Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 2 はじまりの失楽園


  どんなに心地よい眠りからでも、朝になったら醒めたい。
  起きて、貴方の顔が見たいから。
「EVE」

「朝だよ。そろそろ起きようね」
 翌朝早く、晃司の呼ぶ声で詩織は目を覚ました。慌てて布団をはねのけて起きあがり、妙な違和感を覚える。
(………お布団?)
 いつの間に自分は布団に入っていたのだろう?
「ほら、美咲も早く起きろよ」
 その声にふと横を見ると、寝ている美咲の頬をぺしぺしと叩きながら、拓也が美咲を起こしていた。昨晩殴られた頬が青く腫れ上がっているのが痛々しい。
 どうやら、拓也の手当をしながら眠ってしまっていたらしい。
「あぁ、おはよう。夕べは情けないトコ見せちまったな」
 詩織が起きたことに気付いた拓也が、照れくさそうにそう挨拶した。その間も、美咲の頬を軽くつねったり、適当にいじっている。
「まだ眠いのぉ……」
 拓也の手から頬を守るように、美咲は布団を頭からかぶってしまう。
「いい加減に……」
 拓也は呟きながら、敷き布団の裾をグッと掴む。そして、
「起きろぉっ!!」
 叫ぶと同時に、掴んでいた敷き布団を斜め上に一気に引き上げた。掛け布団を掴んだまま、ごろんと美咲が転がり、そのまま壁に頭をぶつける。
「いったぁ……い……」
 まだ寝ぼけているらしく、しきりに目を擦りながらではあるが、ようやく美咲も起きあがった。
「二人とも、とっとと準備をしてくれ。あんまり時間がないらしい」
 ぴしゃりと言い放ち、拓也は廊下へ出ていった。晃司もそれを追う。
「あの、晃司さん。どうかしたんですか?」
 晃司を呼び止め、詩織が尋ねた。
「うん。もうすぐ峰誼から迎えが来るんだ」
 徹夜していた筈なのだが、それを微塵も感じさせない笑顔で晃司はそう言い、
「だから早く着替えてね」
 と言い残して廊下へと姿を消してしまった。
 着替えを済ませ、詩織は廊下に出た。拓也と晃司が廊下に座り込んでサンドイッチを食べている。
「食べる?」
 拓也がタマゴサンドの入った包みを差し出すが、
「あ。私、朝は食べないんです。拓也さんが食べてください」
「朝飯はちゃんと喰った方がいいぜ。でないと身体が引き締まらないしな。で、美咲は?」
 拓也が尋ねたのと、美咲がドアを開けて出てきたのはほぼ同時だった。先程までの寝ぼけた様子は消え失せ、すっかり目が覚めた様子だ。
「寝起きがいいのか悪いのか判らない奴だな……」
 感心半分、呆れ半分に拓也が呟く。
「うるさいわねぇ。生まれてからずっと、あたし達は朝五時起きよ? これくらいなんともないわ」
「家にいた頃は毎朝修行してたんですよ」
 詩織が拓也にそう説明する。感嘆するように拓也は口笛を鳴らす。そんな二人に割ってはいるように、晃司が手をパンパンと叩いた。
「はい、それじゃ行こうか。あと十分もすれば峰誼から誰か来るはずだから」
「それはいいけど、志帆はどうするの?」
 ぽつんと美咲が尋ねる。
「あぁ、志帆なら帰ったよ」
「はぁ?! あんた一体何考えてるの!?」
 手短に説明した拓也に食って掛かる美咲。
 そんな彼女に事情を説明し、きちんと納得させるのに二十分の時間を要した。

 チェックアウトは済ませてきたと晃司が言うので、四人はまっすぐ玄関を目指して歩いていた。その最後方で、美咲はぶつぶつ言いながら、サンドイッチを頬張っている。
「我々は断固として要求する!!俺のサンドイッチ返せー!」
 朝食を「慰謝料」として奪われた拓也が芝居臭くそう叫ぶ。叫ぶと言っても、まだ朝も早いので、小声で貧相に叫んでいる。
「男がいちいちつまらないことを言わないの! だいたい、我々って拓也一人じゃない」
 そんな調子で玄関まで出たところで、一人の女性が立っていた。
 肌の色は浅黒いが、日焼けではなく、異国の血が入っているようだ。そしてそれ以上に黒い漆黒の髪。動きやすい服装の上から、中東か北欧を思わせるケープに身を包んでいる。
「おはようございます」
「あ、どうも……」
 深々と一礼した彼女につられ、拓也もついまぬけな返事をしてしまった。
「久しぶりだね。シェラ」
「晃司殿もお元気そうで。学校を中退されて以来ですから、四年ぶりくらいです」
「それは違うね。僕はあくまでも休学しただけで、中退じゃないよ。日本語、上手くなったね」
 晃司の言葉にシェラは苦笑し、他の三人を見渡す。
「はじめまして。シェラ・峰誼と申します。晃司殿とは学生時代、共に勉学に励んだ仲です。拓也様と詩織様、美咲様ですね。晃司殿から話は伺っております」
 流暢だが、どこか違和感のある日本語でシェラは言った。
「……どう話を伺っているのか聞かせて貰えると助かるんだけどな。実は俺にも、晃司やあんたらの狙いが判らないんだ」
 拓也の言葉に、シェラはチラリと晃司の方を伺い見た。晃司は無言で頷き、シェラも頷いて返す。
「峰誼の地に封じられている、二人の精人を解放していただきたいのです」
「封じられている……?」
 話の内容を飲み込めていないのか、拓也はシェラの言葉をたどるように呟く。
「話せば長くなります。とりあえず車へどうぞ」
 そう言って、シェラは玄関前に止めてあるワゴンを指さした。

 二百年ほど過去の話だ。
 峰誼家始祖・峰誼には二人の姉妹が居た。葉雪(はゆき)と雪菜(せつな)といい、三人は己の子孫らとともに静かに過ごしていた。姉妹と言っても、我々人間からした概念である。
 姉妹は、母たる存在である樹華の指導の下……
「峰誼が樹華様の娘ですって!?」
 シェラの話を聞いていた美咲が、素っ頓狂な声を上げた。思わず立ち上がり、ワゴンの天井で頭をぶつける。
「あたぁ……」
「……まぁ、とりあえずシェラの話を聞いててね」
 晃司に諭され、美咲は渋々黙り込んだ。さらにシェラの話は続く。
 咲夜家と橘家の勢力は、歴史の裏側で着々と広がっていった。否、むしろ広がりすぎていた。もはや裏側でなく、世界そのものを牛耳り始めていた。
 このままではこの世界の生き物が滅亡する。
 そう判断した樹華は、桜花と橘花を説得にかかった。二千年かけて己の一族を育て上げ、雌雄を決するなどという事は辞めよう。互いの一騎打ちで勝敗を決するか、あるいはこれ以上悪影響が出ないうちに、早めに決着をつけるべきだと。
 それに対し、桜花と橘花は峰誼を消滅させることで答えた。
 樹華の落胆は激しかったが、桜花と橘花への説得は終わらなかった。
 桜花と橘花は、葉雪と雪菜を封印した。精人には決して解けず、また並の人間にも解けない封印をもって。
 邪魔をするな。これが最後の警告だ。
 なおも食ってかかろうとする樹華に、峰誼達の子孫らは言った。
「葉雪母さまを殺さないで」
「雪菜母さまを殺さないで」
「峰誼母さまみたいに殺させないで」
 そして樹華は姿を消した。

「……我々は桜花様と橘花様への怒りを捨てた訳ではありません。ですが、お二人が封印されている限り、峰誼家は何もできないのです」
「それで彼女は、強い力を持つ人間を捜していたと言うわけさ」
 最後に、助手席に座っている晃司がそう補足した。
「ちょっと待てよ。なんかシェラさんの話を聞く限りでは、桜花と橘花がやってることって、まるでゲームじゃないか? 二千年の期限付き、最低限のルールまで定めてるみたいだし…」
「そうさ。詩織ちゃんも美咲ちゃんも、ひいてはシェラさえも、桜花と橘花のゲームの駒に過ぎないんだ」
 その言葉に、拓也は詩織と美咲の表情を探ろうと二人の顔を覗き込む。だが、二人とも拓也と目を合わせようとはせず、何かを語ろうともしない。
 しばらく拓也は考え込み、
「なぁ晃司。なんで桜花と橘花は争っているんだ?」
 それが解せなかった。自分の子孫達を巻き込んでまで、彼女らは一体何がしたいというのだろうか。
「それは、僕たち人間に『どうして生きているのか?』って聞くのと同じだね。そうやって争うことが、彼女らの存在理由なんだろう……強いて言えば、本能かな」
「ですが……時には変わり種も生まれます。精人というのは、本来肉体を持たない存在です。そんな彼女らがこの世界に降り立ったとき、彼女ら自身もこの世界の生態系に順応して己の存在そのものを変化させます。そうして肉体を持つ事で、この世界の人間に近い感情を抱くこともあるのです」
 シェラが言った。
「その変わり種が樹華だって言う訳か」
「そうです。樹華様は、桜花様と橘花様を監視するだけという役目を破棄し、お二人を止めようとなさっています」
 そこまで聞いたところで、拓也は大げさにため息をついた。
「詩織が逃げて来たくなるのも判るな。世界の破滅の片棒を担ぐのは俺だってゴメンだからな」
 そう言って、詩織の方へ顔を向ける。
「なぁ、詩織。咲夜家に帰りたいか?」
 その言葉に詩織は、やはりうつむいたままではあったが、しっかりと左右に首を振った。
「晃司、俺にその話は関係ないよ。俺は詩織と美咲を守る。ただそれだけさ」
「いつまでだい?」
 間髪入れずに突きつけられた問いに、拓也は答えることが出来なかった。
 咲夜家が存在し続ける限り、逃亡に終わりが来ることはないのだ。それは拓也も充分に承知しているし、詩織達もそうだろう。
「詩織ちゃん達の逃亡が橘家に知れるのも時間の問題さ。そうすると追手は咲夜家からだけじゃなく、橘家からも送られてくるだろう。咲夜家側の目的は詩織ちゃんと美咲ちゃんを連れ戻すことだけど、橘家は違う。二人の抹殺を狙ってくるだろう」
 そう言われ、拓也は何も言えなかった。橘家のことまでは考えが回っていなかった。
「それにね、拓也。君は産まれたときから、すでに巻き込まれているんだよ」
 その言葉に、拓也の両眼がはっと見開かれる。
「……どういうことだよ?」
 晃司を睨み付け、殺気さえも込めて尋ねる。
「生まれつきのその力、ただの人間のものだと思うのかい?」
「ただの人間じゃなきゃ何だってんだよ」
 そう言いながらも、拓也は自分の鼓動が速くなっていくのを感じていた。
 判っていた。自分の力が、明らかに他人とのそれとは異質なことは。
「……君の母親は、桜花か樹華のどちらかだ。これはまず間違いない。真偽を確かめる方法もある」
 そこまで言って、晃司は運転席のシェラの顔を見る。
「封印されている葉雪様と雪菜様は、樹華様の娘です。ですから、お二人に聞けば拓也様が樹華様の息子か桜花様の息子かが判ります」
 だが拓也は口元を不愉快そうに歪めると、
「別に俺の母さんが誰かなんて、今更どうでもいいさ。お前らの目的に俺が付き合う義理なんてない。それより、詩織達をどうするつもりだ?」
「どうする、とはどういうことでしょう?」
「状況に流されるまま、俺達はここに来ちまったけどな、お前らがこの二人にとってプラスにならないのなら、それ相応の手段を取るって言う事さ」
「ヤケに肩入れするね。ひょっとして惚れた?」
 いつもの軽い口調で晃司が言った。

 昨晩の事だ。
 夜中に目が覚めた拓也は、眠ってしまっていた詩織を布団に寝かせると、のどの渇きを潤すために食堂へと向かった。
 そこには、食堂の片づけを終え、一人で酒を飲む絵里の姿があった。
 つらつらと思い出話にふけり込むうちに、絵里がふと言った。
「……あの子、似てるわね。佳代さんに」
 絵里が言っているのは詩織のことだ。
「そうか? あまり似ているって気は……」
「しない、って思いたいだけでしょ。始めて会ったとき、まさかと思ったくらいよ。髪型とか、ちょっとした仕草とかね」

 俺は詩織に、佳代を重ねているのだろうか?
 守ってやれなかった佳代の身代わりに、詩織を守るなどと言っているのだろうか?
 初めて詩織に会ったときに感じたものは、ただの既視感だったのだろうか。あの、屋敷で部屋に飛び込んだ時に見た、不安げで、寂しげで、そして全てを諦め、受け入れたようなあの瞳。あの瞳から俺が感じたものは、それだったのだろうか?
「拓也?」
 晃司の呼び声で物想いから抜け出す。
「……案外そうかもな」
 先ほどの晃司の問いかけに、拓也はそんな風に答えた。
「え? え? あ、その………」
 すぐ隣で詩織が慌てふためいているのに気づき、
「おいおい、冗談だよ」
 そう言って苦笑する。だが、その瞳までは笑っていない。冷めた視線が一直線に晃司へと向けられている。
「あたしは別に構わないわよ。その、封じられているっていう精人にも興味有るし、拓也についてもちょっと興味が湧いてきたわ」
 それまで会話に入れなかった美咲が、自分の存在をアピールするかのように言った。
「……と、美咲ちゃんは言ってるけど?」
 後部座席の方に身を乗り出し、晃司はニヤニヤ笑う。
「わ、私もその、封じられている方にお逢いしてみたいです」
 詩織までもがそんなことを言う。
 拓也は大きくため息を付き、
「判った。二人がそう言うなら俺はそれに従うよ。それでいいんだろ?」
 拓也が投げやりにそう言うと、晃司は満足げに頷いた。
「そんじゃ、そう言うことで。俺はしばらく眠らせてもらうよ」
 吐き捨てるように言い放ち、拓也は目を閉じた。
 何か、いいように操られているような気がする。

 夢を見た。
 どこかの山中だろうか。
 夜。月明かりと灯篭の明かり。
 桜。
 桜。
 桜。
 その中でも一際目立つ、純白の桜。
 花自体が淡く輝いているようにも見える。
 歩み寄ると、木の麓に一人の女性が立っている。
 どうして……詩織は泣いているのだろう?

 ガタゴトと揺れる振動で、徐々に眠りから覚めた。
 完全に熟睡していたらしい。自分は横たわっていて、何か柔らかいものが頬に当たっている事までは知覚した。
「目が覚めました?」
 声は上の方から聞こえた。まだぼやけている視線を上の方へ送ると、自分の顔を覗き込んでいた詩織と目があった。
「……どれくらい寝てた?」
「えっと……二時間くらいです」
 詩織の答えを聞きながら、拓也はまだ気だるい身体を起こした。美咲が拗ねたように自分を睨んでいる。どうやら、詩織の膝枕でずっと眠っていたらしい。
「あーぁ、足汚れちゃったな」
 ワゴンの床に散らばっていた、ホコリやら砂やらで汚れてしまった詩織の足を見て拓也が呟く。
「あ、いえ。気にしないでください」
 汚れを手で払いながら詩織は笑った。
 助手席では、晃司も眠っているようだ。ここ数日徹夜だったのだから無理もない。
 外の景色からは、ここがどの辺りなのか想像できない。とりあえず山道と言うことぐらいしは判るが、それだけでは判断材料として不足すぎる。
「足、だるかったろ?」
 座席に座りなおした詩織に、拓也は声を掛けた。
「え、いえ! 全然気にしないでください」
 そう言って笑う詩織の顔を、拓也はまじまじと眺めた。
(……俺はこの娘の泣き顔なんて、見たこと無いってのに)
 やはり、昨晩の絵里の言葉が影響しているのだろうか。
 そんな拓也の顔を、詩織は不思議そうに見つめ返す。
「見えました」
 不意に助手席のシェラが言った。
「あれが峰誼の里です」
 そう言われ、拓也はフロントガラスの向こうに見える風景に目を凝らした。
 広大な草原。まばらな人家。広がる湖。ここが、数年前までの激戦地だった九州島とは思えない景色が、そこに広がっていた。
「この高原一帯が峰誼の里です。この草原全体が牧場となっています。向こうの方には田や畑、ビニールハウスなども有ります。三百人程度の人間が暮らしていく分には、チキュウジソクできています」
「ふあ……それを言うなら自給自足」
 あくびを交えつつ晃司が補足した。ちょうど起きたところらしい。
「実は僕も、ここに来るのは初めてなんだよ」
「そうなのか?」
 晃司が意外なことを言うので、拓也はつい尋ね返していた。
 てっきり晃司は峰誼の関係者だと思っていたのだが、この言葉を信じる限りではそういう訳でも無いらしい。
 それにしても、晃司の真意が掴めない。姉である理沙とも違う目標を持つようだが、また峰誼との繋がりも判らない。と言っても、理沙の真意も判らないのだが。
 峰誼との関係がただの協力関係であるにしても、それがビジネス的なものなのか、或いは強固な絆が互いを結んでいるのか、その辺りさえも不明だ。
 五人を乗せた車は、草原を走る車道を突っ切り、村落の方へとひた走る。ときおり、放牧されている牛や馬などの家畜が、のんきに寝ている姿が目に入る。
(イメージが狂うよな……)
「なんか、聞いてたのとずいぶん違うわね」
 拓也が思ったのとほぼ同じ事を美咲が呟いた。シェラが興味深そうに、バックミラーに映る美咲の顔に目を向ける。
「どんな風に聞いていたのですか?」
「ん、もっとこう……戦闘訓練とかしてて、ものものしいトコだって聞いてた」
「戦闘訓練は欠かしていません。ですが、人が生きていくには、他にも必要なものがたくさんあります」
 誇らしげにシェラはそんなことを言う。晃司も似たような表情で、彼女の話を聞いている。それに気付いた拓也が、
「何か言いたそうだな」
「別になにもないけど? でも僕はシェラの言うとおりだと思うよ。当たり前の事かも知れないけど、人殺しを生業としてるとさ、時々そんなことさえも忘れそうになるからね」
 要するに、そんなことを忘れずにいた自分が嬉しいらしい。
 不意に、風が入ってきた。詩織が車の窓を開けたらしい。窓から顔を出し、
「緑のにおい……」
「こら、危ないって」
 拓也にその肩を引っ張られ、詩織は出していた首を引っ込めた。
「大丈夫ですよ。車は走っていません」
 シェラが真面目な口調で言った。が、
「そう言う問題じゃ無いの。落ちたらどうするつもりだい?」
 晃司にそう言われ、一人うんうんと頷いた。
「確かに落ちたら痛いですね。まだ勉強不足です」
「まったく、怪我したらどうすんだよ」
 と言って、拓也は詩織をたしなめる。里に入ってから車の速度は落ちているが、それでも車から落ちて無傷でいられるとは限らない。
「ご、ごめんなさい……」
「でもまぁ……確かに、空気はうまいな」
 萎縮した詩織をフォローするように拓也は外の景色に目を向ける。詩織が開けた窓から入ってくる風が心地よい。
「あ、羊! 羊が居るよ!」
 物珍しそうに美咲が声を上げた。その指差す方を見ると、草原で親子連れらしき羊の群が、気持ちよさそうに昼寝をしている。
「かわいいよねー」
「お前、動物好きなの?」
 意外そうに拓也が尋ねた。
「うん。だって可愛いじゃない」
 そう言った直後、助手席で晃司がププッと笑う声が聞こえた。
「何よ。あたしが動物好きだって、似合わないとでも言いたげね」
「いやいや。意外な一面だなーって思っただけだよ」
「それって、似合わないって言ってるようなモンじゃない……」

 やがて車は、小高い丘の上に立つ家の前で止まった。
 家と言っても、少し大きめの民宿ほどの大きさはある。
「この家に、何人で住んでるんだ?」
「はい。私とばっちゃんだけです」
「え?」
 声を上げたのは晃司だった。
「母上は二月ほど前に、ガンで死にました」
 さらりとシェラは言う。
「そうか……」
 晃司が掛ける言葉を思案していると、
「なぁ晃司……彼女の父親は?」
 拓也が小声で尋ねた。
「シェラが小さい頃、交通事故で亡くなってる」
 その答えを聞き、改めて拓也はシェラの住む家を見上げた。なんとなく、最初見たときよりも大きく見えたような気がした。
「乳母のジョゼばっちゃんが、私の身の回りを世話してくれています。皆も何か有れば、ばっちゃんに言うと良いと思います」
 そう言うシェラの表情にかげりは見受けられない。
「そうさせて貰うよ。僕も拓也も、それにその二人も疲れてるしね」
「部屋は人数分空いています。ゆっくりと休んでください」
 シェラがそう言ったとき、家の中から一人の老婆が駆け出してきた。軽く五十は過ぎてているようだが、その足並みはキビキビとしている。この老婆がジョゼばっちゃんらしい。
「おかえり、シェラ嬢ちゃん。ええと、そちらは?」
「ばっちゃん、ただいま。皆、私のトモダチです。長旅で疲れてるから、部屋に案内してあげてください」
「ええ、ええ。ささ、どうぞ」
 ジョゼに手招きされ、拓也達は家の中に案内された。
「一階と二階と、どちらがよろしいかな?」
「俺は二階にお願いします。一階に三部屋、余ってますか?」
 真っ先に拓也が申し出た。
「へえ。余ってますよ」
「それじゃ、後の三人はみんな一階にしてください」
「へえへえ。階段を上がって、すぐ左の部屋を使ってくだせえ」
「どうしてあたし達は一階なの?」
 階段を上がろうとした拓也に美咲が尋ねた。
「いざって時に逃げやすいようにだよ。俺が上に行くのは、外の見張りに都合がいいから。OK?」
「ふーん。心配性なのね」
「プロってのはそういうもんだよ。じゃな」
 美咲に軽く手を振り、拓也は階段を上がった。
(上がってすぐ左、だったな)
 言われた部屋に入ると、中は六畳ほどの和室で、片隅に小さい机が置いてある以外はなにもない部屋だった。生活臭はないが、掃除はきちんとされているようだ。建物の角に位置している部屋なので、二面に窓がある。腕時計の時間と太陽の向きから考えて、窓の向きは南側と東側のようだ。見晴らしもいい。
 押入から布団を引っぱり出しながら、
「この家に二人か……」
 ふとそう呟いてみると、自分のことでもないのに妙に孤独感を感じた。
 布団を敷き終え、拓也は部屋を出た。寝るにはまだ早い。それに晃司と拓也の二人とも眠ってしまっては、何かあったときに対処できなくなる。
 階段を下りようとしたところで、シェラに出くわした。
「あぁ、シェラ……って呼んでいいかな?」
「はい。そう呼んでください。何か?」
 シェラはにっこりと微笑み、拓也の言葉を待った。子供のような、そんな笑みだ。
「晃司に会いたいんだけど、部屋わかるかな?」
「もしかして、見張りのことですか? それでしたら、何かあれば私が知らせますから、拓也様は安心して休んでいてください。晃司殿ももう休まれていると思います」
「その、サマってのはやめてくれよ。なんかむず痒いし」
 苦笑混じりに拓也は言う。
「そうですか? でもこの方が言いやすいですので、拓也様と呼ばせてください」
「……ま、いいか。それじゃ、俺も休ませて貰うよ。昼過ぎに起こしてくれるかい?」
「はい、わかりました」
 こくんとうなずき、シェラは階段を下りていった。
(なんで俺は、こんなにあっさりと彼女を信用しているんだろう?)
 拓也が寝ている間に、詩織と美咲をどうこうする可能性だって否定できない。また、晃司がそれに共謀する恐れもある。頭でわかっているのに、どうしてシェラを疑う気になれないのだろう?
「……あの笑顔かな」
 自分で言って呆れ返る。何の理由にもなっていない。
 まあいいさ。たぶん大丈夫だ。
 再び拓也は部屋に入り、先ほど自分で敷いた布団に潜り込んだ。眠気はすぐに襲ってきて、そのまま深い眠りへと落ちていった。

「あ、僕はいいよ。さっき寝てたから」
 部屋で銃の手入れをしていた晃司は、休むように勧めてきたシェラに向かってそう言った。
「ですけど、疲れた目をしています」
「ん、まあね。それじゃ、昼過ぎには寝ることにするよ」
 部屋の壁に掛けられた時計の針は、十時を少し回った所を差している。
「判りました。でも、無理はしないでくださいね」
「努力はするよ」
 手を振る晃司に苦笑し、シェラは隣の部屋へ足を向けた。美咲の居る部屋だ。
 だが、ノックをしようとしたところで、先に扉が開いた。
「あ、シェラさん。ちょうど会いに行こうと思ってたの」
 少し驚いた表情で美咲が姿を見せた。
「どうかされましたか?」
 美咲とは対照的に、まったく驚いた様子もなくシェラは尋ねる。
「ん。ちょっとその辺を案内して貰おうかな、って思って」
「いいですよ。それじゃ、晃司殿に一言声を掛けておいた方がいいですね」
 と言って晃司の部屋の扉を指差す。
「うん、そうする。あ、詩織も呼んできて貰えるかな?」
「はい。では、先に表で待っていてください」
 美咲に一礼し、シェラは詩織の部屋へ向かった。
 その背中を見送り、美咲は小さくため息を付いた。
(……こうでもしないと、詩織と一緒に居られないなんてね)
 詩織が好きだ。どうしょうもなく好きだ。自分の半身である詩織が好きで、一個人としての詩織が好きだ。愛している。
 それは血のなせる業かもしれない。咲夜家には自分と同じ、近親愛----それも同性愛者が多い。それは、咲夜家の閉鎖的環境が産んだものであると同時に、霊力の強さがその身に流れる桜花の血の濃さと比例----中には例外も有る----する一族の自己保存本能でもある。同性愛者が多いのは、咲夜家が女系一族だからだろう。
 身近な所では美咲達の母親、静香からしてそうだ。彼女が愛する女性の名は香澄。志帆の母親である。美咲達の父親は、静香を妊娠させるための種馬代わりでしかなかった。美咲は父親の顔も名前も知らない。
 香澄の場合は更に複雑だ。彼女もまた静香を愛しているが、それと同時に彼女は夫をも愛している。その夫は静香自身の弟だ。
 そんな中にあっても、仮にそれが本能から来るものだとしても、美咲は詩織のことを愛していた。時折、喉が渇くように、詩織の身体を求めている自分に気付くこともある。そして、そんな時ほど彼女の霊力は研ぎ澄まされていくのだ。
(こんなに苦しいなんて……)
 昨日までの姉妹には、もう戻れない。

 ノックをすると、詩織はすぐに姿を見せた。
「美咲様がこの辺りを案内してほしいと仰るのですが、ご一緒にいかがなさいましょうか?」
「え、えっと……」
 詩織はシェラの言葉の意味を理解していないのか、慌てふためいた様子のまま、返事をしようとしない。自分の日本語が判りづらかったのだろうと思い、シェラは用件を言い直すことにした。
「美咲様がこの辺りを案内してほしいと言ってらっしゃるので、詩織様も来られませんか?」
「は、はい。行きます」
 詩織は、どもりながらもやっとの事で答えた。
「判りました。では、ばっちゃんに挨拶してきます。先に表で待っていてください」
 にこりと微笑み、シェラは廊下を奥の方へと歩いていった。そんな彼女の背中を見送り、詩織は小さくため息をついた。
「……ダメだなぁ。私って」

 里を案内すると言っても、とくに何かあるような場所ではない。
 四方を森に囲まれた高原に、人が住むための家屋、ちょっとした集会場、田畑や牧場、そしてそれに伴う農業設備が有る以外は、大きな湖くらいしか目立つところがない。
「衣類や電化製品、あと雑貨などは、必要に応じて街まで買いに行きます」
 里をくるまで一回りし、シェラは二人にそう説明した。
「外の人間はここに入って来れるの?」
「はい。別にお断りする理由も有りません。ですが、峰誼に無関係の人間がここに来たことは、ここ数十年無いそうです。普通の人には何もないところですから」
 美咲の質問に、シェラはそう答えた。確かに、観光に適しているとは思えない。
「普通の人には、ね」
 皮肉っぽく美咲はほくそ笑む。
 そんなやりとりの間、詩織は二人から少し間をおいたところに立っていた。おどおどとして、シェラや美咲と顔を合わせようとしない。
「詩織様。私が怖いですか?」
 ぽつんと、シェラがそんなことを言った。無感情っぽい口調だが、どことなく残念さと困惑が入り交じったようにも聞こえる。
「え、いえ。そんなことは……」
「そうですか」
「あの子、人見知りするからね。ちょっと緊張してるのよ」
 フォローするように、美咲がシェラに耳打ちした。
「美咲様にもですか?」
 合点がいかないとでも言いたげに、シェラが首を傾げた。昨晩の出来事を彼女は知らないのだから仕方がない。
「……色々と有るのよ。姉妹ってね」
 自虐的に美咲は吐き捨てた。

 何か夢を見ていた気もするが、思い出せない。疲れが溜まっていたせいだろうか、かなり熟睡していたらしく、四肢がだるい。だがそれは決して不快ではなく、むしろスポーツの後のような心地よささえ感じる。
 窓から見える空が群青色に染まっている。ちょうど日暮れの時間のようだ。
 ゆっくりと身体を起こし、大きく伸びをする。
(これだけ寝てたんだから、夜は眠れそうにないな)
 全身の力を抜き、一息つくと、急に空腹感が襲ってきた。腕時計を見ると、時計の針はもうすぐ六時を指そうとしている。
「晩飯、どうなってるんだろ?」
 シェラか晃司、あるいはあのジョゼという老婆に聞けば判るだろう。まさか喰えないなんて事はあるまい。拓也は部屋を出て階段を降りていった。

 一階を適当にうろついていると、居間でテレビを観ている美咲を見つけた。
「あ、拓也じゃない。やっと起きたの?」
「まーね。晃司と詩織は?」
「晃司さんは買い物に行くって、車で出ていったよ。詩織は部屋で本を読んでる」
 ちゃぶ台の上の煎餅に手を伸ばしながらそう答える。他人の家だというのに遠慮がない。
「ふーん……シェラは?」
「台所でジョゼって婆ちゃんと一緒に、ご飯つくってるみたい」
 テレビ画面では何かのアニメ番組を放映している。内容はよく解らないが、美咲はその画面に釘付けになっている。
「こういうの、好きなの?」
 拓也にそう尋ねられ、美咲はようやく拓也の方に目をやった。
「別に。ただ、家じゃ滅多に観れなかったから珍しくて」
「じゃあ、どんな番組を観てたんだ?」
「……ニュースとか教育番組くらいかな。たまに映画とか見せてもらってたけど。ま、テレビ自体、あんまり見せて貰えなかったんだけどね」
 そう答え、美咲は再びテレビ画面へと視線を向ける。拓也の相手をするよりも、アニメの内容の方が重要らしい。
「あの、俺はニュースが観たいんだけど……」
「不許可」
 一日一回、ニュース番組を観るのが拓也の日課になっている。だが美咲は、そんな拓也の頼みをあっさりと一蹴した。
(仕方ないか……)
 心底そう思いつつ、拓也も美咲につきあうことにした。
「……これが終わったら観てもいいわよ。ニュース」
 ばつが悪そうに、美咲はそう言った。
 だがこの放映の後にも、違うアニメ番組の放映があったため、結局拓也は夕方のニュース番組を観る機会を逃してしまったのである。

 七時からのバラエティ番組が始まるのと、シェラが夕食を運んでくるのと、晃司が帰ってくるのと、すべてがほぼ同時だった。
「ちょうど食事時に帰ってくるなんて、タイミングいいわねぇ…」
 呆れと関心が7:3で入り交じった口調で美咲が言う。
「コイツはいつもそうなの。美味しいトコだけかっさらうんだよ」
「人聞きが悪いなぁ。時代が常に、僕に都合がいいように動いてるんだよ」
 そう笑いながら晃司は腰を下ろした。
「詩織様を呼んできますから、少し待っていてください」
 ちゃぶ台の上に料理を並べ終えたシェラは、そう言って部屋を出ていった。人数が増えたのでちゃぶ台は二つ並べられている。
「で、何を買ってきたんだよ」
「拓也用の刀を数本。美咲ちゃん達に着せる防弾チョッキ。あと護身用の拳銃…」
「……二人に持たせる気か?」
 語調を強くして拓也が尋ねた。
「護身用だよ。あと地図と弾薬と非常食。他には詩織ちゃんに頼まれてた本とか、そんなとこかな」
 そのとき、ふと何かを思い出したように美咲が席を立った。
「どうした?」
「ナイショよ」
 拓也の問いにそう答え、美咲は少し慌てたように部屋を出ていった。
「トイレじゃないの? あまり深く突っ込まないのも礼儀だよ、拓也」
 苦笑混じりに晃司が言う。
「それより拓也。下の様子がおかしいんだ」
「下って?」
「この高原を下ったところにある街の事だよ。やけに雇兵が多かったんだ」
 九州地区は既に月政府の占領下に置かれている。前線は近畿方面まで進んでいるため、こんな所で戦闘が行われるとは思えない。
「……潜入して情報を聞き出そうかとも思ったけど、やめておいた。二人を連れ戻すために咲夜家が雇兵を雇ったんだととしたら、僕たちのことももう知れてる可能性はあるからね」
「そうだな」
 こういう場合は、下手にアクションを起こさない方が無難だ。
「もっとも、雇兵達のクライアントが咲夜家じゃなくて橘家って可能性も有るけどね……」
 その言葉を聞いたとき、拓也の脳裏に何かが引っかかった。だが、それが何なのかが思い出せない。
 ちょうどそのとき、廊下から足音が聞こえてきた。人数は二人。シェラと詩織だろう。
「この事は二人には内密にね。シェラには後で僕が話す」
 小声で晃司はそう言った。拓也も無言でうなずく。
 詩織を連れてシェラが居間に戻ってきた。
「それではご飯を食べましょう。……美咲様は?」
 そう彼女が言った直後、廊下を小走りに走ってくる足音が聞こえてきた。
「ハーイ、お待たせ。早く食べましょうよ」
「美咲ちゃん、廊下は走るもんじゃないよ」
 たしなめるように晃司が言う。
「別に走ってないわよ。って事にしたらいいじゃない。さ、ご飯食べましょ!」
「そういや、ジョゼって婆さんは?」
 辺りを見回し、拓也が言った。とりあえず居間の中には見あたらない。
「ジョゼばっちゃんは、一人で食べるのが好きらしいです。いつも一人です」
「ふーん、変なの」
 晃司の隣に座り込んだ美咲が呟いた。詩織も拓也の隣に座る。と言うよりも、そこしか空いてなかったからだ。
 夕食のメニューはハヤシライスとあと数品。数品、というのはそれが一体何なのか、見た目で判別できなかったからだ。
「父の国の料理です。スパイスはふんだんに使ってますが、少しアレンジしていますので、皆さんにも食べやすいと思います」
 シェラがそう説明した。地球全体が一つの国家と化した今でも、相変わらず「国」という呼び方は残っている。本来は「〜地区」という呼び方が正しいのだが、ハッキリ言って風情があるとは思えない。
「シェラの国って?」
「はい。セパニア地区です」
 セパニアというのは、中東方面のイスラム系の小国を統合した地区だ。シェラの日本語が妙なのも、肌の色が違うのもこれで合点がいった。
「ちなみに、母が峰誼の人間でした」
「へぇ……」
 相づちを打ちながら、拓也は目の前に並べられたおかずに箸を伸ばした。
「あ、ずるい!」
 美咲も負けじと、料理を皿ごと自分の方へ引き寄せる。
「美咲ちゃん、お行儀悪い……」
「喰うか喰われるかよっ!」
 マナーはさんさんたるものだったが、料理の味は絶品だった。スパイスは確かに利いているのだが、別段辛くは感じない。それでいて、どこか懐かしい味がする。
「ごはんもおかずもたくさん有りますから、いくらでも食べてください」
 そういうシェラの横で、晃司は黙々とハヤシライスを食べていた。
「晃司はアレ喰わないのか? うまいぜ?」
 料理の名前が判らないので「アレ」と称して拓也は尋ねる。
「僕はハヤシが有ればシアワセなんだよ」
「………」
 うっとりとした表情で答えた晃司に、拓也は返す言葉が見つからなかった。
 余談だが、後で味付けのコツを聞いた詩織に、
「ショーユソースは、日本地区が産んだ奇跡です」
 と、いつも無表情なシェラが珍しくにっこりと笑って答えたという。


 その夜。食事を終えてくつろいで居た拓也を、シェラが呼びに来た。
「居間で晃司殿が待っています」
「晃司が?」
 何か胸騒ぎのようなものも感じつつ、拓也は居間へと降りていった。詩織と美咲も座っている。
「来たね、拓也」
「……どうしたんだよ?」
 やけに真面目な表情の晃司に、違和感さえ覚える。晃司がこんな顔を見せた事は、拓也の記憶の中にはない。
「さっきも言ったけど、下の街に傭兵が集まってきている。おかしいと思ったんで、シェラの部屋のパソコンを借りて、RAY-WINDのネットワークにアクセスしてみたんだ」
 拓也達に限らず、雇兵を営んでいる者の大多数が、何らかの組織に所属している。拓也達はRAY-WINDという雇兵ギルドに所属しており、これは地球寄りの組織である。こういった組織は体制の違いこそあれど、互いに情報を交換しあいながら、時には争い、また団結したりしながら、雇兵達や政府への影響力を強めている。
 雇兵への仕事の斡旋も、これらの組織が行っている。仕事の情報は各地に散らばる支部だけでなく、コンピュータネットワークを介しても流される。組織に所属する雇兵にのみ斡旋される仕事(Limited Work)も有れば、他の組織に所属する雇兵にも斡旋される仕事(Open Work)もある。後者は主に大規模な作戦に多い。
「詩織ちゃんと美咲ちゃんの保護が、オープンワークで発令されているんだ」
「……マジかよ!?」
「スポンサーは非公開。二人の無事が最優先で、それ以外の人間は殺せ。だとさ」
 晃司が溜息をついた。
「報酬はキャッシュで二千万。ハッキリ言ってシャレになってないね」
「そいつは豪勢な話だよ、まったく……」
 拓也も同じように溜息をつく。
「僕たちの居場所ももう掴まれているらしい。となると、狙いは明白さ」
「……なんですか?」
 詩織が尋ねた。不安そうな表情が隠せない上に、心なしかふるえているようにも見える。
「葉雪と雪奈の封印を解かせないことさ」
「仮にスポンサーが咲夜家だとしますと、これでお二人の出奔が橘家にも知れることでしょう。その逆でも同じこと。多分、どちらかです」
 シェラが淡々と言った。彼女の言うとおり、これで詩織達の家出の事が、橘家に知れたことになる。とすると、橘家の人間が詩織達を狙ってくる可能性は否定できない。九州島は月政府の、すなわち橘家の勢力下なのだから。
「で、どーすんのよ?!」
 苛立たしそうに美咲が怒鳴った。
「雇兵から狙われるのは御免だね。だから、急いで葉雪と雪菜を復活させる。そうすればあの仕事はキャンセルされるはずさ。何かの間違いで、美咲ちゃんや詩織ちゃんを傷つけるわけにもいかないだろうからね」
「要するに、それだけ葉雪と雪菜って二人の封印を解かれたくないって事か……」
 多少なりとも危ない橋を渡ってでも、封印を解かれることだけは阻止しないといけないらしい。スポンサーが誰だかは判らないが、その必死さだけは十分に伝わってくる。
「と言うわけだから、今すぐにここを出よう」
「封印されている社までは、車で三十分もかかりません。善は急げば無難と言います」
「今晩中に封印を解いて、それを咲夜家と橘家に知らせてやるんだ」

To be continued.
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