きだがな」
 ぼそりと呟く醍醐は、さっきのやりとりを忘れてはいないらしい。
「しつけーぞ、醍醐ッッ!お前は保護者かッ!」
「何とでも言え。お前の諦めの悪さを、俺はよーく知ってるからな。ジュースに混ぜてでも持ってきかねん」
 きっぱりと断言されれば、流石に京一も脱力する。
「だから、ちっとは信用しろって…」
「蓬莱寺、信用ないな」
 堪え切れぬようにくすくすと笑う緋勇に止めを刺されて、京一は恨めしげに醍醐を睨んだ。
「なんで緋勇には言わないんだ?タイショー。コイツだって、さっきまで喜々として酒の話してただろーが」
「それこそ、日頃の行いだな」
 涼しい顔で言い切られ、京一は無言でその場に沈んだ。
「あ、だったら先生を呼ぶっていうのはどう?」
「なーーッ」
 アン子の提案に、京一は目を剥いた。
「マリア先生ならきっと行ってくれるわよ」
(たぁーーーっ、アン子のヤロー、なんちゅーことをっ!)
 花見の席に教師同伴など、反則もいいところだ。実際の所、全く諦めてなどいない京一にとっては問題外である。しかし、醍醐はそれを聞いてぽんと手を打った。
「なるほどな、まさか先生の前では酒は飲めまい」
「ちょっと待て!花見が教師同伴なんて聞いたこと無いぞ!」
「あら?何か都合が悪いことでも?」
 少々意地のよろしくない笑みを浮かべるアン子は、京一の考えなどお見通しと言わんばかりに詰め寄った。
「べ、別にそういう訳じゃねェけどよ、保育園の遠足じゃあるまいし、教師同伴なんて…問題あると思わねェか?緋勇」
 苦し紛れに泣きつくと、緋勇は苦笑に近い笑みで肩を竦めた。
「う〜ん、そうだねって言ってあげたいけど…もう決定事項みたいだよ?」
 確かに、アン子も小蒔も醍醐も、京一のことは故意に無視して話を進めているし、美里は本気でマリアを歓迎している。
「…なんて薄情な連中だ」
 肩を落とす京一を慰めるように、緋勇はぽんぽんと背中を叩いた。
「今回は諦めるんだな。流石に先生の前じゃ飲めないだろ?」
「今回は、か?」
 自分より僅かに低い位置にある目をわざと上目遣いで睨むと、緋勇がぷっと吹き出した。
「今回は、だよ。…そんなに飲みたいのか?」
「緋勇は花見に酒抜きなんて我慢できるのかよ?」
「確かに、ちょっと寂しいかもしれないけど…」
「そこっ!なにこそこそやってんの!マリア先生を呼びに行くわよッ!」
 何時の間にやら話は、職員室までマリアを迎えに行く段まで話が進んでいたらしい。
「やっぱり今日は、大人しくしてた方が良いみたいだよ」
 にこりと笑って駄目押しされて、京一は天を仰いだ。
「しょーがねェ。マリア先生も巻き込んでどんちゃん騒ぎといくかッ」
「お酒は駄目だからね」
「わかってる、つってんだろ!」
「はいはい、じゃあ早く行こうよ!」
 言いながら戸口に向かった小蒔が戸を引いたのと、外から誰かが入ってきたのは同時だった。
「わっ!」
 無防備だった小蒔が、弾かれる形でよろめいた。
「あいたたた…どこ見て歩いてるんだよッ…」
 文句を言いかけた小蒔が、相手を見て黙り込んだ。
 放課後の一件以来、姿を見せていなかった佐久間が立っていたのだ。
「佐久間…」
「あんた、いつ退院したの?」
 歌舞伎町で喧嘩騒ぎの名残か、頬には大きな絆創膏を貼り、腕には包帯が巻かれている。
 一瞬落ちた居心地の悪い沈黙を破るように、醍醐がぎこちなく話しかけた。
「まァ、なんにせよ良かった。部の方は調子が戻るまで休んでかまわんぞ。見学だけでもいいが、じっとしてられんだろううからなァ…」
 そう言って肩を叩こうとした醍醐に、佐久間はきつい視線を向けた。
「俺に近寄るんじゃねェ!」
「佐久間…」
 言葉を無くす醍醐に代わり、京一は佐久間を睨み返す。
「上等じゃねェか、佐久間。病院に戻りたいなら、いつでも協力してやるぜ?」
 いつもなら、そこで噛み付いてくる佐久間だったが、この時は違っていた。京一の方など、一瞥もしない。

 物騒な気配を漂わせて、佐久間が見ているのはたった一人。

「緋勇…」
 その、剣呑さを感じさせる低い声に、美里が小さく震え、小蒔やアン子も息を呑む。
「おい、緋勇。俺ともう一度、闘え」
「佐久間くん…」
 先日は効いた、美里の悲しげな声も、今日の佐久間には通じない。いや、美里の声が耳に届いていないかのようだった。
「やるのかやらねェのか、どっちなんだ?」
 しかし、殺気の籠もった眼差しを向けられた当の本人は、何事もないかのように言葉を返した。
「悪いけど、今日は先約がある」
「逃げんのか、てめェ…許さねェぞ」
「………」
 沈黙を返す緋勇は、佐久間の態度に怖じている訳ではなく、何を言っても今の佐久間には通じないであろう事を読んでいるようだった。
 冷静な眼差しに、佐久間の顔が激しく歪んだ。
「…そこまで、俺を馬鹿にするつもりか?」
 ぎらぎらとした視線は本当に何をしでかすか解らない危うさを含んでいる。流石に危険を感じて、京一はその間に割り込んだ。
「バーカッ、てめェとやったところで緋勇が勝つに決まってんだろ?」
「なんだとォ…」
 今度は佐久間も京一の言葉に反応を返した。剣呑な空気が広がるのに溜まりかねたように、醍醐が声を荒げる。
「やめろ、二人ともッ。私闘なら俺が許さんぞ」
「そうやって親分風吹かしてられんのも、今のうちだぜ。醍醐―――緋勇の次はお前だ。いつも俺の前を歩きやがって…」
「…………」
「けっ」
 何も言えずに黙る醍醐、好戦的な目を向ける京一、最後に緋勇に何とも物騒な視線を投げて、佐久間は教室を出ていった。