何となく気が抜け、午後の最後の授業をサボった京一は、お気に入りの場所で惰眠を貪っていた。体育館裏の枝振りのいい木は枝の伸び方が良く、下からも見えにくい上に安定もいい。
灯台下暗しで、部長を真面目に部活に参加させようという意欲に燃える副部長以下、剣道部面々にも見つかっていない貴重なポイントなのだ。
しかし、午後の休息は不穏な気配によって破られた。
嫌な気配が近づいて来るのに気づき、ふと下を眺めれば、なにやら物騒な気配を漂わせた一団が、一人の男子生徒を囲んでいる。間違えようのない、集団の端に立つ荒れた気の持ち主は佐久間である。
そして、佐久間らの一団に挟まれるようにして立っているのは、先刻、京一の心を思い切り掻き乱してくれた転校生だった。
「てめェにこの学園の流儀ってヤツを教えてやる」
「てめェもついてねェぜ。佐久間さんに目ェつけられちまうなんてよ」
「悪いけど、俺にはここにこうしている理由がない。用があるんなら早めに済ませてくれると有り難いんだけど」
驚いたことに、多人数を頼んでの脅迫にも転校生に動じた様子はない。決して喧嘩慣れしているようには見えないのだが、少なくとも佐久間達を前にして怖じている風は全くなかった。それに苛立ちを感じたのか、男達の物言いがさらに露骨なものになる。
「転校してきていきなり入院たァかわいそうになァ」
「てめェが悪いんだぜ?目立つマネするから…」
「用は、それだけか?」
転校生のあくまで落ち着きを無くさない態度に、囲んでいる男達の殺気が一気に膨れあがる。
「てめェっ、いい度胸じゃねェか…」
流石に、これ以上の静観は無理と感じ、京一は割って入ることにした。落ち着き払った転校生の態度は気になるが、多勢に無勢の乱闘を黙って見ているのは京一の流儀に反する。
「オイオイオイ。ちょっと転校生をからかうにしちゃァ度が過ぎてるぜ」
「てめェ、蓬莱寺…」
佐久間の剣呑な声と、転校生の少し慌てたような声が重なる。
「ほ、蓬莱寺?」
「足元がこうウルさくちゃ、おちおち部活サボって昼寝もできねェぜ」
京一の居場所に気づいた佐久間が、樹上を見上げて低いうなり声を上げた。
「てめェ、転校生に味方する気かよ」
「さァね…」
「野郎っ」
「てめェ、おりてきやがれっ!」
「蓬莱寺、俺はなァ、てめェも前から気に入らなかったんだよ。スカした面しやがって」
「奇遇だな、佐久間。よッ…と」
勢いをつけて飛び降りると、呆れたような、驚いたような転校生の顔が意外に近くにあった。
その顔ににやりと笑いかけて、京一は佐久間に向き直る。
「実をいうと俺も前からお前の不細工なツラが気に入らなかったんだよッ」
意欲満々な京一に反して、転校生は先刻までの落ち着きをすっかり失くして慌てている。
「ちょ、ちょっと待て、蓬莱寺。その…ここは今からちょっとヤバいから、もう一度木の上に戻ってくれないか?」
京一は今度こそ、がくりと力が抜けるのを隠せなかった。
「はァ?冗談だろ?お前、状況わかってる?」
しかし、転校生は真面目だった。
「身に覚えはないんだけど、喧嘩売られたのは俺だ。蓬莱寺に迷惑を掛ける訳にはいかない」
「コイツらは性質がわりィから一人ずつ襲ってきてくれるなんて甘いこと、考えない方がいいぞ?それとも、獲物が減るのが許せねェくらい喧嘩に自信があるとか?」
「いや…あんまりこういう喧嘩はしたことないんだけど、それとこれとは話が別だ。なんだか、物騒なもの持ってるのも居るみたいだし。今のうちに」
懐や、ポケットに手を入れている何人かに気づくとは、いい目をしているのは確かのようだ。しかし、言う事があまりにも呆けている。
「今更コイツらが逃がしてくれっかよ。第一、そんな寝覚めの悪ィ思いはゴメンだ」
「大丈夫だよ、言っていることが大げさなだけで、多分、入院とかって事にはならないと思うし。手加減はするから」
言外に、倒れるのは相手だと言っているこの転校生は実は大物なのかもしれない。京一はくすりと口元を緩めた。
「そりゃ、こんな雑魚相手に怪我するとは思わねーし、俺が居る以上、そんな真似はさせねーけどよ」
完全に周囲を無視した会話に、顔を歪めていた佐久間がついに切れた。
「てめェら…無事に帰れると思うなよッ!」
それを合図に、一気に殺気が膨れた。
「しゃーねェなァ。オイッ、緋勇ッ。俺の側から離れるんじゃねーぜ!」
「…仕方ないな」
京一は転校生を庇うように前に出た。しかし、その思惑に反するように転校生はすっと構えを取って前に出る。
「おい…」
言いかけて、京一は気が付いた。先刻までは微塵も感じなかった、気配。慣れた風の構えや、立ち上る『氣』は明らかに武道を嗜んだ者の持つものだ。
「…なるほど、『喧嘩は』したことねーんだな」
「一応ね」
「よっしゃ、行くぜぇッ!」
勝負は実にあっけなかった。元々、佐久間以外は雑魚の集団である。もとより京一一人でも手こずるような勝負ではないのだが、それ以上に素早く片付いた理由ははっきりしていた。
右側から拳を振り上げて来た男を薙払うと、同時に左から足を狙って蹴りを放ってきた男に返す木刀で一撃叩き付ける。空いた背に凶器を翳して来た男に、庇うように転校生の拳が腹に入る。
囲まれているのに、背中が気にならない。まるで自分の体を動かしているような反射の速度で、相手が死角の敵を倒すのがわかる。
今まで、味わったことのない感覚だった。誰かに、背中を預けて戦えることが、これほどまでに楽なものだとは。
今日、初めて会った相手といきなり背中合わせで戦うという状況に楽しさすら覚えている自分が居る。そのことが京一には酷く新鮮だった。
あっという間に頭数が減り、まともに立っているのは一人という場面になって、佐久間が動いた。それを片目で確認していると、転校生が断固とした口振りで囁いてきた。
「俺が買った喧嘩だ」
「…おまえ、結構頑固だよな。ま、お手並み拝見といきますか」
佐久間を譲って最後の一人を潰す事に専念した京一が、自分の仕事を片づけて振り向いたとき、勝負は既に見えていた。息が上がり、足元すらおぼつかない状態の佐久間に対し、転校生は息すら切らしていない。そして、勝敗の帰趨は佐久間本人にもわかっているようだった。
急所を狙って拳を繰り出すものの、転校生はその全てを優雅とさえ言えるような動きで躱し、その隙を狙って拳を入れる。打たれ強い佐久間にもそろそろ限界が見えたかなと京一がのんびり考えていたとき、佐久間の表情が変わった。
「くそォッ!」
まだ、それだけ動けるのかという程の素早い動作で懐から何かを取り出すと、それを相手に向かって投げつける。きらりとひかるその物体に思わず京一も声が出た。
「危ねェッ!」
「はぁぁぁッッ」
その瞬間、白い光が走った。転校生の手元から放たれたそれは、飛来するナイフを弾き飛ばし、佐久間の体を吹き飛ばして背後の壁に叩き付けたのだ。
「ひゅ〜」
京一は軽く口笛を吹いた。自らの氣を操る技は京一も使うが、とっさの判断であそこまでは飛ばせない。あれでは、いくら佐久間といえど、すぐには立ち上がれないだろう。
「緋勇…やるねェ」
「いや…大した事ないよ。蓬莱寺も凄いじゃないか」
京一の技量を誉めながらも、転校生の顔は晴れなかった。
「けど、それより…」
「ん?どした?」
「咄嗟で手加減出来なかったから…大丈夫かな?」
それが、壁に叩き付けられた佐久間を指してのものだと気づき、京一は少々呆れてしまった。
「おまえ、優しいのもほどほどにしとけって。あっちから売ってきた喧嘩だろーが」
理不尽に仕掛けてきた喧嘩相手の心配をするなど、お人好しにも程がある。しかし、転校生は真面目に悩んでいるようだった。
「入院、って事になるとまずいかなぁって…」
「連中は自業自得だろ?気にすんなよ」
「自分から喧嘩売ってきた以上、多少の怪我は覚悟してるだろうから、その辺は同情しないよ。けど、怪我させたらやっぱ、治療費とか言われるだろう?今月は引っ越ししたばっかで、出費が嵩んでるんだよ」
京一は一瞬固まった。
(何か?コイツが心配してるのは佐久間の事じゃなくて…)
「困ったな…転校早々、財布の中身の事なんかで泣きつきたくはないんだけど…」
次の瞬間、京一は爆発したように笑い転げていた。疑問が、間違いなく確信へと変わる。
「蓬莱寺?」
驚いたように見つめてくる眼差しが、妙に新鮮で。
「おまえさ、もしかしなくて…」
「何?」
「いや…」
(天然、だよなァ、やっぱ)
裏密を新鮮だと評したり、アン子や小蒔とのやり取りを丁寧に見ている割に、妙に生真面目さが抜けずにピントの合わない答えを返してみたり、売りつけられた喧嘩相手の入院費負担を本当に悩んでみたりする、奇妙な転校生。
馬鹿笑いを続ける京一に、転校生は本気で悩んでいるようだった。
「なんか…そんなに面白いことしたっけ?」
真面目に問われて、京一はやっとの事で笑いを収める。
「悪ィ。気を悪くしたら謝るから。…なんかさ、お前イイよ。すっごく」
(この俺が、男相手に興味を抱く日が来るなんて、な…)
そう思いつつも、もはや流れ出した感情は止められなかった。間違いなく、コイツは面白い。
真顔で告げられ、呆気に取られた風の転校生は、しかしゆっくりと唇に笑みを刻んだ。
「そういや、助けて貰ったお礼もまだだった。…ありがとう」
その時、吹き抜ける風に煽られて転校生の前髪がふわりと浮いた。その下に柔らかな笑みを見つけて、京一の呼吸が止まる。
大気を鳴らす風の音も、時折流れる薄紅の花びらも、何も目に入らないほど意識を奪われる。
その姿は何故か懐かしく、春の到来と共に感じていた『予感』が形を取ったようだった。
鼓動が、勝手に早いリズムを刻み出す。
黙り込む京一に、転校生もまた沈黙を返す。奇妙な、しかし不快ではない静寂が辺りを支配していた。
「うう…」
その静寂を破ったのは、低い呻き声だった。見れば、佐久間が半身を起こしていた。視線が定まってないにも関わらず、その目は闘争心を失っていない。
「くッ…」
呻きながらも立ち上がる佐久間に、転校生が安堵したような目を向ける。とりあえず、入院費の心配をしなくても良さそうなのに安心したらしい。
「安心してる場合じゃなさそうだぜ?ありゃァ諦めてねーよ」
破ることの難しいような沈黙を破ってくれた事に感謝すべきか否か、悩みつつも京一は佐久間に話しかけた。
「もう、やめときな…これ以上やるってんなら、俺も容赦しないぜ」
「うるせェ…ぶっ…殺して…や…るッ」
「………」
どう見ても戦えるような体力は残っていないのだが、ぎらぎらした目つきは異様なまでに激しい。ここは、逃げるが勝ちだろう。京一は転校生の肩を掴んで佐久間に背を向けた。
「行こうぜ、緋勇」
しかし、佐久間は諦めなかった。
「ま、まちやがれ…」
ぎらぎらした目でこちらを睨む佐久間は、物騒きわまりなかった。このまま置き去りにすれば何をしでかすかわからないような雰囲気すらある。
「ちッ…」
どうすべきか、思案顔になった京一だが、幸いにして救いの手はやってきた。
「そこまでだ、佐久間ッ!」
「醍醐…!」
京一らの背後に現れた人影に、佐久間の顔色が変わる。醍醐と美里が駆けつけてきたのだ。
「そのくらいでやめとけ、佐久間…」
「佐久間くん…」
佐久間は、醍醐の存在よりも美里が現れたことに、より強い衝撃を受けたらしい。
「みさ…と…」
「もう止めて、佐久間くん…」
「くそ…ッ」
惚れた相手に、こんな状態を見られるのは屈辱以外の何者でもないだろう。しかし、自業自得であることは明らかなので、同情心は湧かない。
「今やめれば、私刑の件には目をつぶってやろう」
「くっ…」
「佐久間ッ」
「わ、わかった…」
醍醐に畳みかけられて、佐久間は口惜しそうに頷いた。
助けられたのは事実なのだが、何故か素直に感謝を表すのが口惜しく、京一はおちゃらけた顔でまぜっかえした。
「そうそう、良いコは聞き分けがイイのに限るぜ」
「て、てめぇッ」
落ち着きかけた佐久間が再び噴火するのに、醍醐が声を荒げた。
「よさないかッ!京一ッ、お前も佐久間を挑発するなッ」
「へいへいッ」
「行け、佐久間」
佐久間は、一度刺すような視線を投げて寄越すと足を引きずりつつ去っていった。
「まったく…俺が学校にいない時に問題を起こしてくれるな」
ぼやく醍醐に、京一は肩を竦めた。そう言えば、朝から醍醐の姿を見ていなかった。
「ふんッ。そういや、今日は姿が見えなかったな」
「トレーニングジムに籠もりっきりだったのさ」
大体予想通りな答えに、京一は呆れて空を見上げた。
「格闘技オタクが…」
「はははっ」
京一の言葉に笑うと、醍醐は改まって転校生に話しかけた。
「転校生…緋勇とかいったか。レスリング部の部員がいいがかりをつけたようで謝るよ。………すまん」
「いや…買ったのは俺だから。収めて貰って悪かった」
「いや、先に喧嘩を売ったのはこっちだからな。…だが、そういってもらえると助かるよ」
醍醐は安心したように笑って
「俺は醍醐雄矢。お前と同じC組の生徒だ。レスリング部の部長をしている。よろしく」
「俺は緋勇龍麻。こちらこそ、よろしく」
「それにしても…俺が駆けつけたからいいようなものの、君もあんまり粋がらない事だ」
一通り挨拶を済ませると、醍醐は早速とばかりに説教に入った。奴らしいといえばそうなのだが、なにも初対面の相手にまで説教することはないんじゃないかと京一は思う。
「まァまァ。いいじゃねェか、醍醐」
「お前なァ…」
「それにしても、よくここがわかったな」
割って入り、話題を変えるとあっさり醍醐はそれに乗ってきた。
「あァ、それなんだが…美里に感謝するんだな。彼女が真っ先に俺に知らせてくれたんだ」
途端に、美里の顔が真っ赤に染まる。
「あ、あの…私…」
「あの慌て方は尋常じゃなかったぜ。緋勇くんが危ないってな」
「もうッ、醍醐くん」
「ははははッ、まァ、いらぬ心配だったみたいだな…」
珍しく美里をからかう醍醐に、真っ赤になった美里が反応する。
「美里さん、心配かけてごめんな。ありがとう」
笑いかけた転校生に、美里の顔の朱がさらに色を増す。
その様に、美里もまた、この時期外れの転校生が気になっているらしいと、妙に冷静に京一は分析した。少し離れた壁際では、醍醐が佐久間が叩き付けられた壁が僅かにへこんでいるのを見つけて目を丸くしている。
「それにしても、凄い技だな。昔、古武道で似たような技を見たことがあるが…」
その台詞が引っ掛かり、京一は尋ねてみた。
「醍醐、お前も手合わせしてみるか?」
「さぁ…な」
何か含んだかのような醍醐の表情に、京一は醍醐が先程の喧嘩を一部始終見ていた事を確信する。
「ふんッ」
醍醐のことだ、あれを見せられて大人しく引き下がる訳もない。それなりの付き合いだから、今後の醍醐の行動にも見当がつく。
その醍醐は、京一の心中に気づくこともなく、転校生に話しかけていた。
「まァ、いずれにせよ、よく来たな。我が真神………いや、もうひとつの呼び名を教えておいた方がいいかな」
「………」
同意を求めるかのようにちらりと視線を投げられて、京一は何も言えなかった。あまり意識したことのないこの真神学園のもう一つの呼び名が、不意に何かの掲示のように感じられたのだ。
「誰が言い出したかは知らんが、何時の頃からか、この学園はこう呼ばれている」
「魔人学園、とな」
「魔人学園…」
繰り返すように呟いた転校生の口元がゆっくりと綻ぶ。
「面白い、呼び名だな」
そう言って笑った転校生…緋勇の表情に魅入られたのは、今度は京一だけではなかった。美里も、醍醐でさえ息を詰めてしまっている。
「一年間、よろしくな」
その言葉は、ある意味これから訪れる嵐の予告だったのかもしれない。
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