おだやかなあたたかい冬の日のことでした。
うみ姫はサンルームでまんがをひざの上にのせたまま、うつらうつらと昼寝を楽しんでいました。
「うみちゃん、うみちゃん」
兄のそら王子がそこへかけこんできました。
「なあに、おにいちゃん」
ぽかぽかあたたかいサンルームでの気持ちよい昼寝をじゃまされて、うみ姫はいくらかふきげんです。
「すごいよ、すごいよ」
そら王子はそんなうみ姫にむとんちゃく。じぶんの興奮を語ってくれました。
「またなんか作ったの?」
うみ姫は気のないへんじ。そら王子は発明が趣味で、いつもろくでもない発明をするのです。まいどのことで、はためいわくなものをなにか発明したのだろう、とうみ姫は思いました。
「そうなんだよ」
そら王子は大きくうなずきました。
「『夏』をよぶ器械を作ったんだ!」
「ええっ!」
うみ姫はさけびました。
そら王子が発明をはじめて以来の大発明です。
いつもならガラス製の自動ドアが故障して開かなくなった時に使うガラス切りだとか、ぬれた手をふくためのジュースだとか、とんでもなくくだらないものを考えるのです。
「おにいちゃん、すごーい」
うみ姫は立ち上がりました。
これからは、学校で寒い思いをして雪合戦なんかしなくてもすみます。うみ姫は毎年しもやけがひどいので、冬や寒いのが大きらいでした。
「すぐ『夏』をよぼうよ」
「うん」
そら王子はじまんそうにうみ姫をサンルームからつれだしました。
そら王子の製作所は王宮の地下にあります。そこにはベルトウェイが通っていて、とても近代的です。不経済なので動力は止めてありますが、ベルトウェイを歩いていくのはおつなものです。止まったエスカレーターを上り下りするのといっしょで、つまづくような感じがあります。
製作所に入ると、家来がいっぱいはたらいていました。
「おう、ごくろうさん」
そら王子は家来に声をかけてやりました。家来はひどくまじめな顔をして恐縮そうに頭を下げました。
これは笑いをこらえているからだろう、とだいち姫はよく言います。だいち姫はうみ姫のすぐ上の姉で、気むずかしい人です。
「これが『夏』をよぶ器械なんだよ」
そら王子はそばにあった大きな器械を指さしました。それはとても大きくて、清水の舞台くらいの高さがありました。
「よんで、よんで」
うみ姫はおねがいしました。
「いいよ」
そら王子は気持ちよく返事をして、すぐにスイッチを入れました。ぶーんという音とともに、器械の上になにかがあらわれました。
「『夏』だぜ!」
なにかが自己紹介しました。仮性近視の目をこらして、うみ姫はよくそれを見つめました。
よく見えません。
だれかがすっと双眼鏡をさしだしてくれました。そら王子の友人の米太郎でした。
米太郎はそら王子と同い年で、名前がへんなだけです。彫りの深い立体的な顔立ちをした好青年で、どうしてこんな人がそら王子の友人なんかをやってるんだろうと、いつもうみ姫はふしぎです。
その米太郎青年からかりた双眼鏡で清水の舞台を見てみると、なるほど、顔のぶぶんにサインペンで『夏』と書いてあるし、アロハシャツにむぎわら帽子、短パンにまっくろくろすけに焼けた手足を見ると、いかにも『夏』です。
そっかあ、こうやって『夏』って来るんだぁ。おにいちゃんもやればできるじゃない。うみ姫は感心しました。
「はやく『夏』にここにきてもらってよ」
うみ姫は催促しました。あんな遠くにいたのでは、ちっともあつくありません。
「うん」
そら王子は『夏』にむかって言いました。
「はやくおりておいでよお」
「おう」
『夏』は清水の舞台から、プールのとびこみの要領で元気にとびおりました。
ぴゅーん、ぐじゃっ。
『夏』は着地と同時につぶれてしまいました。
「がーん」
うみ姫はあまりのショックに擬態音を口にしました。
「あれえ、へんだなあ」
そら王子は首をかしげました。
「つぎをよんでみるね」
また『夏』をよびだします。
こんど、清水の舞台にあらわれたのは、白いつばひろの帽子をかぶった、黒いマイクロビキニの二十歳ぐらいの美女です。ボディラインのきれいな人で、健康そうに焼けた小麦色の肌がなんともいろっぽいのです。
「はあい、あたしをよんだ?」
あたらしい『夏』が言いました。
しん、とまわりがしずまりかえっています。
だうしたのだらう? うみ姫はあたりを見まわしました。
へんじのないのも道理。みんな彼女に見とれているんです。米太郎氏まで。
しかたがないので、うみ姫がみんなのかわりにへんじをしました。
「うん。よんだよ」
「あら、それじゃ、下におりていったほうがいいのかしら?」
ちらりと、だれかにむかって流し目をおくったみたいです。だれにむかってやったのかは知りませんが、そら王子にむけたものではないだろう、とうみ姫は思いました。
「はやく、はやくおりておいで」
それなのに、そら王子は『夏』に言いました。もう、『夏』にぞっこんみたいです。
「じゃ、いくわよ。あたしをうけとめてネ」
ぱっと『夏』がとびおりました。家来のだれかがそれをうけとめようと手をさしのべました。
ぴゅーん、ぐじゃっ。
やっぱり高すぎたのでしょう。下じきになった家来も、とびおりた『夏』もみいんなぐじゃぐじゃです。
「そ、そんなあ」
そら王子はがっかりです。そこでやめればいいのに、あきらめのわるいそら王子はもういちど『夏』をよびだしました。
「どなたかおよびになりまして?」
髪を結いあげたゆかた姿の女の人が出てきました。優雅な物腰で、良家のお嬢さまといったかんじの人です。白いうなじが見えて、それがぞくぞくするほどいろっぽいのです。
「はい、よびました」
そら王子がしゃちほこばってこたえます。
「まあ」
『夏』は下を見下ろしてため息をつきました。その切なそうなこと!
まもってしまいたくなるほどです。
「わたくし、ここからそちらにまいりますのに、ゆかたのすそがはだけてしまいそうですわ。どうしましょう」
そのとき、潮風がふいて、ゆかたのすそがすこしまいあがりました。ちらりと白いおみ足がのぞきます。
「わあおっ」
だれかがさけびました。過剰サービスです。
「だれか、マットをもってこい」
そら王子は命令しました。家来がはっとわれにかえって命令にしたがいました。清水の舞台の下にマットがしかれます。
「ここにおりてください。みんな後ろをむいていますから」
そら王子は『夏』にそう言って、家来にえらそうに命令しました。
「いいか、みんな後ろをむいてぜったい見るんじゃないぞ」
「わたしは見てるからね!」
うみ姫は言いました。女の子どうしだもん。
「うーん。うみちゃんはしかたないなあ」
そら王子は見ていてもいいと許可しました。
それで、また『夏』がとびおりました。はらはら、とゆかたのすそがはだけ、うみ姫は見るんじゃなかったと後悔しました。
日本古来の着物やゆかたというものは、正式には下着を身につけません。だから、うみ姫にはわかってしまったのです。この『夏』が女性ではないことが。
それはともかくとして、『夏』は加速をましておちてきます。
ぴゅーん、ぐじゃっ。
やっぱり高すぎるのです。だから、マットの上はスプラッタになってしまいました。
「ああ、これであと三年は『夏』がこないよお」
そら王子はとてもかなしみました。
「おにいちゃんなんか、きらい」
うみ姫は製作所をとびだしました。
台所にいくと、姉のだいち姫がおにぎりを作っていました。
「おねえさん、おなかすいた」
うみ姫はダイニングキッチンのテーブルにすわろうとしました。椅子をひこうとすると、重い。椅子が異様に重いのです。さては。うみ姫は椅子をのぞきこみました。思ったとおり、猫のミーが椅子の上にのっていました。
ミーは体重が二キロもあり、顔がチャップリンそっくりです。というのは、鼻の下にグレーのぶちがあって、まるでチャップリンのひげのようなのです。
ミーをおしのけてうみ姫は椅子にすわりました。
「わたし、みそおにぎりがいいなあ」
うみ姫はだいち姫に言いました。
「わかってるって。ほら、できてるよ。そろそろおなかすかせるだろうと思ったんだ」
だいち姫は言いました。うみ姫はだいち姫の出してくれたおにぎりをほおばりました。
だいち姫は王女さまのくせに台所に立つのがすきなのです。とてもお行儀のわるいことで、おたあさまに見つかるとしかられるのですが、ぜんぜんこりません。それどころか、かならずおにぎりなりスパゲティなり、うみ姫とそら王子に作ってくれるのです。そだちざかりのふたりにはありがたい存在です。
なにしろ夕食は十時ごろなので、昼食と夕食のあいだはとてもおなかがすくのです。
「あーあ、冬がなくなっちゃえばいいのに」
うみ姫は食べながら言いました。さっきのそら王子の発明は、思い出すだけで腹がたってしまいます。
「冬がなくなったら、スキーができない」
だいち姫が言いました。だいち姫は大の冬ずきで、雪を見ると人がかわるくらいです。夏がくると、夏バテでダウンしてしまいます。
うみ姫とまるっきり逆です。
「でもね、おにいちゃんたら、『夏』を三回もころしちゃったんだよ」
うみ姫はふくれました。
「『夏』をころした?」
だいち姫はへんな顔をしました。
「うん。あのね」
うみ姫はことのしだいを説明しました。
「ふうん」
だいち姫は牛乳を出してくれました。
「そうかあ」
「おねえさんはどう思う?」
いくら夏がきらいなおねえさんでも、これはおこるだろう、とうみ姫は思いました。
「そっかあ。米太郎くんてば、双眼鏡だなんて、気がきくぅ」
「ひんしゅくー」
うみ姫は言いました。そんな問題ではないのです。
「おねえさん、なんとかしてよ」
そら王子にたちうちできるのはだいち姫しかいない、とうみ姫は思っています。だいち姫はそら王子とおなじくらい非常識で、おなじくらいへんな才能があるからです。
「しゃあないなあ。じゃ、『夏』を再生しようか」
だいち姫はほおづえをついて言いました。
そうこなくっちゃ。
「おねえさん、たのむね」
うみ姫はうれしそうに立ち上がりました。
もう、おなかいっぱい。
「ちょっとまちなさい」
だいち姫がきびしくうみ姫をひきとめました。
うみ姫はぎくりとしました。なにが気にさわったんだろう?
まさか、『夏』を再生するからおかねをだせっていうんじゃ……。
冬だというのに、うみ姫の背筋をすっとつめたいものがながれました。いまだって、つもりつもった借金を、だいち姫に返済中なのです。これ以上はらえったって、むりです。
「おねえさん、あのね、いま、おかねないの」
うみ姫はうすわらいをうかべました。
「おかねをかりたいんなら、あとにしなさい」
だいち姫はこわい口調のまま言いました。
「それより、ごちそうさまくらい言いなさいよね」
なんだ、ごちそうさまを言ってほしかったのか。礼儀にうるさいんだから……。
「はい。ごちそうさま」
うみ姫ははやくちに言いました。
「よろしい」
だいち姫はしかめっつらのままうなずきました。
うみ姫はさっさと台所をはなれました。へんな兄と姉をもつと、妹はとっても苦労します。
だいち姫はそれから二、三日くちをきいてくれませんでした。ふきげんだったからではありません。チャーハンを作りながら、いつもなら『宇宙戦艦なんとか』という歌を鼻声で歌っているのですが、なにかものおもいにふけっているようで、めずらしくゆびをきったり、やけどをしたりしています。そのたびにいまいましそうに舌打ちをするのですが、しばらくたつと、またおなじようにけがをしているのです。味はかわらないのでうみ姫はそんなことをてんで気づきませんでした。
「うみちゃん」
だいち姫はチャーハンをたべながらむすっとしていいました。くちがちいさいのでいちどにたくさんはたべれませんが、ほとんどかまずにのみこんでいるので、はやくて大量に食べれます。あんなにたべたらふとるなあ。ふとっているっていつも気にしているけど、あたりまえだよなあ。うみ姫はそうおもいましたが、だいち姫がこわいのでだまっていました。
「おにいちゃんは、あいかわらず、あんなくだらないことやってんの?」
だいち姫はチャーハンをたべおわりました。いちおう、満腹感というものを知っているようです。
「うん。またきょうも米太郎くんと改良をするんだっていってたよ」
うみ姫はゆっくりとチャーハンをたべます。うみ姫はたべるのがおそいのです。
むかし、幼稚園にいっていたとき、きめられたおひるの時間にたべおわれなかったので、先生に放課後のこされたことがあるのです。ほかのこどもたちはみんなきらいなものやたべづらいものをおべんとうにいれてもらわないよう要領よくたちまわっているのに、そんなことまでかんがえがおよばないすなおなうみ姫は、いつも先生にしかられていました。つくづく、教育って、へんだな。うみ姫は思います。
「ったく。米太郎くんをそんなつまらないことにつきあわせるなんて」
だいち姫はおこっているようです。
「ようし、きょうこそはおにいちゃんの魔の手からすくってやるんだ」
なにかかんちがいしているのかもしれません。米太郎くんが、だいち姫のようにこわい人をあいてにしてくれるのかなあ。うみ姫はくびをかしげました。
だいたい、すくうのは王子さまのやくめで、お姫さまはすくわれるものと相場がきまっています。もしかしたら、だいち姫は王子さまになりたいのかもしれません。
「うみちゃん、よろこびなさい」
きゅうに命令されて、うみ姫はびっくりしました。
「わあい」
とりあえず、バンザイして、気のない声をだします。すると、
「ついにできたよ。あの器械が」
「えっ。ほんと?」
「なんであたしがうそをつかなくちゃなんないの」
どうしてそうつっかかるようにいうのでしょう。うみ姫はすなおに反応しただけなのに。
どちらにしろ、これでおにいちゃんのことはなんとかなりそうです。うみ姫はほっとしました。やっぱりいざというときにたよりになるのは、おねえさんだよね。