繁華街の中での刃傷沙汰に、集まったパトカーの量は半端ではなかった。別にやましいことはないのだが、血のべっとりついた刀を下げているとなればそうもいかない。しかし、放置しておいて、先刻の男のように妖刀に支配される人間が出たらと思えば、おいそれと投げておく訳にもいかない。
 幸い、事件の混乱で人が入り乱れ、特に見咎められる事もなく荷物を広げていた場所まで戻ることが出来た。
 置き去りにしていた荷物も荒らされる事無く残っており、財布まで置き去りにしていた醍醐がほっと息を吐く。
「今日はもう、帰りましょう。ここには、居ない方がいいわ」
 マリアの提案も尤もで、見ていた者が皆無とも言い切れない以上、この場を離れた方が良いのは当然だった。
「…って、これ、どーすんだよ?」
 京一は、緋勇が上着にくるむようにして持っている刀を顎でしゃくった。
「それ、だけどね…心当たりが無くもないわ」
「……?どゆコト?アン子?」
「北区の方にね、そういう…曰く付きの品物を扱ってくれる店があるって、聞いたことがあるの」
「曰く付き、ねェ…」
 胡散臭いとばかりに顔を顰めた京一を、アン子がきっと睨む。
「何よ、じゃあアンタには引き取ってくれるあてでもあるの?」
「当てはねェけどよ、そこは血の付いた日本刀持ち込んでも、何も言わずに引き取ってくれるような店なのかよ?」
 京一の言葉に、アン子がうっと詰まる。
「そっ、それは…わかんないけどっ!じゃあ、アンタならどーすんのよっ!」
 不毛な言い争いに割って入ったのは醍醐だった。
「ここで、色々言ってても仕方がないだろう。当面、これをどうするか、だが…」
 思案する顔になった醍醐に、緋勇が声を掛ける。
「それだけど…」
「緋勇?」
 醍醐に頷いてみせると、緋勇はアン子に向き直った。
「遠野さん、その店のこと…調べて貰えるかな?」
「ええ、それは勿論。けど、今日って訳には…」
 平日の、7時も回っているのだ。今から店に出かけたところで、看板は下りているだろう。
「今日は無理だと思うから、都合のつく時に。それまで、これは俺が預かるから」
「預かる、って…でも…」
 持っているだけで犯罪者扱い確実の日本刀である。しかも血糊のおまけつきだ。気軽に預かると言われてもアン子が頷けないのも道理だった。しかし、緋勇は安心させるように笑んで、
「部屋の隅にでも、転がしておくから。大丈夫、感覚だけど、この刀、抜かなければあんな物騒なことにはならないと思う」
 その言葉に、醍醐が更に確認するように尋ねる。
「本当に…大丈夫か?」
「ああ、大丈夫」
 結局、それ以外に方法が無かったこともあって、緋勇がそのままその刀を持って帰る事になった。
 しかし、そのまま持って帰ったのではどうしても目立つので、京一の袱紗に無理矢理押し込んだ。少なくとも、剥き出しで上着にくるんで持ち歩くよりはましだ。
「じゃあ…気をつけて」
「また、明日ね!」
 不安そうな表情ながらも、落ち着いた風の緋勇に背中を押される形で皆、その場を離れていく。
「何かありそうだったら、構わないから連絡を寄越してくれ」
「ありがと。また、明日」
 そう言って手を上げる緋勇の傍らに最後まで残った京一は、刀を押し込んだ袱紗を肩に掛けると緋勇に向き直った。
「さ、行こうぜ」
「蓬莱寺…」
 はっきりと眉を寄せた緋勇に構わず、押し切るように言い切る。
「うだうだ言うなよ?文句言うなら、これは俺が持って帰るぞ?」
 こう言えば、断らないだろう。
 そう読んだ京一の読みは当たっていた。
 苦い表情は変わらないものの、特に何も言わずに緋勇は先に立って歩き出す。
「歩いて来たのかよ?」
「白状すると、バスとかわかんなかったんだ」
 硬い表情のままの緋勇に、なら何故美里の誘いを断った?とは聞けなかった。

 京一の予想が当たっていれば、それは多分…

「…ま、慣れてねェ人間には確かにこの辺はごちゃごちゃしてるわな」
 言いたいこととは関係の無いことを口にした京一に気づいているのかいないのか、緋勇はそうだなと小さく呟いた。


 緋勇の家は、真神からさほど遠くないマンションにあった。幸いなことに、行き交うパトカーや野次馬に見咎められる事もなく、無事にそこまで辿り着く。
 人目を避け、結構な長さの階段をエレベーターも使わず辿り着いたその扉の前で、緋勇は京一を振り返った。
「…寄ってくか?」
 その問いに、京一は一も二もなく頷く。
「おーよ」
 もやもやしたものを抱え込んでいるのは、性分ではない。聞きたいことはとっとと聞いてしまった方がすっきりする。
 京一の答えに、緋勇は息を一つ吐く。
「散らかってるけど…」
「安心しろ、いつか確実にもっと散らかってる俺の部屋も見せてやっから」
 その答えに、ようやく苦笑に近い笑みを浮かべた緋勇が扉を開ける。
「じゃ、どうぞ」


 散らかっていると言った緋勇の言葉には、確かに偽りはなかった。結構広さのあるその部屋には、越してきた時に使ったであろう段ボールが無造作に置かれている。しかし、それらは殆どガムテープで閉じてあるままで、部屋そのものに生活臭が殆ど無い。
「なんか、えらく殺風景だな…」
 思わず零れた言葉を聞き取ったのか、緋勇が肩を竦めた。
「だから、散らかってるって言ったろ?」
「けど…」
 荷物が少ない上に、まるで人気のない部屋。
 京一が尋ねる前に、緋勇があっさりと言う。
「俺、一人暮らしだから。気を抜くと見事にこれだよ」
「そ、っか…」
 そう言えば、緋勇の時期外れの転校の理由を、マリアは『家庭の事情』と説明していた。
(家庭の事情、ねぇ…)
 素人目から見ても家賃の張りそうな部屋に、一人で越してくる『家庭の事情』。
 訳ありですと宣言してるみたいなものだ。
「そういやお前、越してきたのは一月前って、マリアセンセは言ってなかったっけか?」
「ここを借りたのは、その位だけどね。実際、住み始めたのは…一週間くらい、かな?」
 そう言えば、転校二日目にそんなことを聞いたような覚えもある。あの時、大体片づけたとも聞いたような気がするが、これではとても片付いているとは言えないだろう。
「けど、それにしたって…」
 言いかけて、京一はそれ以上言葉を紡げなかった。
「それより…」
 緋勇が、断固とした表情で京一の抱える袱紗に手を伸ばしたのだ。
「早くそれを」
「…って、おい…」
 有無を言わさず、京一から袱紗を奪い取った緋勇は、件の刀を引っ張り出すと、それを転がっていた空の段ボールの箱に放り込んで、隣室へ押しやる。
 その様子をあっけに取られて見ていた京一は、隣室の扉を閉じた緋勇の顔に浮かんだ安堵に息を止めた。
(やっぱり、こいつは…)
 京一の表情に気づいたのか、緋勇はその強引な行動を誤魔化すように笑った。
「やっぱ、さ。気持ちのいいもんじゃないしね」
 それを見た瞬間、京一の中のもやもやとしたものがすっと晴れた。
「お前さぁ…」
「え?」
「お前って、結構心配性?」
 京一の言葉が意外だったのか、緋勇は何を言っているのかという風に首を傾げた。
 それに構わず、京一は公園から忘れずに回収してきたバックを床に下ろすと、中身を出して緋勇に投げる。
「って、これ…」
 渡されたそれに、緋勇の目が丸くなる。
「続きしよーぜ。花はねーけど、こっからならアレが代わりになるだろ」
 そう言って、京一は傍らの壁にある電気のスイッチを消すと、窓に掛かるカーテンを開けた。
 暗い室内に、ガラス越しの光がきらきらと反射した。
 高さも手伝って、そこからは新宿の街が綺麗に見渡せる。
「季節物じゃねェけどよ、これも一興、ってな?」
 笑う京一の顔を、緋勇は不思議なものでも見るように眺めた。そして、京一の傍らに立つと窓に手を掛けてからりと開ける。
「…確かに、綺麗だな」
 呟いて笑った緋勇の顔こそが、街の明かりに映えて酷く印象的だった。風が浚う前髪の下の柔らかい笑みは、初めて会った日の、京一の胸を騒がせるものと同じで。
 それを妙に意識して、赤くなった顔に気づかれまいと、京一は慌てて外に目を向ける。
 吹き込んでくる風はまだ少し、冷たい。
「んじゃ、乾杯しよーぜ。すっかりぬるくなっちまったけど、な」
 自らも引っ張り出したビールの缶を掲げると、緋勇は京一に渡されたそれをしげしげと眺めて面白そうに言った。
「ほんとに、蓬莱寺は諦めが悪いな」
「なンだよ。お陰で飲めるんだろ?」
 ちょっと膨れてそう言うと、緋勇は肩を竦めてタブを引いた。
「違いないな。んじゃ、乾杯…って、何に?」
「そりゃ、さっきの続きなんだから、転校早々ハプニング続きで運のなさを披露してる、苦労性の転校生に、だろ?」
 戯けた京一に、緋勇は息を一つ吐いて、
「…当たってるな、それ」
 しみじみとした答えに、京一も笑う。
「じゃ、乾杯」
 重ねた缶が、かちりと重たい音を立てる。


 本当は、聞きたいことが沢山ある。
 この『力』はなんなのか、知っているのかとか。
 それは旧校舎と関係があるのかとか。

 ―――何のために、この街に来たのか、とか。

 どれも、今の京一には想像もつかないことばかりだ。
 けれど、一つだけ、はっきりしている事がある。

 この―――穏やかな顔の下に確実に嵐を隠し持っているであろう相手に、酷く惹きつけられている、京一自身の感情(きもち)。

 緋勇が言いたくないことなら、言わなければいい。
 話したいと思えば自分で話すだろうし、話して欲しければ、そういう関係になればいい。
 結局、それは京一次第だ。
 それに―――京一の気づいた緋勇は、知っている何かからいつも皆を護ろうとしている。
 闘いの場だけではなくて、『力』に対する不安からさえも。
 いつも浮かべている穏やかな表情には、そんな理由もあって、だからこそ、時に違和感を感じるのだと京一には思えた。

 ―――あの、旧校舎で一瞬見せた、泣き出しそうな表情は、恐らく、緋勇の本音だったのだと。

 抱えている不安を見越して安心させられていたと思えば少々不満だが、まだ、出会って一週間も経ってないのだから、勝負はここからである。
 京一を怒鳴りつけたり、先走って手を引かせようとしたりと、テキがなかなかに難物なのは証明済みだが―――
 ちゃんと、この優しげだが厄介を抱えてそうな相手に、自分を認めさせて、みせる。
 決意の意味も込めて、京一はもう一度缶を緋勇の手の中のそれに小さく当てた。

「これから、よろしくな―――龍麻」
 それに返ってきたのは、やっぱり酷く京一の心を掻き乱す、柔らかな笑顔だった。



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