Moonshine <Pray and Wish.>
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Episode 1 私達がまだ何も知らなかった頃



  未来は決まっているのかもしれない。
  だが、どう決まっているかは誰も知らない。
「Not Digital」


「ここに三年住んだんだよな」
 当分は戻って来れないであろう部屋の扉を感慨深げに眺め、拓也は呟いた。三年前、晃司と組んでからずっとこの部屋で暮らしてきたのだ。しばら戻って来れないだけなのだが、妙に感傷的になってしまう。もしかしたら、予感のようなものかもしれない。
「何よそれ。もう帰って来れないみたいじゃない」
 浸りかけた拓也に、美咲が水を差した。皮肉を言える程度には元気になったらしい。
「まさか。ちょっとした引っ越しの気分だよ」
 苦笑いを浮かべ、拓也は階段を降り始めた。その後に美咲と詩織が続く。
「志帆さんが戻ってくるよりも早く、ここを出ないといけないんだよね?」
 最後尾を降りながら晃司が美咲に尋ねた、と言うよりは確認した。
「ええ。志帆は典型的な咲夜の人間だからね。あたしと詩織には手を上げないだろうけど、貴方達は生かしておかないと思うわ」
「そいつは嫌だな。せっかく助けた奴と事を構えたくない」
 先頭の拓也がそう言う。そしてしばらく考え、
「話せば判ってもらえないかな?」
「……何度も話しました。あのひとには判って欲しかったんですけど……」
 詩織が寂しげに答える。それを察し、拓也は話題を変えた。
「ところで晃司、由香を連れて行った病院までここからどれくらいだ?」
「歩いて30分ってとこかな。出て行ってまだ40分ぐらいだから、まだ余裕はあるよ」
「そうか、なら安心だな」
 答えるのとほぼ同時に、拓也は階段を降りきった。
「さて、陸路にしても海路にしても、とりあえずは駅だな」
 皆が降りてくるのを待ち、拓也は言った。理沙との話の内容はまだ皆に話していないが、車が無い以上は何らかの交通機関を使わねばならない。歩いて行動するのも発見されにいため一つの手ではあるが、やはり無理がある。
「……そうね。どこに行くかは拓也に任せるわ」
 さきほどの一件をまだ引きずっているのか、美咲は拓也と顔をあわせようとしない。
「行き先については後で話すよ」
「今、お聞かせ願えますか」
 声は拓也の背後、マンションの入り口の方から聞こえた。聞き覚えのある声だ。
「まったく、お前らはこういう登場の仕方がそんなに好きなのかよ」
 ぼやきながら、拓也はゆっくりと振り返った。
 声の主は予想通り、志帆だった。拳銃を構え、まっすぐに拓也のほうへと向けている。
「どういうつもりですか?」
「さあね。後ろの二人に聞いてくれ」
 拳銃に臆するでもなく、拓也は言った。代わりに詩織が前に歩出る。
「私たちは、咲夜家を出ます」
「そんな事が許されると思っているのですか? 桜花様も静香様も、お許しになりませんよ!」
(桜花……? さっき言ってた咲夜家の始祖とか言う……)
 おそらく、草葉の陰で泣いているとかそういうニュアンスなのだろう。先程の話からすると大昔の人間だ。生きているはずが無い。
 と、そこまで考えて、拓也ははっと気付いた。
(そうか。普通の人間じゃないんだっけな。まぁ、生きてはいないだろう)
 桜花のことは置いておくにしても、静香という名前は初耳だ。
「静香って誰?」
「あたし達の……母上よ」
 志帆の言葉が堪えたのか、それとも拓也と話したくないのか、とにかく苦々しい表情で美咲が答えた。
 詩織も、志帆の言葉に言い返せないでいる。
「あなた達の身勝手で、この世界が滅びても良いと言うのですか!」
「許さない? 誰がこいつらを許さないって言うんだ?!」
 拓也が叫んだ。
「咲…」
「いいか志帆。詩織ちゃんも美咲ちゃんも、自分の行動に対して責任を持つべき人間はただ一人、当の本人だけだ。親だかなんだか知らないがな、こいつらが自分の意思で行動しようとするなら、誰の許しも請う必要なんてないんだよ!」
 何か言いかけた志帆の目を真っすぐに見据え、拓也はそう叫んだ。
「……それは普通の人の論理です」
「普通の女の子だよ。二人ともな」
 声のトーンが僅かに低くなっている。当然ながら落ち込んでいるわけではない。
(……怒ってるなぁ)
 あと一歩でキレる。横で見ていた晃司は今の拓也の雰囲気からそう察した。
「これ以上話しても無駄みたいですね」
 志帆は小さくため息をついた。
「助けていただいた恩はありますが、私は貴方を殺してでも二人を引き留めます」
「いい加減にしろよ。口で言っても判らないなら……」
 刀を抜き、前に歩み出た拓也を晃司が制した。
「まぁ待てよ拓也。僕が相手をするから、拓也はお二人を連れてマンション奥の階段裏にでも隠れていてくれ」
「……判った。無茶はするなよ」
 そして振り返り、
「晃司がここは任せろって。邪魔になるから、俺達は隠れていろとさ」
 詩織と美咲にそう言うと、二人を引きずるようにしてマンションの中へと入って行った。
「それにしても、お早い帰りだね。歩いて往復するだけで、一時間はかかるはずなんだけどな」
 一人残った晃司が、余裕の笑みさえ浮かべながら志帆に尋ねた。
「それだけ歩くのでしたら、タクシーを使うとは考えませんでした?
 それに、由香さんの無事を確認してからすぐに戻ってきましたから」
 言われ、晃司はポンと手を叩いた。
「あぁ! なるほど。これは僕の盲点でした。単純な道筋だから、歩くとばかり思ってましたよ」
「時間稼ぎはそれくらいでいいですか?」
「……えぇ、充分です」
 晃司の表情からそれまでの笑みが消え、瞬時にして真剣な顔つきに変わる。
「拓也を貴女にぶつける訳にはいきませんからね」
「……どういうことでしょうか?」
 それには答えず、晃司は懐から拳銃を取り出した。唐突な流れに、志帆の動作が遅れる。
 が、晃司の次の行動はさらに唐突だった。取り出した拳銃を目の前に投げ捨て、両手を挙げたのである。
「僕には貴女と戦う意思はありません」
 真顔のまま、晃司は言った。志帆も困惑した表情を浮かべている。
「僕の話を聞いてもらいたい」

 その頃、拓也達は晃司に言われたとおり、マンションの一階奥にある階段の裏に居た。目の前には非常扉があり、拓也は迷わずそれを開く。
「さて、俺達は先に行くぞ」
「行くって、晃司さ……ン〜っ!?」
 美咲が驚きの声を上げかけたが、拓也の手がその口を無理やり塞いだ。
「静かにしろって。だから、晃司もこの扉のことは知っててああ言ったんだよ。あいつが時間を稼いでる間に、俺達はできるだけ遠くに逃げるんだ」
「でも、晃司さんはどうするんですか?」
 不安そうに入り口の扉のほうをちらちらと見ながら詩織が尋ねる。霊力の高まりも感じられないし、まだ術の応酬による戦闘には至っていないらしい。
「晃司なら大丈夫だよ。一人なら身軽に動けるから、逃げるぶんにはかえって都合がいいんだ」
 そう答えながら、非常扉の外の様子を伺う。人の気配はない。
「よし、大丈夫だ。あとは俺達がいつも待ち合わせに使っている場所へ行くだけだ。さ、行くぞ」
 せかすように、二人の背中をポンと叩き、拓也は外へ出た。わざと早足で裏通りを歩き出す。
「あ、もぉ!」
 慌てて美咲が後を追う。最後に詩織が、もう一度だけ背後を振り返ってから、美咲に続いて走りだした。

「貴方の話を?」
 志帆が尋ねた。今日始めて会った人間が「自分の話を聞け」というのも、妙といえば妙な話だ。
「僕の姉貴、江藤理沙を知ってますね?」
「えぇ。三年前まで咲夜近衛隊の一員。剣技や術に長けるだけじゃなく、あらゆる方面の知識も豊富な人……天才とは彼女のような人を言うんでしょうね。皆からも慕われていたと聞いていますし、非の打ちどころのない人でしたわ」
「それだけ褒めてもらえば、姉貴も悪い気はしないでしょうね。『むずかゆい』とか言いそうですけど」
 そう言って晃司は口元に微かに笑みを浮かべた。だが、先程と違って目は笑っていない。
「なぜ三年前、姉貴が咲夜近衛隊を辞めたのか。貴女はご存じですか?」
「……いいえ。私も寝耳に水でしたから」
「姉貴は咲夜家に伝わる伝承を知ってしまったんですよ。その裏にある真実もね」
 晃司の言葉に、志帆の表情が凍り付いた。
「地球側と月側という名目の、二つの精人勢力の戦争。月も地球も、今の政府を牛耳っているのは精人の末裔で、更に言えば精人そのもの。彼女等は歳を取りませんからね」
 晃司の言葉に、志帆は無言で耳を傾けている。
「だが、それは彼女らの世界で相反している二つの勢力の、代理戦争に過ぎない。彼女らは死なないが、僕らは死ぬ。彼女らにとって、この戦争はゲームに等しいんですよ」
「違います!!」
 志帆の叫びを晃司は無視した。
「ゲームの勝者には、その世界を牛耳る権利が与えられる。そしてそれは、その世界に生み落とした自分の子孫達に受け継がれる……」
「違います! 桜花様は、我々の世界を手玉に取ろうとする者達から、私たちを解放……」
「違わない。解放されるのは自分の子孫達だけさ。それ以外の人間にはなんのメリットもない。単に支配主が貴女達であるか、貴女達の敵側か。それだけの事ですよ」
 志帆は反論できなかった。晃司の言葉はある意味で事実だった。

 異なる世界がある。時空を隔てた、我々の住む世界とは異なる世界が。
 無数に存在する世界には、それぞれに異なる文化、文明、生命、物理法則……森羅万象を司る、世の理が存在している。中には我々よりも優れた文明や能力を持った生命体も存在する。精人もその一つである。
 全ての存在は、あらゆる世界と結び付く鎖を持っている。目には見えないが、確かにそれは存在する。精人達はその鎖をたぐって、異なる世界への行き来を可能にする力を有していた。
 異なる世界での時間の流れは元の世界のそれとは一致しない。精人達の場合、異なる世界に行っている間は、ほとんど時間が流れない。晃司の言葉通り、我々の世界で過ごす数千年は、彼女らの世界ではほんの数分の出来事に過ぎないのだ。
 厳密には、異なる世界に存在するのは彼女らの分身のようなものに過ぎない。異なる世界での死は、単に世界と彼女らが結び付いている鎖を断ち切ることでしかない。その世界には二度と行けなくなるが、世界は無数に存在している。
 精人達は行く先々の世界に応じて、自らの分身をその世界に適した体組織に変化することもできた。我々の世界では人型を採っている彼女らは、ある世界では植物としての姿を採り、またある世界では我々には理解できない存在へと変貌している。彼女らにとって、己の本体という概念など存在しないのかもしれない。
 彼女らは無数の世界で、無数に戦いを繰り広げてきた。その世界に産み落とした、己の子孫達を引き連れて。

「だけど、この世界は僕達の世界だ。掌の上で踊るのは、僕には我慢できない」
「……それが、理沙さんが咲夜近衛隊を去った理由だというの?」
「ま、一部だけどね。あまりお喋りが過ぎると、色々とややこしくなるからこの辺にしとくよ」
 そう言って晃司は表情をゆるめた。
「子供の人生は親の人生の延長線上にあるわけじゃないんだよ。……さて、行かせてもらえるかな?」
 晃司の問いに、志帆はうなだれたまま何も言わなかった。
「よく考えてほしいな。自分の意思でね」
 投げ捨てた拳銃を拾い上げ、晃司は志帆に背を向けた。

 心のどこかでは疑問に思ってはいたのだろう。
 だけど、それは考えてはいけないことだった。
 だから考えないようにしていた。事実、意識したことはなかった。
 でも、人の口から聞かされて、初めてそれを意識した。
 私は。私は。私は!私は?
 だが、それを意識の隅へ追いやる。考えてはいけない。自分の過去を否定することはできない。これが私の信じた道だ。
 私は桜花様を信じている。そうだ、彼は桜花様の素晴しさを知らないのだ。だからあんな事を言うのだ。そうだ、そうに決まっている。
 そうでなくてはいけないのだ。私が私であったことを否定しないためには。
 やがて、志帆が再び顔を上げたとき、そこに晃司の姿は無かった。
 全てはほんの数秒の出来事だった。


 十数分後。拓也の言う待ち合わせ場所、駅前の居酒屋「RED TEA 2」にて。
「……なんでお前の方が早いんだよ」
 店ののれんをくぐった拓也は、そう呟いて唖然とした。
 入口そばのテーブルには、スルメとマヨネーズ、そして揚げ出し豆腐と瓶ビールが並んでいる。それらを前に、さらりとした長髪を後ろで縛ってちびちびと飲んだくれる晃司の姿があった。
「やあ拓也。遅かったじゃないか。先に一杯やらせて貰ってるよ」
「それはいいけどなぁ……ま、二人も座って」
 後ろに控える詩織と美咲にそう言い、拓也自身もテーブルに着いた。
「いらっしゃい、ご注文は?」
「水。水道水はイヤよ」
 注文を取りに来た中年女に、間髪入れずに美咲が言った。
「あ、俺は烏龍茶とサラダ。詩織ちゃんは?」
「……わ、私も烏龍茶」
「はい。三番!水スロー1、ウーロン2!」
 カウンターに向かい中年女が怒鳴る。奥の厨房の方で、なにやら了解したらしい返事が聞こえ、女も厨房の方へ姿を消した。
「水道水はイヤだからね!!」
 念を押すように美咲が怒鳴る。それを見て拓也は苦笑し、スルメをつまんだ。
「で、晃司。やけに早かったじゃないか。あれからどうしたんだ?」
「別に。ちょっと話をして笑わせて、その間に逃げてきた」
 そう呟き、晃司はあごを左親指で軽く引っかいた。
(……嘘?)
 嘘を吐いたとき、顎をひっかくのは晃司の癖だ。面白いから本人には言っていなかったのだが、こういう形で功を奏すとは思わなかった。
「ははっ、お前らしいな」
 が、拓也はその嘘を黙殺した。美咲は露骨に疑わしげな表情を浮かべているが、何も言おうとはしない。
「ま、僕はその後で直行してきたから早く着いたって訳さ。どうせ拓也は用心のために回り道したんだろ?」
「まぁな。由香の部下が近くにいない保証も無かったし」
「ほえ。あんあえへふんははい」
 スルメをかじりながら美咲が言った。「へぇ、考えてるんじゃない」と言いたいらしい。
「美咲ちゃん、お行儀悪い……」
「いいじゃない。ほら詩織、アンタも食べさないよ。どうせコイツらの奢りなんだし」
 たしなめた詩織に、美咲はスルメを突きつけて対抗した。詩織は渋々それを受け取り、かじり始める。
「マヨネーズと醤油を合わせるのがポイントなのよね〜」
「この場は奢りでいいけど、君達お金持ってるの?」
 自分の分のスルメを確保すべく、皿を手元に引っ込めながら晃司が言った。
「なんで?」
「僕たちは雇兵だ。報酬無しでは動かないってことだよ」
 あくまで平然と晃司は言った。
「基本給の相場は一日二万。これに弾薬、怪我した場合の治療費などの必要経費が加わるんだけど、払える?」
「払えるわけ無いじゃない。自慢じゃないけど、手持ちのお金はゼロよ」
 が、美咲はそれ以上何も言わなかった。晃司の言葉はもっともであるし、情に訴えるにしてもそれほど深い仲でもない。
「それじゃ、僕らはここで帰ります」
「んじゃ、晃司は帰れよ。俺は行く」
 間髪入れずに、だが憮然とした表情で拓也が言った。
「……拓也は人が良すぎるよ」
 聞こえるようにそう呟き、晃司は大げさにため息を付いた。そして仕方無しに、
「判った。僕も行こう」
「いいんですか? 拓也さん……」
 やりとりを聞いていた詩織が、不安そうに口を開いた。
「何が?」
「私達、本当にお金持ってませんよ?」
 真面目な顔で詩織は言った。そのあまりの真面目さに。拓也は思わず吹き出してしまう。
「いいんだよ、別に金には困ってないから。もっとも、金持ちって訳でも無いけどな」
(……それにこの一件、裏で色々と有りそうだしな)
 心の中でそう呟く。
 晃司が美咲に報酬の件を持ち出し、一度手を引こうとしたのも、おそらくは拓也の性格を読んでのことだろう。それに、さっきの嘘のことも気になる。
 それだけではない。理沙の言葉も、この事態を想定していたかのようだった。理沙と晃司が水面下で何かしているのは間違いないだろう。
「とにかく、詩織ちゃんは別に気にしなくていいから」
「どーでもいいけど。拓也、なんであたしは呼び捨てで詩織はちゃん付けなワケ?」
 不満そうに美咲が拓也を睨んだ。
「ん? なんとなく。だいたいお前、『美咲ちゃん』ってガラか?」
「そんなの不公平よ!」
「んじゃ、美咲ちゃん。これでいいか?」
 あっさりとそう呼ばれて、美咲はむず痒そうに口元を歪めた。
「……なんか嫌」
「だろ? それじゃ、詩織ちゃんのこともこれから呼び捨てにしよう。うん」
 そう言い、拓也は一人納得したように頷いた。
「それもなんか嫌……」
「私、別に構いませんけど。ちゃん付けで呼ばれる様な歳でもないし」
 不機嫌そうな美咲を気にしながら、詩織はそう言った。
「んじゃ決まりだな……ところで歳の話が出たけど、二人とも歳は幾つ?」
「あ、十九歳です。つい先週、誕生日だったんです」
 ようやく普通の話題が出たことが嬉しいのか、詩織は嬉々として答えた。
「ちなみにあたし達、双子だから誕生日は同じ。で、拓也達は?」
「二人とも二十一。俺は再来月、四月に誕生日だけどな」
「ちなみに二ヶ月遅れで僕も誕生日。その二ヶ月の間、やたらと拓也が威張るんだよ」
 晃司が口を挟んだ。冷ややかな笑みを拓也に向けている。
「……なんだよその笑いは」
「別に。たかだか二ヶ月くらいで、よくも毎年威張れるよなって思ってさ」
「けっ、いつも威張ってるのはお前だろう」
 いかにも「ふてくされてます」とでも言いたげに拓也が吐き捨てる。
「威張ってるとは心外だね。冷静かつ合理的に物事に臨んでいると言って貰いたいな」
 口ではそう言いながらも、晃司はにやにやと笑みを浮かべている。拓也も似たような表情だ。
「……だいたいアンタ達の力関係が判ったような気がするわ」
 美咲がそう呟いたとき、注文した品を持って先程の中年女が現れた。
「あい、烏龍茶二つとコールスロー、あと水だね」
 確認するようにそう言うと、中年女は別のテーブルへ別の皿を運んで行った。かなり忙しそうだ。
「さて、これからどうしようか?」
 そう尋ねてから、拓也は運ばれてきたサラダに箸をつけた。小皿に盛られたサラダを、消化に悪いのではないかと思えるほどの早食いで一気にかき込む。
「詩織も言ってたけど、あてはないんだろ?」
「うん……」
 美咲が頷く。
 晃司はそんな拓也と美咲の顔を交互に見比べ、
「拓也に何か考えはないかい?」
「そうだな……」
 その問いに、拓也はしばし考え込んだ。
「特にないな。美咲や詩織の意見から聞いてみたいし」
 理沙に勧められた、九州島の「峰誼」の件は伏せることにした。晃司と理沙の思惑が掴めない以上、手の内を明かしたくなかったのだ。それに、晃司が「峰誼」の事を知っているのかどうかも気になる。
「そうか……そうだな。じゃ、詩織ちゃんと美咲ちゃん、どこか行きたいところって有るかい? 旅行したかった所とか……」
「え、旅行?」
「旅行ですか?」
 旅行という単語に、やけに敏感に二人は反応した。晃司の方でも、思っていなかった反応だったらしく、珍しく面食らっている。
「あ、うん。一応、参考にしようかなって思ってね」
「旅行かぁ……そういえば、あたし達、旅行なんてしたことなかったよね」
 しみじみと美咲が呟き、詩織も
「……うん、そうだったよね」
 と似たような口調で呟く。
「へぇ、それだったらこの際だ。遠出してみようか? 北海道とか九州とか」
「そうね。あたし、一度スキーしてみたかったから北海道がいいかな」
 明るい口調で美咲が言った。
「スキーか。僕、結構得意なんだ」
 と、そこまで言ってから晃司の表情が一転した。
「あ、でも北より南の方がいいかもしれないな……」
「どうしてですか? 兵庫より西側は月政府の勢力圏だし、北に行った方が安全なんじゃ……」
 詩織が尋ねた。だが晃司は人差し指を目の前に立て、左右に振って見せた。
「いやいや、その方がかえって好都合なんだ。言ってみれば向こうには、こっち側の組織の手は回りにくい。警察も、たぶん咲夜家もね」
「あ、そっか。そういう見方も有るんだ!」
「ま、高飛びするみたいなものかな」
 そう言って晃司は笑った。美咲と詩織は、素直に感心しているらしい。
「ま、この時期の九州だと温泉だね。実は僕、こう見えても温泉も好きでね。いい温泉知ってるんだ」
「……なんか、目がエッチ」
「え? いやいやいやいや、そんなことはないよ」
 そんな調子で、美咲と晃司は温泉の話で盛り上がり始めた。その様子を拓也は妙に冷めた目で眺めていた。
(晃司の奴、うまく乗せたな)
 もはや晃司が九州に向かおうとしていたのは明白だ。月政府の勢力圏に忍び込む危険度と、地球政府の勢力圏で警察等の組織の手から逃れる事を考えた場合、どちらにも大して差はない。
(……一体何を隠しているんだ?)
「拓也さん、どうしたんですか?」
 それまで晃司と美咲のやりとりを聞いていた詩織が、拓也の顔を覗き込んだ。
「え?」
「なんだか恐い顔してましたよ」
 そう言って詩織は微笑む。
「そうかな? ちょっと考えごとしててさ」
「ふーん。それならいいんですけど」
 拓也の言葉を詩織は素直に信じたようだ。少なくとも、疑うような表情は浮かべていない。
「ね、拓也さん。学校って行ってました?」
「学校?」
 唐突な質問に驚きながらも、
「あぁ、行ってたよ。高校中退したけど」
「どんな所でした?」
 期待の二文字を瞳ににじませ、詩織はなおも尋ねる。
「そうだなぁ……」
 何か話すような事はなかったかと意識をめぐらせるが、これといった出来事が思い浮かばない。
「……いろんな奴が居て、適当に過ごしてた様な気がする。雇兵訓練所時代は、カリキュラムにひたすら追われてた気もするし。詩織って学校行ってなかったの?」
「ううん。行ってましたよ。と言っても、咲夜家が運営する私立の学校……って言うより、学校みたいなところ、でしたけどね。」
「へーぇ。咲夜家ってそんなモンまで抱えてるのか」
「でもね。通ってるのは咲夜家の血族ばかりだから、ほとんどの生徒が咲夜って名字なの。だから、名字じゃなくて名前で呼び合うんですよ」
 詩織の言葉を聞き、拓也はくだらない光景を想像した。何十人もの生徒が横一列に並んでいて、胸には「1ねん1くみ さくや」と書いた名札。「咲夜さん!」と先生に呼ばれ、皆が一斉に「は〜い」と返事する……
「……そりゃちょっと珍妙だな」
 言葉を選びながら、拓也はそんな風に評した。
「文化祭とか運動会どころか、クラブ活動もないんです。ちょっと変でしょ?」
「んー。変と言えば変だけど、進学校だったらそう言うことも有るかもな。クラブがないまでは行かないにしても」
「ですよね? たまに本とか入ってるくるのを読んでて、『私達、絶対に変だ』ってずっと思ってたんですよーっ!?」
 自分の言葉にうんうんと頷きながら、詩織は言った。
「たまにって……一体どこにあったんだよ、その学校」
 詩織の話からすると、本屋もないような僻地でずっと過ごして来たとしか思えない。
「京都です。全寮制で、休みの日でも学校の外には一歩も出して貰えないんです」
「んな前時代的な……」
 呆れたように拓也は苦笑した。ここまで来ると何かの冗談としか思えない。
「……そうなんですよね」
 それまでの口調ががらりと変貌し、ぽつりと詩織が呟いた。
「全然進歩してないんです。あの家の人達って」
「……ぷぷっ」
 不意に拓也が吹き出した。それを詩織が咎めるような目で睨む。
「あ、いや。悪い悪い、話は真面目に聞いてるよ。たださぁ、なんか表情の変化が面白くてさ」
「……表情の変化、ですか?」
「そう、それ。今も、怒ってたかと思ったらもう違う顔になってる。晃司がいつもクールに気取ってるし、こういう人と話するのも久しぶり……いや、初めてかなとか思って。笑ったことは謝るよ。ゴメン」
「あ、別にいいです。ふーん、面白い、かぁ……」
 詩織は一人納得したように呟き、嬉しそうにはにかんだ。
(……誰だよ、人見知りするって言った奴は)
 この屈託のない笑顔を、今日初めて逢った男に見せるこの少女が、人見知りするタイプだとはとても考えられなかった。


 時は前後する。
 --------京都。
 広々とした板の間に、二人の女性が座している。一人は四十過ぎ程、もう一人は白髪である以外は十代にしか見えない女性、というより少女である。
 四十過ぎの女性の名は咲夜静香。詩織と美咲の母であり、現在の咲夜家当主である。
「詩織と美咲が失踪したそうです。志帆から報告がありました」
 静香は別段慌てた様子もなく、淡々と報告した
「拉致ではなく、失踪か?」
 白髪の少女が尋ねる。
「はい。近衛は志帆と由香を除いて全滅しましたが……」
「構わぬ。今の近衛には何の価値もない」
 そう言い放ち、少女はスッと立ち上がった。
「必要となる時に、我々の許に居さえすればそれで良い。多少好きにさせておいた方が、いざと言うときに逆らわないものだ。制御できる程度の出来事ならば問題はない」
「仰せの通りで」
 しばしの沈黙。
「……自分の娘を殺せるな?」
 少女が尋ねた。
「はい。それが桜花様の意志、ひいてはこの世界のためならば」
 間髪入れずに静香はそう答える。言葉に迷いはない。
 その返事に、少女----桜花は満足げに目を細めた。


「はっはとひくのひょーうぉんせんひょー!」
「どうしてコイツはこんなに酒癖が悪いんだ!!」
 もはや正気とは思えない美咲を背負い、拓也はヤケクソになって叫んだ。
 美咲が水と思って飲んでいたのは、実は日本酒だったらしい。店主曰く、
「うちには水道水か酒しかない」
 とのことだ。
「確かに元は水かもしれねぇけどなぁ……」
「いやー拓也、悪いねー」
「拓也さん、ごめんなさい……」
 全然悪びれた様子を見せない晃司と、必要以上に萎縮する詩織がやけに対照的だった。背中の美咲が暴れようとしないのがせめてもの救いだった。
「肉体労働は男の仕事。いやー、拓也君かっこいいね」
「オメーも男だろうが!」
「ううん。ボク女の子〜★」
 怒鳴る拓也に脅えるように、晃司は腰をくねらせて見せた。
「いつか殺す!」
 そんな拓也を目の当たりにし、詩織は思わず吹き出してしまった。
「で、これからどこへ行こうか?」
 急に冷めた口調で晃司が尋ねた。
「どこへも何も、九州へ行くんだろ? 峰誼とか言う連中に会いに」
「……峰誼? どうして拓也さんが峰誼を知っているんですか!?」
 驚いたように尋ね返したのは詩織だった。
「……後で話すよ。違うか? 晃司」
 拓也に問いつめられ、晃司は苦々しい表情で頷いた。既に先程のおどけた表情はない。
「ああ。そうだよ」
「隠すようで悪かったが、理沙さんから峰誼って連中に会うように勧められてはいたんだ。」
「拓也、僕は……」
 何か言いかけて、晃司は口をつぐんだ。拓也の睨み付けるような視線を真っ正面から受け、とっさに目をそらす。
「確かに僕は姉貴と画策している事がある。それは認めるよ」
「……俺と晃司が出逢ったのも、仕組まれたことだったのか?」
「それは違う!」
 間髪入れずに晃司は否定した。
 三年前、初任務に失敗してチームを解散したばかりの拓也に、人手が欲しいからと声をかけたのが晃司だった。その時は十数人程の人数を集め、ちょっと大きめの作戦をこなしたのが、結果としてこの作戦が、拓也がそれ以後晃司と組むきっかけとなった。
「僕らの目的が何であるにせよ、それ以前に拓也は僕の友人だと思ってる。これだけは信じて欲しい」
 晃司の言葉に、拓也は溜息をつき、そして肩を小さくすくめて見せた。
「……俺は自分を信じろって言う奴ほど信じない主義なんだ」
 それを聞き、晃司の表情が絶望的に暗くなる。だが、それに構わず拓也は言葉を続けた。
「が、今回ばかりは信じることにするよ。で、峰誼って連中は何者なんだ?」
「峰誼は咲夜と同じ、一族の名前なんだ。と同時に、宗教団体の名前でもある」
「宗教団体?」
「ああ。宗教団体と言うよりはコミューンと言った方が正しいかな。来るべき時のために、己の魔力・霊力を高め、優れた戦士たることを目指しているらしい」
 特に感情を表に見せるでもなく、割と淡々とした口調で晃司はそう語った。
「来るべき時って何なんだよ?」
「月と地球の……と言うより、咲夜家と橘家の全面戦争さ。そうだろ? 詩織ちゃん」
 唐突に尋ねられ、詩織は明らかに躊躇しているようだった。が、やがて観念したように頷く。
「……はい。実質上地球を支配している咲夜家と、同様に月を支配している橘家。ともに精人の末裔である両家による、この世界の覇権を巡っての最終戦争……それが、今起こっている戦争の正体です」
「今の戦争はまだ前哨戦に過ぎない。けど、そう遠い時じゃないんだ」
「どうして判るんだ?」
 晃司の言うことが事実だとしても、その最終戦争が近いという保証はない。現にここ二ヶ月ほどの戦況は、地球側がやや押し返している状態だ。
「そういうルールらしい。咲夜家大君・桜花、橘家総帥・橘花(キッカ)。その二人が、この世界に降り立ってから、二千年以内に雌雄を決する……この戦争は、彼女たちのゲームに過ぎないのさ。この世界での勝負が付けば、彼女らは自分の子孫にこの世界の覇権を与えて、また違う世界でゲームを始める」
「ちょっと待てよ!お前の話を聞いてると、その桜花とか橘花って、まだ生きてるみたいじゃないか!!」
「そうです。生きてるんです」
 言葉の主は詩織だった。
「全ての生命を持つ存在は、本来の世界と異なる時間の流れを持つ世界で過ごす限り、肉体の成長や老化は一切ないらしいんです。私も話を聞いただけだから、詳しくは知らないんですけど……とにかく、桜花様は今も生きています」
 二人の言葉を儀魅するように拓也はしばらく黙り込んだ。二人も拓也の言葉を待っているのか、口を開こうとはしない。
「……で、俺達はこれからどうするんだ?」
「九州へ行く。どのみち、近いうちに拓也を峰誼の人達に引き合わせておこうと思ってたんだ」
「言い訳くさい言い方だな」
 明らかに言葉に刺を込め、拓也がぼそっと呟いた。先程は信じると言ったが、完全にと言うわけではないらしい。
「自分でもそう思うよ。まさか咲夜の関係者も一緒になるとは思わなかったけどね」
「……そういや、詩織からも峰誼について聞いておきたいな」
 そう言って、拓也は背後を着いてくる詩織の方を振り返った。
「峰誼家は咲夜家と同じ、精人の末裔の一族です。咲夜家にも橘家にも属さない、完全な中立勢力なんですけど、始祖である峰誼さん本人はもう亡くなっているそうです」
「死んでる? 違う世界にいる限り不死身じゃ無いのか?」
「いえ。肉体の老化が止まるだけで、致命傷になるような怪我をある条件の下で負えば、死ぬことも有るそうです」
「ふーん……」
 晃司の言うことなら冗談かとも思えなくもないが、詩織が言うとまるで嘘に聞こえない。人徳なのか、それとも別の何かなのは判らないが、拓也は妙に納得した。
「で、ある条件って?」
「二つ有るんです。一つは誰かの意志によらない怪我……例えば高いところから落ちたりしたときの怪我。もう一つは、精人に与えられた怪我の場合です。それ以外の場合は、致命傷と言っても元の世界に強制送還されるだけだそうです」
「て事は、俺達が何をやろうが、そいつらは死なないって事か」
 そう言って拓也は小さくため息をついた。人殺しが好きなわけではないが、不死身の相手に勝てる気はしない。
「はい、でも二度とこの世界に来ることは出来なくなるそうです。全ての存在は、あらゆる世界と結びつく鎖を持っていて、それを断ち切られるとその世界とのつながりが失われます。この世界の人間が与えた傷は、この世界と結びつくための鎖を断ち切りますし、同じ世界に住む者から与えられた傷で鎖の一番根元を失ったとき、その存在は滅びるそうです」
「なるほどね……大体のところは判った。要は精人ってのは俺達がどうこうしても死ぬことはない。でも、もうこの世界に干渉することは出来ないって言うんだろ?」
「はい」
「それじゃ最後に。今、精人ってのは何人くらい生きてるんだ?」
「えっと……咲夜家始祖・桜花様。橘家総帥・橘花様。この二つの勢力に属さない存在として、桜花様の妹の樹華(ジュカ)様。他に、この三人の方々の部下の人が何人か居ますので、全体としては二十人程の筈です。中でも、今名前を言った方々とその血族の人達の力は飛び抜けています」
「詩織ちゃん達も含めてね」
 それまで詩織の話に耳を傾けていた晃司が言った。
「咲夜家の人間の力は、並の術者の非じゃない。単純に霊力だけで勝負したら、まず勝てないね」
 晃司はそう言うが、その割にはあまりせっぱ詰まった印象は受けない。いつものことと言えばいつものことだが、拓也は何かを感じとっていた。
「手はあるのか?」
「いくつかね」
 あっさりと答えた晃司に、詩織が驚きの表情を浮かべた。
「まぁ、今は話せないけどね。精人も含めて、勝てない相手じゃないさ」
「……お前がそう言うんなら大丈夫だろ。で、これからどうする?」
「峰誼の人達は九州島の大分地区に居る。となると瀬戸内海から海路ってのが無難だろうね」
「そうだな、それで行こう」


 後に詩織は回想することになる。
 西暦2021年二月二十七日。この日が全ての始まりだった。
To be continued.
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