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【一、岩があるから登るのさ】

2002.3.6

 真っ赤な砂塵が舞う。
 いくつもの竜巻を見ながら、あたしはただひたすら、頂上を目指していた。
 大きなザック、傾斜九〇度を越える岩場。
 見下ろせば目が眩んじゃうような高度。
 ホールドを確実につかみ、慎重に体を引き上げる。
 こんな作業のどこが楽しいんだ? と人は問うだろう。
 そしたら、腰に手を当て、胸を張って、堂々と答えてやるのだ。
「そこに岩があるからよ。決まってるじゃな〜い!」
 ガラッ。
 もろい足場が崩れた。
 げげ〜ん。
 ふわっと体が宙に浮いた。
 いや〜ん。
 グッと腰に衝撃。
 ぶら〜ん。
 宇宙服についてる命綱で、振り子のように揺れる。
「おねーさん、い〜かげんにしてよね」
 メットの通信機から響く、冷ややかなメゾソプラノ。
「なんでこんなとこまで来て、山登りなんかするわけ?」
「山登りじゃないわよ、岩登り」
 あたしは手近な岩をつかみながら、誇り高く答えた。
「どっちだっておんなじじゃない。なんでこんなとこまで来て……」
 ぶつぶつぶつ。
「ぜんぜん違うわよ。だいたい、ここは重力が低いし、山は高いし、地球の岩場じゃ味わえない感覚が味わえんのよ。
 せっかくここまで来たっていうのに、なんでルーはやんないの? もったいない」
「なんでわたしまで汗まみれになんなきゃなんないの?
 せっかく火星に来たっていうのに、火星名物大タコ焼きも、火星ダンパも、なんにも行けないじゃないの!」
「じゃ、一人で勝手に行けば?」
「一人じゃ不安に決まってるでしょ!」
 やれやれ。
 あたしは再び岩を登り始めた。
 このメゾソプラノの主は、妹のルリーズ。あたしのたった一人の妹だ。
 ちょっとした家庭の事情というやつで、行った学校が違う。あたしは庶民の学校、妹はミッション系のお嬢さま学校の出だ。
 おかげで、姉妹とはいっても、考えることがまるで違う。
「おねーさん、わたし、こんな岩だらけのとこ、もうやだよ。さっさと頂上まで登ってきてよ」
 ほれ、この通り。
「わかったって。夜は好きなとこつきあってやるから」
 耳元で響く声に辟易して、あたしはめいっぱい譲歩した。
「やったあ。ぜーったい約束だよ」
 ルーがはしゃぐ。
 しゃあないよなあ。
 あたしはあちこちにうずまく竜巻を眺めながら、こっそりため息をついた。
 大気の薄い高所ならさぞかし星がきれいだろうと思っていたのだが。
 竜巻で巻き上げられた砂塵で、空は赤い。
 つまり、星なんぞ、砂塵に遮られて、ろくすっぽ見えやしないのだ。
 これじゃあ、夜まで待っても甲斐がない。
 頂上で星見酒をひっかけたかったんだけどな。


 さてさて。
 夜である。
 丸天井には無数の小さなライトがきらめき、さながら星のよう。
 カウンターでは、太めのバーテンがシェーカーを振っている。
 あたしはそこから少し離れた席についた。
 脚の高い椅子にちょこんとおしりを乗せ、すらりと伸びた脚を組む。
「ご注文は?」
「ギブスン」
 低い声で告げ、辺りを見回した。
 長いカウンターに並ぶカップルたち。
 若い女や若い男。
 楽しげによろしくやっているようだ。
 ま、あたしには関係ないかっ。
 飲むぞ、飲むぞ、飲むぞ。
 つきあってやった代わりに、ここでのお代はルー持ちなのだ。
 おもいっきり飲まねば損なのだ。
 透明なカットグラスに、透明な液体が満たされて運ばれる。
 中には透明なパールオニオンが沈んでいる。
 まったく、しけたもんだ。
 でっかいオールドファッションドグラスになみなみついでくれりゃいいのに。
 こんな小さなカクテルグラスでは、何杯注文したって、満足できやしない。
 くいくいっと飲み干して、
「もう一杯」
 以前、瓶ごともらって口の中で調合しながら飲んだことがあるが、あの時はバーテンに竹ぼうきを振りまわされて叩き出されたので、もう二度とやらない。
 地道に一〇杯ほど飲み、そろそろ別のものに変えようかと思っている頃、
「あの、お隣、よろしいですか?」
 おずおずとかわらしい声が話しかけてきた。
 オーガンジーをたっぷりあしらった、黄色いドレスのかわいいい女の子だった。
 ルーよりも五つ六つ幼いだろうか?
「好きにすれば」
 あたしはバーテンを目で呼んだ。
「イエロージン」
「はい」
 女の子はつま先立ちになって椅子に腰をおろした。
 少女趣味なふくらんだスカートがつぶれ、椅子を覆うようにすそが流れた。
 バーテンが少女を見る。
「ご注文は?」
「えっと、ええっと……」
 女の子は顔を真っ赤にした。
「シンデレラ」
 おおかた、酒のことなどわからないネンネちゃんなんだろう。
 そう踏んで、口を出してやった。
「それって、なんですか?」
「オレンジジュースの親戚みたいなもんかね。安心おし、ノンアルコールだよ。あたしのおごり」
「ありがとうございます。じゃ、それ」
「はい」
 バーテンが引っこむ。
 ルーの金だと思うと気持ちが大きくなれる。
 あたしってば、太っ腹!
「あの、あの、お酒強いんですね?」
 女の子がおずおずと話しかける。
「まあね。でも、まず、自分の名前ぐらい名乗っても、バチは当たらないんじゃないの?」
「あ、失礼しました。私、私、その……、ええと……、そうだわ、アリアドネ! アリアドネといいます」
「ああ、迷宮から糸で英雄を導いた、あの神話のお姫さまね。偽名にしては珍しいんじゃないの?」
 あたしは運ばれてきたイエロージンをくいくいっと飲んだ。
 彼女のようすじゃ、本名でないのは火を見るよりも明らかだ。
「あの、私、一人で……。初めて来たんですけど、なかなかお友だちができなくて……」
 アリアドネが伏し目がちに言う。
「そりゃそうだろうね。あんなコワモテのお兄さんたち連れてりゃ」
 あたしはくいっとあごをしゃくった。
 彼女から少し離れた場所に、いかにも場違いな体格のいいスーツのお兄さんが二人。
 ボディーガードとか、そういった類の人種だろう。
「あの、お友だちになってくださいます?」
「え? あたしが? なんで?」
「かっこいいなあって思ってたんです。こんな風にカウンターでお酒飲めるなんて」
 をいをい、そのくらいで……。
 と、言いかけて口をつぐんだ。
 うぶでかわいそうなお嬢さんなんだ。一晩ぐらいめんどう見てやってもいいだろう。
 なんたって、今夜のお代はルー持ちなのだ。
「踊りに行こうか?」
 あたしは、扉の方に軽くあごをしゃくる。
 扉の向こうはダンスホールだ。
 にぎやかな音楽が、こちら側までもれている。
「え、でも、私、ワルツぐらいしか踊れないんです……」
「ヘーキ、ヘーキ。すぐ覚えるって」
 IDカードをバーテンに渡す。
 これに勘定が記録され、ダンスハウスを出る際に一括精算されるシステムである。
 IDカードを返してもらうと、アリアドネを誘って、ダンスホールに繰り出した。


 ミラーボール、入り乱れるイリュージョン、ガンガン威勢のいい音楽と奇声と喧騒の中、踊れる場所をムリヤリ確保した。
 あたしが軽やかにステップを踏み始めると、アリアドネもそれに倣(なら)った。
 なんだ、初めてにしちゃ、うまいじゃん。
 黄色のふわふわドレスがステップのたびに揺れる。
 地球より重力の低い、ここ火星では、軽いステップでも、スカートの裾は軽くひるがえるのだ。
 お立ち台を見やると、ルーの姿があった。
 おしりを覆っただけの超ミニスカートで、すらりと伸びたすばらしい脚線美を、惜し気もなく披露している。
 あやつは全体のシルエットとか、上品さとかいうものをあまり気にしない。
「わたしは脚がきれいだから、脚を出して勝負するの!」
 それがルーの言い分である。
 まあ、人並みの胸しかない人間の言い分だよな。
 あたしを見ろ。
 リキまない限り見えることのない腕の筋肉。だから、モロ肩出しのドレスでも、ほっそりした肩と腕に見えるのだ。
 そして、豊かなバスト。大きく胸のあいたドレスがはちきれんばかりにふくらんでいる。
 この大人の色気に太刀打ちできるか?
 ガン飛ばすと、ルーの視線とかち合った。
『おねーさん、悔しかったらお立ち台に立ってみなさい。おーほっほっほっ』
 とその目は語っていた。
 ちくしょう。
 お立ち台では脚がクローズアップされる。
 さらに、ルーは走り高跳びの選手だったのだ。脚のバネが違う。
 お立ち台が低ければ。
 胸の大きさが勝負になるのに。
 あたしは唇をかんだ。
 降りてきたら、覚えてろ。
 ……と、その時。
 ――! ! ! ! !
 頭より、肌が反応した。
 アリアドネを押し倒す。
 パァーン。
 なにかが破裂するような大音響が響き渡った。
 パァーン、パンパァーン。
 赤い雨が飛び散る。
 口に飛びこんできたそれは、まるでナイフをなめたような味。
「お、おねえさま?」
 何事が起きたのか、ようやく理解し始めた群集。
 その悲鳴にかき消されるようなアリアドネのとまどいの声。
 彼女の真後ろだった場所に転がる、首の吹き飛んだ人間の体。
 有無を言わせずアリアドネを部屋のスミに引きずった。
 案の定、群集が一斉に出口へと向かい始める。
 殺人的な勢いだ。
 たぶん、死人が数人でるだろう。
「おねーさん」
 ルーがどこからか飛んでくる。
「今の?」
「なんだかね」
 あたしはアリアドネの付き人二人を探した。
 彼女を押しつけて、とっととルーとトンズラするつもりだった。
 そうすりゃ、飲み代もきれいに踏み倒せるってもんだ。
 が。
「ヤバいわ。とことんヤバいわ」
 うめくようにつぶやく。
「どしたの? おねーさん」
 ルーがあたしの視線の先をたどった。
 部屋のスミで、場違いな付き人二人が、腹を真っ赤に染めてこときれていた。
 しがみついているアリアドネの目を、あたしは手のひらでそっと覆った。

つづく

 

   

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