Crimson Eyes
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01:PHANTOM Brother (Act-2)


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   遅めの朝ごはんを食べていたときのことだ。
「環…」
「?」
 食後のデザートのカスタードプリンを食べていた環は顔を上げ、向かい側に座っている悟を見る。
「なぁに?」
「おつかいに行ってくれませんか?」


「ひょえぇぇぇぇ!」
 珍妙な悲鳴を上げ、駿介は住宅街の中を走っている。
「やべやべ…やべぇよぉ!」
 約5分ほど前のことである。創立記念日の休日を利用して、駿介は家から電車で2、3駅離れたところにある中心市街地――篠宮のCDショップでアルバムの物色をしていた。と、
「ん〜?」
 ジーンズのポケットからお笑い番組のテーマソングの電子音が聞こえてくる。着メロから雄二であると気づいた駿介は携帯をポケットから取り出し、通話ボタンを押した。
「おう。どした、雄二?」
『どした、じゃねーだろ!! お前、何やってんだよ!?』
 焦りと苛立ちの混じった雄二の声に眉をひそめながら駿介は、
「何って篠宮でCD見てるんだけど?」
『お前、今日1時から練習あるの忘れたのか?』
 雄二の大声に駿介と駿介の周りで動いていた時が止まる。
「――は?」
 だいぶ経ってから、駿介は聞き返す。
『は? じゃねーよ! 昨日、キャプテンが言ってだろ!』
 雄二の言葉に、駿介は店に取り付けられている壁掛け時計を見る。12時10分。
 部活の規則というか伝統とやらで、新入生は半時間前に学校に到着して準備をしておかなければならないというのがある。もちろん駿介も新入生である以上、例えレギュラーであっても30分前には学校に到着していなければならないのだ。
 ちなみに駿介の通っている鷹条高校は篠宮市内にあるので、現在地からすると、自宅よりも近い場所に駿介はいることになる。
 しかし――
「……10分でそっちに着けるかな?」
『知るかっ! とにかくっ! どーでもいいからさっさと来い!』
「うわぁぁっ!」
 通話が切れると同時、素っ頓狂な声とともに駿介は大慌てで店を出た。
 店の前の大通りで一瞬立ち止まったが、すぐに店脇の路地の方に方向転換する。
「うおあぁぁぁっ!」
 大通りから外れ、路地に入ると一戸建て、アパート等の住宅が立ち並ぶ住宅街が所狭しとひしめき合っている。その中を駿介は全力で駆けていた。
(間に合うかな?)
 そんなことを思いながら、駿介は狭い路地を右左と曲がる。
(間に合う…間に合って欲しいなぁ)
 希望を胸に呟きながら、駿介は走る。──と、
(…?)
 違和感を感じる。駿介は足を止めた。あたりを見渡す。
 青い空に点々と浮かぶ雲。頬をなでる涼しい風が物干し竿にかかっている洗濯物や庭の木の枝を揺らしている。
 住宅街であれば、どこででも見られる光景。けれど何かが違う。
「何だ?」
 駿介は呟く。何が違うというのだろう。急がなければならないことを忘れ、考え込む駿介の背後で何かが動いた。
 気配に気づき振り返ると、
「うおあぁっ!」
 大声で叫ぶ駿介に、無数の木の枝がコンクリートの壁を砕き、貫きながら襲いかかってきた。

 不意に感じた痛みに匡介は顔をしかめた。
「どうしました?」
 匡介の向かいに座っていた悟が尋ねる。
「…いや」
 痛みのはしった左頬を押さえていた指に血は滲んでいない。匡介はかぶりを振る。
「何でもない」
 悟はテーブルに置かれたティーカップに手を伸ばしながら、口を開く。
「それで…平定は終えられたのですね?」
「ああ」
「『願い人』の方は?」
「いや、まだだ」
 匡介の即答に悟は困ったような表情を見せる。
「できましたら、早急に見つけていただけませんでしょうか? 僕もそんなに屋敷を離れるわけにもいきませんから」
『ならばとっとと帰ればいいだろう』
「よせ、大我」
 目線をほんのわずか後ろに向け、匡介が注意する。
「確かに大我さんの言うとおりなんですけどね」
 匡介の右後ろを見ながら、悟は笑む。
「環一人だと心配なものですから、つい…」
『そのちびたまはどこに行った?』
 姿が見えないが、と尋ねる大我に
「あぁ、環には…おつかいに行ってもらっています」
 と答えながら、悟はなぜか匡介の方を探るような眼差しを向ける。
『大丈夫なのか、アレを一人にして?』
「多少問題はありますが、あの子も柊の人間ですからね。大丈夫でしょう」
 大我の揶揄に悟は好意的な笑顔を見せて答える。
『多少…なぁ』
「欠片がなくなった以上──」
 大我の皮肉を無視し、匡介は話を続ける。
「千寿からの影響はないはずだ」
「ええ、ですから早急に発見をお願いしたいのです」
 悟の言葉に匡介は「分かっている」と答える。
「例え害はなくても、放っておくつもりなどない」
「その『願い人』が貴方のお兄さんがだとしても?」
 匡介は悟を見た。口調は穏やかだが、悟が匡介に向けている視線は鋭く、どこか挑発しているようにも見える。
「討てますか?」
「関係ない」
 一片の感情も含まれない、冷ややかな声で匡介は答える。
「俺の目的は千寿だけだ」
『やれやれ…』
 姿なき声の主である大我が大袈裟な嘆息をする。
『どんな姿になっても頑固なのは相変わらず、か』
 大我がぼやく。
『まぁ。それがおまえだ』
 苦笑を含んだ大我の言葉に匡介は何も答えない。無表情のまま、先程感じた頬の痛みと今もなお続いている胸騒ぎの理由を静かに考えていた。

 一本目の枝の突きをかわしたのは、はっきり言って偶然だった。だから、二本目の枝の攻撃から逃れることはできず、駿介は
「いつっ!」
 左頬にはしった鋭い痛みに声を上げる。
 三本目は駿介のすぐ右脇のアスファルトを抉り、折れてしまった。
「何なんだよ……」
 枝たちが届かないであろう距離まで後退しながら駿介は呟くが、答えてくれる者など当然いない。駿介は腕時計に目をやった。12時25分。間違いなく遅刻だ。
「くそっ」
 駿介は枝をにらんだ。
「お前たちが襲ってこなきゃギリギリ間にあったのに……」
 どうやら遅刻の恨みの方が強いらしく、枝が自分を襲う理由やそれらが自らの意志を持ったかのように自在に動いている事に駿介は恐怖や疑問をあまり抱いていないようだ。
「どー責任とってくれるんだよ!」
 と、枝に向かって駿介が怒鳴った次の瞬間、数本の枝がお互いに絡み合い、一本の太い枝となって駿介に襲い掛かってきた。
「マジぃっ!」
 素っ頓狂な声をあげ、駿介はその場から逃げようとする。が、足が動かない。見ると、道路わきに生えていた雑草が、駿介の足に絡み付いている。
(な…なんだよ、これ)
 足をあげ、駿介は雑草を引きちぎったが、別の草が異様な速度で伸び、駿介の足を絡め取る。
 離さない。そんな意思のようなものを草から感じ取り、駿介の全身に初めて恐怖がはしる。
 と、目の前が急に暗くなる。駿介は前を見た。
 目を離したほんのわずかな時間に、複数の枝によって作られた大枝は駿介の身長をはるかに超えた高さから、駿介を見下ろしていた。その姿は鎌首をもたげた蛇のようだ。
 立ち尽くす駿介に向かって、鋭く尖った枝先が音をたてて振り下ろされた。足を押さえつけられ、動くことのできない駿介には襲い掛かる枝を見ることしかできない。
 ──叶えさせない。
 遠くで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 そして、飲み込むかのように三つに分かれた枝先が駿介を捕らえようとした、次の瞬間、
「砕破!」
 甲高く、舌足らずな声が聞こえてきた。見ると、小学生くらいの女の子が立っている。少女はひどく真面目ぶった表情で駿介…というよりも枝の方を見ていたが、
「……あれ?」
 少女は首をかしげた。
「おっかしぃなぁ。えーっと……」
 慌てた感じで手に持っているカードのようなものを見る。
「んと、最初は『息吹を与えよ』だったよね」
 そう言って、少女はカードに息を吹きかける。
「確か悟ちゃん、光るって言ってた…。あ、光った!」
 少女の言うとおり、カードは青白く発光している。
「それで『地に放て』。そっかぁ、地面に置くのを忘れてたんだぁ! ――砕破!」
 一人納得しながら少女がカードをアスファルトの上に置く。次の瞬間、
「うおぉぉっ!」
 凄まじい風圧に突き飛ばされ、駿介は地面に座り込んだ。
「な、何なんだぁ!」
 見ると、ほんの数十センチ先――枝があった場所に竜巻が発生している。竜巻はスピードカッターよろしく枝を細かく粉砕していたが、
「いで!」
 細切れになった枝の一部が駿介に降りかかった。それを合図に、雹の如く音をたて枝の破片の雨が駿介に降り注がれた。とっさに駿介は両腕で頭を庇う。
「いででででで!」
 容赦ない枝の残片の攻撃(?)に駿介は悲鳴をあげていたが、しばらくもしないうちに枝の雨はおさまった。と同時に竜巻も消滅する。
「助かった…」
 駿介は大きく安堵の息をついた。腕を見ると、あちらこちらに青アザができている。しかし、ほんの数十センチ先に竜巻があったにも関わらず、この程度の怪我ですんだというのは奇跡と言えるだろう。
(神様っているんだなぁ…)
 などと心の中で呟いていた駿介は目の前に広がる光景を見、絶句した。
 陥没したアスファルト。
 見事なまでに破壊されたプロック塀。
 物干し竿に引っかかっている布切れ(おそらく洗濯物であろう)。
 あまりにも悲惨な状況を目のあたりにし、
「マジかよ……」
 駿介は呆然と呟く。と、
「やったぁ、大成功!」
 この壊滅的とも言える状況を招いた張本人と思しき少女は飛び跳ね、さらに手を叩いて喜んでいる。
(これの、どこが「大成功」なんだよ!?)
 突っ込みたい気持ちを抑え、駿介は大きくため息をついた。それを聞きつけたのか、少女が駿介のほうにやってきた。
「だいじょうぶ?」
 言いながら、心配そうに少女は駿介の顔を覗き込む。
「……たぶん」
 としか駿介には答えようがない。
「よかった」
 少女がにっこり微笑む。その笑顔に邪気は全く見当たらない。
「えーと…助けてくれた、んだよね?」
「うん! そーだよっ!」
 勢いよく少女がうなずく。
「ははは……ありがと」
 力なく笑いながら、駿介は礼を言う。
「どういたしましてっ!」
「それで――」
 いったいさっきのアレが何だったのか訊こうとして駿介は少女の視線に気づく。
「な…なに?」
 少女のまっすぐな眼差しが気恥ずかしく、駿介は赤くなりながら尋ねる。
 もしかして…おれのファン? などと勝手に思い、一人照れていた駿介に、
「うわぁ、ホントだぁ〜。百瀬のお兄ちゃん、そっくりぃ」
「百瀬?」
 口にした名前が「あいつ」であると気付き駿介は、
「きゃっ!」
「百瀬? やつの知り合いなのか?」
 いきなり両肩を掴まれ悲鳴をあげる少女に激しい口調で問い詰める。
「……そうだよ!」
 駿介の剣幕に気圧されつつ少女は首を縦に振る。
「それじゃ、あいつはっ…!」
 言葉が途切れる。駿介はうつむいた。
 本当はあいつは弟じゃないのか? 言いかけた言葉を駿介は無理矢理飲み込む。そして、
「――ごめん」
 謝りながら、駿介は少女の肩から手を離した。少女は首をかしげる。
「大丈夫なの?」
「あ、あぁ」
 うなずく駿介に少女は「よかった」といってにこりと笑う。
「あー。ところで」
 駿介はあたりの惨憺たる状態を見つつ、口を開く。
「これは君がやった…んだよね?」
「うん! 符を使って、環がやったんだよ!」
 自慢げに環という名の少女が言う。
「そ…そうなんだ」
 符というものが何であるのかは知らないが、引きつった顔で駿介はうなずく。
「一回目は失敗したけれど、でもちゃんと成功したんだよ? あ、でも息吹を二回かけちゃったから、ふつうより大きめの力になっちゃったかな?」
 呟き、環はいたずらっぽく肩をすくめる。
「どうしたの? 頭、痛いの?」
 額に手を当てた駿介を見、心配そうに環が尋ねる。
「いや、ちょっと…よく生きてたな、おれ。って思っただけ……」
「?」
 駿介の言ってる意味が分からず、環は首をかしげる。
「と、とにかくありがとう。助かった」
 立ち上がりながら、駿介は環に礼を言う。
「どういたしましてっ!」
 元気よく環が答える。
「それじゃ。おれ、急ぐから……」
 腕時計は12時35分をさしている。遅刻は確定している以上急ぐ必要はないと言えばないのだが、とにかく早くこの悲惨な現場から立ち去りたい。
「あ! 待って!」
 駿介の腕をつかみ、環が呼び止めた。
「?」
「はい、これ」
 そう言って環はスカートポケットからリストバンドを取り出した。駿介に手渡す。
「悟ちゃんが必要になるかもしれないから、持っていて欲しいって」
(『悟ちゃん』? 必要?)
 見知らぬ名前と「必要」の意味が分からず、駿介は尋ねようとしたのだが、その隙も与えず環は、
「それじゃ、ばいばーい」
 と、手を振りながら、走り去ってしまった。
「……」
 追いかけることもできたのだが、駿介は追わなかった。その代わりに、手の中に残されたリストバンドを呆然と見つめている。
 これといって変わったところはない。無地の、メーカーロゴどころか、裏側に品質表示のタブさえ付いていない赤いリストバンド。
 これがなぜ「必要」なのだろう?
 いや、そもそも「何のため」に必要だと言うのだろう?
(試合のため、か?)
 それにしては大袈裟な手渡し方だ。
(って言うか、アレは何だったんだ?)
 駿介は半壊したブロック塀の奥にある大木──見ると、葉はもとより、枝もほとんどない──に目をやる。
 あの木はどうして自分に襲いかかったりしたんだ?
「くそっ!」
 駿介は頭をかきむしった。何がなんだかさっぱり解らない。
 だが、一つだけはっきりしていることがある。それは──
「やべぇ!」
 12時40分。準備に間に合わなくとも、練習には間に合いたい。キャプテンの戸田には怒鳴られるだろうが……。
「あ…」
 もう一人いた。金子先輩。怪我をした彼に代わってレギュラーになったため、彼に対しては気まずさというか負い目というか、申し訳なさを感じている分、戸田よりもやっかいだ。
「はぁ」
 駿介はため息をついた。なぜ戸田は自分を、入部して二ヶ月もたっていない新入生をレギュラー入りさせたのだろう?
 もっといい選手はいたはずだ。例えば二年の杉下先輩とか。
 戸田にレギュラー入りを命じられたとき、「がんばれよ」と励ましてくれた先輩。尊敬、と言ったら大袈裟だが、頼りになる人物であることは間違いない。
 それにしても…、なぜ戸田は彼を金子の代わりにレギュラーにしなかったのだろう?
「──って。ンなこと考えてる場合じゃねーって!!」
 我に返り、環からもらったリストバンドを握りしめたまま、駿介は駆けだした。幸いなことに駿介のいる場所から学校までそう遠くはない。と言っても、あと数分ほど全力疾走しなければならないのだが。
「く…くるじぃ…」
 駿介は呟く。しかし、あと少し。あの角を左に曲がれば、体育館が近く──
「うわぁっ!」
「うおあぁぁっ!」
 角を曲がった瞬間に聞こえてきた驚きの声に、駿介もびっくりし叫ぶ。
「って、杉下先輩…」
 目の前で立ちつくす人物の正体に、駿介はあっけにとられた顔をする。
「どしたんですか、いったい?」
「あ、あぁ…」
 まだ驚きから抜けきれないといった表情で、杉下は駿介を見る。
「い、いや。急に叶が現れたからびっくりして…」
 どこかびくついた様子で杉下が答える。
「──すいません」
「いや別にいいんだけど…どうしたんだ、それ?」
 杉下が駿介の頬を指さす。
「血が出てるぞ?」
「あ、これっスか? いや、よくわかんないんですけど──
「いいご身分だよな、叶」
 背後からの声に駿介は振り返った。金子だ。
「……」
「レギュラーさんは準備をしなくてもいいってか?」
「──すいません」
 駿介は金子に向かって頭を下げる。
「選ばれたからって、偉そうにしてんじゃねーよ、叶」
「金子先輩…」
 金子の言葉を杉下が咎めようとする。が、相手が上級生であるためその口調は弱い。
「お前もだ、杉下。戸田の気まぐれで今回は叶が選ばれたみてーだけど、お前も調子にのってんじゃねーぞ…」
「……」
 うつむく駿介と杉下に鋭い一瞥をくれると、金子は松葉杖をつきながら体育館の方へと向かう。
「すいません。おれのせいで」
 金子が体育館に入ったのを見届けて、駿介は杉下に謝った。
「別に、叶のせいじゃないさ」
 先程までの驚きもなくなった様子で、杉下は笑う。
「それよりも…、早く着替えた方がいいんじゃないか? それと絆創膏」
 そう言って杉下は駿介の頬を見る。
「そっスね。んじゃ、失礼します」
 と言い、杉下に軽く頭を下げると駿介は部室に向かった。
 着替えの途中、駿介はそれまで自分がリストバンドを握りしめていたことに気づいた。一瞬迷った後、
「ま、いっか」
 着替えを終えた後、右手首にリストバンドを巻くと部室を出、こっそり体育館の中に入った、次の瞬間、
「叶!」
 戸田の大声が体育館中に響く。
「何してる! さっさとウォームアップして、中に入れ!」
「は、はいっ!」
 戸田の怒声に悲鳴じみた声を上げ、駿介はあわてて準備運動を始める。
 その後、戸田のいつになく厳しい練習を駿介に強いたが、ヨレヨレになりながらも駿介はこれをクリアする。
「うん、なかなかいい感じだな」
 練習終了後、戸田は満足そうにうなずいた。
「オレの目にくるいはなかった……」
「……」
 呼吸するのに手一杯で、駿介は何も言えない。
「よし、今度の練習試合、お前出すぞ!」
「──ちょ…」
 ついこの間までは、「とりあえずレギュラーにしておくだけ」と言ってたはずなのに。戸田の言葉に、駿介は声を挟もうとしたが、息苦しさからうまく声が出ない。
「と言うわけで、叶。来週の試合、がんばれよ」
「待てよ、戸田!」
 駿介の肩を叩こうとする戸田の動きを金子の大声が阻む。
「次の試合にこいつを出すなんて聞いてないぞ!」
「今決めたからな」
 鼻息の荒い金子の言葉を戸田はさらりと受け流す。
「戸田!」
 金子が声を荒げる。
「なんでこいつなんか出すんだ!? まだ杉下の方がマシだろう!!」
「確かにお前の言うとおりなんだが…」
 と、杉下を見ながら、戸田は言う。
「でも今、チームに必要なのは叶だとオレは思う」
「こいつのどこが『必要』なんだよ!?」
 松葉杖で駿介を指しながら、金子が叫ぶ。
「シュート率もパス回しも、どこをどう取ったって杉下の方が上だろう?」
「確かにそうなんだが…」
 戸田は困った様子で人差し指で頬をかく。
「なんて言うか、杉下は動きが慎重すぎるんだよ。安全じゃないとシュートしない。安全じゃないとパスしない。それじゃ駄目だ。そのうち相手に動きを読まれちまう」
 戸田の言葉を金子はもとより杉下、駿介……部員全員が黙って聞いている。
「けれど叶はとにかく動く。ダメもとだろうと何だろうととにかくシュートする。考えるより先に体が動いてる」
 駿介を見ながら、戸田は言う。
「お前の言うとおり、シュート率で見りゃ確かに杉下の方が上だ。けどな──マネージャ、スコアブック見せてくんない?」
 その声に、友恵があわてて持っていたスコアブックを戸田に手渡す。戸田はページをめくると、
「例えば今日の試合形式の練習なんだが、杉下のシュート率は約72%。叶は約52……」
 そこまで言うと、戸田は駿介をにらむ。
「もうちっと入るようにしろ」
「すいません…」
 首をすくめ、駿介が謝る。
「まぁいい。で、だ。問題はシュート数だ。戸田は32で叶が60となっている。つまり…」
「えーっと、32回のうち72%が成功してるってことは、32割る──」
「馬鹿! 32かけるだろ!」
 部員全員が上目遣いになりながら、頭の中で計算を始めている。
「杉下先輩が23回。駿介が…31回ぃ!」
「そういうことになるな」
 一年生部員の大声に戸田は満足そうにうなずいた。金子を見る。
「つまり、叶は杉下より8回多くシュートが入っている。8回…つまり16点差があるわけだ」
「そ、そんなの今回のゲームだけの数字だろ!」
 金子が声を張り上げる。戸田は肩をすくめる。
「たしかにその通りなんだが──」
 戸田は意味ありげに金子を見る。
「そう言うんだったら過去成績の集計でもしてみるか、金子? もしかしたら叶の奴、お前の上をいってるかもしれないぞ? だとしたら、どうする?」
「──!」
 戸田の自信たっぷりの言葉に、金子が言葉を詰まらせる。
「たしかに叶はまだまだな部分が多い。けど、今のチームにはいい刺激剤になると思ってる」
 そういって戸田は部員たちを見る。
「それは、お前たちにも言えることなんだからな」
 戸田の言葉に部員たち──特に一年生は尊敬の眼差しを戸田に向けている。
(さすがキャプテン……)
 すっかり戸田の話術にはまった同級生たちの顔を見、駿介は内心感心している。
(おれもこの話しっぷりでダマされたクチなんだよなぁ)
「と言うことで、何かあるか、金子?」
「……」
 話を振られた金子は悔しそうな顔をしていたが、
「言っておくが、オレの怪我が治ったらお前なんかすぐ補欠以下に逆戻りだからな!」
「わかってるわかってる」
 片手をひらひら振りながら、戸田が応じる。
「つーことで。今度の練習試合には、叶、お前を使う。いいな」
「はい」
 駿介の言葉に戸田は満足そうな表情を見せる。
「よーし、んじゃ今日は解散!──叶!」
「はい?」
 他の部員同様部室に向かおうとした駿介を戸田が呼び止める。
「確かお前、今日遅刻したんだよな?」
 戸田の意地悪い笑いに駿介は半笑いで答える。
「そ、それはですね。諸事情というか。実はおれ、命を狙われて…」
「遅刻したよな?」
 笑顔で戸田は聞き返す。その目は笑っていない。
「──はい」
「お前、体育館のモップがけ決定」
 そう冷たく言って、戸田は体育館を出て行く。
「キャプテ〜ン」
「モップがけが終わったら、体育館に鍵かけておけよ。あぁ、体育館の鍵は職員室に返しとけよ」
 そして、体育館には駿介一人が残される。
「……」
 仕方ねぇよな。ため息をつくと、駿介はモップのおいてある体育館倉庫に向かった。モップを手に取ると、
「はぁ」
 と息をつき、モップがけを始める。
(呪われてるな、おれ…)
 体育館を数往復しながら、駿介は思う。
(ま、確かに練習日をころっと忘れてたおれが悪いんだけどさ……)
 しかしあのCDショップから学校まで、10分は無理だとしても15分あれば到着すると内心計算をしていたのだが、見事に外れてしまった。
 いや、あれが──木が襲ってくるなんて事がなければきっと……
「環、だったっけ?」
 駿介は自分を助けてくれた少女の名前を呟く。
 なんだかよく解らない「符」とか言うものを使い、木を粉砕した。いや、被害は木だけに止まらなかったが。
(あの家の人、絶対落ち込んでるよなぁ)
 被害にあった家の住人の驚愕と落胆を思い、駿介は密かに同情する。
(そういやあの子、百瀬の事、知ってるみたいだった)
 自分の顔を見、「百瀬にそっくり」だと言った少女。百瀬なんて名字、珍しいものではないが、そう多いものでもない。
 その上、自分とそっくりな顔。間違いなくあの環という少女は百瀬匡介の知り合いだ。
(百瀬匡介…)
 名前も顔も弟と同じ少年。いったい彼は何者なのだろう。
「よし!」
 駿介はうなずく。考えたって埒が明かない。尋ねてみればいい。そうだ、訊けばすむことだ。
 しかし…。モップを動かしていた駿介の手が止まる。もし彼が「叶匡介」であったとしたら。
 自分は何を言えばいいのだろう? いや、そもそもそれを知ったとして、自分は何をしたいのだろう? 駿介は考え込む。
「あぁぁぁっ!」
 片手で髪の毛をくしゃくしゃとかきむしりながら、駿介は叫ぶ。
「んなこと、わかってからでいいんだよ!」
 考える前に動く。それが自分。戸田もそう言ってたではないか。
「とにかくっ! 明日、奴に訊く! それでおっけー」
 自分に言い聞かせるように言うと、駿介はモップを先程よりも速い速度で動かした。まるで自分の中にある不安を打ち消すかのように。

V


   百瀬匡介が転入してきて一週間が過ぎた。
 最初の2、3日は「同じ顔が二つある」ことに驚愕するクラスメイトも多かったのだが、すぐに慣れてしまったらしく週末を迎える頃には皆、平然と学校生活を送っていた。また、たまに噂を聞きつけた他クラスの生徒が休み時間に教室を覗きにくることもあったが、数日もしないうちに自然と収まっていた。
 しかし、
「――百瀬」
 放課後、クラブあるいは家に向かおうとする生徒達の動きがその声でぴたりと止まる。
「話がある」
 駿介の言葉に、匡介は無言で席を立った。
「おい……」
 二人が教室から出て行くとすぐ、教室内は騒然となる。
「ヤバくねぇか?」
「つーか、やっぱあの二人ってさ……」
「マジ兄弟なのぉ?」
 誰もが勝手に予想や想像を言い合う中、
「――でも…」
 と、誰かが呟いた。
「叶君、すごく深刻な顔してた…」
 それは誰しもが思っていたことで、教室内は静かになる。
 だからだろうか。誰一人として二人を追いかけようとする者はいなかった。

「? どうかしたか?」
 屋上に出るドアの前で足を止めたまま動かない匡介に気づき、駿介は尋ねる。
「……いや」
 と短く答え、匡介は屋上に出る。駿介の通り過ぎ振り返る。
「それで?」
「信じられねぇことだけど。昨日、木がおれに襲ってきたんだ」
 屋上に向かうまでの間、考えに考えたつもりの言葉を駿介は口にする。
「枝がさ、こうムチみたいに襲ってきやがるんだよ」
 言いながら、駿介が頬の絆創膏に触る。匡介は何も言わない。しかし、匡介の双眸は一瞬細くなったのに駿介は気づく。
「それでさ、気がついたら足が動かなくなって…。マジでヤバいと思ったとき、女の子に助けられたんだ」
「……」
「その女の子、おれの事『お前にそっくりだ』って言ってた」
 そこまで言うと駿介は一息ついた。そしてまっすぐに匡介を見る。
「あの子、お前の知り合いだよな?」
 匡介からの返事はない。
「どうなんだよ、百瀬?」
 駿介は更に問い詰める。しかし、答えは返ってこない。
「百瀬?!」
「――だから、どうした?」
 叫ぶ駿介に対し、匡介は冷静に答える。かすかに感じる「気配」を探りながら、
「俺と環が知り合いだからと言って、お前に何の関係がある」
「おれはその子の名前が『環』だなんて名前だって一言も言ってないぜ」
 どこか勝ち誇ったように駿介は言う。
「やっぱりあの子とお前、知り合いだったんだな」
「だからどうした?」
 匡介が尋ねる。近づきつつある「気配」に注意を払いながら。
「いったい、何なんだ?」
 違う。匡介を問い詰めながら、駿介は己れの間違いに気づく。
「あの子、なんかよくわかんない術みたいなの使って、おれを助けてくれたけど……」
(そうじゃない。おれが訊きたいのは…)
 こんなことじゃないと分かっているのに、言葉は止まらない。
「いったい何なんだよ、あれは?」
(お前は…)
 匡介はただ黙って駿介を見ている。見ているのだが、その目はどこか別の場所を捕らえているように思え、駿介は苛立った。怒鳴る。
「答えろよ!!」
(本当は――!)
 二人の間を沈黙と風が通り過ぎる。
 しばらくして、
「俺がその問いに答えたら――」
 抑揚のない声が匡介の口から放たれる。 
 ――来る。近づく「気配」にいつでも対処できるよう右手に拳を作りながら、匡介は、
「お前は俺に構わないでくれるのか?」
「――っ!」
 噛んだ唇の隙間から憤りの息を漏らし、駿介は匡介を鋭くにらむ。怒りのこもった駿介の眼差しを、匡介は平然と受け流す。
「迷惑だ。――本当に訊きたいことを言え」
 冷たい、明らかに他人いや自分を拒絶している匡介の瞳。自分と、いや死んだ弟と同じ顔をであるからこそ余計に腹立たしい。だから気がつくと駿介は
「お前は……お前は『匡介』じゃない!」
 と、全身で叫んでいた。
「お前みたいな奴が、おれの弟なわけない!」
 怒りのまま言い切った後、駿介は我に返る。
(――おれ、何を言ってるんだ?)
 死んだはずの弟かもしれないと一方的に思っているのは自分だ。たとえ態度が冷たくても、彼が「匡介」じゃないからと言って、それに対して八つ当たりをしていいはずがない。
「百瀬…」
 謝ろうと口を開いた駿介よりも先に、
「答えは出たようだな」
 匡介の冷淡な言葉が返ってくる。
「なら、それでいいだろう?」
「お前はっ!」
 人の気を逆撫でする匡介の物言いに駿介は激昂し、匡介に詰め寄ろうと足を動かした。そのとき、
「伏せろ!」
 匡介の思いもよらない大声に、駿介の動きが止まった。怒りを忘れ、
「え?」
 呆けた表情で匡介を見る。
「ちっ!」
 動かない駿介に舌打ちをすると、匡介は素早く駿介に近づき、足払いをかけた。
「でぇっ!」
 ものの見事にすっころび、駿介は大声を上げる。
「てめぇ、百瀬。いきなり何する──」
「大我」
 駿介の怒声を無視し、匡介は命じる。刹那、匡介の右腕が青白く光る。その光る腕を匡介は横になぎ払った。
 一拍の間を置いて、カランと床に金属が鳴り響く。それを見、
「なん…だ?」
 駿介は呟く。いったいどこからこんな金属の棒が降ってきたと言うんだ。いや、それよりも
「百瀬…?」
 駿介は匡介を見る。背中を向けている彼がどんな表情をしているか、駿介にはわからない。ただ言えることは、
(助けた、おれを?)
 彼が注意し、そして足払いをかけなければ自分はこの棒に刺されていた事だけは確実だ。
 分断された金属棒──どうやら避雷針と思われる──に視線を移していた駿介はふと我に返り、前を見る。そこに人の姿はない。駿介はあわててあたりを見渡す。いた。
「百瀬!」
 屋上を出て行く匡介の姿に気づき、立ち上がり叫ぶ。しかし、匡介は立ち止まりも、振り返りもしない。
「百瀬…」
 階段を下りていく匡介の足音を聞きながら、駿介は自分が彼を傷つけてしまったことを知り、立ちつくす。
 やがて足音も聞こえなくなり、
「駿介!」
 慌しい足音とともに声が聞こえてきた。雄二だ。恐らくクラスの誰かから話を聞き、気になってやってきたのだろう。
「おい、駿…って、何だよこれ!?」
 屋上に足を踏み入れた直後、床に転がっている真っ二つになった避雷針を目撃し、雄二は目を丸くする。
「どうしたんだ、これ?」
「さぁ」
 駿介は肩をすくめた。勝手に折れて、そして襲ってきたなどといえば余計に混乱を招くだろう。駿介の返答に雄二は眉をひそめる。
「――どうした?」
 いつもとは違う駿介の態度に、雄二は駿介の顔を覗き込みながら尋ねる。
「百瀬と…何かあったのか?」
「――わりぃ」
 と、くぐもった声で小さく謝り、駿介は雄二のそばを通り抜けた。背後で雄二の呼び止める声が聞こえたが、聞こえぬ振りをしてそのまま一気に階段を駆け下りる。
「叶君」
 階段を下りたところで、友恵が心配そうに声をかけてくる。
「あのね。その……」
 何も答えず、駿介は教室に戻った。教室に残っていたクラスメイトの視線を無視し、席に向かうと鞄を取り、教室を出る。
「叶くん……」
 気遣う友恵の声を振り払い、駿介は昇降口に向かう階段を下りる。
「かのう…」
「桂」
 何とか慰めようと声をかけようとする友恵を、雄二が呼び止める。
「止めといたほうがいい」
「でも……」
 雄二と駿介が下りていった階段を交互に見ながら、友恵が不安そうに呟く。
「あいつ、マジで落ち込んでるから……。今は声かけないほうがいい」
 浮上するきっかけを本人が掴むまで、あるいは向こうから言ってくるまでは、何も言わないほうがいい。
(それにしても…。あいつがあそこまで落ち込んだ姿、見るのは初めて……じゃないか)
 昔、一回だけ見たことがある。そのときのことを思い出し、雄二の表情は暗くなる。
 それにしても、何を言われたかは知らないが、
「──に匹敵するくらいショックだったんだな、駿介の奴」
 恐らくあまりにも似ているから、死んだ弟に言われてるように思えてショックだったのだろうと思うのだが。
「え?」
 雄二の呟きを聞き、友恵が訊き返す。
「オレが駿介のあんな顔を見たのは、あいつの弟が死んだ以来だってこと」
 あのときは子供だったから、駿介にどう言って慰めればいいのかわからず黙っていたが、今は奴が回復するまで黙って待っているのがいい。そう言う雄二に友恵は
「本当、二人とも仲いいよね」
 と、感心したように呟く。その口調にちょっぴり嫉妬を滲ませて。
「そりゃ、十年来のつきあいだからな」
 友恵のやきもちに気付き、雄二は苦笑する。
「オレたちも、十年くらいつきあえばわかってくると思うぜ?」
「むー」
 友恵はうなり声をあげる。その頬はどこか赤い。
「雄二君って、しれーっと口説き文句っていうか殺し文句を言うよね」
「そうかぁ?」
 雄二が驚いたように聞き返す。
 わかってないなぁ。友恵は小さく嘆息する。
 そういうセリフ、平気で言うから「つきあって」ってこっちから言ったのに……。
「ま、何にせよ大丈夫さ」
 友恵の心配に今度は気づかず、雄二は言う。
「たぶん明日の朝には元気になってるさ、駿の奴」
 自信たっぷりに言いきる雄二の姿に
「うん、そだね」
 友恵はうなずく。
「あんな調子だったら、戸田先輩、絶対叶君をシゴくと思うから」
 その言葉に雄二は笑った。

(何をしたんだよ、おれ)
 教室を出て昇降口に行く間も、靴を履き替え、校門へ向かう途中も駿介は自分を責めていた。
(あんな言い方しなくても…)
 もっとちゃんとした、穏便な物言いがあったはずだ。それなのに最初から相手の弱点を探るような問口調で問いつめ、知りたかったこととは全然見当違いな話をして。挙げ句の果てに失敗して、相手を傷つけた。
「くそっ!」
 最低、最悪だ。自分に対する苛立ちしか残っていない。
「くそ、くそっ…」
 と、自らを罵りながら前を見た。その時
「あ、やっほー!」
 校門脇の二つの人影。うち小さい方の影が駿介を見つけ、無邪気な笑顔で手を振っている。
 ──環、だ。
「あぁ」
 暢気に挨拶する気も沸かず、駿介はうなずく。
「叶駿介さんですね?」
 もう一つの影が駿介に近づいてきた。大学生か社会人か、どっちにしろ駿介よりも年上の青年だ。
「初めまして清見悟と言います」
「何か用ですか?」
 不機嫌この上ないと言った口調で駿介は尋ねる。駿介の態度を気にもとめず悟は、
「知りたいことはわかりましたか?」
 と笑顔で駿介に尋ねる。
「百瀬さん、いえ貴方の弟さんのことが知りたかったのでしょう?」
「あいつは…弟じゃない」
 弱々しく呟く駿介に、
「ええ」
 と悟はうなずく。
「彼は貴方の弟ではありません。いえ、そもそも貴方に弟は存在しません」
「なっ!」
 その言葉に駿介は絶句する。
「何言ってんだよ、あんだ? 匡介はおれの──」
「知りたいですか?」
 駿介の言葉を遮り、悟は静かに尋ねる。
「真実を?」
 まっすぐ自分を見据える悟の目を見ながら、駿介は
「あぁ」
 臆することなくうなずく。
「言ってみろよ、あんたの言うその『真実』を──」


To be continued.
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