平成11年11月8日

太田、脇本陣
太田の脇本陣

太田宿210時頃、旅館・すずきやを出発。 たまった観光パンフレットや、ちょっとしたお土産を家に送るために郵便局に寄る。手紙も出してみた。

今日は小雨、遠くには雷の音も聴こえる。トコトコ歩くと、太田宿の脇本陣が有る。卯建、連子格子も有り、とても立派な建物で、国の文化財にも指定されている様だ。本陣の方は門が残るだけだが、辺りには醸造元も有り(写真)、雰囲気が良い。

木曽川1
木曽川の土手から下流の方を望む
木曽川2太田宿を過ぎると木曽川の土手歩きになる。この辺りで雨は止んできた。
少し歩くと、木曽川の本流から離れる。ここは、何だろう? 増水した時のバイパスなのか、現在はほとんど水が流れてない。
本来は旧道も国道と一緒なのだが、土手の方が気持ち良いのでこちらを歩く事にした。この道は「日本ライン・ロマンチック街道」と銘打って居たが、その発想がロマンチックじゃない! と思う。おまけに、この道はちょっと歩きにくい、道が塗装されており(写真)、雨で濡れると滑るのだ。
この辺りには、工場が多く、その中でも目立つのが自動車パジェロの工場。ここで作られているのか〜 と感心してしまう。
木曽川3木曽川沿いの「岩屋観音」に参拝して行こう。川沿いの崖の中腹にあり、当日は落石の危険で通行止めになっていたが、こっそり入ってしまった。もう、訪れる人は居ない様で、寂しくも荒れていた。残念だ。ここからの景色は気持ち良いのに・・。

貞照寺かざぐるま

木曽川から、鵜沼宿に行く旧中山道は通行不能みたいだ。入り口がよく判らなかった。諦めて国道を進む事にする。ちょっと国道を進むと、右に入る道が有ったので行ってみよう。すると大きいお寺があった。成田山と書いてある。千葉の人間としては、親しみやすい名前だ。寄ってみると、あのマダム・サダヤッコ(川上貞奴、日本初の世界的な女優)が建立したお寺らしい。「貞照寺」と言い、芸能の寺でもあるらしい。成田山と言うだけ有って、お不動さんも祭ってあった。寺の裏には、風車が沢山並ぶ光景が・・(写真) とても幻想的でした。
鵜沼台団地を通り、鵜沼宿に向かう。

細畑一里塚鵜沼宿に入る。常夜灯が迎えてくれる。でも、残念ながら街道筋の雰囲気があまり残っていない、もしかしたら今までの宿場で一番残っていないかも・・。

加納宿に向かう。中山道は、高山本線と平行して歩いていく。しかし、上空には戦闘機が飛んでいて実にうるさい。なんでだろう? と思いすこし歩いていると「六軒の一里塚跡」の辺りに航空自衛隊の基地があった。基地では、「F-○○」とかの戦闘機が目の前で8の字を描いたり、急上昇の練習をしていた。バイクと一緒で、戦闘機も基本は8の字なのかな〜、でもホント、うるさい。好きな人には、たまらないのだろうけど。

「新加納の一里塚跡」を過ぎると、ひとりのお爺さんに話を聞く事が出来た。昔この辺りには、太い松の並木があったらしい。それで戦時中に松ヤニを採っていて、それで樹勢が落ちてしまい枯れてしまったと云う。今は跡形も無く、実に寂しいものだ。

もうすぐ加納宿、辺りも暗くなってきてコウモリがパタパタと飛んでいる。
進むと「細畑の一里塚」(写真)がある。ここは左右の塚が残っており町中では珍しい。植わっている木は若い様だ。 いよいよ加納宿に入る。加納とは、今の岐阜の事。たぶん、東京が昔は江戸と言うのと同じ感覚でいいのだろう。桝形の道をカクカクと進んで行くのは、とても街道らしく良い。しかし、この辺りは岐阜と言えど静かだ。宿が有ったら泊まりたかったのだが、現在は街道沿いには無いと地元の人が教えてくれた。先に進み、ラーメン屋に入って夕食をとる。そのラーメン屋には13年で二人目の中山道旅人らしく、とても喜んでくれた。今夜は、そのラーメン屋の近くのお寺「医王寺」の軒を借りて野宿する事にした。おやすみなさい。

太田〜加納(岐阜)、46685歩♪

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