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 月政府が地球に対して戦線布告してから、既に十四年の歳月が過ぎていた。戦況は慢性化してはいたが、かと言って休戦協定が結ばれているわけではない。
 開戦直後に占領されて以来、月政府の支配下に置かれているオーストラリア地域(オーストラリア大陸、ニュージーランド諸島等)は最大の激戦区と化していた。オーストラリア地域は軍事施設を含む宇宙開発施設を多数擁しており、ここを月政府軍に押さえられている以上、地球政府軍は月への侵攻は不可能である。
 それだけではない。偏った資源しか採掘できない月側にとって、オーストラリア大陸の多種多様の豊富な資源は極めて重要な意味を持つ。この大陸を押さえることができていなければ、十四年もの長期にわたる戦争は継続できなかっただろう。
 後手に回ることになった地球政府軍だが、やがて一人の鬼才が頭角を表わした。第三次オーストラリア遠征軍の一部隊を率いていた人物で、名を春日琢巳という。彼は独自のコネクションを活用して、正規軍に私兵軍、つまりは雇兵を組み入れることで多大な戦果を挙げ、一時はニュージーランド諸島の半数を占領するに至った。指揮官としても有能であった春日だったが、権力争いに巻き込まれて後方任務へと左遷。結局ニュージーランド諸島は再度奪われたものの、それ以後も庸兵部隊は地球政府軍の一翼を担っている。
 そして西暦2020年。月政府軍は地球首都である日本地域への進軍を開始。四国島・九州諸島を含む兵庫地区以西を怒涛の勢いで制圧。

 だが、物語の序幕はそれよりも数年遡ったところから開く。


Moonshine <Pray and Wish.>

Episode 1 私達がまだ何も知らなかった頃



 夢を見ていた。
 小さい頃の思い出。時折しか触れる機会のなかった母の温もり。
 双子の妹と二人で支えあっていなければ耐えられなかったであろう、涙を流すことさえ許されなかった修行の日々。
 どうしてこんなことをしなくちゃいけないの?
 返ってこない問を投げかけ続けた子供時代。
「いずれ来る戦いのためなのよ」
 そんなのは答えじゃない。どうして私たちなの?
 咲夜家の次代当主として。
 私はお友達が欲しいの。
 咲夜家の次代当主として。
 いろんな所へ行きたいの。
 咲夜家の次代当主として。
 私はなんなの?
 咲夜家の次代当主として……

 まどろみの中、意識が明瞭になりはじめる。目が覚めたという意識と、まだ眠っていると感じる心が混じりあい、けだるいという感情に置き換えられる。が、その感情はすぐに「起きなきゃいけない」という義務感へと昇華し、詩織の身体を突き動かす。
 もうすぐ夜明けが来る。それまでに修行場へ行かねばならない。詩織はさっさと着替えを済ませて布団を押し入れにしまうと、足早に部屋を後にした。
 もはや夢のことなど忘れていた。

 玄関のところで、美咲と鉢合せになった。美咲と詩織は双子の姉妹で、一応は詩織のほうが姉ということになっている。
「オハヨッ!」
「おはよう美咲ちゃん、今朝は早いのね」
 いつもは美咲の方が五分ほど遅れて修行場へと到着する。今朝のようにに二人同時にということは珍しいことだ。
「違うよ。詩織が遅いんだってば」
「え?」
 慌てて詩織は玄関脇の置き時計に目をやる。確かにいつも見る時間よりも、若干針が進んでいる。その間に美咲は玄関の扉を開き、
「んじゃ、あたしは先に行くからね」
 言うが早く、修行場となっている神社へ向けて走り出した。
「あ、待って!」
 詩織も急いで靴を履き、その後を追って走り出す。先に走っていた美咲は、詩織が家を出てきたのを後ろ目で確認すると、走るスピードをさらに上げた。詩織も負けじとそれを追う。

 修行場に着いた二人を、母が待っていた。
「おはよう。それでは朝の修行を始めます」


 いつからか詩織は、そんな生活をあたりまえだと感じるようになっていた。




  咲き誇った後はやがて散る運命にあれど、花は花開くことを放棄しない。
  例えそれが、誰かの手によって作為的に導かれた開花であっても。
「迷走への幕開け」


 西暦2021年二月。地球首都日本地域、大阪地区。
 安マンションが立ち並ぶ下町を、鳳拓也は相棒の江藤晃司と二人で歩いていた。二人とも庸兵で、少し大きめの作戦をこなした帰りである。土曜の夕方だからか、街のあちらこちらに若いカップルが腕を組んで歩いている。車で一時間も走ればすぐに戦場だと言うのに、街はいつもの喧噪を忘れようとはしていないらしい。
 拓也は身長170cmを少し過ぎた程度の身長。髪は短くはないが長くもない。バンダナを鉢巻きのように巻いている。アーミーっぽい服装の上に、薄手の黒いトレンチコートを羽織っている。そのせいで体格はよく判らないが、適度に引き締められた体つきであるくらいは判る。一方、晃司の方は拓也より拳一つ分ほど背が高いが、体つきは若干細目だ。長い髪を後ろで一旦縛り、それを背中に垂らしている。服装は拓也と似たような感じだが、コートの色は濃い目のグレーだ。
「ちょっと今度の作戦はハードだったな」
 刀を片手に拓也がぼやいた。この刀も今度の作戦でかなり刃こぼれした。そろそろ買い換え時かもしれない。
「その代わり報酬は充分だったじゃないか。とりあえず金にはしばらく困らないだろ」
 男性にしては長い髪を掻き上げながら相槌をうち、晃司は煙草に火を点けた。
 晃司は分類上は魔術師だが、本人はそう呼ばれるのを嫌い、もっぱら「スナイパー」と称している。射撃の腕は確かで、魔術の心得も充分にある。
 一方、拓也は霊剣士と分類される庸兵で、刀と神霊術を武器にフォワードで戦う。かつては晃司の姉に剣術を師事していたこともあり、今では実戦でそれを我流にアレンジしている。
 その晃司の姉、理沙は十二歳だった十二年前に行方をくらまし、八年後に晃司の元へ帰還。晃司と拓也が出会うのはそれからさらに一年後、二人が十八歳になった頃である。拓也の方が雇兵としては三ヶ月ほど先輩で、初めて組んだチームを解散した直後だった。以来二年間は三人で仕事をしていたが、一年前に「事情があるから」と言って理沙はチームを抜けた。
 だが、行方をくらましていた八年間のことを、理沙は拓也にあまり語ろうとはしなかった。理沙と晃司の祖父が剣道場を開いていたせい、というだけでもないだろうが、剣技は達人。魔術にも長じており、知識だけだが神霊術にも造詣が深かった。
 今にして思うと、謎も多い女性だった。

 神霊術と魔術とは異なる力だとされているが、真実は明らかになっていない。魔術は十九世紀半ばに大きく分類・系統化され、今日では一種の学問として成立しているが、神霊術は流派が細分化しすぎているためそういう動きはない。実際のところ両者の違いといえば、主に魔術は西洋で、神霊術は東洋で発達したせいか、術を発動する際の発声が欧米系言語か極東系言語かの違いくらいしか判っていないというのが実情である。
 両者に共通しているのは、これらの術を習得するのには生まれつきの才能が必要であるということくらいだとされている。そのため、過去には術を使える人間、術者を「選ばれた民」だとする選民思想が流行したこともあったが、今ではそういう事を唱えるのは異端の宗教関係者くらいである。
 神霊術を用いる人間を「霊術士」(メインが剣技であれば「霊剣士」)、魔術を扱う人間を「魔術士」(同じく「魔剣士」)、術を使える人間を総称して「術士」と呼ぶ。
 魔力(または霊力)を身につけるには、魔導水晶と呼ばれる鉱石が必要である。これらは天然に採れるものもあるが、多くは人工結晶のものが用いられる。魔力を得ようとする人間の身体(別にどこでもよい)に切り傷を入れ、傷口に魔導水晶を付ける。ここでもし、生まれつきの才能に恵まれていなければ、魔導水晶に変化はないが、そうでなければ魔導水晶に血液が付着すると同時に、傷口に溶け込むように魔導水晶が同化する。
 これで魔力が発動できるようになる。あとは各自で修行なりなんなりしてその力を伸ばしていくのだ。ちなみに、天然の魔導水晶のほうが強い魔力が身に付くため、天然ものは極めて高い値で取り引きされている。
 なお、稀に魔導水晶との同化の際に拒絶反応を起こす者もいる。魔導水晶は埋め込めば埋め込むほど魔力が強くなるが、その分拒絶反応を起こす可能性は高くなる。
 さらに、ごく稀にではあるが、魔導水晶の必要無しに魔力・霊力を発動できるものがいる。これらには遺伝などの要素があると言われているが、事実はまったく明らかになっていない。そして、拓也もそういう類の霊術士であった。

 マンションの階段を五階まで上る。
「ったく。エレベータくらい付いてる所に住みたいモンだね」
 近くのコンビニで買い込んだ、弁当などの入った袋を片手に拓也はぼやいた。
「それじゃ君、家賃の半分くらい払う気は有るか?」
「イヤだ」
 間髪を入れずに答える。
「じゃあ文句言うんじゃないよ……ん?」
 階段を上りきったところで晃司は足を止めた。二人の部屋の前に、誰かがうずくまっている。後から上ってきた拓也も気付いたらしい。長い髪を後ろで結っている。体格も考慮に入れると、九割以上の確率で女性だろう。
「……様子を見てくる」
 コンビニの袋を晃司に押しつけ、拓也はゆっくりと部屋へと足を進めた。刀の柄には手をかけていない。狭い廊下では刀の方がかえって不利だ。
「気を付けろよ」
 と言う晃司に、拓也は背中越しに親指を立ててみせる。
 一歩、また一歩。拓也は女性へと近づいていく。こちらに気付いた様子はない。
 廊下の柵にもたれ、女性は眠っていた。実戦を意識してか下半身にはズボンを履いており、上半身にはナイフを納めておくらしいベルトが巻いてある。服装から見る限りでは一般人とは思えない。どう見ても拓也達と同じ、雇兵の類だ。
 そこまで観察して、拓也は女性の脇腹の辺りに赤黒い染みを発見した。傷口からして、銃で撃たれたらしい。
「晃司、来てくれ! 怪我してるらしい」
 駆けつけてきた晃司と二人で女性を抱え、部屋へ入る。
「……呼吸が荒いな」
 晃司が呟いた。

 女性の手当を晃司に任せ、拓也はシャワーを浴びていた。
「俺の知り合いじゃないよな。晃司が知ってるふうでもないし……」
 一見した限りでは歳下には見えないが、拓也達とそう大して変わらないだろう。だが、どんなに考えても見覚えのある顔ではない。
(親父の知り合いか?)
 拓也の父、鳳一馬はその筋では有名な考古学者だった。専門以外の知識も豊富で、各方面に顔も広かった。だがその父は四年前、当時高校二年だった拓也を遺し、飛行機事故で逝った。四十五歳だった。
 母の顔は知らない。写真なども一切残っていなかった。どこかで生きているとは聞いているが、逢いたいとは思わなかった。思慕も怒りもない。何の感慨もないのだ。
 しばらく考え込み、拓也は拓也は首を振った。
(親父の知り合いが、俺がここに住んでるなんて知ってるわけないか)
 実家は既に処分している。高校を中退し、雇兵訓練所に入所してからは、誰かに連絡先を教えた覚えもない。
 考えがまとまらないまま、拓也は浴室を出た。リビングでは晃司が缶ビールを片手にテレビのニュースを眺めている。テーブルの上に先程買い込んできた弁当や総菜が並んでいる。
「彼女、どうだった?」
 拓也もテーブルの前に座りこみ、弁当の蓋を開けた。
「出血の割には軽傷だね。銃創は残るだろうけど、弾は貫通しているし命に別状はないだろう。気を失っていたのは、単なる疲労じゃないかな」
「そうか……で、晃司の知り合いか?」
 拓也の問いに晃司はしばし首を傾げ、
「いや、僕は知らない。てっきり拓也の知り合いかと……」
 二人が考え込んでいると、寝室の扉が開いた。二人が目をやると、そこには先程の女性が立っていた。
「……ここは?」
 女性が口を開いた。
「ここは僕たちの住んでいる部屋だ。とりあえずまだ寝ていた方が……」
「貴方の部屋って……ここは江藤理沙の部屋じゃないの?」
「理沙は僕の姉だ。今は違うところに住んでいる。いいから寝てた方がいいよ」
 だが女性は晃司の言葉には耳を貸そうとはせず、拓也達の隣に座ろうとした。そんな彼女を晃司が制する。
「OK、判った。君の話は寝室で聞く。だから今は寝てるんだ」
 女性は頷き、晃司の肩を借りて寝室へと戻った。

「で、綺麗なお姉さん。貴女の名前は?」
 女性をベッドに寝かせ、その脇で晃司が尋ねた。拓也もすぐ隣に座り込んでいる。
「……北嶋由香。理沙とは三年前まで一緒に仕事をしていたわ」
 三年前というと、行方をくらましていた理沙が戻ってきた頃である。
「悪いんだけど僕達は八年前から三年前までの間の姉貴が、どこで何をしていたのか知らないんだ。その辺から話して貰えれば有り難いんだけど」
「……それは言えない。とにかく理沙を呼んできて」
 事務的な口調で由香はそう答えた。
「おやおや。ずいぶん勝手ですね」
「まぁ待てよ晃司」
 態度を硬化しかけた晃司を拓也が制した。
「……北嶋さん、でいいかな?」
「由香、でいいわ」
「じゃあ由香。理沙さんは今、正規軍に所属している。このご時世で彼女ほどの腕だ。今じゃ結構出世して、それなりに責任のある立場にいる」
 拓也の言葉を由香は無言で聞いている。
「いくら昔の知り合いとは言え、『来てくれ』と言われてすぐに来れる訳じゃない。それは判るだろ?」
「事態は一刻を争うのよ」
 憮然とした顔つきで由香は答えた。
「それは由香の方の都合だ。ちなみに、事と次第によっては俺が力を貸してもいい」
「なぁ拓也……」
 何か言いかけた晃司を拓也が手で制する。
「……貴方が味方だとは限らないし、そこの人が理沙の弟だっていう保証もないわ」
「同じように、由香が理沙さんの知り合いだっていう保証もないわけだ」
 それからしばらくの間、無言が続いた。拓也と由香の視線が正面からぶつかりあう。
「……判ったわよ。全部話すわ」
 それからの由香の話を要約するとこんなものだ。
 由香はある霊術士の一族に仕える私兵で、理沙とはその一族と私兵が住む屋敷で一緒だった。だが、伝統としきたりを重視しすぎる一族のやり方に嫌気が差し、理沙は三年前にそこを去ったのだと言う。
「で、今頃になって姉貴になんの用なのかな?」
「助けて欲しいの。屋敷のある山を完全に包囲されてて、攻め込まれるのも時間の問題なの」
「由香の見込みでは、どれくらい保つ?」
「良くて二、三日。最悪でもあと半日は保つと思うわ」
 拓也の質問に対し、由香は苦々しい表情でそう答えた。しばらく拓也は考え込み、
「………判った。理沙さんに連絡を取ってみよう」
 そう言ってベッド脇にあるコードレスホンを手に取る。
「おい拓也……」
「いいから」
 数回の呼び出し音の後、聞き慣れた声が聞こえた。
『はい。こちら江藤』
「あ、拓也です。いきなりですけど、ちょっと話して欲しい人が居るんで替わります」
 そう言うと、理沙の返事を待たずに受話器を由香に手渡す。
「……久しぶりね。理沙」
 そう切り出し、由香は理沙に事情を話した。
「うん、そう。もう時間がないの……でも!」
 由香側の言葉しか判らないが、どうも話は難航しているらしい。
「さっきの話は本当だったらしいね」
 晃司が拓也に耳打ちする。その間にも由香の話は続いていた。
「……そんな! だけど…………えっ? 嘘……」
 由香の顔色が変わった。明らかに驚愕の表情を浮かべている。
「うん。……えぇ、判ったわ」
 そこで由香は話を止め、拓也に受話器を差し出した。
「理沙が貴方にって」
「俺に?」
 言われるままに拓也は受話器を受け取る。
「はい、俺です」
『あっ、拓也? 悪いんだけどさぁ、由香の手助けしてやってくれない?』
 言葉とは裏腹に、明るい口調で理沙は言った。
「俺達が? でも由香の様子じゃ俺じゃ駄目みたいなんですけど……」
『その辺は話を通しておいたから大丈夫よ。それじゃね〜』
「え、ちょっと!?」
 だが、通話は既に切れていた。後はツーツーという音が聞こえてくるだけである。
「ったく、相変わらず強引なんだから……」
 ぼやく拓也を見て、由香が笑みを漏らした。
「あら、手を貸すつもりじゃなかったの?」
「まぁ、いいけどさ……。で、俺はどこに行けばいい?」
 由香はポケットから折り畳んだ地図を取り出し、掛け布団の上に広げた。
「ここよ。この山へ向かって欲しいの」
 そう言って地図の上の一点を指差す。拓也達が今日戦ってきた戦場から割と近いが、交通の便はいいとは言えない。
「……足が要るな」
「裏に私が乗ってきたバイクがあるわ。運転できるでしょ?」
「ああ」
 拓也が頷いたのを確認して、由香はバイクのキーを差し出した。それを受け取り、拓也は立ち上がる。
「で、俺は何をすればいい? まさか一人で山を包囲する連中を全滅させろとでも言うのか?」
「そうしてくれれば有り難いけどね。ま、屋敷まで行けば判るわ」
「拓也、僕も行こうか?」
 座ったままで拓也を見上げ、晃司が尋ねた。
「いや、晃司は由香を病院に運んでくれ。ちゃんと手当して置いた方がいいだろ」
「判った。気を付けろよ」
 晃司の言葉に頷き、拓也は部屋を後にした。

 バイクで約一時間。拓也は言われた山のすぐ近くまで着いた。民家の陰に身を潜め、様子をうかがう。戦場が近いので疎開したのか、民家はもぬけの殻だ。乗ってきたバイクは、敵に見つからないように少し離れたところに停めてある。
「なるほどね。由香の言ったとおりだ」
 山の周囲を大勢の兵士が包囲網を敷いている。服装からして月政府軍の連中らしい。山と言っても、そんなに大きいものではなく、丘と言った方が正しいような山だ。連なる山が有るわけでもなく、数百人の兵士もいれば充分に取り囲める規模である。
 正面に長い石段があり、それを登り切ったところに建物がある。あれが由香の言っていた屋敷なのだろう。
「……突っ切った方が早いな。でもなんで月政府軍が居るんだ?」
 ざっと見た限りでも、術士部隊・狙撃部隊を中心に数十人の兵士が居る。山を取り囲んでいることを考えると、この四〜五倍は居ると思っていいだろう。
「考えるのは後にするか。とりあえず包囲網を突破しないとな」
 刀を抜き、呼吸を整える。集中力が充分に高まったところで、民家の陰から飛び出て、全力で石段へと走る。
「誰だ!!」
 五秒ほど走ったところで敵兵の一人が拓也に気付いた。だが拓也は走るスピードを緩めず、刀を下段に構える。
「爆地疾走!!」
 刀を全力で振り上げ、神霊術を発動する。刀から放たれた衝撃波は地面を引き裂くように敵陣で炸裂する。それと同時に砂塵がもうもうと巻き起こり、周囲を覆い隠した。その中を拓也は全力で駆け抜ける。
「畜生っ! なんでこんな長い石段を登らないといけないんだよ!!」
 と言いつつも石段を駆け登り始めた拓也の前に、銃を構えた兵士が五、六人ほど立ちふさがった。一斉に銃口を拓也に向け、引き金に指をかける。
 だが、拓也はそれよりも速かった。
「紫電瞬飛!」
 かけ声の直後、拓也の姿が消えた。そして次の瞬間には兵士達の背後に立っている。兵士達がそれに気付くより速く、拓也は手近にいた兵士の背中を蹴り飛ばす。
「雑魚は引っ込んでろ!」
「げふっ!?」
 素っ頓狂な声を上げたかと思うと、拓也に蹴られた兵士は仲間を巻き込みながら石段を転げ落ちてゆく。それを尻目に拓也は石段を一気に駆け登っていった。
 そんな拓也の様子を屋敷から眺めている人物が居た。
「見覚えの無い人ね。咲夜近衛隊の者でもないようだけど……」
 彼女は誰にともなく呟き、眼下の石段を駆け登っている青年の観察を続けた。
 咲夜近衛隊とは、類稀なる力を持つ神霊術士の一族、咲夜家の人間を護衛する為の組織で、一騎当千の強者ぞろいの部隊である。いや、部隊だった。彼女、咲夜志帆は彼らに護衛される立場の人間であると同時に、この部隊を統括する立場の人間でもあった。
 その時、バラバラという音が耳に入った。窓を開け、音の発生源を調べようとしたとき、部屋の扉が開き、近衛隊の一人が飛び込んできた。
「何事です!?」
「つ、月政府軍の空挺部隊が、中庭への降下を開始しました!」
 先程の音は、ヘリコプターの音だったらしい。志帆は下唇を噛み、顔をしかめた。ここ数時間、敵の動きがなかったためか、明らかに油断していた。こういう戦略は充分に考えられたはずだ。
「全近衛兵を詩織様と美咲様の部屋に集結させなさい」
「了解しました!」
 篭城なんて、援軍を前提にした作戦でしかないのは判っている。だが、他に手は無いのだ。屈強を誇った咲夜近衛隊も、今や正規の隊員は全盛期の三割に満たない。かつての隊長クラスの実力の持ち主となると、片手で充分に数えきれる程度だ。今の近衛隊を構成しているのは、その多くが金で動く雇われ兵に過ぎない。それさえも、これまでの戦闘で半数以下まで数が減った。志帆が最も信頼を寄せていた部下も、乱戦の中で行方不明となっている。
(……けど、それでも戦力が皆無と言うわけじゃないわ)
 分家の人間である自分の身は構わない。だが、次代当主である詩織と美咲の二人だけは、なんとしても守り通さねばならない。
 皆の待つ部屋へと足を進めながら、志帆は先程の青年のことを考えていた。
 彼は誰?

「ちっ、空挺部隊かよ。急がないと……!」
 やっとの思いで石段を登りきった拓也の前に、寺にでもありそうな巨大な門が立ちふさがった。試しに押してみるが、びくともしない。
「時間がない。ちょっと荒っぽく行くか」
 刀を構え、霊力を集中させる。
「虎狼砲!」
 バスケットボール大の霊力の塊が門へと放たれ、爆裂する。大きな爆発音と共に、門に大人一人なら楽に通れるほどの大きな風穴が開いた。そこをくぐり、拓也は屋敷の敷地内へと足を踏み入れる。
「さっきの空挺部隊は……」
 とりあえず頭上を見上げる。先程のヘリは既に帰還したのか、姿は見えない。だが、どこからか乾いた音が響いてくる。
(銃声?)
 音は拓也の右手の方から聞こえてきた。迷わず音の聞こえてきた方向へと走る。
 近づくにつれ、音は上の方から聞こえてくることに気付いた。戦場は二階らしい。
(階段を探してる時間はなさそうだな)
 拓也は建物に近づくと、目を閉じて大きく息を吸い、
「紫電瞬飛!!」
 顔を腕でガードしながら二階の窓へと跳躍した。そのままガラス窓を破り、部屋の中へ飛び込む。
「ちょっと手を切ったかな……」
 そう呟いて目を開いた拓也は、目の前に座っていた女の子と目があった。拓也と同じくらいの年頃だろう。色白で、髪は長い。突然のことに呆気にとられたのか、彼女はぴくりとも動かない。そんな彼女に惹きつけられてか、拓也も何故か動けなかった。
「ちょっとアンタ! いきなりなんなのよ!!」
 不意に左手の方から怒鳴り声が聞こえて、拓也は我に返った。と同時に部屋の扉が開き、銃を構えた人間が数人、なだれこんでくる。
「俺は鳳拓也! 北嶋由香の指示でここに来た!」
「由香さんの?」
 そう言って一人の女性が前に歩み出た。こちらは拓也より少し年上だろうか。髪は短く、動きやすい服装に身を包んでいる。拓也が観察している間にも、彼女は突きつけた銃を下げようとはしない。
「ああ。俺も詳しい事情は聞かされていないがな」
 そう前置きし、拓也は事情を簡潔に説明した。
「……判りました、貴方を信用しましょう。私は咲夜志帆。由香さんの上司にあたります。彼女は無事なんですね?」
 そう言って志帆は銃口を降ろした。
「ああ。怪我してたから、今は俺の仲間が病院に運んでいる。で、俺は何をすればいいんだ?」
「こちらのお二人を安全なところまで連れて逃げて貰えますか?」
 そう言って、志帆は傍らに立っている二人の女の子に目をやった。そのうち一人はさっき拓也と目があった長い髪の女の子だ。
「咲夜詩織様と咲夜美咲様です」
「咲夜……詩織です」
 志帆に紹介され、長い髪の方、詩織が拓也に一礼した。
「て、事はこっちが美咲……様?」
「やめてよ、様なんて。美咲でいいわ」
 尋ねた拓也に、美咲が少し怒ったように言った。先程の怒鳴り声は彼女のものらしい。顔つきは詩織そっくりだが、髪をポニーテールにまとめているのが活発な印象を与える。詩織に比べ、若干目つきが鋭く見えなくもない。
「この二人を連れて逃げるのはいいが、アンタらはどうするんだ?」
「私達はここで時間を稼ぎます。その間に出来るだけ遠くへ……」
(……こいつ、死ぬ気だな)
 志帆の口調から拓也はそう判断した。責任感が強すぎるタイプによくある傾向だ。
(自己犠牲を美学と勘違いしてやがる。生きてこそ機会は得られるってのに……)
 詩織も同じように判断したのか、心配そうに志帆の方を見つめている。美咲もどこか苦々しい表情を浮かべ、あさっての方に目をやりながら口元を歪めている。
 溜息を一つ付き、
「俺一人じゃ二人を守りきって逃亡するのは無理だな」
 拓也はあっさりと言い放った。
「仮に追手が来たとして、それを撃退する自信はある。けど、俺が戦っている間にこの二人を守り抜ける自信は無い。少なくともあと一人は必要だ。それも信用できる奴がな」
「では私の部下を……」
 だが、志帆が言葉を続けるより早く、彼女の部下達は廊下の戦場へと戻っていった。
「あなた達!!」
「やめとけ。そいつらは逃げた訳じゃない。それはアンタも判ってるんじゃないか?」
 その言葉に志帆はうなだれ、拳を握りしめた。彼らは、志帆に
「生きろ」と言いたいのだ。それは彼女自身、痛いほど良く判る。
「時間はないぜ。窓から降りる」
 言うが早く、拓也は手近にあったカーテンを引きちぎり、即席のロープに仕立て上げた。
「長さがちょっと足りないが、その分は飛び降りればいいな」
 カーテンの端を、窓際のベッドにくくりつけて外へと垂らす。
「まずは志帆、アンタからだ。その後に美咲と詩織。最後に俺が降りる。強度に不安があるから、一人ずつだ」
 拓也の指示通り、三人が次々にカーテンをつたって降りていく。最後に拓也が降りようとした矢先に、部屋の扉が乱暴に開き、月政府軍の兵士が数人飛び込んできた。
「窓から逃げたぞ!」
 兵士の一人が叫んだ。残りの兵士は、一斉に拓也の方へと殺到してくる。
「二人を逃がすな!! 残りは殺しても構わん!!」
 隊長格らしき男が怒鳴った。
「勝手な事を言ってるんじゃねぇ!!」
 拓也は素早く刀を抜き、突進してきた兵士の一人を一刀の下に斬り倒す。さらに、拓也に切りかかってきた別の兵士を、足払いで転倒させてから刀で刺す。
 そして、ある事に気付いた。今倒したばかりの二人の兵士の姿が、徐々にぼやけてきたのである。身体は半透明になり、徐々にかすれてゆく。拓也に襲いかかってきた兵士の中にも、それに気付いて明らかに動揺している者もいる。
「ぐぎゃぁ!」
 唐突に、兵士の一人が叫び声を上げた。つい今、動揺していた兵士である。拓也が目をやると、背後から味方の兵士に刺されている。
「……まだ我らの存在を知られる訳にはいかないのだ」
 刺した方の兵士がそう呟いた。
「殺せ!!」
 その号令で、しばし攻撃の手を休めていた兵士達が、一斉に動き出した。
 拓也の本能が告げている。ここはやばい! 一秒でも早くここから逃げろ! と。
「ちっ!」
 舌打ちし、拓也は窓の外へ身を踊らせた。それとほぼ同時に、懐から手榴弾を取り出して部屋の中へ放り込む。
「しまっ……」
 誰かの呟きは、爆発音にかき消され、最後まで拓也の耳には入らなかった。
(落ちるな、こりゃ)
 とっさに飛び降りたため、体勢は極めて悪い。後は打ち所が良い事を祈るしかない。 目を閉じて歯を食いしばり、衝撃に備える。
 と、その時、突風が吹いた。風は地上から真上に巻き起こり、拓也の身体を一瞬だけ跳ね上げる。風が止むのと、拓也が地上に落ちたのはほぼ同時だった。
「大丈夫?」
 美咲の声で目を開くと、彼女が心配そうに顔を覗き込んでいるところだった。
「……今の風は美咲か?」
「ううん。詩織よ」
 そう言って美咲は、自分の後ろに立っている詩織を指差す。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
 立ち上がりながら拓也は礼を言った。が、詩織は美咲の背後に隠れるようにして、拓也と顔を合わせようとはしない。
「ごめんね、詩織って人見知りするタチなのよ」
 美咲がそう説明する。と、その時、
「鳳さん! 新手が……」
 志帆の声に、拓也は彼女の指差す方に目をやった。今の爆発音のせいだろうか、数十人の兵士が一斉に、先程拓也が破壊した門をくぐって姿を現した。
「逃げ道はないのか!?」
「あの門しかないわよ!」
 半分怒鳴り調子で美咲が答えた。
「だったら作る!!」
 そう怒鳴り返し、拓也は近くの塀の方へと刀を向ける。
「爆地疾走!」
 拓也の放った術が屋敷を囲む塀の一端を完全に粉砕した。その向こうには、山の斜面と森の木々が広がっている。
「まさかここを突っ切れって言うの?!」
「文句は後で言え!!」
 露骨に嫌な顔をしている美咲に背を向け、拓也は真っ先に走り出した。


 どこをどう走ったかなんて、誰も覚えていないだろう。
 拓也達四人は皆が疲れはててはいたものの、日付が変わる頃にはなんとか晃司の部屋までたどり着いていた。美咲と詩織に到っては、玄関にたどり着いた時点で崩れ落ちるように眠ってしまった程だ。
 由香は晃司の手で病院に運ばれており、様子を見に行くと言って志帆は疲れをおして部屋を出ていった。あとは晃司と拓也が残っているだけである。
「由香の方の傷はひどくなかったよ。ただ雑菌が結構入り込んでいたらしいから、二、三日は様子を見た方がいいって医者が言ってた」
「ふぅ、なんとか一息つけそうだな」
 ビールを片手にソファに座り込み、拓也が溜息をついた。
「お疲れさま」
 いかにもお世辞と言わんがばかりの口調で晃司が言った。それを無視し、拓也はビールを飲み干す。
「……で、あの三人の女性は何者だい? 拓也が女性を連れ込むなんて考えにくいからね」
「ふん、お前じゃあるまいし。けど、名前以外はほとんど判らないのも確かだな。さっき出ていったのが咲夜志帆。今あっちで寝てるのが咲夜美咲と咲夜詩織。ポニーの方が美咲で……」
「咲夜?」
 晃司がおうむ返しに尋ねてきた。
「ん、ああ。確かそういう風に名乗ってた筈だぜ。どうも詩織ちゃんと美咲の二人はVIP扱いみたいだけど……知ってるのか?」
「……僕も少し聞いただけだけどね」
 そう前置きし、晃司は話を続けた。
 咲夜家というのは神霊術の始祖と呼ばれるくらいに歴史の古い一族で、その力は他流派の神霊術士の非では無いという。また、その霊力は血の内に受け継がれており、中でも直系の者に色濃く伝わるとされている。こうした性格上、必然的に第一子が家督を継ぐこととなっている。
「要するに、後から産まれた子供ほど受け継がれる霊力は少ないそうだよ」
 また、閉鎖的な一面も持っており、一部の人間達以外とは接触しようとしていないらしい。それが、神霊術士集団としての咲夜家の知名度が低い理由なのだろう。
「さっきも言ったけど、僕はちょっと聞いただけ。小耳に挟んだ程度だよ」
「それでもいいさ。で、その話が事実だとすると……詩織ちゃんと美咲のうち、どっちかが家督を継ぐ人間って事か?」
 拓也の問いに晃司は頷き、
「だろうね。見た所じゃあまり歳は変わらないようだけど……」
「同い年です」
 その声は晃司の背後から聞こえた。疲れていたせいで注意力が散漫になっていたのか、正面にいる拓也も詩織に気付かなかった。
「あの、今日は……ありがとうございました」
 そう言って詩織は拓也に頭を下げた。
「いや、俺こそ怪我しそうな所を助けて貰ったからな。お互い様だよ」
 照れているのか、苦笑混じりに拓也が答える。
「とりあえず、座ったら?」
 晃司が、拓也の隣を指差す。晃司の座っているソファは一人掛けだが、拓也のソファは三人掛けだ。十二分に余裕を持って座っても、二人は楽に座れる。
「えっと……そ、それじゃ失礼します」
 慣れない人間に囲まれて緊張しているのか、遠慮がちに詩織は拓也の隣に座った。隣と言っても、その間に一人分が座る程度のスペースは充分に空いている。
「で、今の僕たちの話を聞いていたみたいだけど」
 晃司に言われ、詩織は表情をこわばらせた。
「いえ! 別にそんなつもりじゃ……」
「あ、いや。変な意味じゃなくて、単に尋ねたいだけなんだ。同い年って以外は、僕の話が合ってたのかな、って思ってね」
 晃司も慌てて訂正する。それを見て詩織もいささか落ちついた様だ。
「はい。咲夜家については、良くも悪くもその通りです。局所的な側面ですけど……」
「で、同い年って事は双子かな?」
 晃司の問いに、詩織は頷いた。
「ですから、どちらが咲夜家の当主となるかはまだ決まっていないんです。女系一族と言うことも有って、今は私達の母が当主を務めています」
 そこまで聞いたところで拓也はしばし考え込み、
「ところで……詩織ちゃん、でいいかな?」
 改まった表情で尋ねる。
「は、はい」
 拓也の様子を察してか、いくらか和らいできた詩織の表情が、再び堅いものへと変わる。
「今日、詩織ちゃん達を襲ってきた連中、何者だ?」
 詩織の表情が更に堅くなった。
「……そ、それはどういう事でしょうか?」
「俺が斬りつけた奴だが、致命傷を負った途端に姿がかき消えていった。で、残った連中は同士討ち。『まだ我らの存在を知られるわけにはいかない』とか言ってたっけな」
 詩織の動揺は明らかだった。
「『精人』よ」
 声は先程と同じように、晃司の背後から聞こえた。
「……そういう登場の仕方が好きなのか?」
「うるさいわねぇ。気が付いたら詩織が居ないから、見に来ただけよ」
 そう言って、起きてきた美咲は拓也と詩織が座るソファのど真ん中に座り込んだ。
「で、美咲。精人ってなんだ?」
 拓也が尋ねた。
「その前に拓也。この人、誰?」
 そう言って美咲は晃司を指差す。
「僕は江藤晃司。一応、この部屋の主」
「拓也の恋人?」
 間伐入れない美咲の質問に、拓也は口にしていたビールを吹き飛ばした。
「汚いわねぇ…」
「いやいや、僕は必死にラブラブアタックしてるんだけど、拓也が振り向いてくれないんだよ」
 腹を抱えて笑いながら、晃司が言った。そんな晃司を見て、美咲は満足げに口の端を上げた。
「面白いこと言うわね。気に入ったわ」
「そりゃどうも。で、精人って何かな?」
 まだ笑いが止まらないのか、顔をひきつらせながら晃司が尋ねた。
「説明がめんどくさいんだけどね。要は私達の住む世界とは異なる世界に住む連中の事。でもって、あたしや詩織の祖先でもあるのよ」
「祖先ってどういう事なんだい?」
「あたし達だけじゃないわ。少なくとも術士は全員が、精人の血をいくらか受け継いでいるの」
「俺や晃司もか? 俺は神霊術を使うし、晃司は魔術を使うが……」
 拓也が尋ねた。
「そうなるわね。もっとも、精人の血が入ってない人間なんて、魔導水晶に拒絶反応を起こす連中だけなんだから、世界中のほとんどの人間が精人の末裔って事になるんじゃないかしら」
 自分が人間以外の存在の血を受け継いでいると聞かされ、拓也は些少ではあるが自分の身体に嫌悪感を覚えた。が、今日、目の前で見たことを思い出すと、美咲の話を疑う気にはなれない。
「と言っても、大君(オオキミ)の血族である咲夜家の人間はとりわけ強い力を持っているわ。今日狙われたのもそのせいね」
「大君って?」
 晃司と拓也の声が重なった。気まずそうに顔を合わせ、すぐに背ける。
「大君ってのは、咲夜家の始祖、桜花様の事よ。この世界に最初に降り立った精人達のリーダーで、太祖にして最強の神霊術士。まっ、魔導水晶の力を借りずに力を発揮できるのは、桜花様の子孫であるあたし達くらいのものね」
「ちょっと美咲ちゃん、言い過ぎ……」
 詩織が美咲を制しかけたが、拓也が突っ込んだ。
「じゃあ俺はどうなる? 俺は桜花とかいう奴は知らないし、魔導水晶も使ってないぞ」
 拓也は明らかに気分を害している。その様子を見ていた晃司が呆れ半分の苦笑いを浮かべた。
(この手の選民意識って、拓也は嫌いだからなぁ)
 だが、美咲は意に介さず、
「たぶん先祖帰りね」
「先祖帰り?」
「そ。似たようなところでは隔世遺伝。突然変異みたいなモンよ。この場合は、何世代も前の先祖の力が唐突に甦ったって所じゃない?」
 そう言って鼻で笑って見せた。が、すぐに表情を引き締める。
「ところで、お願いがあるのよ」
「散々な事を言っておいて、『お願い』と来たモンだ」
 嫌悪感むき出しに拓也が呟いた。が、当の美咲はきょとんとした表情で、
「何か言ったっけ?」
「……それはさておき。お願いって?」
 何も答えようとしない拓也に代わり、晃司が尋ねた。
「今、志帆は居ないんでしょ? だったら、あたしと詩織を連れて、逃げて欲しいの」
「逃げる? 今さっき逃げ帰ってきたところじゃないか」
 拓也が尋ね返した。
「そうじゃないの。私達は咲夜家そのものから逃げ出したいの」
「断ればどうする?」
 拓也はそう答えながら、ソファにもたれ掛かっていた背中を起こした。何故だか判らないが、いつでも動作に移れるようにするためだ。
「あなた達を殺してでも、ここから逃げるわ」
 美咲がそう答えたのとほぼ同時に拓也が動いた。予備動作無しにテーブルを飛び越して半回転し、美咲と対峙する。
 が、美咲も動いていた。拓也が身構えるのとほぼ同時に懐に飛び込み、手刀を拓也の喉笛へと繰り出す。拓也はその手を左手で払い、右足で美咲の右足首を払う。
「きゃっ!?」
 地面に倒れた美咲に追い打ちをかけるように、拓也は美咲の手首を掴む。
「やめて拓也さん!! 美咲ちゃんも落ちついて!!」
 だが、立ち上がった詩織が叫ぶより早く、拓也の動作は終了していた。美咲をうつ伏せにして馬乗りになり、懐から抜きはなった銃を後頭部に突きつけている。更に空いた左手では美咲の右腕を後ろ手に極めていた。力の差もあり、美咲は完全に身動きがとれないでいる。
「素人に殺されるほど俺達は甘くない」
「……そういうこと」
 いつの間にか、晃司も懐から拳銃を二丁抜き、それぞれで美咲と詩織に狙いを定めている。
「それなりの訓練を受けてるようだが、あくまでも訓練レベルだな」
「くっ……!!」
 美咲が足をばたつかせて反抗するが、徒労に終わった。
「お願いします、拓也さん……もう、やめて下さい……」
 晃司に拳銃を突きつけられてなお、詩織はひるんだ様子を見せなかった。いや、かえってこの状況の方が落ちついてさえ見える。
「今のはどう見ても美咲ちゃんが悪いんです。私が代わりに謝りますから、どうか許して下さい!」
 だが拓也は首を横に振った。
「イヤだね。謝罪は本人がしないと意味がない」
「詩織ちゃんには悪いが、僕もそう思う。他人に謝れない人間はロクな人間にならないからね」
 この場で唯一ソファに座ったままの晃司も拓也に同調した。
「いやよ。あたしは何も間違ってなんかいないわ! 全部事実じゃない!!」
「事実の割には俺を殺せなかったじゃないか」
「拓也さん! それ以上美咲ちゃんを挑発しないで!!」
 詩織がほとんど絶叫に近い声で叫んだ。
「美咲が超強力な神霊術士だって言いたいんだろうが、詩織ちゃんも俺を甘く見ているな。俺は銃は得意じゃないが、美咲の霊力が高まるより先に引き金くらいは引けるぜ? 何も術だけが戦いの手段じゃない」
「ご、ごめんなさい……美咲ちゃんを殺さないで……」
「当たり前だ。誰が意味もなく人を殺すかよ」
 そう言って拓也は引き金を引いた。がちゃりとリボルバーが回る音と激鉄の音がほぼ同時に鳴る。
「見ての通り、弾は入ってない」
 拓也は美咲の身体から立ち上がった。
「あれでも手加減したんだぜ。怪我させないようにな」
「くっ……」
 自由になってもうつ伏せのまま、美咲は動こうとしなかった。
「……まぁいいさ。話は詩織ちゃんから聞かせて貰おう」
 ソファに座りなおし、拓也はため息を付いた。
「どうして逃げたいんだ?」
「わ、私は……」
 美咲の方を心配そうに見つめながら、詩織は懸命に言葉を紡ぎ出そうとしていた。
「……私は、私の未来を自分で選びたい。『咲夜の一族の運命』なんて言葉に未来を決められたくないんです!」
 拓也と晃司は無言で話を聞いていた。涙を垂れ流しながら、なおも詩織は続ける。
「私達はずっと言われ続けてきました。あなた達は精人と戦わないといけないって。それはこの世界の未来を守るためだって。でも、私達の未来は!? 私達の自由はどうなるんですか……!」
「でも、詩織ちゃん達は変えようと努力したかい? そんな中で過ごすのが嫌だったら、逃げるんじゃなくて、その環境そのものを変えようと努力……」
「晃司、それは違う」
 晃司の言葉を拓也が遮った。
「逃げることにも勇気がいるんだ。ついていけない連中についていくことはない。無理に変えてしまおうとしないのは、優しさって事もある」
「……甘ちゃんだな、拓也は」
 晃司が笑った。だが、その笑いからは真意は読みとれない。
「晃司、遠征準備だ。美咲、起きて晃司を手伝え」
「それじゃ……」
 真っ赤に腫れ上がった詩織の目に、一抹の光が戻った。
「あぁ、引き受けてやるよ」
 コードレスホンの数字ボタンを押しながら、拓也が答えた。
『はい。こちら江藤』
 本日二度目の理沙の声だ。
「拓也です、夜分遅くにすいません」
『無事だったみたいね。さすがは私が見込んだだけのことはあるわ』
 そう言って、受話器の向こうで理沙は笑った。
「ご迷惑をかけることになると思います」
 理沙の笑いが止まった。
『二人を連れて、行くのね?』
「はい。挨拶くらいはしておこうと思いまして」
『あては有るの?』
 尋ねられ、拓也は受話器を離した。
「詩織ちゃん、逃げるって言ってもあては有る?」
 拓也の問いに、詩織は黙って首を横に振った。再び送話口を口元に寄せ、
「無いそうです」
『でしょうね。だったら、九州島の大分地区へ向かいなさい。そこで峰誼(ホウギ)という集団を探すといいわ』
「……峰誼、ですか? 一応、候補にはしておきます」
『咲夜家は強大よ、気を付けてね』
「判ってます」
 目の前に理沙がいるわけではないが、拓也はこくりと頷いた。
『あなた達は強くなるわ。また逢いましょう』
 そう言い残し、理沙の方から電話は切れた。
「拓也、こっちはOKだ。いつでも出れるよ」
 準備を終えた晃司が大きいバッグを二つ、肩に下げて姿を見せた。その後ろに隠れるように美咲が立っている。顔を合わせたくないのだろう。
(この二人、妙なところで似てるよな)
 苦笑し、拓也はソファから立ち上がった。
「……よし、行こう」

To be continued.
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