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外道狩人死神探偵

「no exit」
ACT3



 地元、なにわドームでの登板を翌日に控えた土曜の夜。夏本はマンションの自室で、風呂上がりにミネラルウォーターを飲んでいた。投球日の前日は、酒も呑まず、二十三時には就寝することにしている。時計の針は二十三時少し前。ベッドに入るのにはちょうどいい時間だ。
 ロッカールームで会ったあの日以来、志度からの連絡や接触はない。拍子抜けするくらい、淡々と日々が流れてきた。
 金曜から日曜にかけての三連戦。対戦相手は首位争いの相手、名古屋ドラグナーズ。一勝一敗で迎える最終日は、チームのためにも、防御率・最多勝・奪三振数の三冠を狙う自分にとっても、負けられない一戦になるだろう。
 ベッドに横たわり、夏本はあれこれと思案を巡らせていた。明日はどうなるのか。また自分は死神と呼ばれるような投球をしてしまうのか。それとも何事も起きずに、自分のピッチングが出来るのか。あるいはこの迷いから打ち込まれるのか。志度は、いったい何をどうするつもりなのだろうか。
 以前までなら、こういう時はデッドボールを出すことへの恐怖にうち震えていた夏本だったが、今日はそういう不安はない。理由は解っている。自分の不調の原因が、明らかに常識の範疇を超えたところにあると解ったからだ。
 あれは俺のせいじゃなかった。俺じゃない何かのせいで、あんなことが起き続けていたんだ。
 その想いから来る安堵感が、夏本に安らぎを与えていた。
「幸せそうな顔だな」
 突然の声に夏本は跳ね起きた。その眼前に志度が立っている。部屋の明かりを消してはいるが、それでも志度の姿ははっきりと目に映った。明かりを消したとは言え、かすかに光を蓄えている蛍光灯や、目覚まし時計の蓄光性の針、カーテン越しにわずかに漏れてくる光など、都会の中で真の闇を求めることは難しい。せいぜい「暗がり」レベルの闇と、志度の放つ本物の闇がぶつかりあい、それが逆に志度の姿を浮き彫りにしている……そんな印象を受けた。
(闇の輝き……)
 そんな言葉がふっと浮かぶ。
「お前は許せるか?」
 不意に志度が尋ねた。
「許す? 何を?」
「調査は終わった。この件に関わる外道を狩る段取りも付いた。お前は自分のせいではないと思っているようだが、外道を呼び込んだ原因にお前が関係ないとでも思っているのか?」
 盲点だった。いや、あえて考えないようにしていたというべきだろう。
 そうだ、この件は明らかに夏本を狙ったものだ。たまたま夏本だけが、ということは考えづらい。夏本にも何らかの要因があって当然だ。だがしかし、許すとはなんだ?
「僕に何を許せ……と言うんですか?」
「まずは真実を知れ。お前がこれから見るものが真実だ。お前と、お前にまとわりついている外道と、それを呼び込んだ者と、全てはお前自身が知ることだ。俺は慈善事業をやっているつもりはない。俺には俺の仕事がある。それは外道を探して狩ることであり、お前を導き救うことではない。お前何を許すのか許せないのか、それはお前が自分でその目で見てから、自分で考えろ」
 冷徹な笑みを浮かべながら、志度は一気にまくし立てた。
「全ては明日だ……」
 その言葉とともに、志度の姿は闇に溶けるように消えた。志度が去った後の部屋は、明かりも点いていないのに、妙に明るく感じられた。

 そして迎えた試合開始。
 地元での試合ということもあり、スタンド内はティーゲルスファンで超満員だった。
 試合は順調に進み、七回を終わってティーゲルスが一対〇でリード。
「頼むで夏本! 今日はお前と心中じゃ!」
 グラウンドへ向かおうとした夏本の背を、大声とともに月田が叩く。
「任せてください監督!」
 八回表、相手の打順は二番からだ。相手の中軸へ打順は回る。一点差をなんとしても守り通さねばならない。ここを抑えきれば、九回はまだ楽な打順だ。ここが試合の正念場だった。
 そしてこういう局面に限って、デッドボールが出る。
 額の汗をぬぐい、夏本は投球モーションに入った。初球は内角低めのストレート。打者はこれを見逃してワンストライク。球速はまだ衰えていない。
 キャッチャーからの返球を受けようとグラブを差し出した直後、目の前でボールが静止した。何もない空中に、だ。と同時に観客の歓声も消えていた。いや、観客の全てがぴたりと止まってしまったのだ。
「な、なんだ?!」
「さあ狩りの時間だ」
 ホームベースの上に、志度が立っていた。あまりにも静かな空間のせいか、それとも志度の力なのか、その声は大声でもないのにホームベースからマウンドまでの距離をものともしなかった。
「来たのか」
 別の声が夏本のすぐ背後から聞こえた。慌てて振り返ると、そこには志度と同じ顔をした男がいた。声も服装も似通っているが、どこか微妙に違う。
「ライカンジェ、行くぞ」
「わかってるわよ、もう」
 志度の背後から、ライカが姿を見せた。はじめて逢った夜に見たものとは違うが、やはり黒いゴシックロリータ服だ。しかしそれよりも夏本の目を引いたのは、
「羽根……」
 ライカの背から生えた、純白の翼だった。球場のライトの光を反射してか、その羽根は微かにきらめいている。神々しいという言葉は、まさにこのような光景を指すのだろう。
「真っ当に仕事ができなくなった死神の末路は哀れだな」
 そう言って志度があざけ笑うように口の端を上げた。
「だからといって同族狩りに走るのか? 恥知らずめ」
 皮肉げに男が応える。それを聞いて志度はククッと笑った。
「これは間引きであり処刑だよ。死神は土地に縛られる。だが貴様のように、土地から人が居なくなったり、生き物が激減してしまった死神が増えすぎた。なぜだか判るか?」
「……人は土地を荒らし、そして都市へ集中していくからだ」
「その通り!しかし別に人間にこだわる必要はない!人がいなくとも小動物や虫や魚など、生き物が真に絶えることなど滅多になかろう?!」
 全てを見通した、勝ち誇った志度の顔。男は歯噛みするだけで、何も答えられない。
「しかし貴様は耐えられない! そんなモノでは満足できない! なぜなら、人間の魂ほど死神の本能をを満たすものはないからだ!」
「その通りだ! それのどこが悪い! 人間の魂を狩れぬ死神が、いかに苦しいものか、貴様には判らないのか!?」
 開き直ったのか反撃の糸口をつかんだ気でいるのか、男は一気にまくし立てた。いや、それは焦りの裏返しなのかもしれない。
「判らんね。俺にはそれ以上のモノがあるからだ。いいかよく聞け。さっきも言ったがこれは間引きであり、処刑だ。今の時代に適応できない、貴様のような混乱を引き起こすための外道に対する、な。もうこれ以上、貴様に能書きを垂れる時間などない!」
「黙れ!」
 叫び声と同時に、男の両腕が服ごと伸びて夏本の身体をすり抜けた。ただ呆然と成り行きを見守っていた夏本は、腰を抜かしてその場にへたり込む。するり、と男の腕が、夏本の肩から抜けた。何か触感があったわけではないが、強烈な違和感が肩口に残っている。その違和感から来る不快感で嘔吐しそうになるのを必死にこらえながら、夏本は目の前の成り行きに目を奪われていた。
「俺には人間の魂が必要なのだ!!」
 男の服の袖が、まるで液体のようにすぅっと伸びた。それは瞬く間に大鎌の形を成し、志度へと襲いかかる。それを見たライカが自らの左右の翼の中へそれぞれ手を突っ込んだ。
「死神に鎌ってのは、あまりに古風すぎるわね」
 口早に呟きながらライカは翼から手を抜き、志度へと左右から襲いかかる鎌へ向けて突き出した。その両手には、それぞれ拳銃が握られている。蒼い燐光を放つその銃から、立て続けに光の球が撃ちだされる様は、まるでSF映画のようだ。
「言ってやるなライカンジェ。あれは死神にとっては自らの片割れのようなものだ」
 ライカの銃で男の鎌が弾かれる様を悠然と眺めながら、志度は淡々と呟いた。
「相変わらずセンスがないとしか言い様がないわ。シード、あなたもかつてはああだったの?」
「まあな」
 答えつつ、志度もライカの翼の中へと手を差し入れる。そして取り出したのは、華美な装飾の施された一振りの剣だった。
「祝福の剣だと?! なぜ死神である貴様がそれをッ!!」
「死神呼ばわりされるのは心外だな。俺はそれを廃業した身だ」
 剣の重みを確かめるように、二、三度、志度は剣を軽く振った。その軌跡に、微かな光の粒が舞う。
「今の俺は、貴様らのような外道を狩る代償に、自由と名前を手に入れた身だ。俺の名は志度! 死神などという群体名ではない!」
 声高に宣言し、志度は剣の切っ先を男へ向けた。
「同族狩りの貴様の方がよほど外道と呼ぶにふさわしかろうが!」
 男は距離を一気に詰め、両手の鎌を再び志度へと振るう。その両方が、志度の持つ剣の一閃で斬り落とされた。男の手を離れた鎌は、グラウンドの上に落ちるとガラスのように砕け、そして消えた。
「終わりだ」
 全身を旋回させるような大きなモーションで、志度は男へと剣を突き刺した。
「外道に汚れた己の心を恨め」
 そう言い放つと同時に、男の身体が砕け散った。と同時に、持っていた剣もどこかへ消え失せてしまった。
「ふぅ……」
 ため息とともに、ライカが己の翼を撫でた。その直後、翼がするすると縮まり、ライカの背中に吸い込まれてゆく。
「……お、終わったんですか。終わったんですね!? 僕はもう大丈夫なんですね?!」
 狂乱気味に夏本は叫んだ。そんな彼を見る志度の瞳は、氷のように冷ややかだった。
「俺の言葉を忘れたのか。夏本雄治」
 冷徹な声に、記憶が喚起された。

『お前は許せるか?』

 志度は確かにそう言ったのだ。そして、真実を知れ、とも。まだ夏本は何も知っていないに等しい。
「外道は狩った。しかしその根源を絶つのは俺じゃない。いいか夏本。今、この空間は、この件に関係のない存在全ての時間が止まっている。根源をその目で見ろ。そして、お前が決めろ」
 歓声の失われた球場。ピタリと止まった観客、選手、コーチ。
 そして、ベンチの片隅で震える監督。
「……月田監督……?」
「ひ、ひいっ!!」
 硬直したように動かなかった月田の身体が、ビクッと跳ね上がった。
「わしは、わしはっ!!」
「なぜ、あなたが……」
 脅える月田を呆然と眺める夏本。
「俺が説明してやろう」
 夏本の側に歩み寄り、志度は言った。
「そいつは嫉ましかったのさ。お前が」
「監督が……僕を?」
 なぜだ。確かに自分が球界一の投手としてもてはやされているのは知っているが、月田だって現役時代は名投手として名を馳せていたはずだ。指導者に転向してからも、コーチとしての手腕は高く評価されていたし、今も監督として、選手のみならず、フロントやファンからの信望も厚い。
「夏本。お前の年俸は三億ほどだそうだな」
「え、あ、はい。そんなものです……」
「月田の現役時代は、そんな高給取りはどこの球団にも居なかったんだよ」
 今や珍しくない一億円プレーヤーだが、十年前、二十年前、三十年前はどうだっただろうか。過去の偉大な名選手達でも、億単位の年俸を稼いでいたのは、OBの中ではまだ若い世代の者ばかりだ。
「それは時代が……それに物価や、それに……」
「そんなことは問題ではない。ましてや憧れのメジャーリーグ、いや、その監督の世代なら大リーグか。そういう舞台に挑めた人間がどれほどいたことか」
 過去にも数えられる程の僅かな例外はあった。しかし日本人選手のメジャー進出が盛んになったのは、確かに最近の話だ。
「その男は、そういう時代そのものを羨み、そしてその象徴とも言えるお前をに嫉妬していたのさ。俺が現役の頃にこんな時代だったなら! 俺の若い頃はもっと凄い球を投げた!」
「わしは……そうや!その通りや。けど違う!わしは、そんな……」
「その男は言っていたそうだな。替えようと思うとぶつける、と。その通り、ここ一番と言うときや、そろそろ交代かと考えている蒲で、密かに思っていたのさ。『ここで無様な姿をさらせ』と」
「違う!わしは、そこまで思っとらん!」
 絶叫する月田に、志度はククッ、と微かに笑った。
「そうだろうな。それは表層意識には浮かんでこない程のささいな思いだったのだろう。だがそこに付け込む外道がいた。そして事態は起きた。月田! お前は気づいたはずだ。己の内に潜んでいた願望が叶った時の、どす黒い悦びを!」
「あぁ……っ。そうや……。お前の言う通りなんやな……。わしは気づいていた。そうや、どこかで、ざまぁ見ろと思って……」
「どうだ夏本。お前はこの男を許せるのか?俺はもう何もしない。決めるのはお前だ。選ぶのもお前だ。ここでそいつを殺しても、誰にも分かりはしない。剣がいいか? ナイフがいいか? それとも拳銃がいいか? なんでも言え。ライカンジェがお前に武器を渡すだろう。血を見るのが嫌ならば、命だけを奪う武器もあるぞ? さぁ選べ」
 一気にまくし立てた後、志度は夏本の耳元に口を寄せた。
「お前が決めろ」
 催促するようなその囁きに、夏本はしかと頷いた。


 怒号のような大歓声の中、夏本はマウンド上で右腕を突き上げた。
『ゲームセット!! ゲームセットです!! 夏本、完全復活!! 完封でこのゲームを投げきりました』
 テレビから流れる野球中継の実況アナウンサーの叫びに、居酒屋「猛虎斑」の客達も歓声を上げていた。
 ベンチへ引き揚げていく夏本の背や肩を、チームメイト達が讚えるように軽く叩いて走り去ってゆく。その夏本が、ベンチの端に座っていた月田へと手を差し出した。その手を月田が号泣しながら両手で掴む。それは旗から見れば、復活を遂げた愛弟子の姿に感極まったように思えるのだろう。


 夏本はマウンドを選んだ。それ以上のことは何も望まなかった。
「それもまたお前の選択だ」
 そしてやはりククッと笑い、志度はライカと共に姿を消した。その直後、時間は再び動き出した。


 シーズンを終え、ティーゲルスはリーグ優勝は果たしたものの、日本シリーズは三勝四敗で日本一を逃した。
 その直後、月田は突然の勇退を表明。理由は誰にも語られなかった。真相を知る人間は夏本ただ一人だったが、彼は誰にも話さなかったし、たとえ話しても誰も信じようとはしなかっただろう
 現実離れしたあの出来事以来、夏本は一度も志度にもライカにも逢っていない。何度かあの部屋を探しに繰り出したのだが、見つけることは叶わなかった。


 それから四年後、夏本はポスティングシステムによりメジャーリーグへ移籍することになる。「The Death Pitcher」……「死神投手」の異名を引っさげて渡米した夏本は、メジャー移籍一年目にして十七勝四敗という成績を残し、その名を轟かせる。


Fin.
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