| 醍醐が緋勇を案内したのは、予想通りレスリング部の部室だった。この場所なら、余計な邪魔も入らない。 「ここも、相変わらずだな…」 暫くぶりに訪れた部屋をぐるりと見渡した京一は、その、人気のなさに違和感を抱く。この時間、正しい運動部員は部活に励んでいるはずである。 「んー?他の部員はどうしたんだよ?」 途端に、醍醐の表情に苦いものが混じる。 「うむ…昼休みに、マリア先生が話してくれたんだが…昨日の夜、佐久間と他校生が歌舞伎町でモメてな」 佐久間の名に、周囲を物珍しげに眺めていた緋勇も醍醐に向き直る。 「昨日っていや、緋勇と―――」 「ああ、その帰りに、な」 「ちッ、あのバカ野郎ッ」 別れ際の佐久間の様子から、あのまま大人しく引き下がるとは思っていなかった。しかし、その足で騒ぎを起こすまでとは予想外である。責任を感じているであろう醍醐の表情は苦かった。 「その件で、相手の学校とPTAから学校に苦情が来たらしくてな。処分はまだ出てないが、自主謹慎の意味も込めてしばらく休部さ」 その、生真面目な物言いに京一は呆れた。 「ンなの、しらばっくれちまえばイイじゃねェかよ」 責任感や真面目さは醍醐らしいとは思うのだが、佐久間は元々、手のつけようのない不良だったのを醍醐が更正になればと無理矢理入部させたようなものだ。それを感謝するような気質では勿論無く、問題を起こさない方が少ない。そんな相手でも醍醐は、関わった以上、責任を感じてしまうのだろう。 「はははッ。そうも、いくまい」 口振りは明るかったが、醍醐の表情は晴れなかった。或いは、昨日の今日で、緋勇との勝負を望むのも、そういう鬱憤を晴らしてしまいたい気持ちがあるのかもしれない。 「まったく―――お前はカタすぎるぜ」 「そういうな、京一。それよりも―――お前、いつまでここにいるつもりなんだ?」 「かァーーーッ。そこが、カテェってんだよッ。いいじゃねぇか、別に」 こんな面白いものをみすみす見逃す手はない。醍醐の強さは承知してるし、緋勇の技は昨日、間近で見たばかりだ。 「まったく、お前って奴は…。仕方ない。行けと言って行く男じゃないか」 「ふんッ。俺はな、潰れた方の介護役として、介添えしてやるんだよッ。つべこべ言うなって」 「潰れた方、か…」 ちらりと緋勇を眺めて、醍醐はこみあげるものを押さえきれないといった風に笑みを零した。 「良いだろう。その代わり―――手は出すなよ」 「誰が頼まれて、猛獣の闘いにチョッカイ出すかよ。それよりもお前…微笑ってんな?」 「あァ。強いヤツを前にすると、自然に頬が緩んでくる。こればっかりは性分でな」 そう言って醍醐は上着を脱いで椅子に投げ、リングへと上がる。 それまで、黙って京一と醍醐のやり取りを見ていた緋勇は、渋々といった風に口を開いた。 「止めとこう…って言っても聞いてくれそうにないな」 「あァ、聞けないな。緋勇―――悪いが、お前が何と言おうと、俺と闘ってもらうぞッ!」 「…仕方ない」 同じように上着を椅子に掛けて、緋勇はリングに上がった。醍醐が、笑みを隠さずに構えを散る。 「遠慮なくいかせてもらう。お前も全力で来い」 「…わかった」 小さく息を吐いて、緋勇も拳を構えた。明らかに変わる気配に、醍醐の笑みが深くなる。三人しか居ない部室内に、緊張にも似た空気が膨れあがった。 「いくぞッッ!」 仕掛けたのは醍醐だった。重たく、勢いのある蹴りを、緋勇は素早く下がって避ける。続け様に襲う拳を、緋勇は舞うような仕草で避けた。 (醍醐の攻撃には破壊力がある。が、動きに関しちゃ完全に緋勇が上だな) 当たれば無事では済まない攻撃も、避けてしまえばそれまでだ。しかし、避けるだけでは勝てない。 (長期戦になりゃ、醍醐が有利か…) 上着を脱いで露わになった体格は、醍醐のそれと緋勇では比較にならない。細身の体では醍醐を上回るスタミナを持っているとは思えなかった。 しかし、まだ緋勇は自分からはなにも仕掛けていない。 (まさか、このまま逃げて終わるつもりじゃねェだろうな) 「うぉおおおっっ!」 同じ事を醍醐も思ったのだろう。出方を窺うような小技ではなく、完全に本気で捻った蹴りを放つ。 それを、緋勇は前面に交差させた腕で受け止めた。 「ぬッ」 必殺とも言える蹴りを止められた事に、醍醐の動きが一瞬止まる。驚いたのは醍醐だけではなかった。 (冗談、だろお?) 以前、京一は醍醐の蹴りが、3人の人間を同時に吹き飛ばす所を見たことがある。その破壊力は洒落にならないものがあった。その、当たれば只では済まないであろう醍醐の蹴りを、防御の構えでの上とはいえ受け止めたのだ。 そして、緋勇が動いた。構えた拳を腰に落とし、細く息を吐いて氣を高める。 その動きの意味するものに気づいた醍醐が、 「させるかッ」 と、拳を繰り出す。それが体に届くより一瞬早く。 「はぁぁぁぁッ」 生じた光は、昨日、佐久間を打ったものとは明らかに質が違っていた。 あの時、緋勇は『咄嗟だから手加減出来なかった』と言っていたが、それでも力を落としていたのだろう。 手加減なしということか、それとも、こちらの方が本来の実力か。恐らく両方だろうと、妙に冷静に京一は思ったが、当事者である醍醐はそれどころではなかった。正面から、“吹き飛んだ”というのが相応しい勢いでロープに叩き付けられたのだ。 「う…っ」 と、一声上げたきり、醍醐は動かなくなった。衝撃で意識が飛んだのだろう。 場に沈黙が落ちる。午後の日が射し込む部室内はそれだけで、一瞬前の闘いなど忘れ去ったような、穏やかな表情を取り戻した。 緋勇は静かに構えを解いて一礼した。 そして、リング上からまっすぐ京一を見下ろす。 「頼んでいいかな?」 その表情には、勝負に勝ったという喜びの色はなかった。ただ、変わらず穏やかで、けれどどこか寂しげで。 「あァ、任せときな」 「…迷惑、かける」 「いんや、面白いモン、見せてもらったからな」 名高い真神の醍醐雄矢が、まるで子供のようにあしらわれた所など、拝みたくても拝めない代物だ。 「彼に…」 何か言いかけた緋勇は、しかし、小さく首を振った。 「いや…いい。悪いな」 その表情にやはりどこか憂いじみたものを感じて、京一はわざと明るく笑い飛ばした。 「気にすんなって。タイショーは拘る男じゃねェし、望んだことだ。それに、ここまですっきりやられりゃ、タイショーも本望だろーしな」 リングから下りた緋勇は、京一を見て小さく笑った。 「蓬莱寺は、優しいな」 面と向かって、聞き慣れない言葉を言われて、京一は一瞬固まる。 女の子には言われたこともあるが、同世代の男から聞くのは初めてではないか。 「はァ…優しい?おねェちゃん相手ならともかく、ヤローに優しくなんかしたことねーぞ?」 「それは、蓬莱寺が気づいてないだけだと思うけど。…後、頼むな」 京一が反応に困ってる間に、緋勇は行ってしまった。 「…ったく、ヘンなヤツだな」 昨日も思ったが、つくづくこの新入りは反応がいちいち面白い。しかし、それは不快を呼ぶものではなかった。 「さあてと、んじゃ、骨を拾ってやるかッ…と」 京一は、リングに上がり、大の字になっている醍醐の脇に跪いた。 「…おい、醍醐」 反応はない。 「醍醐、生きてるか?」 何度か呼びかけると、ようやく醍醐は薄く目を開いた。 「あァ…」 「どうだ、気分は?」 「……」 返事はない。だが、横たわる醍醐の表情は不思議に穏やかだった。 「しっかし、見事にやられたな」 「あァ」 「しかも、醍醐雄矢ともあろう男が、一介の転校生に、だぜ?他の連中…今までお前と闘った奴らが知ったら大変なことになるだろうな」 「ははは…そういうな、京一。真っ向から勝負して負けたんだ。…仕方あるまい」 負けて喜ぶ男ではなかったと思うのだが、醍醐はいっそ、すっきりしたと言わんばかりの顔だった。 「ナンだよ。ずいぶんと殊勝じゃねェか」 「……らしくないか?」 「まッ、お前の気持ちがわからねェでもねェし、なッ」 醍醐が本気で技を繰り出しても、緋勇にはまだ余裕があった。しかし、手を抜いていた訳ではない。醍醐の力量を見極めた上で、手加減のない一発を浴びせたのだ。勝負としては完敗だが、醍醐はその結果に満足しているようだった。 「…緋勇、龍麻か。…何処であんな技、覚えたんだ?」 呟くように漏らされた疑問に、京一は肩を竦めた。 「さァ―――な。だけど、ありャあ本物だぜ」 何処で覚えたにせよ、緋勇龍麻は間違いなく本物だ。 「あァ…今まで闘ってきたどの相手とも違う…どうだ?お前も…」 「バカ野郎、俺なんてモノの一分も保たねェよ。それに、俺は…」 京一の脳裏を昨日の感覚がよぎる。呼吸するように自然に、互いの背中を預け合ったあの感じ。 そう、対峙するよりも、同じものを追いかけていたい。そっちの方が、きっと、自分には楽しい。 しかし、それを正直に言ってしまう事にも抵抗がある京一は、つまらなさを装ってまぜっかえした。 「俺は拳の友情よりも、綺麗なおねェちゃんの方がイイからなッ。それこそ正しい高校生活ってヤツだろーが」 「はははッ、お前はやっぱり、喰えない男だよ。心にも無い事を…」 「ふんッ」 わざとらしい言い訳は、やはり醍醐には通じなかったらしい。楽しげな笑い声を上げる醍醐を小突いて、京一はその肩に手を掛けた。 「おらッ、いつまでもここで寝てる訳にゃいかねェだろーが。肩貸してやっからよッ」 「ああ、すまない…痛ててッ」 身を起こしただけで顔を顰めながらも、醍醐はやはりどこか嬉しそうだった。 「不思議だな…」 「ナニがだ?」 「いい気分だ…まるで、憑き物が抜け落ちたような…」 「ナンだそりゃ?」 「久しぶりに…いい、気分だ…」 担ぎ上げた体が、がくんと重たくなるのに京一は慌てた。この巨体が意識を失えば、京一一人での持ち帰りは困難だ。 「おい、こらッ!醍醐ッ、シャキッと立て、おいッ!」 笑みを浮かべたまま、再び意識を失ってしまった醍醐の体は途方もなく重たかった。 (このまま帰る…ってな訳にゃいかねェよなァ、やっぱ…) 重たい体をその場に投げ出して帰りたい誘惑を、目を閉じて振り払った京一は、醍醐の肩を担ぎ直して、引きずるようにして歩き出した。 その、翌日。 結局、醍醐を家まで送り届け、居なかった家人の代わりに面倒を見た京一は、朝から醍醐と仲良くダッシュをかけていた。 「こんなに…走っても…仕方ねェだろーがッ。どう足掻いても…今からじゃ遅刻だって…ッ」 全速力で走りながらの会話は、当然息が切れてまともには続かない。絶え絶えに言う京一に、同じように息は切れているものの、醍醐は断固とした調子で返した。 「努力は…するべきだろう…っ。間に合うかもしれんし…なっ!」 生真面目な醍醐は普段は遅刻はしない。たまに部室で汗を流しているときなど、時間を忘れることもあるのだが、基本的には朝は早いので、こんな時間に走って登校などという事態には慣れていない。 一方の京一は、その件で呼び出しを食らった事もあるほどの遅刻常習犯である。大体の感覚で、間に合うか合わないかの見極めはつく。 「もう…フケよーぜッ。ぜってー間にあわねぇ…」 「そういう訳にはいかん…だろうっ」 「イイ…じゃねーかっ。どーせ…」 授業なんて退屈なだけだ…そう言いかけた京一の脳裏に、昨日の別れ際、憂いじみた表情を浮かべていた緋勇の姿が過ぎった。 (……ッ) どうして、と思う前に口が動いていた。 「なぁ…」 「サボるというのは…聞かんぞ…」 「ンなんじゃねーよッ。なぁ、ラーメン食いに行かねェか…?」 何時の間にか走る速度を緩め、、そんな事を言う京一に、醍醐は息を整えながら呆れを含んだ視線を向けた。 「…まだ、店はやってないぞ。第一、サボりは駄目だと言っただろうが」 「だーっ、今じゃねェ、帰りに、だよッ!その…緋勇のヤツも誘って…よッ」 足を止め、一瞬、まじまじと京一を見つめた醍醐はふっと口元を緩めた。 「そうだな…。しかし…緋勇は来るか?」 笑みを浮かべながらも、複雑そうな醍醐に、京一は笑ってみせた。 「拘る奴じゃねェさ。お前も、気にしねェんだろ?」 「…そうだな」 やっと醍醐は、すっきりとした顔になった。 「そうと決まれば、ますます遅刻はいかん。放課後、すっきりと緋勇を誘うためにも、ここはもうひとっ走りと行くか!」 言うが早いか、醍醐は再び走り始める。 「ちょ…待てって!醍醐ッ!走っても無駄だって…」 どう転んでも遅刻は間違いねェと叫んでも、聞く醍醐ではない。仕方なく、京一も後を追って走り出した。 HRには間に合わなかったものの、醍醐と二人して辛うじて一時限目には滑り込んだ京一は、真っ先に緋勇の姿を探す。探し人は、隣の美里と、何やら話していた。 京一の視線に気づいたように、緋勇は顔を上げてこちらを見た。こちらを認め、穏やかな笑みを浮かべた緋勇に片手を振ってみせ、京一は妙に安堵したような気持ちになって席についた。帰りに、昨日のようにアン子が襲来してくる前に、緋勇を誘おうと心に決めて。 放課後、早速京一は緋勇の姿を探したのだが、教室内には既にその姿はなかった。 「もう、帰っちまったのかぁ?」 首を傾げる京一に、その様子を見ていた美里が声を掛ける。 「京一君、緋勇君ならマリア先生に呼ばれて職員室に行ったわ」 「職員室ぅ?」 京一にとって、校内で最大の鬼門である職員室には、間違っても足は向けたくない。居るのがマリアだけならともかく、あそこには京一の天敵、生物教師の犬神も居るのだ。 京一の渋面の意味を知っている美里は、くすくすと笑いながら付け加えた。 「行ったのはほんの少し前だから、下駄箱か、校門の所で待っていれば会えるんじゃないかしら」 「お前の職員室嫌いも、根が深いな。日頃の行いが悪いからじゃないのか?」 美里の声に被さるように割り込んできた声に、京一はうんざりしたように言い返した。 「んじゃ、お前はあそこに平気で出入りできるってのかよ?醍醐」 「俺は心にやましいものは無いからな」 「こないだ、一緒に呼び出されたよな?成績が悪くても職員室にゃ呼び出されるんだぜ?それでもやましくないって言えるか、タイショー」 「………」 醍醐にささやかな反論を成功させた京一は、木刀を抱えて立ち上がった。 「んじゃ、校門で待ってるか…げっっ!」 教室の窓越しにこちらを見ているアン子に気が付いて京一は頬を引きつらせた。昨日の放課後の調子で迫られては敵わない。 「俺、先に行くわ。後でな、醍醐!」 そう言い置いて教室から逃げ出した京一は、校門の上に腰を下ろして緋勇を待つことにした。犬神辺りに見つかれば小言を食らうのは間違いないのだが、京一はここが好きだった。 見知った顔が通りすがりに声を掛けていくのに応えながら、さほど待つこともなく、待ち人は姿を現した。 「よ、緋勇」 腰を下ろしたまま手を上げると、緋勇は目を丸くして京一を見上げた。 「蓬莱寺。なにやってんだ?そんなとこで」 「よっ、と。お前のこと、探してたんだぜ?教室にいねェからもう帰ったのかとも思った」 校門から飛び降りた京一に、緋勇は不思議そうな視線を向けた。 「俺に?」 「ああ、どうだ?一緒に帰らねェか?昨日はあれきりになっちまったからな」 「もしかして、それで待っててくれたのか?」 緋勇が少しすまなそうに、けれど嬉しそうに笑ったのにつられて、京一も笑った。 「へへへッ、行きつけのイイ店があんだ。ちょっと寄ってこうぜ」 緋勇の顔に、悪戯めいた笑みが浮かぶ。 「女の子の沢山居る?」 「そうそう…じゃなくって!」 うっかり頷いてしまいそうになって、京一は慌てて話を引き戻した。 「今日は別口。おねェちゃんはまた今度な。…実はもう一人誘ってあんだ。誰だかわかるか?」 緋勇は小さく首を傾げて否定の意を示す。 「ここで待ち合わせてるんだが…おッ、来た来た」 醍醐は、なんとか無事にアン子をまいてきたらしい。しかし、その表情はわざとらしいまでの明るさで溢れていた。どうやら、緊張しているらしい。 醍醐には、見かけに似合わない繊細な部分がある。昨日の今日で、緋勇と真正面から顔を合わせる事への緊張があるらしかった。 「待たせたな、京一。…よう、緋勇」 いかにも、何気ない風を装った声に何を感じたのか、緋勇はにこりと笑った。 見た者が安心してしまうようなそれは、言葉以上に雄弁で、醍醐の顔が僅かに赤くなる。 「緋勇…お前は、その…」 言葉に詰まる醍醐が、京一には面白くなかった。 醍醐に向けられた緋勇の笑みは、あの時に見たものを彷彿とさせた。 放課後の体育館裏で、感謝の言葉と共に向けられた、柔らかく印象的な笑み。それが醍醐に向けられていることが京一には何故か気に触ってしまう。 面白くない。理由はわからないが、とにかく面白くなくて。京一はわざわざその間に割り込んで突っ込んだ。 「なんだ、男同士で。気持ちの悪いヤツらだな」 京一の言葉に、視線を定められず、言葉にも詰まっていた醍醐がやっと息を吹き返した。 「ふむ―――京一、男の嫉妬はみっともないぞ」 予想外の言葉に、今度は京一の思考が固まる。 「な、なんで俺が、むさ苦しい野郎相手に嫉妬しなきゃなんねェんだよッ!」 咄嗟に浮かんだ動揺を押し隠し、思い切り顔を顰めて見せた京一を、醍醐は興味深そうに眺めた。 「なんだ、違うのか?」 「当たり前だろがッ!」 語気も荒く言い切った京一をそれ以上追求することなく、醍醐は緋勇に話を振った。 「まァ、いいさ。それにしても腹が減ったな…。緋勇はどうだ?」 「俺なんて、さっきから腹の虫が鳴りどーしだぜ」 戯けた口振りに、緋勇は小さく笑った。 「同感。腹の虫には勝てないものな」 「はははッ、そうだな。じゃあ、いつもの所にでも行くか」 「へへッ、よっしゃァ、それじゃラーメン屋にレェーッ」 「ゴー!」 言葉の先を奪われ、驚いた京一は、いつのまにか背後に迫っていた存在に気づいて驚きの声を上げた。 「って、こ、小蒔ッ!!お前、どこから…」 「さッ、桜井…」 いつの間にか、小蒔が背後まで忍び寄っていたのだ。京一も驚いたが、醍醐は半分飛び上がっている。平然としているのは緋勇くらいのものだった。 「キミたちっ!ま〜たラーメンラーメンって、まったく…校則じゃ。下校時の寄り道全般禁止でしょッ!」 「あんだとォ、お前だってゴーとか今言っただろッ!」 「だからって、転校生に悪いコト教えるのとはワケが違うよ」 「いやだねェ、物事悪い方に悪い方に考える人間は。俺は転校したてで一人で孤独で寂しい緋勇を励まそうとだな…」 「京一ィ、そういういいワケ通用すると思ってんの?そんな見え透いた手、今時小学生でも使わないよ」 醍醐がその通りと頷く。 「まったくだ」 「ぐッ…醍醐、お前どっちの味方なんだよッ」 「どっちの味方でもないが、ウソはいかんぞ、京一。ウソは」 まじめくさった物言いをしながらも、醍醐の顔は笑っている。 「醍醐、てめェ…」 恨みがましい目で醍醐を眺める京一を見た小蒔が、吹き出す。 「ったく、子供みたいだよね。緋勇クンもそう思わない?」 しかし、その問いかけに答えは返らなかった。 「………」 緋勇は、目を細めて校舎の方を眺めていた。呆けているのではなく、何かを気にしているような… 何を、見ている? それを尋ねる前に、小蒔が不思議そうに緋勇を覗き込んだ。 「緋勇クン?」 小蒔に覗き込まれて、緋勇はすぐに穏やかな笑顔を取り戻した。しかし、その表情には、何故だか奇妙な違和感があって。 「ああ、ごめん。ちょっと呆けてた。桜井さんも一緒にラーメン食べに行く?」 「もっちろん、行くよ!京一が奢ってくれんだ〜」 緋勇の様子を気に掛ける間もなく、小蒔が言い出したことに京一は慌てた。 「ばっ…なんで俺が、お前みたいな男女にラーメン奢らにゃならねェんだよッ!」 「ふーん、そういうコト言うんだ?」 「とーぜんだッ」 当たり前である。京一からすれば、小蒔にラーメンを奢る理由など何一つ無い。いっそ、醍醐に頼めば喜んで奢ってくれるだろうよ、とはさすがに言えなかったが、きっぱりと否定する京一に、小蒔はにやりと笑って大きく息を吸い込んだ。 「いぬがみせんせーッ!ほうらいじがですねーッ!」 「どわーーーッッ」 ここで犬神など呼ばれては洒落にならない。先月の卒業式での一件で、只でさえ苦手な相手にしっかり目を付けられているのだ。 「奢ってくれるよね?」 きらきらと目を輝かせている小蒔は、完全に確信犯である。 「わかった、奢る、奢らせていただきますッッ」 やけくそ気味に叫ぶと、小蒔は嬉しげに片手を空へと突き出した。 「んじゃ、早く行こー。ボク、お腹空いちゃったよ〜」 「ったく、なんつー女だ…」 京一は八つ当たりがてら、男連中を振り返った。 「醍醐、妙に小蒔のヤツの味方してたよな…」 「はははっ、わかってるって」 「緋勇、お前アイツを誘ったよな?」 「…折半でいいのか?」 「わーってるじゃねェか」 二人とも笑いを含んだ声なのが非常に気になるところだが、取りあえずの財布の危機を回避したのは大きい。京一はちょっと情けないと思いつつも安堵したのだった。 |