Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 3 崩壊する幼年期


  絡んだ紐はほどくに限る、と誰かが言った。
  めんどくさいから、絡んだトコを切っちゃえばいいのに。
「殺意の方程式」


 窓から差し込む太陽の光で詩織が目を覚ましたとき、傍らに拓也の姿はなかった。毛布と布団を同時にめくり、上体を起こす。四月とは言え、朝の空気を素肌に直接受けるのは寒い。
 布団の脇に夕べのうちに用意しておいた下着を身につけ、続いて服を着る。
 今、何時なんだろう。と思わなくなって久しい。時刻なんて関係ない。陽が昇り、ゆるやかに時間が流れ、やがて陽が沈み、そして眠る。
 入り口近くの壁にもたれるようにして義体が眠っている。詩織達が床に就いてから日の出までの見張りを彼女が、そして日が昇ってから床に就くまでの見張りを拓也が、逃亡生活を初めて一月以上、毎日続けている。
 これまで襲撃は四度あった。いずれも月政府軍からのものだ。詩織の逃亡は、既に彼らの知るところとなっているらしい。
 だが、その全ての襲撃を、拓也と義体の二人だけで撃破していた。退けるのではなく、撃破だ。一人も残さない殲滅。その度に住むところを転々としている。幸い、放棄された家屋は山のようにある。月政府軍に占領されるまでは、九州島にも多くの人々が住んでいたのだ。今ではごく一部の地区に住む人を残すだけとなったが。
 食料は義体が色々と調達してくる。遠くにある集落で米や生活に必要なものを買ってきたり、山や河で獣や魚、山菜などを探してくる。
 今の場所に住み着いてから十日が過ぎようとしている。襲撃は今のところない。
 入り口のドアを開くと、窓からのものとは比べ物にならないほど眩しい太陽の光が、詩織の視覚を一瞬奪う。
「おはよう、詩織」
「おはようぎざいます。拓也さん」
 この人は一日に何時間眠っているのだろうか。常に張りつめた表情を浮かべ、それでも詩織には笑顔で接しようとつとめている。その笑みに、覇気と余裕はまったく感じられらない事に、自身は気付いているのだろうか。
 この人の心を癒やしてあげたい。心からそう思う。それが叶ったとき、自分の願いも叶う気がする。
 二人で色んなことを話した。
 厳しいけど優しい詩織の母のこと。「そんなにいい人なんだ」。穏やかで優しい詩織の父のこと。桜花のこと。いつも若作りでクールな拓也の父のこと。一度も見たことのない拓也の母のこと。「誰なんだろうね」。晃司のこと。理沙のこと。「俺にはもう、あの人のことが判らないよ」。美咲のこと。「どうしてるのかな…」。
 拓也にもたれかかって、一日中空を眺めた日もある。
 幸せだった。穏やかな陽の光の下で、こうして好きな人の側にいられることが。
 そして夜。
「……頼む」
 拓也からのたったそれだけの一言。それに詩織は頷き、偽りの祈りを捧げる。あたかも術を発動しているかのように。
 否。偽りではない。それは死者への懺悔だ。
(あなたの名を借りることを許して……。彼には貴女が必要なんです)
 そして偽りの仮面を被る。昼間の自分では見せることのない目、口元、表情。
 それに彼は騙される。騙されてくれる。騙されることを望んでいる。
「葉雪……」
 震えるような拓也の呼びかけに、詩織は微笑みで答えるのだった。
 それでも、ここは楽園だった。

 儚く脆い、ヒビの入ったガラスのようなものだとしても。


 晃司の帰宅を音々以上に驚いたのが風間だった。絶句したまましばらく声が出ない。
「晃司君……」
 やっとの事で、それだけを口にする。
「ご迷惑をおかけしました。風間先生」
 手にしていた皿をテーブルの上に置き、晃司は深々と頭を下げた。
「……四年前、君が出ていったときは、もう二度と会えんと思ってたんやが」
「僕の身勝手で」
 言いかけた晃司を、風間は手のひらで制した。
「もうええ。怒鳴りたいことも喜びたいことも、むっちゃ有りすぎてめんどい」
「……ありがとうございます」
「色々と苦労した見たいやしな。目ぇ見たら判る」
 その言葉に、晃司は淋しげに苦笑する。
 ちなみにその間、音々はと言えば、漣から強奪してきた鍋を抱きかかえ、晃司がハヤシライスを平らげるのを待っていたのだが、あまりに堅い雰囲気に耐えきれず、おたまでハヤシをすくって食べていた。
「なぁ風間。四年前に晃司兄ちゃんが出ていったことや、今日来た連中とか、全部関係が有るんやろ?」
 と言うと、しゃもじでご飯をよそい、口に放り込む。続いてハヤシをおたまですくい、それをすする。
「こりゃ音々! 行儀が悪いぞ!」
「ええのええの。残りはうちが全部食べるから。なぁ、風間?」
 怒鳴る春日老にそう宣言し、音々は炊飯器の内釜にハヤシの残りをぶち込んだ。ちなみにこのふた鍋目、ひと鍋で五杯分作れるところ、晃司が既に三杯を食べているので残りは二杯分。
「食べ過ぎると太るで。ネオン」
「そうやなくて!! 関係が有るのか無いのかって聞いてるんや! 今日はうちの二十歳の誕生日や。約束通り、全部聞かせて貰うで」
 ひとしきり問いつめたところで、しゃもじを握ってハヤシライスをかき混ぜる。
「音々ちゃん。はい、これ」
 剣道着からジャージに着替えた漣が、フォークを持ってきた。
「しゃもじじゃ食べにくいから」
「ありがと。フォークは要らない」
 音々が言うと、漣は目に涙を浮かべつつ、フォークをジャージのズボンのポケットにしまい込んだ。
「そやな、関係者も全員揃ってる。最初から順番に話そか。二十三年前の事からやな……」

 風間龍成が二十一歳だった二十三年前は、ユーラシア大陸で起こった七年に渡る内乱がちょうど終結した頃だった。その頃の風間は、月政府が進めていたプロジェクトに研究員として携わっていた。そのプロジェクトというのは、今で言う魔導工学を体系化しようというもので、霊力・魔力の科学分野への応用についてのものである。当時はまだ、魔導工学と呼ばれる学問は存在せず、データを数値化することが出来ない霊術・魔術というものは科学者・工学者からは忌避される存在であった。
 風間がそのプロジェクトに招聘されたのは、学生時代に書き上げた「霊子結晶に対する霊力・魔力の蓄積」という論文に月政府が着目したからである。この論文は執筆段階では実験データが少なすぎたのと、書かれた当時の工学技術では立証が不可能だった為に受け入れられかったのだが、プロジェクトの存在を知った倭高専の教授が月政府へ直接突きつけて風間を推挙したといういきさつがある。
 風間が担当することになったのは、霊力の伝達率の向上に関する研究と、くだんの論文の科学的立証であった。
 同じように招かれた研究員は大勢おり、充分な予算と設備の下、彼らは着実に成果をあげていた。
「俺んところに月政府から接触があったのは、まだ倭高専に居た頃やった。んで、卒業と同時に俺は月へ引っ越した」
 しばらくして判明したのだが、地球から月に招かれたのは風間を含めても二人だけで、残りは皆が月の人間だった。地球でも同様のプロジェクトが進んでいたため、主立った地球側の技術者はそちらの方へ参加していたのである。それはともかく、風間達と地球側のグループは互いに情報を交換しあいながら、研究を続けていた。
「その、もう一人の地球出身ってのがだ。後で詳しく話すが、桂城潤一郎(かつらぎじゅんいちろう)という奴やった」
 潤一郎は魔導水晶についての研究を担当していた。魔導水晶は霊水晶と呼ばれる鉱石から産み出される。霊水晶に800度以上の高熱と-140度以下の冷気とを交互に浴びせることで、魔導水晶と霊子結晶とに分裂する。
 魔導水晶を研究する潤一郎と霊子結晶を研究する風間。同じ地球出身と言うことで、二人はすぐに意気投合した。潤一郎は当時二十六歳、風間よりも五歳年上だった。
「と言うても、顔つきは若いくせにやけに落ち着いた物腰で、貫禄さえ有ったな」
 そんなある日、風間は潤一郎からある事実を知らされた。自分たちが行っている研究は、個々では繋がりが無いように見える。だが、それらを統合するための研究機関があり、そこで……
「そこで開発されてたんが、『裁きシステム』と呼ばれるシステムやった」
 地球でも同様のシステムが開発されており、そちらは祈りシステムと呼ばれていた。
 それは、肉体がそこに存在しようとする力を霊力へと変換する機構である。言い換えれば、肉体を消失させる代わりに、一時的に強大な霊力を出力させるシステムだ。エネルギー源としても、そして軍事兵器としても、その力は強大すぎた。簡単な試算で出た結果でさえ、そのエネルギーは惑星を吹き飛ばせる程のものだったのだ。
 風間達がそれまで取り組んでいたプロジェクトは、結局のところはこのシステムを完成させるためのプロジェクトだったのだ。
「強い霊力を持つものを犠牲にするほど、そのシステムは効力を発揮する」
 そして潤一郎は、精人という者達とその末裔の存在を風間に語った。月政府とは橘家と同義であり、地球政府にとっての咲夜家も然り。それが1999年の事であった。
「ところで、潤一郎には嫁さんが居た」
 同じように研究員をしていた女性で、名を桜、と言った。
「桂城桜。旧姓は神楽」
 事情を既に知っていた春日老を除く、皆の視線が一斉に漣へと向けられた。
「それ、私の母様ですか?」
 漣の問いに風間は頷く。
 この頃はまだ漣は産まれていなかったし、外見も今のような姿ではなく黒目黒髪、普通のモンゴロイドだった。やがて桜は潤一郎の子を身籠もり、研究所に来ることはなくなった。おそらく、外見の変調はこの頃から現れていたのだろう。
 そして2001年。
 システムの存在を知ってからは、精人達の為に結果を出す事はためらわれた。あまりに成果が上がらないから、愛想を尽かされて追い出されないだろうかと期待していたのだが、それは叶わなかった。機密保持の為だろう。研究が進んでいなかった訳ではなく、むしろ画期的な理論も立証したりしていたのだが、それらを報告しなかっただけだ。
 桜は無事に出産を終えたらしいが、母子に会うことは出来なかった。
 そしてある日、風間は潤一郎に呼ばれて彼の部屋へ行った。そこには潤一郎との他に、見慣れぬ男が一人と、まだ産まれたばかりの赤子が一人待っていた。
「男の名前は橘徹郎。赤子の名前は橘音々。ネオン、お前だよ」
「そんじゃ、その徹郎って人が……うちの産みの父親?」
 実の母親(通称:オカン)の印象が悪いだけに、その徹郎という男にもあまり良い印象が湧かない。
「そう言うこっちゃな」
 その赤子は双子で産まれたうちの妹にあたり、力の弱い方の娘だった。力の強い姉は橘家の跡を継ぎ、この音々はいずれシステムに組み込まれる事が確定した娘だと徹郎は言った。要するに、裁きシステムという名の銃に使う為の弾丸だ。力が弱いとは言っても、それはあくまでも嫡流として見たときの事で、そこらの人間とは比べものにならない力を持っているらしい。
 システムに組み込むことを決めたのは、音々の実の母である美里だった。それを知った徹郎は潤一郎を頼り、厳重な監視をかいくぐって音々を連れ出して来たのだ。
「もう一人の娘、華音は連れ出せなかったらしい。それを徹郎さんは凄く悔やんどったよ」
 潤一郎は言った。
「私は、家族と音々ちゃんを連れて、ここから脱走しようと思う。風間は、徹郎さんがここから出られるように手配してくれるから、地球に戻って私から連絡が行くのを待っていて欲しい」
 そして潤一郎は姿を消した。数日後、プロジェクトは一時凍結となり、研究員達は故郷へと帰された。風間は倭高専へ教員待遇で戻ることとなり、しばらくして洋子と結婚。
「俺がここに戻ってきて半年後、潤一郎は現れよった」
 潤一郎は約束通り現れた。音々と桜を連れて。
「桜の身体が今のように変わったのを知ったのは、こん時やった」
 潤一郎は風間に語った。今まで追っ手を捲くために身を潜めていたこと。桜の中に、肉体を持たない娘、漣が居ること。この先、逃亡生活を続けないといけないこと。
 風間は潤一郎の言いたいことを悟った。
「そして俺は、ネオンと桜、漣を預かる事にした」
 その後、潤一郎から風間への連絡は一切無かった。
 風間は月政府の探索から逃れるため、音々達を連れてユーラシア大陸へ移住。
 二年が過ぎて2003年。裁きシステム開発プロジェクトは再開される。風間の元にもプロジェクト参加の要請は来ていたらしいが、日本地域に居なかった風間がそれを読むのは遙か先、プロジェクト終結後のこととなる。
 風間はシステムの研究に携わってしまった事を悔い、システムが利用されるのを防ぐため、裁き・祈りの両システムの破壊を目指し、活動を始める。とりあえず裁きシステムの方は、弾丸となる音々がここにいる限りは発動することは無いだろう。
 そして月政府と地球政府の間で戦争が勃発。春日琢己の台頭と左遷。
「儂の事も話しておこうかの……」
 自分の名が出たところで、春日老が風間の話を遮った。
「そうですね。春日さん、たのんます。漣、お茶汲んできてくれるか?」
「うん」
 漣は頷き、立ち上がろうとして硬直した。そしてポケットに手を突っ込む。
「……痛い」
 あまり痛くなさそうに漣は呟き、さっき音々から受け取ったフォークを取り出す。これが刺さったらしい。
「あーぁ、何でもすぐにポケットに入れるから……。消毒したげるから、こっちおいで!」
「いいよ。血は出てないし」
 フォークを片手に漣は台所へ消えた。
「嬢ちゃんが戻ってくるまで小休止としようか」
 笑うに笑えないと言った雰囲気の中、春日が言った。

 しばらくして漣が人数分のお茶をお盆に載せて戻って来た。皆が茶で喉を潤す。
「……それじゃあ、儂の話をはじめようかの」
 春日老は若い頃、咲夜近衛隊に所属しており、その中で咲夜家と橘家の最終目的を知った。両家がそれぞれの術者を総動員して、超高出力の霊力を撃ち合い、生き残った方が世界を統治する。ただそれだけの事の為に、両家は二千年に渡り、歴史の裏表から人類を統治してきたのだ。
「狂っとる。正直言って儂には理解できんかった」
 だが、咲夜家の事は春日も良く知っていた。その術者を総動員するほどの術を行おうというのだ。死人の数は万単位ではきかないだろう。そんな連中に手は貸せないと、春日は咲夜近衛隊を脱退した。
 その後春日は軍に入る。やがて戦争が勃発した頃、システムの噂を耳にした。
 春日は悟った。両家の目的が達成される日が近づいている事を。
 幸いにも春日は軍を率いる立場にあった。月まで攻め込む事が出来たら、月側のシステムを破壊し、返す刀で地球にあるシステムも破壊しようと決心。それが春日の台頭の原動力となった。
 だが、狂気に走った息子に娘夫婦を殺され、二人の孫のうち一人は行方不明。覇気を失った春日老は左遷され、失意の中で潤一郎と出会う。
「祈りと裁きを止めたければ、風間龍成という男を訪ねるといい」
 そして春日老は軍から引退。ただ一人残った孫息子・晃司を連れて、当時中国地域に住んでいた風間の元に現れる。
「潤一郎の紹介と聞いて、正直言って驚いた。どうして俺達の居場所を知っとったのかも驚いたけどな」
 ここで再び風間が話し始める。
「さらに潤一郎は春日老に峰誼家の存在を伝言していた」
 咲夜家とも橘家とも違う、第三の精人勢力である峰誼家。風間は一時的に日本地域に戻り、して早速コンタクトをとるが、雪菜と葉雪を封印されていた峰誼家は風間達への協力を断る。
 音々の十四歳の誕生日を目前にした春、風間は帰国。理由は晃司と音々に高等教育を受けさせるためだ。風間はユーラシア大陸への移住以来、学会から退いていたのだが、それまでの論文が認められて助教授待遇で倭高専に就任。まずは晃司が入学。漣も学校に行かせてやりたかっただが、あまりにも目立つ外見の為に断念。髪と瞳の色はごまかせても、肌の色を長時間ごまかすのは不可能だったのだ。
 風間達が驚いたのは、晃司の入学と同時に、シェラ峰誼が倭高専へ入学してきたことだった。最初に断られた時点で、峰誼家の協力は諦めていた。
 シェラは言った。
「葉雪様と雪菜様の封印を解く為に、協力して欲しい」
 と。
 二年後、音々も倭高専に入学。そして六月のある日、晃司の前に理沙が現れたのである。
「姉貴は言ったんだ。パパとママを殺した奴はあたしが殺した。でもまだ復讐は終わってない。二人で復讐をやり遂げようって……」
 その日のうちに、晃司は休学願いを出した。そして風間と春日に「お世話になりました」とだけ言い残し、皆の前から姿を消した。
「復讐なんか興味は無かったんだ。ただ、姉貴も明おじさんみたいに狂うんなら、それは僕が止めないといけないって思ったんだ」
 理沙は咲夜家と橘家を滅亡させようとしていた。
 晃司は雇兵訓練所に入り、八ヶ月後に卒業。ちょうどのその頃、彼は拓也と出会う。恋人に死なれ、チームは解散。その頃の拓也はどん底の状態だった。
 不思議と気が合った。
「うちの姉貴がさ、すごく強いんだけど厳しすぎて困ってるんだ」
「……それじゃさ。俺を鍛えてくれないかな。強くなりたいんだ」
 その一言がきっかけとなり、晃司は拓也を理沙に紹介する事になる。
「その、拓也ってのは何モンや?」
 風間が晃司の話を遮る。
「うん……判らないんだ。鳳拓也って言って、最初はただの仲間……いや、友達だったんだけど。つい最近判ったんだ」
「まだるっこしい奴やなぁ。早いこと言え!」
「拓也は僕の友達で……精人の息子だ、と思う……」
「なんやて!?」
 風間が絶叫に近い声をあげる。
「どいつの息子や!? 桜花か、橘花か、樹華か、その眷属か!?」
「それが判らないんだ。多分樹華だと思うんだけど、葉雪は『拓也の母親は樹華ではない』って言ってた…」
「葉雪? 葉雪は復活したんか!? いったい、この四年間、何があったんや?」
「急に事態が動き始めたのは、つい一ヶ月くらい前からなんだ」
 晃司は語った。
 理沙とは別れ、拓也と二人で雇兵生活を続けていたこと。
 二月の終わりに咲夜家の北嶋由香という女性の依頼で、月政府軍の特殊部隊にさらわれそうだった詩織と美咲を拓也が救出したこと。
 詩織と美咲の、咲夜家からの逃亡生活を助けることになったこと。
 葉雪と雪菜の封印に拓也をぶつけ、彼が生まれつき持っていた霊力の性質を見極めようとしたこと。
 その最中、志帆に風間達を紹介したこと。
 その企みが原因で拓也の信用を失ったこと。
 封印を解かれた葉雪が、執拗に拓也の身体を求めたこと。
 拓也も同様に葉雪を求めたこと。
 突如現れた理沙によって、葉雪と雪菜が滅ぼされたこと。
 自暴自棄になった拓也が、彼に恋心を抱いていた詩織を連れて、いずこかへ去ったこと。
 シェラを除く峰誼家の人間が、理沙によって惨殺されたこと。
 そしてシェラも姿を消し、美咲は一人で咲夜家へ戻っていったこと。

「それでトボトボと帰って来たって訳かい」
「……そういう事です」
 風間の一言は辛辣だったが、事実だ。頷くほかない。
「で、その拓也とかいう奴、霊力の強さはどの程度なんや?」
「強かった。桁外れと言ってもいいと思う……でも剣技をメインにしているから、普段はあまり派手に力を放出しない。それに、限界まで出し切った事はなかったみたいだから、はっきりとした事は判らないんだけど」
「ふむ。じゃが葉雪に掛けられていた、桜花と橘花の施した封印を解けるだけの力じゃろ? 強いに決まっておろうて」
 春日老があご髭を撫でながら言った。
「時が来れば、漣に解けるかどうか試してみたかったんやけどなぁ」
 ぼやくように風間は言う。
 漣を産んだ事を境にした桜の変貌について、風間は精人が関連しているのではないかと踏んでいた。桜自身か潤一郎が精人の末裔、もしくは精人だったのではないかと風間は予想している。そして、桜こそが樹華そのものではないかと。
「ま、これで話は終わりやな。満足したか? 音々」
「満足も何も……」
 正直言うと、一度に情報を詰め込まれ過ぎて、頭の中が混乱していた。
 風間は若い頃、裁きシステムという機構の開発に携わってしまった。そのシステムはこの星を滅ぼしてなお余るエネルギーを生み出す。桜の夫、桂城潤一郎という男から、そのシステムの詳細を知られた風間は、プロジェクトへの協力をやめる。やがて桜は漣を出産。
 そして音々が産まれる。システムに組み込まれるべくして産まれた音々。その父親、橘徹郎は生まれたばかりの音々を潤一郎に託す。潤一郎は、族と音々を連れて脱走。その直後、徹郎の尽力でプロジェクトが一時凍結。風間は地球へ帰還。
 半年後。潤一郎は風間の元に現れた。桜と漣、そして音々を風間に預け、彼は再び逃亡の旅へ。風間もまた、音々への追っ手から逃れるためにユーラシア大陸へ移住。システムの破壊を目指して活動するようになる。
 一方、かつて咲夜近衛隊に所属していた頃に、咲夜家・橘家の目的を知っていた春日もまた、システムを破壊しようとしていた。だが実の息子に娘夫婦を殺された春日は、失意の中で左遷。そんな中で、どういう経緯かは判らないが潤一郎と出会った春日は、風間の存在を知り、唯一残った身内である晃司を連れて風間の元へ向かった……。
 それ以後の事は音々もよく知っている。春日には戦闘術を晃司と二人で教わり、風間と洋子には勉強を、漣も含めた三人で教わった。少林寺拳法の心得のある洋子から、護身術として基礎的な事を教えられてはいたが、春日の戦闘術はそんな生やさしいものではなかった。だが、音々は銃を撃った事がない。春日は、晃司には銃の扱いを教えたが、音々には銃に触ることさえも禁じていた。
 そして大陸に渡って以後、風間がずっと続けていた研究が精霊術である。神霊術にしろ魔力にしろ、原則として血の濃さにその力は比例する(厳密には精人因子の強さに比例するのだが、精人因子の強さは一部の例外を除き、咲夜家・橘家など精人系一族の血の濃さに比例するため、通例として『血の濃さ』と称する)。その為、神霊術や魔術を突き詰めていっても、本家本元である桜花や橘花に対抗することは出来ないのだ。風間は大陸各地に伝わる神話や伝承を調べ続けた末に、神霊術とも魔術とも違った力によって、自然には起こり得ない事象を発動させることが可能であると確信したのだ。

 世界は無数に存在する。今、我々が立っている世界をゼロとし、無限に存在する平行世界に流されようとする力をX軸、物質がそこに存在し続ける力をY軸、物質にかかる時間の流れをZ軸に仮定したとき、この三つに加わる力の合計値は常に一定である。例えば、Y軸への力が一時的に弱まると、X軸・Z軸にかかる力がその分強くなる。X軸にかかる強さが強くなると、本来の世界とは少しだけ違う世界へ流されてしまうし、Z軸への力が強くなると時間が速く流れるために、寿命が縮まる。これらのエネルギーには復元力が有り、多少の変動ではすぐに元に戻る。
 この、Y軸にかかる強さを少しだけ切り離す。切り離す元となった力の方は、少し切り離したくらいではすぐに元の状態に復元するが、切り離された方の力は、X軸・Z軸の力の影響を多分に受ける。この切り離しと、X・Zそれぞれの力からの影響の受け具合を調節するのが、いわゆる神霊術・魔術である。Z軸にかかる力を減らし、X軸にかかる力を強くすると、存在する時間は短くなるがこの世界とは大きく異なる世界が具現する。すなわち、より強力な術が発動するという事になる。普通の人間はY軸への力は強い反面、X方向への力があまりかかっていない。その為、多少Y方向の力を切り離しても大した事象は発生しない。精人はY方向への力はほとんどかかっておらず、その分X方向への力が極めて強い。あまりにY方向への力が弱いため、X軸にかかる力の一部をY方向へ転換させなければいけない(これが、精人が自分の肉体を、自らの力で構成しているという事に繋がる)。言い換えれば、X方向への力の強さが、霊力の強さに直結しているという事になるのだ。また、精人と人間の混血の場合は、X方向への力の強さは血の濃さによって大きく変化するが、Y方向の強さに関してはそれほど大きな変化はない。
 このことを立証させた風間はそれとは逆に、X方向にかかる力を切り離してY方向にかかる力を調節することで、何かを「存在させる、もしくは存在をより強くする」術を編み出すための研究を始めた。それが精霊術である。
 X方向の力は異なる世界の事象を呼び込む力でもある。魔術・神霊術はこの力を強くすればするほど、より大きく異なる事象を呼び込む術である。精霊術はX方向への力は弱いため、魔術・神霊術に比べると事象の変化は少ない。これが、精霊術が周囲の「場の属性」の影響を受けやすい要因である。だが、些少の変化でもその存在をより強くさせることで、最終的には魔術・神霊術に匹敵するだけの事象を引き起こすことになるのだ。
 風間が初めて精霊術を発動させたのは、春日達が訪れる半月前だった。やがて晃司が精霊術を会得。それを見よう見まねで音々も会得したのである。

 音々が14歳の誕生日を目前にした2015年3月。風間達は日本へ帰国した。あとは風間の話通りだ。
「なんか、疲れたな……」
 色々と思いだして、そして考える。
 初めて聞いた自分の実父のこと。桜と漣のこと。自分のこと。
「……ごめん、ちょっと頭を休めてくるわ」
 音々は腰を上げ、その場を立ち去った。
 部屋に戻り、ベッドに身体を沈め込む。
 ホントにこんな事を聞きたかったのだろうか。二十歳になったら実の両親のことを聞かせて貰う約束だった。風間や春日、そして晃司が何と戦おうとしているのか知りたかった。そして知った。
 皆が、裁きシステム・祈りシステムと呼ばれるものと戦おうとしている。全てはそのシステムに集約しているのだ。そして自分は、そのシステムを放つための弾丸として産まれてきた。
 それを実父、橘徹郎が救ってくれた。どんな人なんだろう。どうして、あんなオカンと結婚したんだろう。
 ……どうして聞かせて貰いたかったんだろう。聞かない方が良かったのかもしれない。教えてくれないから、自分が仲間外れにされているんじゃないかって思ってただけなのかもしれない。でも実際には聞かない方がいいことだって世の中には有るし、決して今回の事に対して無関係で居られる立場でもなかったのだ。
「アタマ悪いから、判らへんよ……」
 とにかく今は眠りたかった。

 ノックの音で目覚めると夜だった。
 この部屋の扉じゃない。隣の部屋、漣の部屋の扉だ。
「漣……起きてる?」
 晃司の声だった。しばらくして扉が開く音がする。
「うん、起きてるよ。本読んでるの」
 静かな夜だから声も音もよく響く。
「ちょっとお邪魔してもいいかな?」
「晃司くんは邪魔じゃないから邪魔は出来ないよ」
 しばらく無言。
「……ちょっと部屋に入ってもいいかな?」
「うん、いいよ」
 扉が閉まり、鍵がかかる。
 時計の針を見る。ちょうど日付が変わった頃だ。皆が寝た頃だろう。いや、起きていたとしても晃司と漣に干渉しようとする人間は居ないだろう。二人の仲も、晃司がここを去ったとき、「戻ってきたら結婚しようね」と言い残した事も、とうの昔に周知の事実だ。
 だから音々は枕元のヘッドフォンを被るしかなかった。
 そしてもう一度、無理矢理眠ることにした。

 その頃、奈良地区某所。
「まぁ、常人なら全治一ヶ月、美里様なら一週間と言ったところですな」
「私も年をとったものね……」
 月から連れてきた医師の言葉に、ベッドの上で美里は自嘲気味に呟く。霊力による治癒術を含めても一週間。若い頃の自分では考えられない痛手だ。
 ここは、美里達が偽名で宿泊している潜伏しているホテルの一室だ。奈良地区はまだ地球政府側の領地なので、月政府側の実質的トップとも言える美里達が、公に滞在できるはずがない。
「何も母様が自ら出向かなくてもよかったのに。それとも、やはり自分が産んだ娘ですものね。感傷みたいなものでも抱かれたのかしら?」
「口が過ぎるわよ、華音。と言いたいところだけど……」
 そこで美里は小さく溜息をつく。
「そうね。無いと言えば嘘になるわ。あなたは無いの? 会ったことはなくても、双子の妹なのよ?」
「無いわ。出来損ないの存在なんて気にしていたら、橘家の次代総帥なんて務まりませんもの」
 さも当然であるかのように答え、華音は腰まで届く長い髪を軽く撫でた。優越感に浸るときの、華音の癖だ。
「そう、なら次は貴女が行きなさい。でも殺しては駄目よ」
「判ってますわ。出来損ないとは言え、私の代わりに死んで貰うためには必要な人間ですから」
 自信ありげに華音は言い、再び髪を撫でる。180cmほどの長身と均整のとれた四肢は、華音自身の気品を伴う美貌と相まって、見る者にある種の感動さえ与える。
「気を付けなさい。よく判らないけど、古代風水宇宙陰陽術……とかいう、なんだか得体のしれない力を使うから」

 風間家への訪問者は翌朝早くに訪れた。
 新聞を取りに外へ出た風間の前に、彼女たちは無言で立ちつくしていた。
「遅かったやないか、志帆さん。来てたんやったら、呼び鈴でも鳴らせばよかったやろうに」
「すみません。夜明け頃に着いたもので、わざわざ起こす必要もないだろうと思いまして……」
 苦笑混じりに志帆が答える。その隣には、北嶋由香の姿もある。
「えらい遅かったが、どないしたんや?」
 風間と春日が、志帆達を咲夜家から逃がす手助けをして、かれこれ三週間が過ぎようとしている。その間、志帆と由香からの連絡が一切なかった。
「これを……」
 そう言って、志帆は懐から抜き身の小刀を一本取り出した。それを見た風間の目つきが変わる。
「盗み出してきました」
「桜花咲夜……!」
 風間の言葉に志帆が頷く。
 桜花咲夜。咲夜家に代々伝わる当主の証たる霊刀で、桜花の分身とも言われている。霊刀は霊力の集中/制御をコントロールすることで、神霊術の発動を補助したり威力を向上させる事が出来る。桜花咲夜クラスの霊刀など、他には橘家に同じように伝わる橘花夢幻ぐらいのものであろう。
 そして、桜花咲夜の役割はただの霊刀としてだけではない。祈りシステムの核ユニットの一つでもあるのだ。
「これが無いと、祈りシステムの制御は極めて困難になります。システムの作動を妨げる事にもなるでしょうし、何より桜花様……桜花に対抗するには、これくらいのものは必要でしょうから」
 志帆が桜花咲夜を差し出し、風間がそれを受け取る。その瞬間、桜花咲夜の刀身が消えた。
「その刃は持つ者の霊力に比例する、か。噂通りやな。よくやってくれた……って言いたいとこやが、咲夜家はこのことに気付いてるのか?」
「ダミーは残してきてあります。普段使われることは無い物ですから、しばらくは気付かれることはないと思いますが……」
「そうか」
 まさかこれを持ち出してくるとは思わなかった。
 咲夜家がこの事実に気付いたら、総力を挙げて探索に乗り出すだろう。確かに桜花咲夜は強力なカード足り得るが、下手すると風間達の計画に影を及ぼし兼ねないほどに強力すぎる。
「……ま、ええわ」
 風間は志帆に桜花咲夜を返し、
「とりあえず中に入れや。長旅で疲れてるやろ、昼過ぎまで寝てたらええわ」
 ポストに突っ込まれた新聞を片手に、志帆達を家へ招き入れた。
「それと、最後に一つ……真偽は定かでないのですが」
「なんや、まだ有るんか?」
「……詩織様が、咲夜家本山へ帰還されたと」

「そんな筈はない!」
 起きて一番に志帆の話を聞き、晃司は絶叫した。
「私もこの目で見たわけではないのです。ですが、妹の話では間違いないと」
「拓也、いったいどうしたんだよ……」
 詩織が拓也の側を離れるとは思えない。それが起こる得るだけの何かを拓也がしたのか、或いは拓也の身に何かが起こったのか。
「調べる必要が有りそうやな。算段は今日中に立てよう。本山に帰還となると、少々やっかいやからな……」
 本家とは静香や詩織、美咲の居所であり、本山とは桜花の居所である。そして、当主である静香以外が本山を訪れることは少ない。
 そして、祈りシステムは本山を中心に建造されている。そこに詩織が帰還したと言うことは、すなわち発動が近いという事であろう。
「橘家側の動きも激しいようやしなぁ……」

 そして日中。音々はと言えばいつも通りの授業を受けていた。と言うより、寝ていた。いびきの音が周囲に漏れている。
「片桐さんっ!!」
 音々の前の先に座ってた真琴が音々の机を叩いて叫び、
「あー、そこ。静かにしろ。寝てる奴は自分一人の責任やからほっとくが、喋ってる奴は回りも巻き込むから俺は注意するぞ」
 教官が抑揚の少ない口調でそれをたしなめ、教室内にクスクスと笑い声がどよめく。
「駄目よー、篠崎ちゃん。こういう時のネオンはほっとかないとぉ」
 音々の隣に座っている香が真琴に言う。が、真琴はキッと香を睨み付け、そのまま黙り込んでしまった。いつものことだ。香も真琴を苛立たせることで楽しんでいる節がある。
 なんだかんだ言ってあの三人は仲がいい、というのがクラス内の統一見解だ。
「いやちょっと夕べは眠れなくてさー。窓際の席やし、日差しはあったかいし……」
 昼休みの鐘で目覚めた音々はそう言った。
「珍しいじゃない。一日七時間は寝ないと気がすまないっていつも言ってるくせに」
「えーやんか。恋する乙女は悩み多いものなんよ」
「恋する?」
 いかにも芝居がかった口調で香はとぼける。
「乙女?」
 さらにもう一言。
「なんやの? 何か言いたい事があったら言ってみぃや」
「乙女って、誰が?」
 香が言った直後、音々は素早い身のこなしで香の背後に回り、腰を両手で抱え込んだ。そのまま香の身体を持ち上げる。バックドロップの体勢だ。
「こんなコトする奴のどこが乙女なのよーーー!!!」
「くっ…な、なかなか言ってくれるわね。香。遺言はある?」
「判った! 判ったわよ!! 乙女認定!! 奈良乙女協会会員ナンバー001番に認定するから、ついでに第二種乙女資格もあげるから許してっ!!」
「あっらーん。物わかりがいいのねん。うふっ」
 よく判らない資格に満足したらしく、音々は香の腰を抱えていた腕を放した。そのまま香は腰から床に落ちていく。
「キャァァ!」
 ドシンと音を立て、香は床に尻餅をついた。
「ひっどーい!! 酷すぎる!!」
「あたくし乙女だからぁ、わっかんなーい」
 いつの間にか教室の扉付近まで逃げていた音々は、そう捨て台詞を残し、その場から逃げ去っていった。
「あかんあかん。寝過ごすトコやったわ……」
 風間の家は、校舎に隣接した教職員用の住宅地域内に有る。
 というより倭高専の校舎の一部は、風間からの寄付金によって建造されている。魔導工学に関するパテントを大量に所持する風間は、世界でも屈指の資産家でも有るのだ。小十郎を咲夜家の捜査網に引っかからないよう入学させたり、音々や漣の戸籍の偽造などもそう難しいことではない。
 昼休みは一同が家に戻って昼食を採ることになっている。だから音々は、昼休みのチャイムと同時に、自宅へと全力でダッシュするのだ。
「たっだいまー!」
 靴を脱ぎ捨て、居間へ飛び込む。
「あ、ネオン様!! いや驚きましたよ、晃司さんがあの江藤晃司さんだったなんて、もうホントビックリです!!」
 部屋では、小十郎が晃司の両肩を掴み、二人で見つめ合っていた。晃司の後ろでは、漣がぼーっとした顔でその様子を眺めている。
「晃司お兄ちゃんがどうかしたん?」
「いや、これですよ、これ!」
 そう言って小十郎は一冊の雑誌を取り出した。「ソルジャータイムズ」と表紙には書かれている。雇兵専門の雑誌らしい。
「ここ、ここっすよ、これ!」
 そう言って小十郎はとあるページをめくって音々に突き出す。
『任務達成率100%! 新進気鋭の若手にして、獲得賞金額No.1の二人組。その実力は軍上層部のお墨付き……』
 そこには晃司と拓也の何枚かの写真が掲載され、紹介文と簡単なインタビュー記事が載っている。4ページの特集だからかなり扱いは大きい。まるでファッション雑誌のグラビアだ。
 とは言え、音々は拓也の事を知らない。
「誰? この黒いコートの男……」
「彼は僕の相棒で、拓也って言うんだ」
 その名前は昨晩の話で名前が出てきていたから覚えている。
「賞金額、ミッション難度によるポイント判定、いずれもトップを独走していた有名人っすよ! ちょっと前にランキングから姿を消したから、まさか戦死したんじゃって思ってたんっすけど……間近で会えるなんて感激っす!!」
「そ、そんなにいいものでもないよ……」
 小十郎の迫力に押されながら、晃司は戸惑いを隠しきれずに答える。
「いいものじゃないなら、悪いもの?」
 漣が呟く。
「いや、そういうことじゃないけどさ……」
 そんな二人のやりとりに、音々は昨晩の事を思い出した。別に聞きたかった訳じゃない。耳に入ってくるものはどうしようもないのだ。
 一人気まずさを覚え、テーブルに並べられた昼食へと向かう。
「はよ食わんと授業に間に合わんから、先に喰うわ。小十郎、アンタも早く喰いや!」
「あっ、はいはい!!」
 何か無性に腹が立った。

 昼からの授業は退屈だった。
 ふとグラウンドを見ると、体育の授業でサッカーをやっている。赤ゼッケンと青ゼッケン。
(青組がんばれー)
 特に根拠もなく心の中でそう思いつつ、その様子を窓から眺める。授業は当然聞いていない。眺めているうちに、青チームの一人がやけに元気がいい事に気付いた。
 スライディング! そのまま一気にドリブル! こける!! ボールは拾われる!!
 よく見ると小十郎だ。
(元気なやっちゃなぁ……)
 ゴール前で小十郎にパスが回る、それをそのままボレーシュート! そしてこける。
 こけはしたものの、シュートは見事に決まった。3-1で青組のリード。ドンと大きな花火の音がした。
(花火?!)
 音々がそれをおかしいと思う間もなく、轟音と地響きが校舎を襲った。続いて何度もドンという音と地響きが連続して繰り返される。
「キャァァァァァ!!」
 学生達の叫び声があちらこちらの教室で響く。我先にと校舎の外へ飛び出していく学生達。避難訓練の効果も何も有ったものではない。
「何よまったく!」
 吐き捨て、音々は校舎の二階の窓から外へ飛び降りた。着地の瞬間、霊力を使って衝撃を緩和し、そのままグラウンドの方へと全力で走る。
「小十郎ぉぉぉぉぉ!!」
「あ、ネオン様ぁ! あれ、あれ!!」
 走ってくる音々の姿に気付いた小十郎が、学校の入り口の方を指さす。その方向に目をやった音々は、思わずその場に立ちつくした。
「戦車……?」
 校舎の入り口から、戦車が次々と進入してくる。ここからぱっと見ただけでも10台はいそうだ。
 小十郎はグラウンドの脇へ走り、茶色の細長い袋から一本の刀を取り出す。木刀ではなく、真剣だ。
「ネオン様、行きましょう!」
「言われんでも行くわ!!」
 二人は戦車部隊の方へと走り出した。そんな二人に気付いたのか、戦車部隊の方から、今度は軍服に身を包んだ兵士達が突撃してくる。
「やっぱり! あの戦車といい、兵士の服装といい、あいつら月政府軍っすよ!!」
「てことは、うちのことが狙いなんかね」
「でしょうねぇ。ネオン様、もてもてじゃないですか!」
 ぼけつつ、小十郎は刀を抜く。
「すれ違いが勝負やで!」
「判ってます!!」
 兵士達が銃を構える。それを確認するまでもなく、これが戦闘だと認識した時点で、防御術は発動している。
「撃てぇ!」
 指令官らしき男の合図で、一斉に二人へ弾丸が発射される。が、その全てが防御術によって張り巡らされたシールドに跳ね返される。
「あいつが頭やね……」
 音々は走る方向を微妙に変え、今叫んだ男の方へと全力で走る。
「だ、第二射用いっ!!」
 最後の「意」をまともに発音する間もなく、音々の手のひらが指令官の顔面を掴んでいた。そのまま、走ってきた勢いに任せ、指令官の後頭部を地面に叩きつける。
 やや遅れて、周辺で絶叫の声があがる。
「やるじゃない、小十郎」
「朝飯前っすよ」
 すれ違いざまに三人を、小十郎の刀が倒していた。
 その直後、
「退け!! 歩兵部隊は全部隊撤退しなさい!!」
 女性の声が辺りに響きわたった。生き残った兵士達が、その声に反応して一斉に逃げ出す。
「待て!!」
「追わんでええよ。どうせあいつら皆ザコやから」
 駆け出そうとした小十郎の肩を掴み、音々は嘆息する。
「見てみぃ、向こうから歩いてくる女……」
 戦車の巻き起こす砂埃の向こうから、一人の女性が歩いてくる。が、その顔を見た瞬間、音々の唇は止まった。
「似てる……」
 小十郎が呟く。
 迷彩服に身を包んで歩いてくるその女性の姿は、細部こそ違えど音々そっくりのものだった。その正体も予想がついている。
「貴女が音々ね」
「………華音、やね」
 音々の呟きに、彼女は頷く。
「なるほど。確かに顔は似ているようね」
 そう言って、音々を見下すような視線を送る。
 危険だ。音々の本能はそう告げていた。この手の人間はヤバい!!
「小十郎、家に戻って風間と合流して指示を仰いで」
 本人にだけ聞こえるような小声で、音々は言った。
「でもネオン様は?」
「うちはちょっとコイツの相手をする」
「……わっかりました。ご無事で」
 そう言い残し、小十郎は華音が立っている方とは反対方向へ走りだした。
「ボーイフレンドを逃がすだなんて、優しいのね」
「はぁ? あいつはただの下僕やっちゅーの」
 小馬鹿にするような口調で音々は答える。
「……まぁいいわ。よけいな邪魔は好ましくないですもの」
 呟きながら、華音は右手を音々の方へ向けた。霊力が集中し、青い光と火花を放ち始める。
「やっばい奴やなぁ!」
 叫び、音々は華音の方へと走る。霊力を集中し、術を練る。
「空爆光!」
 音々の突き出した拳から、一筋の光が伸び、連鎖状に1メートルおきくらいの間隔で爆発してゆく。爆発は回数を重ねるごとに大きさを増し、一直線に華音へと向かっていく。
「児戯に等しい……蒼雷弾!」
 華音の手のひらに集まっていた光が、バスケットボールほどの大きさに縮小し、音々へと投げつけられる。
「氷結柱!」
 華音の放った蒼雷弾の直撃を喰らう寸前、音々の次の術が発動した。音々の目の前に2メートルほどの氷の柱がそびえ立つ。霊力の集中が足りないせいか、すぐに水となって融ける。だが、その水が蒼雷弾の光を吸収していった。その水は、あっと言う間に大地へと流れていく。
「ほう、雷系の術をそう返すか!」
 さも愉快そうに華音が笑った。
(やばい、格が違う!!)
 音々の放った術はまったく効いていない。おそらく、直前ではじき返されたのだろう。だが華音の放った術を見る限りでは、防御術を使わない限りは霊力で防ぐのは無理だろう。使ったところで防ぎきれるかどうか……。
「所詮は二人目、私を産んだ残りカスに過ぎぬわ」
 侮蔑を露わにし、華音は言った。

 人が三人死んだ。殺したのは小十郎。
 音々が倒した男は気を失っただけで死んではいない。だが、小十郎が倒した三人は、即死していた。
 風間の元へ走りながら小十郎は思う。
 七人は殺せた自信がある。だが、細かな神経を使いながらでは三人が限度だった。
 風間に言われていた。
「音々に死を、殺戮を知覚させるな」
「どう言うことですか?」
「音々には格闘しか仕込んでへん。それはギリギリのとこで、自らの意志で手加減が出来るようにや。新聞やニュースでで人が死んだっていうのはただの事件や。長距離から、術や銃や大砲で人を殺すのは慣れればなんとでもなる。それらの余波で建物が壊れて人が死ぬなんてなおさらや」
 そこで風間は一息ついた。
「近距離で、自分の目の前で、刀で斬り殺したり、銃で撃ち殺したり、手で殴り殺したりするのは、リアルや。人殺しや。そこで吹き出る血は、決して映画のそれやない。そして目の前の人間から熱は奪われ、細胞が一つ一つ死んでいく。俺は音々の手で人殺しをさせたくない。音々に教えてきたのは、殺人術じゃなく、護身術のつもりや」
「……それは傲慢じゃないんですか?」
「そうかもしれん。だが、俺は音々の父親や」
 極力血が飛び散らないように、かつ即死させるため、殺した三人はいずれも頭蓋から脳髄を貫通するように刀で刺し殺した。念を入れて、刀に霊力を込めて高熱を帯びさせてある。死んだ三人の脳は茹で上がっているはずだ。
(ま、約束は守りましたからね、風間さん)
 咲夜家に生まれついたのだ。人殺しなんて、手慣れたものだった。
 風間宅へ走る小十郎の前に、先程とは別の歩兵部隊が立ちふさがった。
「へっ、今度は加減しないぜぇ!」

 音々はと言えば苦戦していた。
 霊力だけで言えば格が違いすぎる。音々も普通の人間よりはかなり強い霊力を持っているが、華音のそれは次元が違う。拳銃と大砲くらいの差がある。
(精霊術抜きやったら、この辺が限界や……)
 昨日、精霊術を使ったことを告げたときの風間の態度から察して、あまり人前で使わない方がいいのかもしれないが、もうそんな余裕はない。
「ちっくしょぉ、華音!! もう決めた!!」
「何かしら?」
 術を発動しようとしていたのを止めて、華音が問い返した。
「もうええ加減キレた!! 片桐音々帝国憲法にのっとり評決決定!! うちの(怒り指数×あんたの壊した物品損害)+(うちの気分×あんたの態度)!! 税・サービス料を含めて、しめて87.5!! つまり87.5回、あんたを殺す!!」
「……小数点以下は?」
「半殺し!!」
 高らかに宣言し、音々は華音の瞳をキッと睨み付けた。

To be continued.
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