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外道狩人死神探偵

「no exit」
ACT2


 ライカに見送られ、夏本が大通りまで戻った時には、人通りはすっかり絶えていた。懐の携帯時計の示す時間は午前三時過ぎ。
 なんとか捕まえたタクシーの中で、夏本は先程までの出来事を反芻していた。探偵であり、狩人であり、死神だと名乗る男。どこか現実離れした美しさを持つ少女。そう言えば、あの部屋への道のりも、部屋から大通りへの道のりも判らない。連絡先も教えてもらえなかった。
「必要があればこちらから連絡もしくは接触をする」
 あの男、支奴はそう言っていたはずだ。そう言えば携帯の番号を教えたような気がする。記憶が混乱していてよく思い出せない。
 なぜだろうか。こんなにも意識が乱れているのは。タクシーに乗った今も、心臓の鼓動は早鐘を打ち、じわりと染み出してくる冷や汗は止まらない。これは恐怖か?
 否、それだけではない。そんな負のイメージで語れる感情だけでなく、もっと別の何か。
(そうだ、あの絵だ……)
 大学時代に付き合っていた彼女と行った、美術館で観た一枚の絵。それは巨大な宗教画で、空から差す一条の光と、その周りを飛び回る天使、そしてそれにむらがる貧しい人々とが、明暗のくっきりとした色彩で描かれていた。空の天国と地上の地獄、美しいとかそういうものではなく、ただ絶対的な力というか世界の隔たりのようなものが、ひしひしとその絵からは伝わってきたのだ。
 後にも先にも美術館に行ったのはあの一回だけだったが、あの印象は忘れられない。そうだ、あの感覚に似ているのだ。あの時に感じた隔たりを、自分は越えてしまった。踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまった。
 だが。自分の身に起きているこの状況も、そういう領域でないと語れない出来事だ。自分が「死神ピッチャー」などとスポーツ紙で叩かれているのも知っている。しかしそれは自分のせいじゃない。そうだ、そうに決まっている。冗談じゃない。自分は一流のピッチャーだ。そう、あと何年かしたらメジャーにだって挑んでやる。自分にはそれができるはずだ。死神ピッチャーなんてとんでもない。そもそも、死神というのは、
「お客さん、着きましたよ」
 タクシーの運転手の声で、夏本は我に返った。慌てて運賃を支払い、車から出る。ホテルのエントランスを前に、夏本はなぜだか故郷に戻ってきたような感慨を覚えた。
(死神ってのは、支奴みたいな奴を言うんだ)
 いや、違う。あれは本物の死神そのものだった。疑う余地がないことを、本能が感じている。苦笑し、夏本はホテルのロビーへと足を向けた。

 翌日は登板予定もなく、とりあえずは一日中フリーの身だった。練習場に行くもよし、体を休めるもよし、そのあたりは自主判断に任されている。登板翌日はオフにしている夏本だったが、この日は練習場へ足を運び、ランニングや軽めの投球練習で汗を流した。今日は移動日で試合は行われないのだが、一軍と二軍を行ったり来たりの一軍半の選手達は、こういう日にこそ練習に熱を上げるものだ。今日も若手や中堅の選手を中心に、練習場のあちらこちらで練習に打ち込む選手達の姿が見られた。そんな面々よりは早く練習を切り上げ、ロッカールームに戻る途中、監督の月田に呼び止められた。
「おう、昨日投げよったのに珍しいのぅ!」
 破顔し、月田は夏本の背を軽く叩いた。昨日のデッドボールで夏本が落ち込んでいるのを励まそうと、普段より明るく振る舞っている。それは夏本にもよく判っていた。
「次は五日後のなにわドームや。行けるな?」
「はい、大丈夫です」
「よっしゃ。よろしく頼むで!」
 がははと笑い、月田は夏本の肩をさするように撫でた。若いころは名投手として名を馳せたこの監督は、義にも厚いことでよく知られ、夏本にとっては尊敬する人物の一人だった。
「色々騒がれとるようやが、わしはお前を信頼しとるからな」
「……ありがとうございます」
 複雑な表情を浮かべそうになるのを必死でこらえ、笑顔で夏本は応えた。
「ピッチャーなんかやっとるとな、どうしてもスランプっちゅうもんがあるんや。わしもそうやった。そこから抜けるには、投げて投げて投げまくるしかあらへん。それも本番の舞台でや」
「はい」
 月田から幾度となく聞いた、この励ましの言葉。しかし、心の底からの言葉というものは、何度聞いても染み渡るものだ。
「お前はこのシーズンで終わる選手やない。来年も再来年も、このティーゲルスを背負っていくピッチャーや。地獄を見るんやったら、一軍のマウンドで、大観衆の中で見てこい。そんで這い上がって、夏本ここにあり!って思わせてやるんや!」
「はい、頑張ります」
 苦笑し、夏本は頷いた。
「お前見とったらなぁ、わしの若い頃をよう思いだすわ。速球ブンブンうならせてなぁ……」
「ははは。また自慢話ですか? 監督が現役時代凄かったのは、よーく知ってますよ」
 答えつつも、どこか夏本はドライにその言葉について考えていた。自分もこうなるのだろうか。僕の若い頃は凄かったんだと、過去の栄光を誰かに語るようになるのだろうか。
「ほなな! よろしゅう頼むで!」
 片手を振りながら、月田は練習中の選手達の方へと歩いていった。それを背に、夏本はロッカールームへと早足で向かう。軽くシャワーを浴びて、マッサージを受けて、それからどうしようかなどと考えているうちにロッカールームの前に着いた。そう言えば今日は昼食を摂っていない。軽く食事にしよう。そう決めて扉を開き、夏本は硬直した。
 そこに支奴がいた。ロッカールームのテーブルに腰かけ、何やら文庫本に目を通している。外は夏だというのに黒いコート、その下に着ている服もこれまた黒のレザー地だ。病的な程に白い肌、肩まで無造作に伸ばしている漆黒の髪。そして、闇のように深い黒の瞳。こうして明かりの下で見る支奴の姿は、予想以上に長身で痩躯だった。
「支奴……さん。なぜここに……」
「調査だ。お前が何に付きまとわれ、そしてそれは誰が呼び込んだものなのか。その上で少しお前に聞きたいことがあってな」
 持っていた文庫本に栞を挟んでコートのポケットにしまい込み、支奴はテーブルから腰を上げた。その動作だけで、部屋の空気が澱んでいくような気分にさせられる。
「お前に起きている出来事。あれは、行く先々で起きることなのか?」
「え、ええ……」
「ふむ……」
 夏本が頷くと、支奴は何か考え込むような仕草を見せた。
「なっ、何か関係があるんですか?」
 おそるおそる尋ねてみる。この非現実な状況下、少しでも何かを理解していないと不安だった。
「俺達……お前達が死神と呼ぶ者はな、普通は持ち場が決まっているんだよ。その持ち場での死の全てを、一個体の死神とその使徒が司っている。ここまでは判るか?」
「は、はあ……」
 途方もない話だが、受け入れないことには話が進まない。
「さてお前は行く先々で事態に遭遇しているらしい。すなわち、持ち場を守る死神の仕業ではないということだな。持ち場を守らない、もしくは俺のように持ち場を持たない死神ということになる」
「持ち場を持たない?」
 支奴の言葉のその部分が妙に引っ掛かり、夏本は問い返した。
「そうだ。何事にも例外は存在する。俺は人間の世界へ堕ちる代償として、死神としてのアイデンティティにも等しい持ち場を失い、そして別の仕事を押し付けられたのさ」
 自嘲気味に口の端を上げ、支奴は肩をすくめた。だがその動作は人間臭いというより、どこか芝居がかっていて不気味だった。
「別の仕事……それが探偵なんですか?それに、持ち場を失うとはどういうことなんですか?」
「まずは二つ目の質問に答えよう。持ち場を失うというのは、持ち場である土地に住む生物が一切いなくなるということを指すことが多いな。さっきも言ったように、死神にとって持ち場というのはアイデンティティにも等しい。永劫の命を与えられた身でありながら、持ち場を失うということは、ただ時を見守るしかなくなるのさ。だから他の死神の持ち場を荒らすようになる。こういった死神に限らず、本来の任務を放棄した神を総称して、俺は外道と呼んでいる。さて、最初の質問だが、異常な死に関わる人間を探しだし、そこで何が起きているのかを見極め、原因となる外道を見つけ出し、狩るのさ」
「それを命じたのは?」
 神という言葉が引っ掛かったが、その前に質問が口をついて出た。
「神の世界にもボスがいるのさ。俺達死神を含む全ての神と、その使徒である天使を生み出した原初の存在、俺達は皆そいつの命令には逆らえない。そういう風に創られたからな。だが、話が判らん奴でもない。だからこそ、俺やライカンジェみたいな例外が許されるのさ。条件付きだがね」
「神? 死神は悪魔ではないんですか?」
 そうだ。支奴は神と言った。話の筋を通せば、死神というのはいわゆる悪魔とは別の存在ということになる。そんな風に教わったわけではないが、死神と言えば悪魔の同類と相場が決まっているものではないのか。
「まっとうに仕事をしている死神は悪魔じゃないな。お前達のいう悪魔というのは、俺のいう外道と同じものだ」
「つまり、神としての仕事を放棄したものが、僕たちが悪魔と呼んでいる存在になる……ということですか?」
「そういうことだ。長話が過ぎたから俺は一度戻るとしよう。ここは執念と怨念に満ちあふれている。俺には興味のない感情だ。気分が悪くなる」
「……執念と怨念?」
「夢を必死に追う執念と、それを果たせなかった者の怨念さ。最初はその辺が原因かと思ったんだが、どうやらこっちは見当違いだったらしい、とすると原因はだいたい絞り込めるな」
「支奴さんは名探偵というわけじゃなさそう……」
 言葉が終わるのを待たず、支奴の姿はなくなっていた。まるで最初からそこにいなかったかのように。
「余計なお世話だ」
 微かにそんな声が聞こえた気がした。


To be continued.
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