「醍醐!」
 人気のなくなりつつある放課後の教室で、京一は部活に向かおうとしていた醍醐を捕まえた。
「悪ィ、龍麻見なかったか?」
「さっき、廊下で見かけたから、もう帰ったんじゃないのか?」
 その答えに、京一は舌打ちして廊下を振り返った。
「ちっ、遅かったか…」
「なんだ京一、お前趣味を変えたのか?緋勇の追っかけとは、遠野の真似でもあるまいに」
 完全におもしろがっている口振りの醍醐をじろりと睨んで京一は首を振った。
「馬鹿、そんなんじゃねェよ。なんつか…時々あいつ、怪しいんだよ。絶対何か隠してやがる」
 穏当とは言い難い発言に、醍醐が驚いて目を見開いた。
「なんだ、随分穏やかじゃないな。どういうことだ?」
「ここんとこ、放課後になると消えるんだよ。何処に行ってんだか、この辺りの地理には詳しくないはずなのに…」
 焦っているような京一の口振りに、醍醐は首を傾げて反論する。
「らしくないな、京一。緋勇にも緋勇の都合があるだろう。お前はそういうことには踏み込まないのが流儀じゃなかったのか?」
 醍醐の知る京一は、他人の事情に無理に踏み込むような性格ではない。それが今日は妙に熱くなっているのが、醍醐には意外だったのだ。
 京一は少し悩むように眉を寄せたが、すぐにそれを振り払うようにきっぱりと言った。
「あいつは駄目だ。なんでだか知らないが、放っといたら切れちまいそうに見える。最初は気のせいかと思ったけど、どうも違う。いっぺんとっつかまえてきっちり吐かせないと…」
 言いかけた京一の目が、醍醐の背後の一点に釘付けになる。
「―――!その話は後な、じゃ!」
「おい、京一!」
 あっという間に飛び出していった京一を追うのを諦め、醍醐は窓から外に目をやった。
 ほんの一瞬の事だったが、京一が見ていた校庭の端、建物の影に吸い込まれるように消えていく影が醍醐にも見えた。
「緋勇龍麻、か…」
 京一が妙にこだわるその理由に、醍醐も気づいてはいた。
 緋勇龍麻という人間には、妙に目が離せないような雰囲気があるのだ。人を信じさせるような空気と同時に、時々何か、日常を壊してしまいそうな穏やかならぬものも感じさせる。醍醐自身も、その二面性に興味を持ってはいた。
 しかし、龍麻にはどこか人を拒むような空気があるのも確かだった。
 表面上は笑顔でも、ここから先には入ってくるなという境界線のようなものを時々感じることがある。恐らく、京一はそれが気に入らないのだろう。
 まだ知り合って間もないのだ。容易に踏み込めないこともあるだろうと、醍醐自身は今のところ時間に任せようと思っているのだが、京一はそれで済ませるつもりはないらしい。
 珍しいことだと思いつつも、それは悪いことではないと思う。
 あまり表には出さないが、京一は常にどこか鬱屈し、妙に醒めているような部分を隠し持っている。時折耐え切れぬように爆発するそれを、龍麻に関わることで、いい方に吐き出すことが出来ればいい。そして、そんな京一のまっすぐな所は、きっと龍麻の持つ壁を良い意味で壊してくれるだろう。
 そんな風に思ってしまっている自分に気づいて、醍醐は僅かに苦笑した。
「京一のことは言えん…か」
 様子見のつもりが、醍醐自身もかなり龍麻のことが気になってはいるらしい。
 醍醐は鞄を手にすると、足早に教室を出た。




 醍醐を置いて教室を飛び出した京一は、階段を数段飛ばして駆け下りていた。
 龍麻が放課後に姿をくらますことに気づいたのはそんなに最近のことではない。最初は気づけばいつの間にか姿が見えなくなっている程度の認識だったのだが、それが何日も続くとなると流石に不審を抱く。本人に尋ねてもみたのだが、にこりと笑ってかわされてしまったのだ。
 周囲には受けのいい龍麻の穏やかな笑顔は、京一にしてみれば曲者以外の何者でもない。あの顔で逃げられると、強く追求するというのがやりにくくて仕方ないのだ。
 だが、京一の勘では、間違いなく龍麻は何かを隠している。
 何かの拍子に見せる、張りつめた表情の理由を、京一はどうしても知りたかったのだ。


 教室から校庭まで、全速力で走ってはみたものの、龍麻の姿を捕らえることは出来なかった。
 しかし、向かったのが校門と逆の方向だったのは確認しているので、まだ校外には出ていないはずだ。
 手がかりを求めて周囲を見回すと、あるものが京一の目に止まった。
「ここは……」
 アン子と共に旧校舎に入り込んだ時にくぐったフェンスが、ほんの少しだけ浮いている。
 京一は躊躇うことなくそれをくぐって旧校舎の敷地内に踏み込んだ。




 旧校舎内は一見、前に入り込んだ時から変化があったようには見えなかった。
 しかし、気をつけて見れば、廊下に積もった埃の上に、薄い靴跡が奥に向かって続いているのが見て取れた。
「あいつ……」
 零れそうになった舌打ちを押し殺し、京一は音を立てないよう気をつけて歩き出した。
 旧校舎内はしんとして音もなく、誰かがいるような気配はない。それでも、確かな予感に京一の足は前へと進んだ。
 足跡は廊下の端にある部屋に入り、奥の一角で途切れていた。見れば、そこには引き上げ式の蓋のようなものがある。
「ここに入ってたのか…?」
 膝を突いてその蓋に触れた瞬間、電流が走ったような衝撃を受けて京一の体は震えた。

 何かが、いる。

 冷たく、身が震えるような気配がこの中にはあふれている。

 この蓋は、何か恐ろしく異質なものを封じ込めた境界線だ。

 開けば恐らく、この世のものではないものがあふれ出してくる―――

 京一は目を閉じ、小さく息を吐いた。
 正直、畏れのような気持ちがある。
 しかしそれと同じくらいぞくぞくと背を走る緊張感が心地よかった。
 京一とて身の危険は避けたいが、それ以上に退屈な日常に潰される方が辛い。伝わってくる冷たい気配は、危険と共に確かに日常からの脱却でもあった。
 それに、間違いなく求める人物はこの中にいる。
「何を考えてんのかしらねェが、抜け駆けもいいとこだっての。文句言ってやらないとな」
 口の端にうっすらと笑みを浮かべ、京一は掴んだ取っ手を引き上げた。

 暗い階段を下りたその先には、想像を超えた光景が広がっていた。
「うわ…流石にありえねェなこれ」
 ごつごつとした洞窟のような空間は広く、下手をすれば旧校舎そのものよりも大きいだろう。足元の水溜まりはまるで血溜まりのように見える上に、漂っている妖気は半端ではない。
 どう考えてもそこは、『あり得ない』空間だった。
「しかし…なんもねェな」
 辺りを見回してはみたものの、広がる空間に目につくものは何もない。漂う妖気はあるのだが、まるでそれは何かが祓っていった後の残り香のように薄く感じる。
 その時、微かな叫び声が京一の耳に届いた。
「……………!」
 よくよく目を懲らせば、広いフロアの一角に下へと口を開ける階段がある。京一は躊躇わずその階段に足を向けた。
 階段を下りていくと、妖気が一段と濃くなり、けたたましい叫びが耳に刺さる。
 上と殆ど同じような雰囲気のフロアの中央に、探し人の姿はあった。
「はぁ…っ!」
 気合いと共に放たれた拳が、異形の者の体を撃ち抜く。断末魔の悲鳴を上げて骸も遺さずに消えていくそれは、何度か街で闘ったものとよく似ていた。
 京一の姿を認めた龍麻が、驚きの声を上げる。
「蓬莱寺…!どうしてここに…?」
「それはこっちの台詞だ…って言いたいとこだけどな、話は後だ!」
 まだ、このフロアの中には異形の者たちが蠢いている。こんな場所で脳天気に口論するのは、命取り以外のなにものでもない。
 龍麻は唇を噛んで意識を眼前の化け物に戻し、京一も袱紗を払って木刀を構えた。
 残った異形の者の数は多くはなく、二人がかりと言うこともあってか、片づけるのに時間はかからなかった。
「は……っ!」
 最後の一体を龍麻の足が蹴り砕くと、漂っていた妖気は一気に薄れた。
「片づいたか。しかしまぁ、まさかこんなとこがあのおんぼろ校舎の下にあるとはなァ」
 そう言って、京一は物珍しげに辺りを見回した。改めて見ても、構造や雰囲気は先程のフロアと変わらない。ただ、不思議なことに降りてきたはずの階段は何処にも見あたらない。
「一体どうなってんだ?もしかして降りるしかないとか?」
 問いかけは先に入っていた龍麻に投げたものだったが、それに対する答えはなく、逆に問いが投げられる。
「………どうして、ここに?」
 硬い表情の龍麻に、京一は軽く肩を竦めて答えた。
「誰かさんが歩いてくのを見つけたからな。気になってちょろっと後をつけてみたらこんなとこに出たって訳だ」
 やっぱり、と言いたげな顔で溜息を吐いた龍麻は、真剣な表情で京一を見た。
「見ての通り、ここは危険だ。旧校舎には近づくなって言わなかったか?」
「それはこっちが言いたい。お前こそ、なんでこんなところにいる?一人で入り込んでる奴が危険だの何だのって言ったって、全然説得力がないぞ」
「……………」
 黙り込んだ龍麻に、京一は畳みかけるように尋ねた。
「で?お前は一体なにしにこんなとこに来たんだよ?」
 龍麻は眉根を寄せて黙り込んだが、厳しい表情で黙って答えを待つ京一にしぶしぶといった風に口を開いた。
「調べてみようと思ったんだよ。最初から、ここには妙な気配があったから」
「調べる、ねぇ…」
 京一は目を眇めて龍麻を見た。
「ここんとこ、放課後に雲隠れしてたのはそれが理由か?」
 そう言うと、龍麻は観念したように頷いた。
「まぁね」
「なんでこそこそ隠れる必要があるんだよ」
「蓬莱寺は……言ったら必ず着いてきそうな気がしたから。こんな危険な真似に付き合わせる訳にはいかない」
 きっぱりと言い切った龍麻に、京一はがくりと肩を落とした。
「お前、もしかしなくても馬鹿だろ」
 呆れたような口調と内容が心外だったのか、龍麻の眉が顰められる。それを無視して、京一は強い口調で切り込んだ。
「今更だろ、それ。大体危険だっていうんならお前はどうなんだ?こんなところに一人で来る方がよっぽど危ないだろうが」
 その言葉に、龍麻は困ったように視線を泳がせた。
「俺は…いいんだ」
「どういう理屈だ、そりゃ」
 理屈になってない返事を即座に切り返すと、龍麻はそれまでのきつい表情が嘘のように戸惑いを顕わにして口ごもる。
「それは………俺はこういうのに慣れてる、というか…」
 困ったような表情で言葉を選びかねている龍麻を見やって、京一は深い溜息を吐いた。
「とにかく、何にしても一人でやるこたないだろうが。それこそ、なんかあったらどうするんだよ?」
「……………」
 京一は、言葉に詰まる龍麻を覗き込んでにやりと笑った。
「っていうか、独り占めすんな」
「――――――」
 いきなり笑われたのが予想外だったのか、龍麻はあっけにとられたように目を見開く。少しだけ溜飲を下げた気分になって、京一は続けた。
「なんにせよ、人手は多い方がいいだろ?その分危険だって減るし、時間も短縮出来る」
「けど―――」
 京一は何かを言いかける龍麻の言葉を遮るように、背を向けた。
「いいから、取りあえず戻ろうぜ。問答はこんな物騒な場所じゃなくても出来るだろ。…って、そういや階段がなくなってたんだっけ?」
 見落としたのかと辺りを見回す京一の背後から、幾分落ち着きを取り戻した声が理由を説明した。
「―――ここは、一度入ったら、五階分降りないと上へは戻れないようになってるんだよ」
 振り返った京一の疑問を含んだ視線に、龍麻は軽く首を振った。
「なんでそうなのか、なんて聞くなよ?俺にも仕組みはよくわからないんだ。ただ、何回か試したけど、この法則はいつも同じだった。だから、どっちにしても進むのはあっちだ。あと三階分降りないと上には戻れない」
「……お前」
 一体何度それを試したのかと聞こうとした京一は、しかし龍麻の顔に浮かぶ表情に気づいて言葉を封じられる。

 龍麻は笑っていた。

 どうにかすると苦笑にも見える表情だったが、ついさっきまでの硬い表情ではなく、何処か肩の力が抜けたような柔らかい笑みで。
「………馬鹿はお前の方だ、絶対。人の気も知らないで」
 諦めたような口調のぼやきに、京一も負けじと笑って答えた。
「…どっちがだよ」
「仕方ない、あと三階分、付き合えよ」
「言われなくても!」
 上等だと笑って歩き出した龍麻を二歩遅れて京一が追う。
 ところが、不意に歩き出した龍麻の背が止まった。
「蓬莱寺」
「ん?」
「莎草、って奴、知ってるか?」
 こちらを向かないままで投げられた問いに、京一は首を傾げた。
「さのくさ?」
 何処かで聞いたような名前に少し考えたが、すぐにそういう名前のクラスメートがいたことを思い出す。
「ああ、そういや二年の時に同じクラスにそんな奴がいたな。確か、どっかに転校していったんじゃなかったか…」
「…そいつ、どんな奴だった?」
「どんな奴って…」
 京一にとって、概ね男の分類は二種類しかない。
 そこそこ話せる奴とそうじゃない奴の二種類だ。
 莎草というクラスメートのことは正直あまり覚えていない。ただ、一度クラスメートにしつこく絡んでいたときにやんわりと間に入ったことがあった。相手を見たのか、その時は大人しく引き下がったので喧嘩にはならなかったのだが、人を見下すような嫌な目をしていたのを覚えている。
「なんか、しつこく女の子に絡んでたのは覚えてるけど、他はあんま印象ねェな。あんまり関わり合いになりたくはないタイプだったと思うけど」
「…『力』を使ったり、とかは?」
「力?」
 龍麻の言いたいことが解らずに、京一は咄嗟に聞き返した。
「俺達みたいな、その、上手く説明出来ない力を、使ったりしてなかったか…?」
龍麻の言わんとすることを理解した京一は、眼を細めて慎重に答えた。
「…いや、俺はそんな話は聞いたことはない」
「そうか…ならいいんだ」
 それだけ言って、龍麻は再び歩き出す。
 京一は木刀を担ぎ直すと、勢いをつけて龍麻の横に並んだ。
 ちらりと窺ったその顔には、何か迷っているようにも見える複雑な色がある。
「莎草と…なんかあったのか?」
 そう聞けば、その横顔がはっきりと強張った。硬く引き結んだ口元は、京一の問いをきっぱり拒絶している。何があったにせよ、良い思い出でないことは確からしい。
 すっかり硬い顔つきに戻ってしまった龍麻を見やって、京一はちょっと笑った。
「思い出した。お前、見た目に似合わず頑固で難儀な奴だったよな」
「……………なんだそりゃ」
 憮然として言い返す龍麻の顔は不機嫌そのものだ。
 けれど、その中にどこかほっとしたような空気を読みとって、京一もまた遠慮せずに言い返す。
「そうだろうが。何遍言っても一人で突っ込んでいきやがるのは治らねェし。そのくせおいしいとこは持ってくしよ」
「…それは」
「なんでもいいけどよ、お前ちょっと肩に力入りすぎ。あと、抜け駆けしすぎ。もうちょっと柔らかくなれ、柔らかく。でないとタイショーみたいにがっちがちになっちまうぞ?」
「…蓬莱寺の方が柔らかすぎるんじゃないのか?おまけに馬鹿だし」
「馬鹿っていうな!ってか、馬鹿はお前だろ、こんな怪しげな所に一人で乗り込む馬鹿は」
「それを、状況もわからないくせに一人で追いかけてくる奴の方が馬鹿だろ」
「おま…!心配して駆けつけてきたダチに言うことか、それ!」
「誰もそんなこと頼んでないし」
 きっぱりと言い切る龍麻は本気で苛立っているようだった。普段は笑ってばかりで見えにくいが、案外怒りっぽいのかもしれない。
「…上等だ。こうなったらすっきりケリつけようじゃねーか」
 京一はそう言って不敵に笑うと、目の前の階段を木刀で指した。
「丁度いい具合に舞台も整ってるしな」
 何を言い出したのかと首を傾げていた龍麻は、京一の次の言葉に目をむいた。
「あと三階分、どっちが多く化けモンを仕留められるかで勝負だ。負けた方が馬鹿な」
「ば…っ、何言い出すんだ、本物の馬鹿かお前!」
「だから、負けた方が馬鹿だって。そうだな…それだけじゃつまんねェから、王華のラーメンでもつけるか。負けたらなんでも奢りってのはどうだ?」
 驚きが過ぎたのか、足が止まってしまった龍麻に、京一はひらりと手を振る。
「じゃ、お先」
 そう言い捨てて、目の前の階段に飛び込んだ。
 一瞬の後、しっかりと追いかけてくる足音を背中に聞いて、京一はくすりと笑った。
「早い者勝ちだぜ?手加減なしな」
「信じられない…!これは遊びじゃないんだぞ!」
 本気で怒っているらしいその声に、妙なもので笑みが零れてしまう。
 けれど、それは曖昧に笑われるよりもずっと、気持ちのいい怒声だった。
「待て、こら…!」
笑い声を上げて、京一は足を速めて階段を駆け下りる。
 降りた先には異形の者が待ち受けているのだろうが、怖れる気持ちはなかった。
 闘いの場で、龍麻と背中を合わせた時の、あの高揚。
 あの全身の血が熱くなるような緊張があるのなら、負ける気がしない。

 階段が途切れた先に広がった薄暗い空間には、予想通りいくつかの影が蠢いていた。
 ちらりと背後に視線を投げると、怒りに染まっていた龍麻の顔が、影を認めた瞬間みるみる引き締まるのが見える。
 京一の視線に気づいたのか、龍麻は小さく息を吐いて告げた。
「真面目にやれ。行くぞ」
 それに京一も笑って答える。
「―――了解。いくぜぇッ!」