Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 06 リターン・オブ・ドリフター○


  何がほんとうのことかなんて、誰にも判らない。
  答えが一つだとしても、それがはっきりするまでは全て仮定に過ぎない。
「こころのゆくえ」


 自室に戻った晃司を、ここ数日分の疲れが一気に襲っていた。いや、数日分どころか、一生分くらいの疲労にさえ思える。
 小十郎は拓也に斬り落とされた義手を取り付けるため、風間のもとへ向かった。『村』の住民たちは、美樹の指示で無事に到着したはずだ。
 あとの面々はと言えば、橘花は義体と話があると言って別室にこもってしまい、音々は晃司の部屋に着くなりソファに沈み込むようにして眠ってしまった。
「……晃司くん、何か飲む? それとも何か作ろうか?」
 ラフな普段着に着替え、エプロンを着けた漣が尋ねた。
「コーヒーをブラック……いや、砂糖とミルクをたっぷり入れたやつで頼むよ」
「晃司くんがブラック以外を飲むのって珍しいね」
 多少の事では動じない漣が、珍しく目を丸くしていた。
「疲れてるからね」
 本当は音々のように早々と眠ってしまいたいところだが、そうするわけにはいかないだけの理由があった。音々と橘花が晃司達の許に来たことについて、詳しく話を聞く必要がある。気心知れた音々に尋ねたかったが、寝てしまった彼女を起こす訳にもいかない……となれば橘花に聞くまでだ。これまで表舞台に姿を見せなかった橘花が、なぜ今になって出てきたのか、どうして音々と行動を共にしているのか、義体と二人っきりで何を話しているのか……
 しばらくして、橘花が義体を伴って戻ってきた。
「何を話していたんですか?」
「その質問に答えるよりも、今の話で判明したことを教えたほうがいいと思います」
 晃司と同じテーブルにつき、橘花は小さく深呼吸をした。緊張でもしているのだろうか。
「この義体に宿っているのは、詩織さんであり、詩織さんではありません」
「……どういうことですか?」
 風間のところで調べた限りでは、この義体に宿っているのは詩織と瑠璃奈が混じり合った存在だったはずだ。だが、橘花の言葉のニュアンスはそれとは少し違うように感じる。
「あの義体には、詩織さんの娘さんが宿っています」
 その言葉は晃司を絶句させるのに充分すぎるほどのインパクトを持っていた。
「彼女は……祈りシステムのせいで精人化した詩織さんの魂の一部を取り込んだようです」
「根拠はなんなんや?」
 いつのまにか目を覚ましていたのか、あるいは元からたぬき寝入りだったのか、ソファから起き上がった音々が尋ねる。
「彼女の霊力は、桜花、樹華、そして私の三人の霊力が入り交じったものなのです。私と桜花だけならば、二人とも血族が多いため、まれに霊力が混じることもあるのですが……」
「樹華の力をひいている人間は拓也と漣だけ、そういうことですか」
 晃司の言葉に橘花は頷いた。
「おそらくは、詩織さんは祈りシステムにかけられた段階で、既に拓也君の子供を身ごもっていたのでしょう。本来は人間一人の肉体の『存在力』をエネルギー源として発動するシステムですが、子供を含めて二人が同時にシステムにかけられたため、『存在力』が尽きて消滅するよりも先に、胎児だけは義体に宿ることができたのだと思われます」
「まだ意識もないような胎児に、そんなことが可能なんか?」
「……過程は推測に過ぎません。しかし、彼女は二人の娘であることだけは紛れもない事実です。そして、胎児の状態とは言えそこに命が存在する以上、『存在力』は等しく在るものなのです」
「なら、詩織ちゃんはどうなったんですか?」
 晃司は内心の動揺を抑え込みながら次の質問をぶつけた。
 はっきり言って事態が掴めていない。この義体に宿っているのが、拓也と詩織の間に生まれた娘だと言われても、まるでしっくりとこない。
 全てが、晃司に理解できる範疇を超えてしまっている。と言うよりもむしろ、形の合わないパズルのピースを、無理矢理にはめ込んでいるような気分だ。
「一部は彼女に取り込まれ、彼女の人格を形成する要素となっているようです」
 さらに橘花は続ける。
「生まれてすぐどころか、生まれ落ちるよりも遥かに前だった彼女に、人格と呼べるだけのものが存在していたとは思えません。そこで、人格を形成するのに不足している分を、詩織さんの魂をもって補ったと思われます」
「そんじゃ、詩織さんの記憶も持ってるってことなんか?」
 人生経験によって性格が変化することがある。詩織の人格が、彼女の人格の一部を形成しているのなら、記憶の一部でも共有していそうなものだ。そう思って音々は尋ねたのだが、橘花は静かに首を振った。
「彼女には確かにある程度の記憶らしきものがあります。しかし、それは詩織さんのものとは一致していそうにありません」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「……彼女はその記憶の中で、詩織さんの姿を見たことがあるんです」
 確かに、鏡でも使わない限り、自らの姿を見ることは不可能だ。そうなると、その記憶は詩織以外の誰かのものということになる。
「でもそれは変とちゃうか? まだ生まれてもない胎児が、自分の母親の姿を覚えているはずがないやん」
 冷静に音々が突っ込む。
「……そうですね。そうかもしれません」
「また判らなくなってきたな……」
 晃司がため息をついた。
「ですが、詩織さんと拓也さんの娘でないと、あの霊力は説明がつかないのです」
「橘花さん。さっきあなたは、『一部は』と言いました。それじゃ、詩織ちゃんの魂の残りはどうなったんですか? 失われてしまったんですか?」
「分かりません。しかし、彼女の肉体は完全に失われてしまっています。そして、本来なら救済措置となるはずの義体には娘さんが宿っていることを考えると……」
 おそらくは消滅してしまった。そういうことなのだろう。一同の顔つきに、暗い影が落ちた。
「それじゃ、やはり詩織ちゃんは……」
「残念ですが、あなたの予想通りでしょう。彼女が詩織さんの魂を取り込んでいるとは言え、やはり彼女と詩織さんでは別の存在なのです。仮に詩織さんを知る人が彼女と接したとしても、似ていると感じることはあっても、同じ人間だとはおそらく思わないでしょう。ただ……」
 そこで橘花は僅かに口ごもった。皆が無言でその先を促す。
「ただ、一つだけ気になることがあるんです」
「何ですか?」
 言葉を失って黙り込んでしまった晃司と音々に代わり、漣が問い返した。
「桜花の娘、瑠璃奈さんのことです」
「確か、桜花がおよそ二千年ぶりに生んだ実子……って話やったな?」
「そうです。しかし二千年くらいでは、いくら桜花と言えども、子を一人成すほどの力を溜めることは出来ないはずなのです。それに、生まれてから一度も目覚めなかった瑠璃奈さんが、ある日突然に義体を奪って逃走した……」
 橘花の言葉に、晃司は何か気付きかけた。だが、その着想は具体化する前に霞のように消えてしまった。
「しかし、祈りシステムの発動以後、瑠璃奈さんはどうなったのでしょうか? この義体に宿る少女が持つ微かな記憶とは、実は瑠璃奈さんのものではないのでしょうか?」
「そうか……そうだとすると……」
 かつて漣が「二人合わせてちょうど一人分くらい」と言ったのを元に晃司が導き出した、詩織と瑠璃奈が混じり合っているという仮説とも符合する。だがその上、詩織と瑠璃奈の二人だけではなく、詩織の娘さえもが混じっているというのか。
 そして義体は、本来宿るべき人間の親もしくは実子であっても、宿ることが可能だったはずだ。
「なんかややこしいけど、瑠璃奈さん、詩織さん、その娘の三人が混じってるって事か?」
 頭を掻きながら音々が尋ねた。だんだん難解になる話に、頭を抱えているようにも見える。
「真実はどうなのかは判りません。私は私に判る範囲内で、そう予測しているだけです」
 明言は避けていたが、橘花は自分の仮説に対して確信を抱いているように、晃司には思えた。
「そして、私は桜花に会って問い質さねばならないことがあるのです」
「それは瑠璃奈さんのことですか?」
 だが晃司の問いに対し、橘花は静かに首を振った。
「確かにそれもあるのですが、もっと重要なことがあります。事と次第によっては、樹華の力を借りる必要も出てくるでしょう。ただ、今は詳しいことは言えません」
「……それは、あなたと樹華の力をもって、桜花を討つということですか?」
 橘花が樹華の力を借りてまで、桜花に対して起こす行動と言えば、それ以外には考えられなかった。
 だが橘花は口をつぐみ、寂しげにうつむくだけだった。
「それで、これからどうするつもりですか? 桜花を捜すにしても、何か心当たりは?」
「……最初は地球へ降りて来れば、彼女の力を察知できると思っていたのですが……」
 そこで橘花は首を振った。
「裁きシステムの余波のせいか、あるいは桜花が対策を講じているのか、私の力でも察知できません」
 ため息混じりに橘花は答えた。精人の力でも察知できないとなると、よほどの事態なのだろう。
「ところでメパンチ」
 張りつめていた糸をぶち切るように、音々が声をかけた。いつの間にか橘花の背後に回っていた音々は、ニヤニヤしながら両拳を握りしめている。
「はっ? はい?」
 顔を青ざめさせ、橘花は音々の方を振り返った。その瞬間、音々の両拳が橘花のこめかみに添えられた。
「何を標準語で喋っとんねや!!」
 そのまま両拳で、橘花のこめかみをグリグリとこねくり回す。
「すっ、すみまあうあうううううっ!!」
「ちょっとお仕置きが必要みたいやのぉ?」
 両拳で橘花の頭を挟み込んだまま、全身を宙に持ち上げる。
「いたいたいたいいた痛い!!!痛いですやん音々ねえさん!!」
「今更遅いわアホ!!」
 そのまま二人は、先ほどまで橘花と義体が話し込んでいた部屋へと消えていった。
「仲いいね」
 漣がぼそりと呟いた。が、晃司はその言葉に同意していいものかどうか、しばらく頭を悩ませるのだった。


 そして翌朝。
 晃司が目を覚ましたとき、既に太陽は真南に輝いていた。眠る前に飲んだ酒が残っているのか、少し頭が痛む。
 リビングには誰もいなかった。テーブルの上に、漣の字で書き置きされたメモが置かれている。
『三人で買い物に行ってきます。お昼すぎには帰るね  さ』
 メモを丸めてくずかごに捨て、冷蔵庫に冷やしておいた水を取り出してコップに注いだ。冷たい水が喉を潤すのに伴い、寝ぼけていた頭がゆるやかに冴え始める。
 橘花の様子では、彼女は桜花に対して何らかの敵意のようなものを抱いているらしい。それは橘花の言う「問い質さねばならないこと」に関連しているのだろう。そしてそれはおそらく、瑠璃奈が関係しているはずだ。だからこそ、橘花は義体に宿っているものが何なのかを知る必要があったのだ。
 橘花が実権を失っていたことについては、音々が月へ向かう前に、樹華からある程度は話に聞いていた。樹華の話では橘花は支配を好む性質ではなく、むしろ橘家を家族的なものにしたかったのだという。
 それは霊力の継承や家全体の支配形態にもあらわれていた。当主に権力と霊力が集中する咲夜家に対し、橘家では主だった五家による合議制で家全体の方針が定められる。霊力もその五家に対し、ほぼ均等に分散していると言ってもいいだろう。桜花も橘花も、かつてそういう風に自分の子を「作った」のだ。ただし五家の中でも中心となる一家はあり、桜はかつてその家の当主となるはずだったらしい。
 システムの発動を止めようとしていた樹華が橘花に助力を求めたとき、橘花はあくまでも中立を貫いた。発動させるもさせないも、全てを橘家の人間達の手に委ねるつもりだったのだ。
 その橘花が動いた。動かしたのは音々だ。それがどういう結果に結びつくかは判らないが、これは転機になる。そういう確信が晃司にはあった。
 だがその日、風間の元から戻った小十郎がもたらした情報は、さらなる衝撃と困惑を皆に与えることになるのである。

 小十郎が戻ったのは、ちょうど漣が夕食の支度を終えた頃だった。
「あ、ひょっとしてナイスタイミングっすか?」
「うん」
 漣の返事を聞くまでもなく、小十郎はちゃっかりテーブルに座って、盛りつけの様子を眺めていた。
「ほー。なんだか良く判らないけど、焼き魚なんすね」
「うん。知り合いのおばさんが釣ってきてくれたの。あ、うしろ」
 漣が小十郎の背後を指さしたのと、音々のゲンコツが小十郎の脳天に炸裂したのはほぼ同時だった。
「そこはうちの席や。どかんかい!!」
「ず、ずみません……」
 頭を押さえながら小十郎は隣の席に移ったが、今度はそれを橘花がじっと見つめていた。
「……ひょっとして、ここは橘花さんの席?」
「は、はい」
 そうする間にも、晃司や義体も席についてしまい、席は全て埋まってしまっていた。
「あっ。椅子が足りないね……」
 晃司は周囲を見回したが、代用品は見あたらない。
「私、どきましょうか?」
 別に食事を摂るわけではない義体が申し出た。が、
「別にいいっすよ。橘花さーん!」
 ちょいちょい、と小十郎が手招きをした。
「どうもすみません……」
 席を譲ってくれる小十郎に、橘花はすまなさそうに頭を下げた。が、彼女の思惑とは裏腹に、小十郎は橘花の脇腹を抱きかかえ、自分の膝の上に座らせた。
「はっ、はあ?!」
 顔を真っ赤にして驚く橘花。だが小十郎は満足げに、
「よし!」
 親指を立てて満足げに頷いた。
 そのわずか一秒後、
「何が『よし!』やねん!!」
 再び音々が拳を握った。だが、小十郎は橘花のからだをひょいと持ち上げ、盾代わりにしてゲンコツを防ぐ。一瞬の攻防の後、鈍い音とともに、音々の拳は橘花の脳天に炸裂した。
「い、痛いですやん。音々ねえさん!!」
「これぞメパンチシールド返し!!」
 橘花の背後で、小十郎がにやりと笑った。
「こぉじゅうううろぉぉぉぉぉっ!!」
「まぁまぁまぁまぁ……音々ちゃんも小十郎君も落ち着いて」
 拳を握りしめて小十郎を睨み付けていた音々を、晃司がたしなめた。
「……あとで五回殺す」
「それよりも小十郎君。義手の交換、やけに早かったね」
 話題を変えようと晃司が話題を振った。
「ええ。ちょうど風間さんのとこに、試作実験中の新型があったんすよ。次のメンテの時に換装するつもりで、準備してたらしいんす」
「試作実験って……ちゃんと動くのかい?」
「ええ、前のやつよりも反応が速くていい感じっすよ。あと、射出している状態でも指先を動かすことが出来るって言ってました」
「へえ……」
 相槌を打ちながらも、晃司の心境は複雑だった。こうして小十郎や晃司の個人的な頼みは聞いてくれてはいるが、今の風間は表舞台を降りた人間だ。自分たちの敗北を認め、そしてそれが世界にとって、決してマイナスではなかったことも悟っている。
 風間のような選択がベターだったのではないか、と思ったことも多々ある。
 しかしそうではなかった。理沙のもとに統治されている今の日本自治領の状態は明らかに異常であるし、桜花や拓也のことも含め、解決していない問題は多い。そしてそれに対し、自分たちが浅からぬ因縁を持っている以上、まだ舞台にしがみついている必要がある。橘花を引き連れて音々が帰還してきたときから、晃司はそれを確信するに至っていた。
 さらに、音々が月を発つときの美里とのやり取りを聞く限りでは、地球自治領に対して橘花と音々が敵対する事に対し、月政府が動くことはないだろう。これは現行の自治領政府、ひいては理沙を討つことの大義名分にもなる。
 だがそれでも、風間が再び立つことはないのだろう。
「晃司さん?」
 小十郎の声で晃司は我に返った。
「あっ、ああ。ごめん。ちょっと考え事をしてたんだ。で、なんの話だっけ?」
「風間さんが、瑠璃奈さんに会ったって言うんですよ」

 それは風間が、小十郎の義手用のパーツを受け取るため、新潟地区にある自治領軍基地を訪れた帰りのことだった。
 急に体調を崩した風間は、なんとか基地近くの町にたどり着いた。医者の話ではどうも食あたりを起こしたらしく、病院で一晩様子をみようという事になった。
 その病院の手伝いをしていたのが瑠璃奈だった。記憶を失っており、自分の名字も判らない。だが強い霊力を持っており、神霊術を用いて患者の治療を手伝っているのだという。
 なんとか本人と話す機会を得たのだが、聞いていたとおり、彼女は何も覚えてはいなかった。自分の姿を鏡で見たときに「瑠璃奈」という名前を思い出したらしいのだが、咲夜という名前には聞き覚えがないという。
 町の人々は、瑠璃奈が咲夜家の人間だということを薄々感づいているようだった。しかし、彼女は町にとって必要な人間であり、何よりも彼女のことを町の皆が好いている。非難する理由はないと、瑠璃奈の世話をみている、その医者は言った。
 結局、彼女は今のままが幸せなのだと判断し、風間はそのまま町を後にした。

「なぜ瑠璃奈が……?」
 生まれてからずっと眠り続け、そして義体を奪って逃走し、詩織や拓也に助力した瑠璃奈。そして義体がここにある今、その行方は判らなくなっていたはずが、意外なところで名前が出てきたと言えるだろう。
「橘花さん。どう思いますか?」
 瑠璃奈の事を一番気にかけていたのは橘花のはずだ。
「今の時点では考えようがないんですが、一度会ってみる必要はあると思います」
「んじゃアレやな。当面の目的は、その瑠璃奈っぽい奴に会う!ちゅーこって」
 異論などあるはずもなかった。
 それからは長旅に備え、各自が準備に追われるうちに時間は過ぎた。

 西暦2023年11月30日、木曜日。
 漣は小十郎と義体を連れ、食料の買い出しに出かけた。香織は携帯していく薬品類を物色するため、晃司が使っている倉庫へ向かっている。部屋には晃司と音々、そして橘花が残り、荷物の最終チェックの最中だった。
「音々ちゃんは、神って居ると思うかい?」
 旅に必要な荷物をカバンに詰め込みながら、晃司はそんな事を訊ねた。
「おってもおらんでも、別にうちに関係あるわけやないと思ってるけど?」
 しばし考えた後に、音々はそんな風に答えた。
「音々ちゃんらしいね」
「晃司お兄ちゃんはどうなん?」
「判らない。僕らの文明の進化を精人が促した一面がある以上、精人が『神』だと言えなくもないと思うんだ。そう呼ばれるに値する力を持っているのも事実だしね」
「私たちは別に……」
 橘花が何か言いかけ、そして言い淀んだ。否定するだけの言葉が、口から出てこなかったのだ。
「ただそれが、世界を創造したとかそういう神という話になると、僕は信じていなかったんだ」
「今は違うん?」
「僕達が香織ちゃんと再会したのを皮切りに、拓也やシェラと再会し、そして音々ちゃんが橘花さんを連れて戻ってきた。……運命、って言うのかな。僕らには見えない流れのようなもの、そういうものは有るのかもしれない、って今は思うんだ」
 全てがあまりにも立て続けに起きすぎていた。偶然という一言では片づけられないような気がする。
「そういうのは、有るんかもしれへんけど……」
 晃司の言葉を反芻するように音々は瞳を閉じた。
「ただやっぱり、それは人が動いた結果とちゃうんかな。香織さんと再会したのは晃司お兄ちゃんと漣ちゃんが動き回ったからやと思うし、あの黒アホ男とかシェラかってそうやろ? うちらも、桜さんからの声を聞いたから、こうして戻ってきたんやし。神なんて関係ないやん」
 晃司は黒アホ男という言い回しに苦笑しながらも晃司は首を振った。
「そうかもしれないね。でもやっぱり、僕は何かが有るような気がするんだ」
「有るのかもしれません」
 橘花が言った。
「歴史の中で大きな変革が訪れるときは、えてしてそういう時機があったように思います。偶然と呼ぶのか運命と呼ぶのは判りませんが、でもそういう何かは存在し、そしてそれは人の意志がたぐり寄せるものだと私は思います」
「時機か……」
 変革というのは唐突に、そして劇的に訪れるものである。何かの本で、そんな一文を読んだことがある。それが真実なら、今がその『時機』なのかもしれない。
「そういう時機を掴むことの出来る人間が、『英雄』と呼ばれるのではないでしょうか」
「そそ。全部が終わったら、晃司お兄ちゃんは英雄って呼ばれるようになるんと違う?」
 音々はそう言ったが、晃司は再び首を振った。
「僕は英雄なんて柄じゃないし、なりたいとも思わないよ。他人の希望となれるような人間じゃないしね」
 むしろそれは拓也の役目だったはずだ。戦いの先陣に立ち、皆を奮い立たせるだけの何かが拓也にはあった。王道を往く者、とでも言うのだろうか。それは搦め手を得意とする晃司とは違う人種だ。
 しかし今となっては、拓也が英雄となる道は途絶えてしまったといえるだろう。あまりにもその悪名が知れ渡りすぎた。再び拓也が晃司達のもとに戻ってきたとしても、人は彼を英雄視しようとはしないだろう。
 だが──
 そこまで思い至って、晃司は音々の方をちらりと窺った。
 音々ならば、英雄と呼ばれる処まで駆け上れるかもしれない。誰よりも先に戦いに身を投じ、自らの力で戦うその姿は、見る人々に勇気を与えることだろう。どんな困難の中でも己を見失わず、そして挫けることもないその強さは、拓也にもないものだ。
 自治領そのものという巨大な相手と与するならば、明確な善悪の構造が必要だ。晃司達は自治領の悪を糾す正義でなければならない。そうすれば、自治領軍の中に離反する勢力も生まれるだろう。そのためには、カリスマ的な英雄が必要なのだ。
「音々ちゃんなら英雄になれるよ」
 その先に重荷があったとしても、音々ならば負けることはないだろう。
「うち?」
 思ってもみなかったらしく、音々が素っ頓狂な声をあげた。だが、その側では、橘花が晃司の言葉に同意するように頷いている。
「ああ、きっとね」
(そのために、僕は全力を尽くそう……)
 たとえ自らが汚れ役に回ることになろうとも。

 やがて戻ってきた漣らを含め、七人は晃司の部屋を後にした。
 小十郎のバイクの後ろに音々が乗り、あとの五人は晃司の車での移動である。急げば一日で行ける距離だったが、一刻を争うわけでもない。
 一同は日本海沿岸の小さな町で、日が暮れる前に早めの宿を取ることにした。宿と言っても、適当な空き家に、勝手におじゃまするだけのことである。幸いにも町のはずれに、小さなホテル跡があったのでそこを借りることにした。
「うぅぅ……尻が痛いぃぃぃっ!!」
 ホテルの地下駐車場でバイクの後部座席から降りるなり、尻を押さえつつ音々は呻いた。
「……下品ね」
 嘆息混じりに香織が呟く。
「下品ってなんやねん!! 尻は尻! 痛いもんは痛いわ!!」
「あらそう。湿布でも貼る?」
「いらんわ!! あんたも一日ぶっ通しでバイクに乗っとったら、この苦しみが判るわ!!」
「バイク嫌いなのよ」
 しれっと答えた香織に、音々が飛びかかろうとした瞬間、間に小十郎が割って入った。
「まぁまぁまぁ。ここは僕に免じて、お互い引いてくれないっすか?」
「なんで小十郎に免じんとあかんねん!!」
「うるさい奴……」
 吐き捨てるように呟き、香織はとっととホテルの中へ入っていった。
「香織さん、どうしたのかな?」
 漣が晃司に尋ねた。
「……詩織ちゃんの事が気にかかってるんだよ。きっと」
 詩織が宿っているのだと信じ込んでいた、あるいは信じたかった義体の中に詩織はなく、詩織の娘と思われる存在が宿っていたのだ。
 すがりつく対象があるからこそ、恥辱にまみれても生きていけた。それを失った今、香織の胸中を推し量ると、それだけでも痛ましかった。
「あ、晃司くん。おかあさんが話があるって」
「桜さんが?」
 晃司の問いが終わるより先に、漣の身体が一瞬震えた。
「……ふぅ」
 疲れているのか、桜は苦しそうな表情でため息をついた。
「消耗が激しくてずっと眠っていたんだけど……橘花様は無事に着いたようね」
「ええ。音々ちゃんも一緒です」
「そうみたいね。みんな無事でよかったわ」
 少し気分が落ち着いたのか、桜は少し笑みを浮かべた。
「ところで、どうしたんですか?」
「あの義体に宿っている人のことなんだけど……」
 桜はそこまで言って、橘花と一緒に、車から荷物を下ろしている義体の方に視線をやった。
「常識的よね」
「え? ああ。そうですね」
 桜の口から出た言葉に、晃司はとまどいながらも相槌を打った。
「よくしつけられてる。そうは思わない?」
 あの義体に宿っているのが詩織の娘だとしても、まだ精神年齢はほんの赤子のはずだ。だがそれは詩織の記憶が、人格のベースとなったせいだろうと橘花は言っていた。
「漣を育てたのは私よ。勉強や料理を教えたのも、霊力の制御の仕方を教えたのも、一般常識をしつけたのもこの私。ねえ、晃司君。一つの義体に対し、二人分の魂が宿ることは不可能なのかしら?」
 そこまで言われて晃司も気付いた。
 義体であるか肉体であるかの違いはあるが、それをやってのけている人間が目の前にいるではないか。
 だが漣は、足して一人分だと言ったはずだ。
 そんな晃司の心中を悟ってか、桜はさらに続けた。
「魂なんて目に見えないものよ。漣が言った言葉を、鵜呑みにしていいって訳でもないでしょ?」
「つまり、詩織ちゃんはまだ……」
「失われたと決めてかかるのは早計じゃないかしら? って私はそう言いたいだけよ。もちろん、失われていないって断言も出来ないけど。そろそろ、また眠ることにするわ……」
 桜が表に出てきたときと同様、軽く身体を震わせて漣が戻ってきた。
「……香織ちゃんに伝える?」
「ああ。たとえ小さな可能性でも、それが支えになるのなら構わないさ」
 確率など問題ではない。その可能性を否定しきれないのならば、それで充分だ。
「音々ちゃん、荷物を頼む!!」
「えーぇ!?」
 音々の抗議の声を背に、晃司は足早に香織の後を追った。
 香織がちょうど部屋に入る寸前で、晃司は彼女に追いついた。相変わらず不機嫌そうな香織だったが、桜から聞いた話を聞くと一変して、その瞳に涙を溢れさせた。
 だが、彼女は無言で部屋に閉じこもり、そのまま鍵をかけてしまった。きっと混乱しているのだろう。そっとしておくことにし、駐車場に戻った晃司を、漣と橘花が待っていた。
「他のみんなは?」
 晃司が尋ねると、
「荷物を部屋に運んでおくから、後でロビーで集まろうって。小十郎くんが」
 漣が答えた。おそらく、音々は小十郎に全部押しつけたのだろう。
「それで、香織さん。どうだった?」
「……気休めにはなったと思うよ」
 香織にもその可能性の低さは判っているはずだ。だがそれでも、これまで彼女が信じてきた小さな可能性の、ほんの何割かは取り戻せただろう。どんな些細なことでも、彼女が自分を見失わないですむのなら、気休めでも大きな意味を産む。晃司はそう信じていた。
「考えてみれば桜の言うとおりです。その可能性には思い至りませんでした」
 少し気落ちした様子で橘花が言った。自分の発言がきっかけとなって、香織を苦しめたことを後悔しているのだろう。
「まだ可能性にすぎません。それも、ほんの小さなものですよ」
「……はい。でも、私もそれを信じたいと思います」
「僕もです」
 どっちにせよ、風間の言う「瑠璃奈」に会えば、また何か新しいことが判るはずだ。

「それにしても、けっこう大きいホテルの割には部屋は狭いんやね」
 食事の後、音々がそんなことを言い出した。ほとんどが1〜2人部屋ばかりで、最上階にあるVIP用らしき部屋だけが、かろうじて5〜6人程度が宿泊できる広さだった。
「ビジネスホテルにしては場所がへんぴ過ぎるし、なんか変なホテルやわ」
「たぶんここは、雇兵向けのホテルだったんじゃないかな」
 晃司が言った。
「僕はこっちの方に来たことはないけど、昔は遠征中の雇兵が泊まるための施設が、あちらこちらに在ったんだ」
「雇兵向けのユースホテルってトコすか?」
 小十郎の言葉に晃司は頷く。
「そういうホテルには、武器や弾薬のショップがあることも多かったんだ。各雇兵組織間のサーバを繋いでいた、専用のネットワークだってちゃんと整備されていたしね。あとで地下とか捜せば、弾薬庫か何かが残ってると思うよ。荒されてなければ、だけど」
 という話を聞いた音々は小十郎を誘い、暇つぶしがてらホテルの地下へ降りることにした。晃司の言葉通り、地下には武器専門の店の跡があった。が、残っていた武器や弾薬はほとんど持ち出されていて空っぽだった。かつてはたくさんの品が並んでいたであろう陳列棚には埃が積もり、カウンターの奥には無数のダンボールが積み上げられている。
「なんだか、土産物屋みたいな感じっすね」
 何も並んでいない棚を眺め、小十郎は言った。
「食いもんの一つや二つくらい残ってへんのかなぁ?」
 音々はダンボール箱を漁り続けているが、大半が空箱だったり書類が詰まっているだけで、彼女が期待しているようなものは出てきそうにない。
「……昔は、こんな店に来るような雇兵がたくさん居たんですよね」
 ぽつりと小十郎が呟いた。
「そやろな。『光の夜』の前……戦争をバンバンやっとった時期なんかはな。アンタ、ああいうの好きとちゃうかったっけ?」
「昔は憧れてたっすけど。実際に戦場に立つようになってからは……」
 初めて風間や音々に会った頃は、戦うという行為に憧れていた。戦う男達がかっこいいものだと思っていた。だが、それだけだったのだ。
 小十郎が憧れた雇兵達は、言い替えれば皆が人殺しだ。金のため、名誉のため、思想のため、人それぞれに理由があるとは言え、その事実が揺らぐことはない。それを小十郎は思い知らされた。
 音々と二人で拓也を探す旅の最中や、咲夜家に襲撃をかけた時に、何人もの人間を斬った。だが、あの頃の小十郎には、他人の命を奪うことの罪深さがが判らなかったのだ。
 やがて咲夜家の生き残りを集めた後、「咲夜狩り」から皆を守るため、小十郎は死に物狂いで戦った。
 そしてある時、不意に気付いたのだ。戦いのときに自分が感じている死への恐怖感を、自分自身が他人へと与えてきたことに。その時から、刃を交える相手の事を「敵」という言葉だけで認識できなくなっていた。
「あんまりいいもんじゃないって、思うっす」
「ふーん」
 小十郎の心中を知ってか知らずか、音々はさらりと聞き流した。
 二人があちこちを探していると、音々が不意に声をあげた。
「あ、パソコンがあるやん」
 段ボール箱に隠れるようにして、一台のデスクトップパソコンが設置されていた。しかし、最近使われたような形跡はない。
「ここ、電気は生きてるんやろか?」
 試しに電源を入れてみると、鈍い作動音とともにモニタが点灯した。しばらくして、見慣れたOSの起動画面へと移る。
「おー。ちゃんと生きとるなぁ」
「あれっすかね。さっき晃司さんが言ってた、雇兵組織用ネットワークの端末とか」
「たぶんそやろな」
 OSが立ち上がると、続いてネットワーク接続用のソフトと専用のブラウザが起動する。しばらくしてIDとパスワードを入力する画面が表示された。
「……ネットワークが生きとるやん! 小十郎、晃司お兄ちゃんを呼んできてくれんか?」
「ういっす!」
 数分後、小十郎が晃司を連れて地下へとやってきた。モニタの画面を見た晃司は、驚きを隠せないままにキーボードに触れた。
「放置されていたのか? それとも誰かが運営しているのか……」
 かつて自分が所属していた雇兵組織「RAY-WIND」でのIDコードと、ネットワーク用パスワードを入力する。しばらくのタイムラグの後、ブラウザの画面が切り替わった。
「驚いたな。かなり復旧してる」
 ネットワーク上に掲載されていた情報によると、「光の夜」以降は使用不可能になっていたこのネットワークは、雇兵組織の有志を中心に独自に復旧活動を行っており、半年ほど前にようやく運営を再開したらしい。かつてほどの規模ではないが、それでも任務依頼の情報などは時折更新されている。
「へー。こんな風になってたんすね」
 感心しながら小十郎が呟いた。
「ああ。僕たちはこのネットワークを通じて、雇兵組織から任務を請けていたんだ。復旧してるとは思いもしなかったけど……」
 依頼のほとんどは、自治領政府からの弾圧に対抗する戦力となって欲しいという類のものだった。また、そうした依頼が多いせいもあり、雇兵組織そのものが自治領政府から弾圧の対象になりつつあるらしい。
「かつては地球政府の犬。今はかつての飼い主に噛みつく狂犬、ってとこか」
 自嘲気味に晃司は呟いた。だが考えてみれば、自治領のボスである理沙が雇兵出身だと言うのも滑稽な話だ。
「で、なんかオモロイ事でも書いてへんの?」
 いささか退屈そうに音々が尋ねた。
「そうだね。特には……」
 適当に読み進めていた晃司の顔が、最新の情報を見た瞬間に凍り付いた。
 画面に表示されている情報に目を奪われつつ、音々に語った自分自身の言葉を思い出していた。
(運命、って言うのかな。僕らには見えない流れのようなもの、そういうものは有るのかもしれない)

「……こ、これも……運命なのか?!」
 画面に移っているのは、オープンワークとして流されている任務の一つだった。オープンワーク、正式名称は「赴任組織非制限任務」と言い、要は「誰でもいいからとにかく来てくれ!」という類の任務がこれにあたる。
 現在、このネットワークの中心となっているサーバのある場所に、自治領軍が大々的に軍を送り込んでくるというのである。その総指揮を執っているのは江藤理沙。そしてそのサーバの設置場所は新潟地区。それも、晃司達がこれから向かおうとしている集落の場所とほぼ一致していた。

To be continued.
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