Crimson Eyes
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01:PHANTOM Brother (Act-3)



「それじゃ、ちょっと待っててくれる?」
「おう」
 雄二の言葉に友恵はうれしそうにうなずくと忘れ物のある部室の方へ向かった。
(あ…)
 部室前まできて、友恵は気がついた。
(別に二人で行ってもよかったんだった)
 そうしたら二人っきりの時間も長くなるわけだし、それにもしかしたら――
 夕日の差し込む部室。お互いを見つめ合う二人。雄二が自分の名を呼ぶ。そして、そっと自分の肩に手を置き、そして顔を近づけてくる……
(きゃぁ〜っ!)
 あたしったら、あたしったら、なにえっちなこと考えてるのよぉ! 勝手な想像に友恵は一人舞い上がり、顔を赤くする。
(だけど……)
 つきあい始めてまだ一ヶ月もたってないけど。でも、期待してもいいよ…ね?
 右手に部室の鍵を持ったまま、ドアの前で突っ立っていた友恵は我に返る。
(そんなこと考えてる場合じゃないって!)
 雄二を待たせているのだ、早くすまさないと。あわてて鍵を開け、友恵は部室のドアを開いた。
「え?」
 唸り声のようなものを聴いたように思い、友恵は入口で立ち止まった。しばらく耳を澄増していたが、それらしき声は聞こえない。
 変なの。肩をすくめ、友恵は室内に入った。埃と汗の臭いに一瞬顔をしかめ、外に出る。
(慣れないなぁ、この臭い)
 30名近い部員(男)がこの部屋に出入りするのだから、男くさいのは当たり前だ。しかし、男兄弟のいない友恵にとって、この臭いは未知のものでどうにも慣れない。
 すぅと大きく息を吸い、息を止めて友恵は部室に入る。
 薄暗い室内の中、早足で部屋の奥にあるロッカーに向かい、マネージャー専用のロッカーを開ける。
(あった)
 茶色い紙袋を見つけ、友恵はそれをつかむ。ロッカーを閉め、部室を出ようと後ろを振り返った時、
 ううぅぅぅうぅ……。
 唸り声を聞き、友恵は足を止めた。
(空耳…じゃないよね?)
 少しずつ息苦しくなってきているが、まだ余裕がある。友恵は室内を見渡した。何も見当たらない。
 うぅ、うぅぅぅぅ……。
 唸り声は聞こえている。いや、それは唸り声というより、呻き声のようだ。
「だ……」
 息を止めるのが限界になり、友恵は息を吐き出すと同時に声を上げた。
「誰かいるの?」
 うぅぅぅ……。
 返事はない。ただ呻き声だけが聞こえてくる。友恵は胸元に抱えた紙袋をぎゅっと握り締めた。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
 姿なき声に友恵は尋ねる。と、
 う…うぁ。あぁぁぁぁ……。
 それまで低い、聞こえるか聞こえないか程度であった呻き声がはっきりとした音として、友恵の耳に飛び込んできた。
「ゆ…雄二君なの?」
 泣き笑いの表情で、友恵が尋ねる。
「も、やだ。からかうのやめてよ」
 あぁあぁぁぁああああああああああああああああああ……!!
 不意に大きくなった呻き声に、友恵は両手で耳をふさいだ。
「やだぁっ! やめてよぉ!」
 その場にしゃがみこみ、友恵は叫ぶ。
「やだやだやだ。やだぁ〜っ!」
 友恵は首を激しく左右にった。その拍子に目の端ににじんでいた涙が頬を伝い落ちる。
「助けて助けて…。――雄二君!」
 ふっと、呻き声が室内から消えた。
「……」
 友恵はおそるおそる顔を上げた。耳をふさいでいた手を下ろし、呆けた様子で辺りを見る。
「だ、れ?」
 立っていたときは気づかなかったが、入口すぐそばの片隅で人がうずくまっていた。室内が薄暗いことと、その人が顔を伏せていることもあって、誰なのかはわからない。
 友恵はゆっくり立ち上がった。
「どうしたの?」
 人影に向かって友恵は尋ねる。
「もしかして…」
 気分でも悪いの?と問いかけ、友恵は相手に近づこうとした。が、あることに気づき、足を止める。
(この人、どうやって部室に入ったの?)
 部室の鍵はキャプテンの戸田だけが持っている。だから、部室に入る際は必ず戸田に鍵をもらって中に入っっている。
 スペアキーという言葉が脳裏に浮かんだが、友恵はすぐに否定する。なぜならスペアキーは学校が非常用として職員室の金庫の中に入れて保管しており、生徒が借りることはできないようになっているからだ。
 仮に、友恵のように戸田から鍵を借りて部室に入ったとして、その鍵はどうやって返されたのか?
(もしかして!)
「誰かに閉じこめられたの?」
 友恵は尋ねる。可能性としては低いがあり得ない事ではない。
 だが、返事はない。膝を抱えてうずくまったまま動こうとしない。
「もし、閉じこめられたんだったら…あたし、鍵持ってるから一緒に出よ? ね?」
 励ますように友恵は促す。だが、人影が動く気配はない。
「苦しいの?」
 言いながら、友恵は人影に近づいた。目の前に立つと、
「気分悪いんだったら、人…呼ぼうか?」
 そう言って、友恵はしゃがみ込む。
「ねぇ……」
 相手の肩に手を伸ばし、軽く揺さぶる。
「大丈──」
 と。相手が顔を上げた。その顔を見た瞬間、友恵の言葉がとぎれる。目を瞠る。
「……ひっ」
 息をのむ。
 じっと友恵を見つめる瞳。その色は──
「いやぁぁぁあぁ!!!」
 窓から見える夕日の色よりも赤く、そして黒く濁っていた。


 駿介が連れてこられた先は、篠宮駅前にある喫茶店だった。
「すみません。こんなところでお話なんて」
 と、席に着くや否や清見悟が頭を下げる。
「環がここのパフェが食べたいらしくて…」
 照れたように笑う悟の隣には、嬉々としてメニューを見ている環がいる。
「ガイドブックにも載ってるみたいですね、ここの喫茶店? 有名なんですか?」
「そんなことはいいからさっさと話せよ、『真実』ってのを」
 急かす駿介にまあまあと言って悟は手近にあったメニュー表を駿介の方に差し出す。
「とりあえず、何か頼みましょうよ。話はそれからでも遅くはないでしょう?」
 気にくわない。駿介はむっとした表情で悟を見る。彼の丁寧かつ穏やかな口調が、なだめられているというよりあしらわれているようで、ひどく勘に障る。
 だからだろう、何にしますと悟に尋ねられたとき、
「コーヒー、ブラックで」
 といつもなら決して飲まないものを頼んだのは。
 駿介のオーダーに悟は何も言わず柔和な笑みを見せている。それがまた駿介には「無理しなくてもいいですよ」と言っているように思え、不機嫌度はさらにアップする。
「環は? 何にします?」
「う〜〜」
 口をとがらせ、環はうなり声をあげる。どうやら食べたいものがありすぎて、一つに絞れないらしい。
「うぅぅぅぅ……」
 今にも泣きそうな表情で環はメニューを見ている。悟は苦笑する。
「環…。今日限りって訳じゃないんだから」
「──また連れてってくれる?」
 メニュー越しに上目遣いに環は悟を見る。
「ええ。約束します」
「じゃ、環は……カラメルプリンパフェ!」
「ご注文を繰り返します。ブラックコーヒー、ダージリンティ。それからカラメルプリンパフェがそれぞれお一つですね」
「えぇ、お願いします」
 ウェイトレスの言葉に悟が軽くうなずく。
「──それで!」
「話はコーヒーがきてからにしませんか?」
 急かす駿介に悟は笑みを浮かべて制する。
「あまり、人には聞かせたくない話でしょう?」
 そうか、駿介は納得した。彼、清見悟を気にくわなく思う理由。それは彼の何でもお見通しだと言わんばかりの表情や嫌味なほどにへりくだり、そして決して自らの本心を明かそうとしない口調。それが不快なのだ。
 自分と他人の間に決して見えない、わからない壁を作って隔てている。そう感じてしまうから、好感が持てない。
(まだ、百瀬の方がマシだよな…)
 素っ気ない口調と冷淡な態度。あからさまに他人を拒んでいることを見せている匡介の方が、相手に気づかれないよう距離を置いている悟より好意的に思える。
(匡介……)
 屋上でのやりとりを思い返し、駿介の表情が曇る。
 何で自分はもっと上手に話すことができなかったのだろう。もっと、この悟ほどとでなくてもいいが穏便に会話することができたならば、違う結果になっていたかもしれないというのに……。
 店内に流れるクラッシックのゆったりとした曲調を聞きながら、駿介はため息をつく。
「お待たせいたしました」
 程なくしてトレイを持ったウェイトレスがやってきた。
 目の前にコーヒーが置かれる。
「ごゆっくりおくつろぎください」
「いっただっきま〜すっ!」
 ウェイトレスの言葉が終わるよりも早くスプーンを持ち、環はパフェに挑む。
「んーーー!おいしー!!」
 カラメルソースのかかったプリンを口に入れ、環が歓喜の声を上げる。
「飲まないんですか?」
 悟が尋ねる。
「後で飲む。それで?」
 悟をにらみ付けながら、駿介は促す。
「どういう事なんだよ、おれに最初っから弟はいない、って?」
「そうですね──」
 ティーカップをソーサーに置き、悟は駿介に笑む。
「双子の定義ってなんだと思います?」
 いきなりの質問に駿介は言葉を詰まらせながらも、
「そりゃ…。一人の母親から同じ日…つーか同じ時間帯に生まれた二人の子供って事じゃねぇの?」
「なるほど」
 悟はうなずく。
「あと、双子には主に2種類に分けられますよね?」
「一卵性と二卵性ってことか?」
「両者の違いは?」
 生物の勉強をしているようだと思いながらも、駿介は答える。
「一卵性ってのは、一つ受精卵が分裂する際に何らかの理由で二つに別れて、そのまま個々がおっきくなるってやつだろ? ンで二卵性ってのは元々卵子が二個あって、それぞれに精子がくっついてでかくなったわけだ」
 もとが一つの受精卵であったために一卵性双生児は二卵性双生児よりも顔立ちがよく似ている。また、異性同士の双子は間違いなく二卵性双生児である。昔、読んだ漫画か何かでそんなことが書いてあったように思う。
「おれと匡介は…病院で調べてもらった訳じゃないけど一卵性双生児だった」
「それは違います」
 悟が首を横に振る。
「確かに貴方と百瀬さんは同じ母親の胎内から誕生しました。しかし、あなた方は双子ではない」
「な…」
 混乱に駿介の言葉が詰まる。同じ日に生まれて、でも双子じゃない?
「何言ってんだよ…」
 声が震える。駿介は悟をにらんだ。
「同じ母親から同じ日に生まれてて、何でおれらが双子じゃないって言い切れるんだよ?!」
「それは──」
 言いかけた言葉を悟は飲み込む。うつむき、しばらく考えると、
「今から16年前、一人の男がいました」
「そんなの聞いてねぇ!」
 テーブルを拳で叩き、駿介は叫ぶ。店にいた客はもとよりウェイトレスも何事かと駿介たちの方を見ている。ただ、すぐ隣にいる環だけは、パフェを味わうことに集中して二人に見向きもしない。
「彼にはある目的がありました。けれども、それを達成させる時間が彼にはなかった。なぜなら、彼の肉体は死を目の前にしていたからです」
「……」
 駿介の険しい眼差しを静かに受けながら、悟は言葉を続ける。
「そのとき、彼の目の前に一人の女性が映りました。女のそれを知った彼は、彼女に近づきました」
「『それ』?」
 駿介は眉をひそめる。
「女は…彼女自身気づかなかったようですが、妊娠していました。それを知った彼は、女の目の前で──死にました」
「死…んだ?」
 そう呟く駿介の脳裏にある人の言葉がよみがえる。
 ──ほんと、びっくりしたわよ。近づいてきたかと思ったら急に倒れて。あわてて救急車を呼んだんだけどねぇ…。
 間に合わなかったのよと、呟いたときの悲しそうな顔。
 あれは去年、いや一昨年だったか。息子の法事の際、そんな昔話を口にしていたのは──自分の母親だ。
「正しくは、肉体と言う器から離れた、と言うべきでしょうね。肉体を離れた男の…魂と言ってもいいんでしょうか。それは女の体に入り、彼女の胎内で成長を始めていた受精卵に潜り込んだ。そして、分裂を始めている受精卵の細胞の一部を自分のものにし、受精卵から離れ、別個体として成長を始めた…」
「な……」
 悟の言葉に反論しようと駿介は口を開いたが、言葉が出ない。
「女は自分の胎内にまさか死んだはずの男が宿っていると知らず、通常の生活を営み、やがて妊娠を知ります。そして男は、女の胎内で自分の新たな肉体を再生させるわけです」
 喉の中がカラカラに乾いていて痛い。つばを飲み込もうとしても、口の中には何も出てこない。駿介はそれまで手をつけていなかったコーヒーカップを取ると、中身を一気に飲み干した。
「それが…匡介だって言うのかよ?」
 乾きはまだ治まらない。それでも何とか駿介は声を出し、尋ねる。
「答えろ。それが匡介なのか?!」
「約1年後、男は新たな器…肉体を得て蘇りました。名前を叶匡介。けれども本当の男の名は──百瀬匡介。下の名が同じなのは、果たして偶然でしょうかね?」
「……」
 頭がくらくらする。駿介は額に手をあてた。
「ごちそうさまでした! あれ、どうしたの?」
 パフェを食べ終え大満足と言った表情の環が駿介の様子に気付き、心配そうに駿介の顔をのぞき込む。
「頭、痛いの?」
「多分、肉体の再生に力を使ったせいでしょう。蘇った男は自分自身の記憶をなくしていました。しかし、6年たったある日、彼は不意に自分が『百瀬匡介』であることを思い出します。そして、それは同時に彼に彼の『目的』を思い出させることにもなるのです」
「目的…」
 駿介は呟く。悟の言葉を信じるならば、匡介は何かを叶えるために生れ変わった事になる。
「何なんだよ、あいつの『目的』って?」
「目的と言うより、願い、と言った方がいいかもしれませんね」
 願い。彼は何を願ったのだろう?
「百瀬さんは──死にたいのです」
「死にたいって! お袋に会ったとき、死にかけてたんだろ? だったらそん時に死ねば――」
「彼の望む『死』というのは肉体的な死ではなく、百瀬匡介が百瀬匡介として蘇ることのない死なのです」
 言ってる意味がわからない。
「あのね、百瀬のお兄ちゃんは死ねないの……」
 ぽつりと寂しそうに環が呟く。
「死ねない?」
 駿介が繰り返す。不死の人間?
「魂の不死、とでも言いましょうか? たとえ肉体は朽ちても魂は生き続ける。それが百瀬匡介──貴方の細胞を基にして新たな器を得た男の正体です」
「やめろ…」
 くぐもった声で駿介は言う。
「そう言う言い方はするな」
「百瀬匡介であることを思い出した彼は、ある一族にコンタクトを取ります」
 駿介の言葉を無視し、悟は話を続ける。
「一族?」
「その一族は地脈…そうですね、大地に流れる目には見えない流れと言えばいいですかね。それを見たり、治したり……、そういったことができる一族なんですけどね」
 その口調に駿介は悟がその「一族」の一人であることに気づく。多分、環もその一族とやらの人間なのだろう。昨日、枝が襲ってきたときに環がやっていたことを駿介は思い出す。
「その一族って…匡介の親戚か何かなのか?」
「まさか」
 悟は笑って否定する。その表情に嫌悪のようなものを駿介は感じ取る。
「むしろ敵ですよ」
「敵なのにどうして組むんだ?」
「利害が一致するからですよ」
「『利害』?」
 駿介が聞き返す。
「ええ」
 悟がうなずく。
「百瀬さんの目的は、さっきも言いましたが『死ぬこと』です。それを叶えるためにはある『もの』を見つけ、殺さなければなりません」
 殺すという言葉がすんなりと悟の口から語られ、駿介は顔をしかめる。
「ですが、百瀬さんにはそれを見つける手段はありません。一方僕らは、それを見つける手段はあっても、滅ぼすだけの力はありません」
 確かに利害は一致している。しかし、
「人殺しを匡介にさせるってのか?」
 駿介がくぐもった声で尋ねる。
「人殺しじゃありませんよ」
 穏やかな、笑みさえ浮かべて悟は否定する。
「あれは人じゃない。異形の『もの』です。だから僕らはあれの処分を、彼女と同じ身である百瀬さんにお願いするんです」
 悟の侮蔑を含んだ物言いに駿介はカチンとなったが。しかし、
 ――彼女? 悟の言葉に駿介の脳裏に何かがよぎる。
「匡介が探しているものってのは、女なのか?」
「見た目だけを言えばそうなりますね」
 悟はうなずく。
「でも、人間じゃない。あれは化け物です」
 冷ややかに悟が言い放つ。
「だから僕らは彼女と同族の百瀬さんにその処分を頼むわけです」
「やめろ」
 あからさまに匡介を「化け物」と言い放つ悟を駿介はにらむ。
「人の弟つかまえて、そういう言い方するな」
「『弟』? 彼は貴方の弟ではありませんよ? あなたの細胞をベースに成長した――」
「違う!」
 だんっとテーブルを叩き、駿介は怒鳴った。何事かと店内の人々が見つめる中、
「たとえ匡介の奴が、あんたの言うとおりに生まれたんだとしても…!」
 言いながら、駿介は10年前の夏の日の痛みを思い出していた。
 母の涙、父の絶望、そして自分が抱いた喪失。駿介は悟を見据える。
「それでも、あいつは──おれの弟だ!!」
 駿介の言葉に悟はかすかに、しかし駿介の目にわかるように嘲笑う。
「てめぇっ…!」
 かっとなり怒鳴る駿介の制服の胸ポケットで、
 ちゃっちゃちゃちゃらちゃら〜。
 おおよそこの場の雰囲気に似つかわしくない、お笑い番組のテーマソングが鳴り響いた。
「もしもしっ!」
 慌てて、携帯をオンにし、駿介は怒鳴るように応える。
「何だよ、雄二。いまそれどころじゃ――」
『桂が帰ってこないんだ!』
 切羽詰った雄二の声が駿介の言葉を遮る。
「はぁ?」
『部室に忘れ物したからって言って、部室に行ったきり帰ってこないんだよ!』
「だったら、部室に行けばいいだろ? おれ、それどころじゃ……」
『行ったさ!』
 雄二が叫ぶ。その大音量に思わず駿介は耳から携帯を遠ざける。
『行ったんだけど……部室がないんだよ!』
 今にも泣きそうな声で雄二が告げる。
「はぁっ? お前、何を…」
 寝惚けてるんだよ。あきれ返る駿介に、
『本当なんだよ!』
 と、雄二は必死に訴える。
『オレだって最初、夢見てんのかと思ったよ。でも、マジなんだよ! 本当に部室が消えてるんだよ! あいつの姿もないし。駿介、オレどうしたら――』
「? もしもし? 雄二?」
 不意に途切れた親友の声に、駿介は何度も呼びかける。
「もしもし? おい、雄二! もしもし!?」
「どうしたの?」
 携帯に何度も呼びかける駿介を環が心配そうに尋ねる。
「出ないんだよ、雄二の奴。もしもし? もしも〜しっ? あぁ、くそっ」
 そう言うと、駿介は携帯の電源を切り、雄二の携帯にかけ直す。しかし、
「あー、もうっ!」
 延々と続く呼び出し音に苛立ち、駿介は電源を切ると、席を立つ。と、
「心配いりませんよ」
 駿介の横顔に紅茶を飲み終えた悟が声をかける。
「百瀬さんがいますから、すぐに解決します」
「どういうことだよ?」
 噛み付くような口調で駿介は悟に尋ねる。
「なんで、匡介がいたら解決するんだよ?」
「そのために百瀬さんは貴方のいる高校に転校してきたからです」
 優雅な仕草で紅茶を飲み終えた後、悟は答える。
「そのため? 何のためだよ?」
「もちろん、彼女を殺すためですよ」
 かみつくように尋ねる駿介に対し、悟はにこやかな表情で言う。
「今、貴方とそしてお友達の身に起こっている出来事はすべて彼女が引き起こしています。正確には、彼女を受け入れた者が起こしていることですけれどね」
「ちょっと待てよ」
 悟の言葉に駿介の背中がぞくり寒くなる。
「じゃ、昨日のアレは──」
「えぇ。彼女を受け入れた者──『願い人』の仕業です」
 狙われていたのですよ、貴方は。その言葉に駿介は愕然となる。
「……どうして? 何でおれが狙われるんだよ?」
「たぶん『願い人』には貴方が邪魔だったんでしょうね」
 さらりとした口調で何とも物騒な話を悟はする。
「だから消してしまおうと思った」
「マジかよ…」
 駿介が呟く。
「心当たり、ありますか?」
「あるわけねぇだろ、こっちは至って平凡な高校生活を送ってるってのに!」
 言い返す駿介に
「その平凡な高校生活で変わったことは?」
 と、悟は重ねて尋ねる。
「変わったことぉ?」
 上目遣いに喫茶店の天井を見ながら、駿介は考える。
「別にぃ。いつも通りに朝起きて、メシ食って、学校行って。授業受けて、それから部活して……」
 駿介の言葉が途切れる。
「どうかしましたか?」
 悟が訝しげに駿介を見るが、駿介は気づいていない。
「まさか……」
 駿介は呟く。変わったこと。確かに一つだけある。しかしだからといってそんなことが──
「心当たりがあるようですね」
 悟が尋ねる。いや尋ねると言うよりむしろ確認に近い。
「あんたの言うとおり、『変わったこと』はあったさ。でもあんな事で──」
「貴方には些細なことであったとしても、『願い人』には、それこそ人生の一大事にも等しいと勘違いしてしまうこともあるんですよ」
 どこか嫌味の含まれた物言いだったが、今の駿介にそれを気にする余裕はない。それよりも気がかりは、
「その『願い人』の狙いってのは、おれだけなのか?」
 遠くを見つめたまま駿介は問う。
「そうですね。基本的には、と答えておきます」
「『基本的』? どういう意味だよ?」
 悟の方を向き、駿介が詰め寄る。
「『願い人』というのは、その目的を果たすために邪魔な存在を傷つけようという明確な意図を持っています。そして、その意図を普通ではできないような方法で確実に実行します」
「つまり昨日のアレは、おれを狙っている誰かの意図ってやつなんだな?」
 駿介の言葉に悟は静かにうなずく。
「ですが、千寿とのつながりが一つ失われた以上、『願い人』はその力の制御ができにくくなっていると思われます」
「『ちづ』?」
 聞き慣れぬ言葉に駿介は聞き返す。
「えぇ、二ノ宮千寿。それが『彼女』の名前です」
 悟の答えを駿介は呆然と聞いている。
「二ノ宮って…人間の名前じゃねぇか」
「彼女も百瀬さんも本を正せば人間ですからね」
 さらりと悟が言う。
「ですが今は異形のモノです」
「ンなことどうだっていい!」
 駿介がいらだった様子で叫ぶ。
「それよりも雄二は? マネージャは大丈夫なのかよ?」
「きわめて危険な状況ではありますが、でも百瀬さんがいますからね。悪いようにはならないと思いますよ」
 駿介の苛立ちに、悟の答えは酷薄だ。
「何だよそれ…。全部、匡介次第だってことかよ!」
「言ったでしょう。僕らは千寿の処分を、彼女と同じ異形の身である百瀬さんにお願いしている、と」
 悟の言葉に駿介の顔が怒りに歪む。
「ですから僕たちが行っても無駄ですよ?」
「うるさい!」
 駿介の口から怒号が放たれる。
「おれはあんたと違って、弟とダチとその彼女の危険を見過ごしたりしないんだよ!」
 一喝し、駿介は店から飛び出す。

「──いいの、悟ちゃん。行かせちゃって?」
 しばらくして、環が尋ねる。
「『帯』は渡してあります」
 無表情のまま、悟は答える。
「あとは運まかせですかね?」
「でも、もし違ってたら……」
「そのときは百瀬さんが何とかするでしょう」
 冷淡に悟は告げる。
「そのための『百瀬匡介』なのですから」


 駿介から離れた後、匡介は保健室にいた。保健室のベッドに横になり、そして待っていた。
「……」
 解放を感じる。匡介は目を開いた。さほど遠くない場所で荒れ狂う力の中に、かすかにではあるが彼女の気配を感じる。
「千寿…」
 呟く言葉には、ただ憎しみしかなく。
 匡介は静かにベッドから起きあがった。と、匡介はベッド近くの脇卓に置いてある鏡の存在に気づく。
 今は黒い、偽りの瞳。匡介はかけていた眼鏡をゆっくりとはずした。
 少しずつ、しかし確実に緋くなる双眸。
 緋眼(クリムゾン・アイズ)。清見たちはそれを「鬼眼」、異形の眼と言う。
「行くぞ、大我」
 そう呟き、匡介は保健室を出た。

 人の気配の絶えた保健室。
 ただ、黒縁の眼鏡だけが静かに光っていた。

To be continued.
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