鵜沼宿に入る。常夜灯が迎えてくれる。でも、残念ながら街道筋の雰囲気があまり残っていない、もしかしたら今までの宿場で一番残っていないかも・・。
加納宿に向かう。中山道は、高山本線と平行して歩いていく。しかし、上空には戦闘機が飛んでいて実にうるさい。なんでだろう? と思いすこし歩いていると「六軒の一里塚跡」の辺りに航空自衛隊の基地があった。基地では、「F-○○」とかの戦闘機が目の前で8の字を描いたり、急上昇の練習をしていた。バイクと一緒で、戦闘機も基本は8の字なのかな〜、でもホント、うるさい。好きな人には、たまらないのだろうけど。
「新加納の一里塚跡」を過ぎると、ひとりのお爺さんに話を聞く事が出来た。昔この辺りには、太い松の並木があったらしい。それで戦時中に松ヤニを採っていて、それで樹勢が落ちてしまい枯れてしまったと云う。今は跡形も無く、実に寂しいものだ。
もうすぐ加納宿、辺りも暗くなってきてコウモリがパタパタと飛んでいる。
進むと「細畑の一里塚」(写真)がある。ここは左右の塚が残っており町中では珍しい。植わっている木は若い様だ。 いよいよ加納宿に入る。加納とは、今の岐阜の事。たぶん、東京が昔は江戸と言うのと同じ感覚でいいのだろう。桝形の道をカクカクと進んで行くのは、とても街道らしく良い。しかし、この辺りは岐阜と言えど静かだ。宿が有ったら泊まりたかったのだが、現在は街道沿いには無いと地元の人が教えてくれた。先に進み、ラーメン屋に入って夕食をとる。そのラーメン屋には13年で二人目の中山道旅人らしく、とても喜んでくれた。今夜は、そのラーメン屋の近くのお寺「医王寺」の軒を借りて野宿する事にした。おやすみなさい。
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