Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 2 はじまりの失楽園



 咲夜家が所有する施設の一つに、世界屈指の技術力を誇る魔導工学研究所がある。
 今、その研究所内で事件が起きていた。
「何故だ!? こんな事が起きうる筈がない!」
「自動運転用プログラムは入れていない! 外部からの不法アクセスか!? それとも橘のスパイか!?」
「止めろ!でなければ潰せ! 何としてもあれを潰すんだ!」
「そんなことをしたら『祈り』の後……」
「駄目だ! 隔壁を突き破った。既に霊子結晶は活動を開始している……もう止められない!!」
「一体、何が宿ったんだ……」




  親を越えるためには、親が衰えるのを待てばいい。
  でなければ、親の知らないことを知れば良い。
「The third」

 江藤理沙は、自分の執務室で来客の訪問を受けていた。執務室と言っても、事務机が一つと、それとセットになった椅子が一脚有るだけだし、この建物自体も戦場近くに仮設されたバラックに過ぎない。
 そして、来客は理沙のかつての上司であった女性だ。
「お久しぶりです江藤さん。こんな夜遅くに申し訳ありません」
 女性はそう言うと事務的に一礼してみせた。
「いいわよ。どうせ今日も泊まり込みだし、それより、昔みたいに名前で呼んで貰った方がしっくり来るわ。志帆」
「……そうですね、理沙さん」
 溜息混じりに頷き、来客の女性----志帆は若干表情を崩した。晃司と対面した直後、彼女は即座に理沙とコンタクトを取っていた。
「大体の事情はご存じじゃないかしら?」
「何が?」
 笑みさえ浮かべながら、理沙は尋ね返す。志帆の髪も短いが、理沙はそれに輪をかけて短い。背も高いので、男性と言っても通るかもしれない。
「……貴女の弟さん、晃司君とそのご友人が、詩織様と美咲様を連れて逃走中です」
「へえ。初耳だわ」
 しれっと理沙は相槌を打った。だがその表情は、明らかにその言葉が嘘だと語っている。
「知らないのならそれでも構いません。早急に追跡隊を編成してください」
 出来るだけ感情を押し殺して、志帆はそう告げた。顔が何を物語ろうが、口で「知らない」と言う以上は何も追求できない。それを判っていて、理沙はこういう態度をとっているのだ。
「それは要請かしら? それとも、咲夜家からの命令?」
「今は要請です。ですが、返答次第では命令に変わります」
 志帆の言葉は、軍と咲夜家の力関係を端的に物語っている。政治と軍事、さらにはマスコミさえもが、咲夜家という名の下に完全に統制されていた。
「判ったわ」
 あっさりと理沙は承諾した。あまりのあっけなさに、志帆の方が呆気にとられたくらいだ。。
「作戦地点の指示が入り次第、空挺部隊を一中隊派遣するわ。それでいいかしら?」
「え、ええ。それで充分です。けど、いいのですか?」
 戸惑いを隠せないまま、志帆は尋ねる。
「何が?」
「お二人を連れ戻す為だけに、一中隊も派遣して良いのですか? それに、弟さんも同行しているのに……」
「心配は無用よ」
 理沙は志帆の態度を愉快そうに眺めながら答えた。
「弟でも何でも、あたしの邪魔をするなら殺すわ。それにあの二人が本気になれば、一中隊くらいじゃ止められない……違う?」
「それはその通りですが……」
 志帆はそう答えながらも、理沙の表情に違和感を感じていた。
 理沙は先程から微笑を崩さない。何かを隠し、それを楽しんでいる笑みだ。それが志帆の心に引っかかっていた。
「じゃ、行き先が判ったら教えて頂戴」
「……判りました」

 理沙の元に志帆からの電話が入ったのは、その日の日付が変わる頃だった。



 瀬戸内海航路は西日本の海路の中心であり、兵庫と並ぶ激戦区である四国島と本州を結ぶ、軍事上重要な海域でもある。
 だがこの戦時中でも、この航路が休航となることはなかった。九州諸島に残っている民間人の唯一の脱出ルートだからである。民間船には手を出さないと言う不文律が確かにそこにはあり、いつ銃撃が始まるか判らない陸路よりは遥かに安全だったのだ。
 その分、本州から九州諸島へ向かう人間は皆無に等しい。
 一日一便の客船「月下美人」号、別府港行き。乗客四名。
「船って意外と遅いんですねーっ!」
 デッキから見える四国島の風景を眺め、詩織が大声で叫んだ。大声でないと、声が風にかき消されてしまうからだ。
「遠くばかり見てるからだよ。すぐ下の海面を見てごらん。……気を付けてな」
 拓也にそう言われ、詩織は柵に身を乗り出して海を覗き込んだ。
「うわ……」
 緑色の海を裂くようにして、ものすごいスピードで船は進水していた。
「遠くばかり見ていちゃ判らないことも有るさ。って、ちょっと説教臭いかな?」
 自分の言葉に、拓也は思わず苦笑した。詩織はまだ珍しそうに海を覗き込んでいる。
 とその時。不意に風が強くなった。それと同時に船体がわずかに揺れる。
「きゃ!」
 風でまくり上がりそうになったスカートをつい押さえ、詩織の体のバランスが崩れた。そのまま海に落下しそうになる。
「こら、気を付けろって言っただろ」
 とっさに拓也が詩織の身体を抱き寄せたおかげで、詩織は難を逃れた。
「す、すみません!」
「普通に飛び込む分には別に大丈夫なんだけどな。このスピードの船から落ちたら、まず即死だぞ」
 急な出来事に驚く詩織に対し、少し強めの口調で拓也は言った。
「水面で何度も跳ねて、まるでビルから落ちたみたいにぐしゃぐしゃになって……」
 と、そこまで言って拓也は言葉を切った。詩織の顔が見る見るうちに青ざめていくのを目の当たりにしたからだ。
「……ま、大丈夫だよ。そうならないように俺が居るんだから」
 詩織の肩を叩き、拓也は笑った。そんな拓也の顔を詩織は見上げるように覗き込む。
「拓也さんはどうして雇兵になったんですか?」
「え?」
 唐突な質問に今度は拓也が驚くことになった。
「四年前、俺の親父がテロで死んだんだ。考古学の調査とかで中東方面に行った帰りに、飛行機が墜落してね。あの頃の日本はまだ戦場じゃなかったけど、戦争は各地で続いていた」
 そこまで言って、詩織が相槌さえ打てずに居ることに気付いた。知らず知らずのうちに口調が暗くなっていたらしい。
「親父と同じ飛行機に、月政府側の要人が乗っていたらしい。それで地球側が打った手が、意図的な事故ってわけさ」
 内容は明るいものではなかったが、拓也は出来るだけ明るく話そうとつとめた。
「とっとと戦争を終わらせたかった。って気持ちが無かった訳じゃないけど、実の所は喰うに困ってかな。親父の遺産はそれなりの額になったんだけど、相続税の査定はそれを大きく上回っててね。仕方ないから高校を中退して雇兵訓練所に入所したって訳さ」
「自分が生きるためのお金を自分で稼ぐって、立派ですよね」
「……まさか!」
 ようやく出た詩織の言葉だったが、拓也はそれを一笑した。
「人を殺して金を稼ぐ奴の、どこが立派なもんか」
 自虐的にそう吐き捨て、拓也は詩織から顔を逸らした。無垢と言う言葉をを、そのまま人間にしたらこんな風になるんじゃないか……そんな詩織の顔を、真っ直ぐに見れる自信がなかった。それ以上に、そんな彼女が自分を見てどんな表情を浮かべているか知ることが恐かった。
「でも、生き物って、他の動物か植物を食べて生きてるじゃないですか。人間だけだめって事は……ううん、ダメ。ダメなんですけど、でもそうしないと戦争なんだから拓也さんも死んじゃうわけだし……」
「俺は自分の意志で人を殺してるんだよ。雇兵にならなくたって生活できない訳じゃないのに、人殺しを稼業にしているんだ。何の目的が有るわけでもないのに……」
 俺は何を言っているんだろう?
 思わずそう自問せずにはいられない。昨日逢ったばかりの少女----と呼ぶには幼くもないが、そんな彼女に話すようなことではない。
 不意に、詩織の態度が一変した。それまでのあたふたした様子はなくなり、急に静かになる。
(……気分を害したよな)
 そう思ったが、詩織の口から出た言葉は、拓也が想像していたものとは大きく異なった。
「お金にさえならない人殺しよりは、よっぽどマシですよ」
 柵に身体を預け、詩織はそう言った。その視線は水平線の向こうに見える四国島へと向けられている。
「人殺しは人殺しだよ」
 拓也も同じように島の風景に目を向けた。
 風と波の音だけが、その場を包んでいた。
「……ね。拓也さん。本当にいいんですか?」
「……何が?」
 永遠か、数分か。そんな沈黙を詩織が破った。
「私達、お金も何も持ってないのに……」
「いいんだよ」
 迷わずそう答え、拓也は詩織の方へ顔を向けた。彼の方が背が高いので、必然的に見下ろす形になる。詩織は不安さと悲しさが入り交じった表情で拓也の顔を見上げていた。
「俺は何か目的が欲しかったから。たぶん、そうなんだと思う」
「目的、ですか?」
 拓也はそれ以上、その事について語ろうとはしなかった。詩織もそれ以上を尋ねようとはしなかった。
「俺は何があっても詩織を守るよ」
 それだけ呟き、拓也は海に背を向け、柵にもたれ掛かった。
「私も……拓也さんを守ります。絶対に守りますから」
 詩織の言葉の意味を拓也が知るのは、これからずっと先のこととなる。

 航海は順調に進み、その日の夕方には別府港に入港することになっていた。
「で、どうするんだ?」
 食堂で少し早めの夕食を採りながら、拓也は晃司に尋ねた。九州に着いたとして、そこからどうするかは何も聞いていない。
「ん? 温泉に行くんだよ」
 フランスパンをちぎりながら、晃司はそう答えた。
「温泉って……」
 呆れたように拓也が呟く。その向かいで、美咲も同じく呆れた表情を浮かべている。
「だって美咲ちゃんと言ったじゃないか。温泉に行くって」
「お前、あれ本気だったのか?」
「もちろん。女の子連れで温泉に行くのは、僕の夢だったんだから」
 フランスパンを握りしめ、晃司は力強くそう語った。ここまで来ると、さすがに詩織も呆れたらしく、食事の手を止めて呆然としている。
 と、その様子を一望し、晃司はぷっと吹き出した。
「ま、半分以上は冗談だよ。どのみちこの時間から動くのは得策じゃないし、九州全域の情報も掴んでおきたいからね。今日は別府で一泊するつもりだよ。この街で宿探せば、ほとんど全部が温泉宿だしね」
「だったらそう言えよ。ったく……」
「いやまぁ、半分以下は本気なんだよ」
 自分で握りつぶしたフランスパンを口に放り込み、晃司は笑った。
 食堂のドアが乱暴に開かれたのは、それから数分後の事だった。
「おいアンタら!!」
 中年の船員が、青ざめた表情で飛び込んできた。
「ア、アンタら一体何者なんだ!?」
「……何があったんだ?」
 尋ね返した拓也に、その船員は「こっちへ来い」とゼスチュアで示し、デッキへと誘った。
 一同は扉の影から外をうかがった。船は既に入港を済ませている。タラップも降ろされ、いつでも下船できるようになっていた。
 だがそのタラップを降りた先には、大勢の武装した兵士が臨戦態勢で待ちかまえていた。そしてその背後に、昨晩拓也が助け出した女性、志帆が立っている。
「あの武装は地球政府の正規軍だね。て事は姉貴の差し金かな」
 落ちついた口調で晃司がそう分析した。
「人数は五十人前後……一中隊ってトコだね」
「トコだね、ってそんな呑気なこと言ってていいの!?」
 呆れを通り越して、怒りの形相で美咲が怒鳴る。
「いいんじゃないの? 焦ってもいい結果は生まれないよ。ま、最悪の場合はあてにしてもいいかな?」
 にこにこと笑いながら、晃司は美咲の顔を覗き込んだ。
「楽勝でしょ? あれくらい」
「ま、まあね」
 まさかそう来るとは思っていなかったのか、美咲は少し意外そうにそう答えた。それでもそう言い放つあたりに、彼女のプライドが伺える。
「まぁ、そうはならないだろうから安心してていいよ。な、拓也?」
「まあな。あれくらいなら俺一人で充分だ」
 いつも持ち歩いている刀を抜き放ち、拓也は余裕さえ伺わせてそう答えた。
「一振り残しておいて良かったよ。前のは刃こぼれして使いモンにならなくなってたからな」
 真新しい刃に自分の瞳を写し、拓也は呟いた。
「じゃ、二人を頼む」
 晃司の答えを聞くより早く、拓也は船外へ飛び出していた。
「無茶です! あんなに大勢の人相手じゃ勝てるわけがないじゃないですか!!」
 詩織が晃司に向かって叫んだ。
「無茶さ。と言うか、可哀想だね。一般人があれくらいの数じゃ、拓也は絶対に止められない」
 今にも飛びかかってきそうな詩織を落ちつけるように、その肩を軽く叩きながら晃司はそう言った。
「まぁ、見てみなよ。たぶん驚くから」

「出てきたぞ!撃てぇ!!」
 隊長格の男がそう号令する。が、霊力で加速した拓也のスピードに、誰も狙いを定められる者はいなかった。
 数秒もかからず、拓也は兵士達の中へと飛び込んでいた。その突入の勢いに乗せ、既に数人の首を斬っている。その効果は充分だった。飛び散る血しぶきが兵士達の恐怖を煽り、一瞬にしてその場はパニックに陥る。
「落ちつけ!!」
 怒鳴り散らし、男は剣を抜いた。この距離ではもはや銃撃戦は不可能だ。白兵戦に持ち込むしかない。太い腕に見合う巨大な剣を、上段から勢いよく拓也へと振り下ろす。
 が、拓也はその一撃をいとも簡単に避けた。男はその剣を振り上げる動作を、そのまま第二撃へと移行しようとする。だが、
「トロいよ」
 男の攻撃は拓也に届かなかった。拓也の刀の切っ先が、男の喉を完全に貫いていた。
 突き刺した刀を抜き、即座に次の行動へと移る。
「紫電瞬飛!」
 術の力で、拓也の身体が空へと舞いあがった。その頂点に達する直前に、拓也は霊力を刀に集中する。
「烈光槍!」
 霊力を込めたその刀を、地上めがけて投げつける。刀は地上に落下するやいなや、激しい光を放ち、辺りを包み込む。轟音と爆音、そしてまばゆいばかりの閃光が周囲を包み、やがて元の静けさを取り戻す。
 わずか一分足らず。ただそれだけの時間で、正規軍一中隊が全滅した。ただ一人、とっさに防御術を発動していた志帆を残して。
 着地した拓也は、ボロボロになった刀の柄を拾い上げた。
「……新品だったのに」
 呟き、もはや本来の目的には使えそうにもなくなったそれを放り捨てる。
「消えろ。あの二人はもうそっとしておいてやれよ」
 言葉は、志帆に向けられたものだ。急に霊力を消耗したせいか、彼女は肩で息をしている。
「くっ!」
 拓也の言葉に頭にきたのか、志帆は歯を食いしばって霊力を集中し始めた。
「雷華!」
 突き出された志帆の掌から幾条もの光が放たれ、一斉に拓也に襲いかかる。
 だがその術は、あっさりと拓也の周囲で弾けて消えた。拓也が、これといった防御術を発動した様子はない。
「な、なぜ!? 分家筋とは言え、私の霊力は普通の人間が防げるレベルのものじゃないのに!」
 精根尽き果て、その場に片膝を付いた姿勢で志帆は叫んだ。
「……知るかよ。それよりもその選民意識は辞めた方がいいぜ。聞いてて虫酸が走る」
「こんな……こんな筈は……」
(…………有りうるとしたら、橘家嫡流?)
 その結論に達した直後、志帆の意識は途絶えた。

 同じ頃、美咲も似たような結論に達していた。
「橘家の人間ね! そうとしか考えられないわ!」
 敵意をむき出しして、美咲が叫んだ。と同時に霊力の集中に入っている。
「違う!違うから落ちついて!!」
 今にも船外に飛び出そうとする美咲を、晃司は必死に抑えた。が、美咲はそれを聞かず、
「うるさい!!」
 両手を掲げ、集中した霊力をその一点に凝縮し始めた。淡い桃色の----桜色のもやが、そこに揺らめき始める。もはや怒りで我を忘れているとしか思えない。
「ダメ!美咲ちゃん!!」
 詩織も霊力の集中に入る。晃司をかばうための防御術だ。
 が、美咲の術の方が先に完成した。
「間に合わないっ…」
「轟炎弾っ!」
 美咲の頭上に集中していた霊力は、赤い光を放つ球体へと変貌し、晃司へ向けて放たれる。爆音と衝撃をまき散らし、紅蓮の炎が晃司を包む。
 やがて術は収まった。術の影響で周囲に移り火しているが、美咲達の周囲、船体の1/4程が吹き飛んだ為、燃え広がる心配だけはなさそうだ。
「……違うって言ってるでしょう?」
 巻き起こる埃の中から晃司が呟いた。
「いきなり全力で来ないで下さいよ。死ぬかと思ったじゃないですか」
 服に付いた埃を払い落とす。
「だ、大丈夫なんですか?」
 詩織が心配そうに、だが驚きを隠せずに尋ねた。
「ええ。かすり傷一つ有りませんよ」
「でもどうして…? 力が動いた気配は無いのに」
 神霊術にしろ魔術にしろ、ある程度の術者になると、近くで力が発揮されればそれを察知することが出来る。そうでなくても、今の美咲ほどの霊力が発動したら、普通の人間でさえ違和感として認識できるだろう。それほどの力だったのだ。
 当の美咲も驚いている。が、その驚きは敗北感さえ伴っていた。
「一体あんた達何者なのよ!? 私の力が防がれるわけないじゃない!!」
「お前らの一族ってのは、そういう選民意識しかないのかよ」
 いつの間にか戻ってきていた拓也が、美咲の背後で呆れたように言った。
「にしても、よく無事だったよな。今のはさすがの俺でもびっくりしたぜ」
「まあね。色々と有るからさ。でも今は、とりあえず逃げよう」
 苦笑し、晃司は美咲の術で崩れ落ちて吹き抜けになった床を指差した。この船の船長らしき男が、憤怒の形相でこちらへ昇って来ようとしている。
「悪いけど、逃げよう」
 念を押すように言い、返事も待たずに晃司は船外へ駆け出した。
「あ、こら!」
 慌てて拓也も後を追おうとし、踏みとどまる。
 美咲が一歩も動こうとしない。その傍らで、詩織も心配そうに立ちすくんでいる。
「あぁぁぁぁっ!もう!! 詩織、ちゃんと着いて来いよ!!」
「は、はい!!」
 茫然自失とした美咲を無理矢理抱き抱え、拓也は晃司を追って外へ飛び出した。今度は詩織も、それを追って走り出す。
 何事かを叫ぶ船員達の声は、拓也達には届かなかった。

 その夜。
「……なんでコイツまで拾って来たんだよ」
 憮然とした表情で拓也は呟いた。
 別府市内の旅館「温泉地獄」----名の由来は、別府名物の「地獄めぐり」からきているらしい----の「針の間」。部屋の片隅に座りこみ、ずっと顔を伏せたままの美咲とそれに寄り添う詩織。そして、布団に眠る志帆とそれを挟んで向かい合う拓也と晃司。
「あのまま放っておくのも気がひけてね。話も聞いてみたいけど……ま、後でいいや。それより今は別の用がある」
 と言って晃司は立ち上がる。
「美咲ちゃん、詩織ちゃん。ちょっと話が有るんだ。拓也も来て欲しい」
「……って、志帆はどうするんだ?」
 立ち上がりつつ、拓也が尋ねる。まだ目を覚ます様子は無いが、目を離した隙にと言うことも十分にあり得る。
「別にどこかに行かれても構わないさ。さ、来てくれ」
 だが、美咲は微動さえもしなかった。詩織が、美咲と晃司の顔を交互に見比べ、困惑している。
 晃司はゆっくりと美咲の側に歩み寄り、なだめるように肩に手を置いた。
「弱い力も使いよう。美咲ちゃんの力は僕なんかよりも遥かに強いんです。さっきのはただの奇襲みたいなもんなんですから、気に病む必要は無いんですよ」
 諭すように言い、その背を撫でる。
「……馬鹿にしないでよ」
 ようやく美咲が重い口を開いた。
「当たり前のことを何偉そうに言ってるわけ?!」
 言い放ち、美咲は不必要に激しい勢いで立ち上がった。その弾みで背中を撫でていた晃司の手が弾かれる。
「それじゃ行きましょう」
 そう行って晃司は一同を旅館の中庭に連れ出した。中庭と言ってもかなりの広さがあり、ちょっとしたボール遊び程度なら出来そうな広さだ。
「えっと、詩織ちゃん。向こうに立って」
「あ、はい」
 晃司に言われるままに、詩織は拓也達から離れていく。
「あ〜、その辺でOKです。拓也と美咲ちゃんは危ないから少し離れてて」
「危ない?」
 疑問を抱きつつも、拓也は素直にその言葉に従って晃司から離れていった。美咲もそれに付き従う。
「あ、その辺でいいですよ」
 晃司の声で詩織が振り返る。十メートルほど離れたところだろうか。
「それじゃ詩織ちゃん。何か適当に術を放ってきてください」
「え? で、でも……」
「僕なら大丈夫ですから。ご心配なく」
 不安げにためらう詩織に向かい、晃司は余裕げに微笑んだ。
「それじゃ……雷光槍!」
 言われるままに詩織は術を放った。出力は抑えてあるが、雷の槍が一直線に晃司に向かって突き進んでいく。
 それに対応するように晃司も動いた。
「霧雨の青!」
 その声に導かれるように晃司の周りを青白い球体が包み込み、詩織の放った術はその球体にかき消えるように四散してしまった。術を放った詩織も、そしてそれを見ていた拓也と美咲も、皆が呆気にとられた表情を浮かべている。
「これがさっきの真相です」
「……お前、今何をやったんだ?」
「精霊術。精人達の手によらない、この世界の人間が産み出した力です」
 拓也の問いにそう答え、晃司はニッと笑ってみせた。

「九州……とな?」
「は。志帆からの報告ですから、間違いないかと」
 静香からの報告を受け、桜花は親指を下唇に当てて考え込んだ。
 九州には、精人の流れを汲む一族、峰誼家がある。だが彼女の知る限り、峰誼家は現時点に於いて、咲夜家の敵となる筈はない。かといって橘家と敵対するわけでもない。
 そんな状況下で、詩織達を受け入れるとは考えにくい。状況の変化は、峰誼家が起こすものではないのだ。それが「彼女ら」のルールなのだから。
 しばらく考え込み、桜花はある仮定に達した。それが正しいとするならば、何としても一行の動きを阻止せねばならない。
「封印……」
 その言葉は静香にではなく、独り言のように呟かれた。
「は? 今なんと……」
「静香。何としても二人を連れ戻せ。そして同行者は殺せ。場合によっては二人の内、どちらかが死んでも構わぬ」
 静香に質問させる間を与えず、桜花はそう命じた。
「桜花様……?」
 普段とは違い、焦りを露骨に表に出した桜花の様子に、静香は怪訝そうな面持ちをみせた。だが、即座にそれを打ち消す。
「承知しました」
「急げ」
 短く言い放ち、桜花はその場を離れた。

「そう、判ったわ。ただちに戻ってらっしゃい」
 部下からの通信を切り、理沙は微笑を浮かべた。
 優しい微笑ではない。どちらかと言えば残忍な笑みだ。
「一分ね」
 この結果は予想できていた。晃司はともかく、拓也・詩織・美咲を相手に普通の部隊では、たとえ一師団をぶつけても勝てないだろう。理沙の知る拓也の性格なら詩織や美咲を矢面に立たせる事はしないだろうが、それにしてもまず勝負にならない。
 今回部隊を派遣したことで、今後咲夜家から要請があっても部隊を動かす必要はない。一度に一中隊を失ったのだから、戦力のダウンは否めない。それを理由にすればなんとでもなる。そうして咲夜家の干渉をしのげる分、今度は理沙自身が自由に行動できるというものだ。
 だが気になることはある。志帆が行き先を突き止めるのが早すぎた。昨晩、別れてから一時間もしないうちに連絡が入った。
(内通者……?)
 誰かが志帆に情報を流しているとしか思えない。誰かが一行を尾行しているのか、或いは美咲か詩織のどちらかが連絡を入れているのか、そのどちらかだろう。いずれにしても、拓也達の動きが咲夜家に漏れているのはまずい。
 何よりも、拓也の存在を知られることが一番困る。来るべき時に切り札となる、理沙の手の内で最強のカード。その存在を相手に気取られてはいけない。それを考えると、志帆が部隊への同行を希望したのを許可したのはミスだったかもしれない。
 拓也自身でさえも知らない、彼の正体を咲夜家が知ったとき、彼女たちがどう動くか……。分かり切ったことだ。懐柔、さもなくば排除。
「何にしても、鍵を握るのは晃司ね」
 確認するように呟く。確かに表面上では理沙に忠実に見えるが、その心の底は彼女にも見えない。理沙の目指すところと晃司の目指すところは微妙に、あるいは大幅に異なっている。それは理沙自身も薄々感づいてはいた。

To be continued.
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